第192話 3年前の戦争の傷

 祝いの木の下で座り込んだまま、ハルカとカイルは見つめ合っていた。そこにマキアスはハルカへ、セルヴァはカイルへ、顔をすり寄せてくる。

 だからようやく、ハルカは様子のおかしいカイルへ声をかける事ができた。


「カイル、大丈夫……?」


 すると呪縛が解けたように、カイルが息を吐く。


「ハルカが聴いた声は……、女性の声か?」

「女性……っていうより、女の子っぽい声だった」


 性別を答えた途端、カイルはハルカから手を離した。


「それは俺の妹、オリビアの最期の声……だろうな」


 カイルの……妹?


『にいさん……、…………、たすけ、て』


 ハルカはようやく意味を理解し、とんでもない事を口走ってしまったと後悔した。


「ごめんなさい! その事を聴くつもりじゃなかったのに!」

「いや、いい。今の俺にとって、必要な言葉だ」


 そう言ってカイルは立ち上がると、祝いの木を見上げ、触れた。


「こいつもきっと、俺に伝えたかったんだろう。忘れるな、って」


 祝いの木を見上げるカイルの表情は見えない。だから余計に、ハルカはカイルの気持ちを汲み取ろうと考える。けれど、なんと声をかけていいのかわからず、彼を見つめ続ける事しかできなかった。

 すると、ゆっくりと視線をこちらに戻したカイルが、険しい顔つきで問いかけてくる。


「他にも聴こえた言葉があるなら、教えてくれ」


 そう問われ、ハルカは先程の声を思い出しながら、沈黙した。


『何故だ、カイル……!!』

『カイルくん、正気に戻って!!』

『せめて子供は見逃してくれ!!』

『俺達がわからないのか!?』

『カイル! あいつらは誰だ!? どうしてここから出られない!?』

『なんでカイルが、ここに? じゃあさっきのは——』


 カイルの名前が、たくさん聴こえた……。

 しかも、よくない意味を含んでいる声もあった。


 どんな状況だったのかわからず、ハルカは躊躇する。

 本当に伝えてしまっていいのだろうかと。


「どこから話せばいいか……。話すと長くなる。そして、気分の悪いものだ。それでも、声を聴いたハルカには、話しておいた方がいいだろう。だから、聞いてくれるか……?」

「私は、大丈夫。どんな事でも話してほしい」


 黙り込むハルカに、カイルが戸惑うように確認してきた。だからハルカは、カイルの話は全て受け止める覚悟で頷いた。


「俺の話を聞いた後、ハルカが聴いた事を教えてほしい。俺は、みんなの最期の時に、ここにいなかったから」

「え……? いなかった?」


 じゃあ、あの声は……どういう事?


 未だに座り込むハルカに目線を合わせる為か、カイルも下へ座り込む。


「俺は冒険者の昇級の依頼をこなす為に、サンと外にいたんだ。ちょうど、俺達一族の祝いの日でもあった。だから、更におめでたい事でも持って帰っておいでよ、なんて、少し前からクロムに提案されていたのもあってな」


 当時の様子を、どこかぼんやりとしたカイルが淡々と語る。


「本来なら、冒険者なんかにならなくてよかったんだ。だけどな、俺達一族も数が減ってきて、バラバラに生活して身の危険を増やすのは避けるべきだと、意見が出始めた。何より、異世界に関連した人々だから、自分達の一族と同じように賊に狙われやすくなるはずだと、クロムからも忠告されたな。だからこの場所に近い、キニオスに定住する予定だった。それなら俺が先に町での縁を作っておこうと思って、冒険者になった。元々、俺が冒険者に興味があったのも事実だけどな」


 ここまで言い切ると、懐かしむような表情は消え、無表情なカイルが低い声で続きを紡ぐ。


「話が逸れたな。そして、サンと昇級の依頼こなしてキニオスに戻った瞬間、戦争が始まった」

 

 本当に突然、戦争というものが起こったのを知り、ハルカの胸に痛みが走る。


「門番とサンと俺が、急に魔法を放ってきた奴らと対峙していた時、門番……、アルロの通信石にキニオス周辺の被害も入ってきて、俺は急いでここを目指した」


 この前再会したアルロさんは、最初に会った時、涙ぐんでいた人だった。きっと、カイルのその後を詳しく知っている人だからだろうと、ハルカは考える。

 すると、話し続けていたカイルは眉間にしわを寄せ、目を伏せた。


「無事でいてほしい一心で、セルヴァと急いだんだ……。だけど、待っていたのは…………」


 まるでその当時に戻ってしまったように、顔面蒼白になったカイルの体が微かに揺れる。


「斬り刻まれ息絶えた、家族や仲間達の、姿だった」


 ハルカは涙が滲むのを感じながら、すぐに目の前のカイルを抱きしめた。


「悪い……。こんな話を……する予定じゃ、なかったんだ……」

「私が話してほしいって、言ったから。それなのに、無理に話してくれて、ありがとう」


 最期の時にいなければ、どんな真実でも知りたくなる。

 私だってきっと、同じだ。

 でも……、どうしてオリビアさんの言葉は知ってるの?


 抱きしめる手に力を入れたハルカの頭に、疑問が浮かぶ。


「まだ、この話には続きがある」


 そう呟くカイルの顔を覗き込むように、ハルカは抱きしめる腕を解く。すると、瞳を閉じて苦悶の表情を浮かべている姿が目に入った。


「誰か、まだ、生きているかもしれない。そう思って、1人1人、確認したんだ。そして……父さん、母さん、オリビアを確認しようとした。その時、重傷のクロムが姿を現した」


 この前の、青ざめ痙攣するクロムをカイルの言葉に重ね、ハルカは手を握りしめる。


「無事な者はいない。それに、ここに来た奴らがまた戻ってくるかもしれない。だから、これからの生活に必要なものだけを持って逃げろと、言われた。俺は……、クロムが何を言ってるのか、わからなかった。だって、朝まではみんな、生きていたのに……」


 今にも消えてしまいそうな声を出すカイルを、ハルカは優しく抱き寄せる。


「辛かったら、もう、話さなくていいんだよ?」

「……話さなきゃ、いけない。俺が、みんなを忘れていないって、伝える為に」


 どこか、懺悔のようにも聞こえるカイルの声色に、ハルカの胸が痛みを増す。


「きっとね、伝わっているよ。でもね、そんなにカイルが苦しんでいる姿は——」

「苦しんでいるのは、オリビアだ」


 ハルカの言葉を遮りカイルは言い切ると、ハルカの肩をやんわりと押し、体を離す。

 そして自身の若草色の収納石に目線を落とし、触れた。

 もしかしたら、オリビアさんの形見なのかもしれないと、ハルカはその姿から感じ取る。


「みんなの死を受け入れられない俺に、クロムが『ここを襲撃した奴らを、そのままにしていいのか』と、感情を抑え告げてきた。その時、微かにオリビアの声が聞こえたんだ」


 すぐにこちらに向き直ったカイルは、また淡々と話し続けていた。その姿が痛ましく思いながらも、オリビアさんの最期にだけは間に合ったのだと、ハルカは理解した。


「急いで側へ行ったが、聞き取れたのは、ハルカがさっき言っていた言葉だけだった」


 カイルが戻ってきたのをわかって、声を振り絞ったんだ、きっと。


 とても強く訴えるような声だったのを思い出し、ハルカはやるせなさで瞳をきつく閉じた。


「きっとオリビアをはじめ、みんなが苦しんでいるはずだ。理由もわからず、命を奪われて。だから、教えてほしい」


 カイルの真剣な声に、ハルカはそれが彼の望みならと、目を開き、聴こえた言葉を告げる。


「とても、辛いものになるかもしれないけれど、伝える。さっき聴こえた言葉は——」


 そしてハルカの話を聞き終えたカイルの表情は、コルトで自分の父親の事を話していた時の、憎悪を剥き出しにしたものへと変わっていた。


「何か、おかしいと思っていた。どうして父さんをはじめ、あんなに強いみんなが、無残に殺されていたのか。そして、魔法の傷ではなく、刀傷だったのか」


 カイルは立ち上がると、祝いの木を背に、歩き出す。

 そして立ち止まると、辺りを見回した。


「俺の姿を真似た奴らに…………殺されたのか?」


 まるで、今そこにみんながいるかのように、カイルが問いかける。

 すると、ぽたりと、雨粒が落ちてきた。


「だから……、誰も、本気で、戦えなかったの、か?」


 ぽたぽたと雨が大粒になってきているのを気にも留めず、カイルは立ち尽くしていた。

 その背中へ向かって、ハルカは駆け出す。


 初めて、大切な人達を失った話をしてくれた時、上手く泣けなかったと、言っていた。

 これ以上、カイルの心の傷を深くしちゃだめだ!!


 まるでこの雨は、ずっと流れる事なく溜まり続けていたカイルの涙のようで、ハルカの胸が張り裂けそうになる。

 そう考えるハルカがカイルに手を伸ばす前に、彼はこちらを振り返った。

 光の消えた黒緑色の瞳から、降り注ぐ雨が頬を伝う。


「カイル、悲しいなら、泣いていいんだよ?」

「……泣く? 俺が? 俺にそんな資格はない」


 そう言い切ると、カイルはハルカを避けるように横を通り過ぎながら、声をかけてきた。


「ハルカ、真実を知れた事、感謝する」


 そして立ち止まると、さらに言葉を紡いだ。


「俺はもう、迷わない」


 意味はわかっていなかった。それでもハルカは、遠くへ行ってしまったようなカイルを背中から抱きしめる。

 すると、しっかりと手を払われ、カイルは冷たい視線を向けてきた。


「俺はこの日、俺だけの魔法を見つけた。今までのありふれた日常が終わりを迎えるなんて思わなかった俺に、ようやく魔法の言葉が浮かんだんだ」


 そう話すカイルから重圧を感じ、ハルカは息をのむ。


「俺は、この魔法を使って、やるべき事がある。今はそれだけを、考えたい」


 その顔は、コルトへ出発する前夜に、ルチルさんの宿のテラスで見た、敵意に満ちた表情と重なった。

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