第222話 怒りの矛先

 薄暗かった部屋はルイーズの送還の魔法で、今は柔らかい日差しが差し込むように明るい。

 けれどハルカには、魔法を使った本人の表情が、とても沈んだものになったように見えていた。


「クロムの人生をめちゃくちゃに? クロムは満月の夜だけが救いだったって、言ってたよ?」

「彼は……、隠れ里で、酷い目に遭わされていたわ。だけどね、それでも、そこから逃げ出すのはいけない事と、思い込んでいた。だから満月の夜に出逢ったわたし達は、また満月の時にだけ、会う約束をしていた。少しでも彼を、その現実から救い出したくて。でもそのせいで、彼を恐ろしい事に巻き込んでしまった」

「恐ろしい事……?」


 クロムからそんな話は聞いておらず、ハルカは困惑する。

 そして光からは暖かさがどんどん薄れ、魔法が弱まったように思えた。

 

「もう最後だから、ハルカには全部、話してあげる。わたしは幼少期から、ハルカがいたあの塔で過ごしていた。お父様からのお気に入りのわたしが、安全に過ごせるように」

「安全に……?」

「わたしは特別な白の魔法使いであり、お父様のお気に入り。次の王に1番近い存在として、他の皇子や皇女から疎まれていた。そしてそれは、城の中の者も一緒。特別な魔法使いはおかしい者として扱われてきた。でも、弟だけは、わたしの良き理解者だった」


 長剣を床から引き抜き、ルイーズはふらりと体を揺らしながらも、ハルカの側まで来た。


「けれどその弟に、わたしは毒を盛られた」


 ルイーズの静かな声が悲しげに揺れ、ハルカはその言葉に息を呑む。


「どんな目に遭っても、わたしは泣いた事なんてなかった。それはわたしが王になる為の試練だと思っていたから。けれど違った。わたしは弟に支えられていたのだと気付いた時、心の支えを無くし、他の者がいたにも関わらず、あの塔から転移の魔法で逃げ出した。その日がちょうど満月で、わたしはクロムと出逢ったのよ」


 当時の様子を語るルイーズが儚げな存在に見え、触れる事はできないが、ハルカは光の壁に手を当てていた。


「けれど弟の事も含め、全てはお父様の策略だった」

「どういう事?」

「心の拠り所を自分だけにする為に、周りの人間を巻き込んでいた。弟はわたしを眠らせる薬を手渡されたと言っていた。毒とは知らなかった、これを飲ませなければお母様の命が危なかったと、あとで真実を教えてくれたわ」


 何故父親がそんな酷い仕打ちをするのか理解できず、ハルカは呟く。


「こんな事言いたくないんだけど……、本当の父親、なんだよね?」

「そうよ。本当の父親。ここまでわたしを孤立させる理由は、お父様だけに従順なものに仕立て上げる為、だったんでしょうね。けれどわたしは弟から真実を聞いた事で、また前を向けたの。そしてクロムの存在も、わたしを支えてくれた」


 やはりお互いにとても大切な存在なのだと知り、2人が出逢えた奇跡の喜びを、ハルカは感じる。

 けれど続く言葉を紡ぐルイーズの声色が、変わった。


「それからは、弟とお母様に何かあってはいけないと思い、接触を避けた。それでお父様の目をごまかせたと思っていた。けれど、クロムの事まで気付かれているなんて、知らずにいた」


 怒りが滲むように声を震わせ、ルイーズの頬が赤く染まった。

 それと同調するように、ハルカを包む光が渦巻く。


「塔を抜け出すにしても、戻る時にどうしても門でわたしの正体がわかってしまう。1度目はお父様が事情を知っていたからでしょうけれど、戻る時に何も言われなかった。けれど何度も外へ出るなら理由が必要だと思い、『もうわたしと対等に戦える者がおりません。ですから満月の夜、通常よりも強くなる魔物を狩って、自分で鍛錬を積みます』と、お父様に進言したの」


 何かを堪えるようなルイーズの苦しげな声に、ハルカの胸も苦しくなる。


「お父様は笑いながら快諾して下さった。でも特殊部隊が後をつけてきていたのを知らなくて、クロムの存在が知られてしまった。そしてある満月の夜、お父様が部屋に訪ねてきたの」


 ルイーズの長剣を握る手が震え始めたのか、刃先が床に当たり、カチャカチャと音を立てる。


「『今日もあの少年の所へ行くのか? 様子を見させていたが、間違いがあってはいけない。お前は私の子を産むのだから』と、言われた。この時わたしは、視力を失ったのよ」


 え?

 視力を失ったのって、暗殺されかけたからじゃ……?


 この言葉を聞きながら、ハルカは以前に聞いていた聖王様が誕生した時の話を思い出し、理解してしまった。


「まさか、ルイーズは……」

「この時初めて、わたしはお父様の道具だったのだと、気付かされたの」


 微笑むルイーズの声はずっと震えたままで、ハルカの方が耐えられなかった。


「ルイーズ、笑わなくていい。そんなに酷い事を、話すだけでも、辛いよね。こんなにルイーズの近くにいるのに、何もできなくて、ごめんなさい」

「ハルカはいつも人の事ばかりね。謝ってほしくて話したわけじゃないの。それにね、お父様の手から逃れたわたしは、無事だった。そしてこの日から、クロムがわたしのそばにいてくれた。だから間違いが起こる事はなかったのよ」


 大切な人を守る為に、クロムは動いたんだ。


 クロムの存在にハルカも救われた気持ちになり、体の力が抜けた。

 けれどルイーズは、剣を握る手に力を入れたように見えた。


「わたしはこの日、王家の者だとクロムに明かした。だからもうここへは来れないとも伝えた。これ以上、彼を巻き込みたくなくて。けれどクロムは、わたしに忠誠の魔法を使ってまで、ついてきてくれた。それなのに、お父様はその異世界の力に目をつけた。クロムがいた隠れ里の場所を聞き出したにも関わらず、自分に協力しない者達だからと、滅した」

「そ、んな」

「クロムには、彼の一族の秘伝書のようなものが手渡され、中身を読み上げさせ、『念の為持ち帰らせたが、これも違ったか』と、ただそれだけを言ったの」


 クロムの一族を滅ぼした者がまさかの前王だと知り、ハルカは胸の中に生まれた怒りを抑え込むように、自身の杖を両手できつく握った。


「クロムはそれでも、誰も責めなかった。そんな彼は、お父様に、ずっと利用されていた。これに気付けたのが3年前の、戦争、だった」


 ルイーズは見てわかるほど顔を歪め、声を震わせた。


「クロムは戦争の前に、通信をしてきた。『今からぼくは、王の指示に従います』と。クロムの忠誠の魔法は、主の言葉に絶対従うそうなの。わたしはそんな縛り方をしたくなくて、ただそばにいてほしいと、伝えていた」


 ここまで言い切った瞬間、ルイーズの顔が怒りで歪み、彼女は叫ぶように声を出した。


「そんなわたしの言葉のせいで、クロムは、利用され続けていたの!! 本当は、ジェイド一族の被害を最小限にする為に動いていた。けれど同時に、クロムやリクト、それにエミリアにまで、お父様は脅しをかけていたのよ!!」

「おど、し?」


 あまりの剣幕にたじろぎながら、ハルカはようやく声を絞り出した。

 けれどルイーズは、手に持つ剣で誰かを斬り付けてしまいそうなほどの、殺気を放っていた。


「わたしのそばでクロムの通信を聞いたあと、様子のおかしくなったエミリアが気になって、わたしは問いただした。最初は彼女も口をつぐんだわ。でも、ずっと尋ね続けたら、教えてくれた」


 頬が赤らみ、ルイーズの怒りを表すように、ハルカを包む光がさらに激しく揺らめく。


「お父様は、『お前らみたいな孤児を王家の者に仕えさせてやっているのは私だと、ゆめゆめ忘れるな。ルイーズが陰で何か動いているようだが、邪魔立てするようなら、お前らから葬ってやろう。そうすればルイーズを守る者がいなくなり、また私の駒として側に置く事ができるのだからな』と、そんな言葉で、彼らを、戦争に、巻き込んだ」


 ルイーズの声から、彼女の怒り、悲しみ、後悔が伝わり、ハルカは言葉を失う。


「わたしは、彼らに、ずっと守られていたの。わたしが、守りたかったのに。彼らに罪などない。罪はわたしとお父様にある。そして……」


 ルイーズがいきなりハルカへ剣を向け、冷たい声で言い放つ。


「異世界の人間とそれを喚び寄せた者にもある」


 その言葉を聞いた直後、ハルカを包む光に暖かさが戻る。


 さっきまで弱まっていた魔法が、元に……違う、もっと強くなってる……!


 どうすればいいのかわからなくなったハルカは動揺しながらも、徐々に眠気に襲われ、力が抜けていく体を杖で支える。

 そこへ、ルイーズの怒声が響く。


「あなた達が存在しなければ、お父様は狂う事がなかった!!」


『違う』


 ハルカの心が揺れていたせいか、ルイーズの言葉と、小さなルイーズの声が重なるように聴こえた。

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