第193話 ハルカの決心とリクト達の準備
もうここに用はないと、カイルは言った。名もなき話の件は、気になるなら記録を触れればいいと、突き放された。
それでもハルカは食い下がった。どうにか彼を繋ぎ止めたくて。
けれど、カイルの表情は冷たさを増すばかりで、どんどん離れてしまっている距離を痛いほどハルカに感じさせた。
だけど祈るように、この言葉だけは声に出した。
「カイル。今からあなたが何をしようとしているか、私にはわからない。だけど、危険な事はしないで。あなたが傷ついて悲しむ人は、たくさんいる」
クロムの言葉と、カイルの様子から……、きっとみんなを手にかけた人を探し出そうとしているんだと思う。
前にも、戦争の関係者は自ら命を絶っているって言っていたのに、まだ生き残りがいるような事も言っていた。
あの時は曖昧に感じたけれど、何か、確信があるんだ。
でもそれを今言葉にすると、すぐにでも私達の前から消えてしまいそうな気がする。
それでもどうか、この言葉だけは、届いてほしい。
その想いが届いたのか、カイルの表情が幾分か和らいだように見えた。
「ハルカは何か勘違いしてないか? 俺は、生き残りだ。だからよけいに、命は大事にしている。危ない事に首を突っ込むのはごめんだ」
そう言うと、カイルは水の滴る前髪をかきあげ、軽く笑う。
「悪いな、取り乱して。帰るぞ」
いつも通りの声色に戻ったが、ハルカにはその不自然さが目に焼き付いて離れなかった。
***
雨は勢いを増し、キニオスに着く頃には嵐のような激しさになっていた。
カイルが雨避けと暖をとれる魔法を使ってくれたので、そこまで酷く体が冷える事はなかった。けれど、宿に戻り、会話らしい会話もせず、それぞれの部屋へと向かう。
最後にハルカはカイルへ視線を送ったが、彼はこちらを見る事もなく、扉の向こうへ消えていった。
ハルカも部屋に入ったが誰もおらず、ガダガタと窓だけが不気味に音を立てる。
お風呂に、入ろう……。
水を含む自身の服の重さを感じながら、ハルカはのろのろと温浴へ向かった。
深緑色をしたお湯に浸かりながら、ハルカはしばらくぼーっとしていた。
私のした事は、間違ってた?
ハルカはカイルの心に寄り添う事ができなかったと感じ、さらに彼を追い詰めてしまったように思えて仕方がなかった。
真実を伝えたいとは思った。知る権利が、カイルにはあるから。
でも、もう少し言い方を、考えるべきだった。
動揺していたとはいえ、最初にカイルの妹の声を伝えてしまった事は、後悔しかなかった。
胸の苦しさから逃れたくて、ハルカは大きく息を吸い込み、吐き出す。
この匂い……。
祝いの木の花と、似た香りがする。
以前、ルチルさんから手渡されていた深緑のカケラを使い、ハルカは鉱浴をしていた。その爽やかな香りが、祝いの木、そしてそのまま、カイルを連想させる。
「私、もしかしたら、最初からカイルの事が気になってて、あなたを選んだのかも」
落ち込んでいた気分を和らげてくれる深緑のカケラが溶けたお湯に向かって、ハルカは言葉をかける。
「匂いはわからなかったけど、色がね、カイルだなって……」
緑の魔法使いのカイルを想い、ハルカの瞳から涙がこぼれた。
私、だいぶ前から、カイルの事が好きだったんだ。
それなのに、どうしてあんなに傷付ける事しかできなかったんだろう……。
もっと他に、かけられた言葉だって、あったはず。
自分の幼稚さが悔しくて、ハルカは心を乱しながら、膝をきつく抱える。
「私、最初に別の深緑のカケラと出会った時から、少しは成長したはずなのに。きっとあの時のカケラと繋がりのあるあなたに、こんな姿を見せちゃって、ごめんね」
膝にはつかないよう、ハルカは軽く深緑のお湯に頬をつけ、呟いた。
一瞬、頬を包み込まれる感覚が伝わる。
それに驚き、ハルカは顔を上げた。
「もしかして、慰めてくれたの?」
声をかけながら、ハルカは優しく深緑のお湯をすくい上げる。
すると、微かに波打つのが見えた。
「あなたも、優しいね。すごく元気になった。ありがとう」
笑顔を向けながら両手のお湯をそっと鉱浴へ戻し、涙を拭う。
そして気持ちが少しだけ落ち着いたハルカは、自分の考えを言葉にする。
「今回の事で私が自分を責めても、カイルの心の傷が癒えるはずがない。今日の事はまた改めて、しっかり謝ろう。そして時間をかけて、私も向き合っていく。カイルが3年前の戦争の日から、どんな想いを溜め込んできたか、吐き出せるように」
弱音を吐かないカイルに、少しでも寄り添いたい。
けれど、私の言葉でまた傷付ける事もあるはず。
それでも、どんな事を言われても、カイルの力になりたい。
それに、とハルカはカイルのこれからに、嫌な予感がした。
「カイルは……、3年前の戦争を起こした相手を見つけ出す為に、私の知らないところで、すでに動いているんじゃないかな……。でも、クロムの言葉通り、そのままにしておかないとなると……」
仇を討つ、とか考えていたり、するの?
それにカイルだけの魔法。確か定期便で……、『どんな相手でも、速さで勝れば勝機が見出せるかと思ってな』って、言ってたよね。
その想いが浮かんだから、あの速さ付与の魔法になったの?
ハルカはここまで考えて、何かが引っかかった。
カイルは本当に、そんな事、できるのだろうか?
確かに、容赦ないと思う事はあった。
でも、コルトの物取りを取り押さえた時だって、命を奪う行為は避けていたように思える。
それに……フェザーラパンの時だって、私に対して命の大切さを教えてくれた人だ。
その時、死という言葉すら口にするのを嫌がっているように思えたのに。
カイルも、人の命を奪うより守りたいと願う人のように思えて、カイルだけの魔法が浮かんだ瞬間を想像し、ハルカは疑問を抱く。
普段の考えが、自分だけの魔法に反映されるように思う。
だから、仇を討つ為の魔法には思えない。
けど……、大切な人達が関わっているから、そうなってしまったの?
でも、家族や仲間の人達は、望んでいないと思う。
私だって、カイルを知る人達だって、望まない。
「ここからは、私が口を出していい事じゃないんだと思う。でもカイルは、生き残ったからこそ、みんなの分まで幸せに生きてほしい。だからもし、仇を討とうとしているなら、全力で止める。そして、クロムにも協力してもらう。きっとこれは、2人で何かを計画しているはずだから」
ハルカが知らないだけで、2人は通信を取り合っていた。自分の詳細を伝えていたのは、そういった深い中で繋がっていたからだろうと、ハルカは改めて考える。
「クロムと2人だけで話す機会を見つけなきゃ」
カイルに直接話したところで、今日みたいにはぐらかされるのは目に見えている。だからまずは、クロムに協力を仰ごうと、ハルカはひらめく。
「それに、3年前の戦争の事ならクロムを通して聖王様に動いてもらう事も……あれ? クロムが知っているなら、もしかして聖王様もすでに知ってる? だからカイルは、首謀者が生きているって確信を持っていたの?」
聖王様まで関わっているなら、もう自分では止められないところまで話が進んでいるのではないかと、ハルカの決心が揺らぎそうになる。
「……だめだめ! 弱気になるな、ハルカ! やれる事をやる。最後まで、諦めない!」
そして勢いよく立ち上がり、宙に浮く鉱浴から出た。
「やっぱり、あなた達に浸かると頭がすっきりする。いろいろ考えがまとまったのも、きっとあなたのおかげ。本当にありがとう!」
ハルカは深緑のお湯に触れながら、少しでも感謝の想いが伝わるように言葉を告げる。
それに応えるように、お湯がぱしゃんと跳ね、消えていった。
「私とカイルが出逢った事に意味があるのなら、私は私を助けてくれたカイルを、助けられるように動くまでだ!」
ハルカは1人決意し、頬を叩く音が温浴室に響いた。
***
——王城・離れの塔
白を基調とした煌びやかな部屋で、リクトとエミリアは隊長から指示を受けている準備を進めていた。
しかし天候が崩れている為、本来の白を薄黒い色が染め上げる。
「はぁ。この塔が、ハルカちゃん専用かぁ。やってらんないっす」
「あんなに会いたがっていたでしょう? しっかり確認しなさい」
リクトは半ば投げやりに、扉に埋め込まれている守護石板の存在を確認する。塔自体が閉じ込める事に特化しているのに、さらに外で暮らす人々へ配る石板まで設置されている用心深さに、笑いがこみ上げる。
守る為の守護石板が、実は閉じ込める役割もするなんて、誰も気付かないっすよね。
本当に、こういう事を思いつくのだけは特化したクズ野郎だったなぁ。
だからといって、この石板を使ってまでハルカちゃんを閉じ込めようとしなくてもいいんじゃないの? なんて思わなくもないっすけど。
この塔から出られるのは聖王様ぐらいっすからね。
だから、聖王様には無意味だったっすけど。
昔、この塔は聖王様を護る為に造られたのだが、そのせいで聖王様は襲われ、視力を失った場所でもあった。
「ヘロイダスの奴、よくもまぁこんな悪趣味な塔、造られましたねー」
「今は我々しかいませんが、口を謹みなさい」
前王を馬鹿にしたからか、他の場所を確認していたエミリアからキツめの口調で注意される。
「あれ? エミリアは賛同してくれると思ったのに」
「今はまだ『前王』です。ですが、もう少しで歴史に残る暗君として名を残すでしょう。それを本人へ伝える瞬間を、愉しみにしているまでです」
ブレないなぁ、エミリアは。
聖王様に心酔してるからこそ、最大の復讐をしようとしてるっすね。
聖王様にとって1番害のある存在だからこそ、エミリアがこうして動く原動力になっているのだと、リクトは改めて思う。
「それよりも、あなたの準備はどうなんです? 異世界の少女は幻影を見破る目を持つ。あなただけの魔法も、見破られるのでは?」
「そーっすねぇ。こればかりは、どうなるかわかんないっす。久々に緑の騎士くんになるっすから、気合い入れて魔法を掛けるっすよ。それに、緑の騎士くんと離れ離れになる傷心中のハルカちゃんになら、ちょろいんじゃないっすかね?」
緑の騎士くんはハルカちゃんから離れないと思ってたけど、違った。
まぁでも、それで心に隙だらけなら目も曇るっしょ。
どこか楽天的に構えるリクトへ、エミリアのため息が聞こえてくる。
「ロベールと同じような魔法が使えるのが、皮肉にもあなたしかいません。なので——」
「あいつの魔法とおれの魔法は似ていても、使い方が違う。おれは、罪人にしか使わない」
あー、気分悪い。
あいつのやり続けた拷問を見過ぎて、この魔法に目覚めたは事実だけど。
あいつはいない。実験所も、もうない。
おれだけの魔法で殺してやったのに。
それでも、あいつの姿が頭から消えない。
「……不快に思わせたようですね」
「そっすね。気分悪いっす。でも、エミリアが言いたい事もわかるっすよ。だからまぁ、おれたちのくそったれで運命的な出会いから、今でも続く腐れ縁に免じて、許しますよー」
あいつがいたから、3年前の戦争が実現した。
おれだけの魔法も、結局は同じ事をしようとしているに過ぎないっすよね。
異世界の人間には罪人として接するつもりだった。それなのに、異世界の少女に対してはそんな風に魔法を使う気にならず、リクトの気持ちが沈む。
「やっぱ、これは恋っす」
「じゃああなたも、異世界の少女と共に、旅立ちますか?」
確認を終え、エミリアが作り物のように整った顔をこちらに向けてきた。
険しい目つきはいつもの事だが、表情から感情が読めないエミリアに、リクトは口の端だけ上げる。
「まさか。おれはこの世界で生き続けるっすよ」
異世界の少女がこの世界から消えた後も、自分達にはやらなければいない事が残されている。
それを考えながら、リクトは異世界の少女の命を簡単に諦めた。
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