第140話 すれ違う心
ハルカは現在、木造の宿の部屋にいる。けれど、周りの全てが無機質なものに姿を変えてしまったように見えていた。
『ハルカは…………、ウィルに、想いを寄せているんだろ? だったら、共に過ごしたらいい』
なんで、そんな事……、言うの?
カイルから告げられた言葉の意味を理解した時、ハルカの目の前にいるカイルの姿が、歪んだ。
「……どうして、泣いているんだ?」
「あっ……。なんで、だろうね……」
目を見開いて驚きの表情を浮かべたカイルは、ハルカの涙をそっと拭った。
いつものこの優しさに、私はきっと勘違いしてしまったんだ。
カイルが私に優しいのは『異世界の人間』だから。それ以上は、何も思われていない。
そうじゃなかったら、冒険者を辞めろ、って言ったり、ウィルさんと共に過ごせ、なんて言わない。
私……、少しでも、カイルの中で特別な存在なんだと、思いたかったんだ。
でも実際は、私だけがカイルに想いを寄せている。
そしてきっとこの想いは、カイルには迷惑以外の何者でもないんだ……。
はっきりと自覚してしまった自身の恋心に、ハルカの涙は止まらなくなってしまった。
「そんなにウィルの事を……、心から、想っているんだな」
「ちっ、ちがっ……!」
涙声でうまく話せず、ハルカはもどかしさを感じた。けれども、続く言葉をなんとか絞り出した。
「待って……。勝手に、決め、ないで。私は、ウィルさんを、そういう好き、とは思ってない!」
「じゃあどうして……」
ハルカは痛む心を言葉にするように、大きな声を上げた。
それに戸惑っているようなカイルだったが、それなら何故ハルカが泣いているのか、理解できないようだった。
「ねぇ……、カイルにとって、私は、迷惑な存在?」
こんな事聞くのは卑怯だって、わかってる。
けれど今は、言葉にしてほしい。
自分のやましい気持ちを悟られないように、ハルカはカイルの視線から逃げるように俯いた。
「いきなり何を——」
「お願い、答えて」
カイルは優しいから、きっと私の希望通りの言葉を言ってくれる。
でもそれは、彼の本心とは別の言葉なんだろうな。
自分の考えに更に胸が痛めつけられるのを誤魔化すように、ハルカは両手をきつく握った。
「迷惑だなんて思った事は、1度もない。これから先も、そんな事は微塵も思わない」
「——っ! じゃあなんで私の事、置き去りにしようとするの!?」
言葉を聞いて満足するはずだったハルカは、弾かれたように顔を上げ、自分でも信じられない言葉をカイルにぶつけていた。
「置き去り……?」
「私だけが……、カイルと一緒にいたいと、思ってるの?」
もう涙でカイルの表情もよくわからないまま、ハルカは溢れてしまった想いを口にした。
「俺の態度が、ハルカを不安にさせたか?」
いつも以上に優しい声で話すカイルは、ハルカの頬をそっと優しく両手で包み込むと、親指で涙を拭ってくれた。そしてそのまま、真っ直ぐに見つめてくる。
けれども何故か、カイルも泣き出しそうな表情を浮かべ、続く言葉を囁いた。
「俺がハルカと離れたいなんて、思うわけないだろ?」
今の自分よりも傷ついたような表情を浮かべるカイルに、ハルカは困惑した。
「じゃあなんで、冒険者を辞めろって言ったり、ウィルさんと共に過ごせって言ったり、したの?」
もうここまで来たら言ってしまえと、ハルカは思い切って言葉にした。
すると、カイルは頬から手を離し、諦めたような笑みを浮かべていた。
「それがハルカの幸せに繋がるのなら、そうした方がいいと思ったまでだ」
「それは私が、自分で考えて見つけるものだよね?」
「そうだな……。けれどな、冒険者に向いていない魔法なら、危険を冒す事はない。それに、生き物が好きなハルカならウィルと過ごすのが——」
「待って!」
またカイルの口から聞きたくない言葉が出てきそうだったので、ハルカは大きな声で遮った。
そしてハルカの涙は、いつの間にか止まっていた。
「私はカイルと一緒にいたい。ただ、それだけだよ」
「……そうか。余計な言葉を口にして、すまなかった」
「あのさ、これからも、ずっと一緒にいてくれる?」
きっとカイルは別の意味で返事をしてくれるだろうけれど、今はその言葉に甘えたい。
ハルカは自分の浅ましい考えに心の中で苦笑しつつ、カイルの返事を待った。
「……あぁ。例え俺がハルカの目の前からいなくなったとしても、心は常にハルカと共にある」
「なんでそんな不吉な事……」
予想していた返事とは違った言葉に、ハルカは動揺した。
「……この世界は平和に見えて、何が起こるかわからないだろ? だから、言葉にした。不快に思ったら忘れてくれ」
この考えはきっと、大切な人の命をたくさん見送った人だからこそ、なんだろうな。
自身も突然、両親を失っているので気持ちは痛い程わかる。けれどもカイルの口からそんな悲しい言葉は聞きたくなくて、ハルカは願いを口にした。
「そうだけど……。それでもずっと、生きてそばにいてほしいよ」
ハルカの言葉に返事をするわけでもなく、カイルは困ったような顔で微笑んでいるだけだった。
***
話し合いの後、いつも以上にどきどきするかと思いきや、普段と変わらぬ時間の過ごし方をしている。そんな自分に、ハルカは少しだけ戸惑っていた。
一方通行の叶わない想いだから、そこまでカイルを意識せずに済んでるのかも……。
ハルカは自嘲気味に笑うと椅子に座り、日課の文字の練習を始めようとしていた。
いつも先に温浴をさせてくれるので、カイルの温浴中にハルカはこの世界の文字の練習を始める。しかし、まだまだ覚えられずにいた。けれど、自分の名前は書けるようになってきたので、意味がある言葉の方が書けるのかも? と、ハルカは閃いた。
だから今日は、『名もなき話』が書いてある、異世界の記録が記載されている紙製の本が目の前に置かれている。
この物語なら文字も多くはないし、覚えやすいだろう、とカイルから提案された。
「とっても大切なものだから、気を付けなきゃ」
保護の魔法が掛けられているから気にしなくていい、とカイルが教えてくれた。けれど、やはり紙製なので丁寧に扱っていたハルカは、改めて物語を眺めていた。
昔の文字の下に、現代の文字が添えられている。
私は……、どっちも読める。
神様はこの世界に存在する全ての文字を読んで、見聞き出来るように、私の身体を創ってくれたんだな。
そう考えていたのだが、ふと、昔の文字に懐かしさを覚えた。
絵みたいだから、知っているような気持ちになったのかな?
あっ……、この文字、書きにくそうな気がする。
懐かしく思えたからか、その文字に触れてみたくなり、心が揺れた。そして戸惑いながらも、ハルカの指はゆっくりと絵の記号のような昔の文字に触れた。
その瞬間、胸を満たす懐かしい想いと共に、聞き慣れた声が頭に響いた。
『なんで君のこの文字だけ、こんな形をしてるんだ?』
『……苦手な文字なの』
『苦手? 様々な記録を保持する、記憶を伝承する民なのに?』
『この文字だけは、うまく書けないの。それに私は、『想いを聴く』事の方が得意だからいいのよ』
『見事な開き直りだな、特別な黒の魔法使い様』
『褒めていただいて嬉しいわ、緑髪緑眼の異世界からの来訪者様』
この声は……、私とカイルの、声?
ハルカは驚いて指を離した。
いつもの聞き慣れたカイルの声と、今日、マキアスが自身の姿で話した声を間違うはずもなく、ハルカの心臓は早鐘を打っていた。
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