第84話 抑え切れぬ想い

 コルトへカイルと共に旅立つと告げた後にカーシャさんから頬を叩かれたが、突然の変わりようにハルカは痛みを忘れる程、動揺していた。

 そして次の瞬間、感情を爆発させたかのようにカーシャさんは怒鳴り始めた。


「自分が望んで冒険者になったんでしょ……? だったら1人でどこへでも行けばいいじゃない! 今までカイルさんを放っておいたくせに、当たり前のように側にいてもらおうとするなっ!!」


 そう言いながらカーシャさんはもう一度右手を振り上げたが、その手はハルカの頬に届く事はなかった。


「いたっ!」

「やめろ。俺がどうしようとカーシャには関係ないだろ」


 いつ駆けつけたのか、気付けばカイルがカーシャさんの振り上げた手を掴んでいた。


「大丈夫ですか?」


 少し遅れてこちらに来たアルーシャさんに声をかけられ、ハルカはそちらに顔を向けて返事をしようとした。

 

「だっ……い、じょうぶ……です」


 ハルカは普通に大丈夫と伝えるはずが、上手く話せず左頬に手を当てた。話している最中に頬を叩かれたからか、口の中を切ったようでじんわりと血の味が広がる。


「怪我をしましたか? 今、治します」


 そう言いながら、痛む左頬へアルーシャさんが手を伸ばしてきた。

 しかし、その言葉でカイルはカーシャさんの手を放すと、そのままアルーシャさんの手を払い除けた。


「カ……イ、ル?」


 あまりにも不自然な行動に、ハルカは戸惑いながらも彼の名前を呼んだ。


「俺が治す」


 そう言って痛む頬にカイルはそっと触れながら、治癒魔法をかけてくれた。


「もう痛くないか?」

「うん……、大丈夫。ありがとう」


 もう全然痛くない。治癒の魔法ってやっぱり凄いな。


 そんな事を考えていたら、アルーシャさんが小さく笑った。


「カイル……、心配しなくても大丈夫だよ? 僕は妻一筋だからね」

「何言ってるんだ?」


 機嫌の悪そうなカイルの返答に、更にアルーシャさんは笑っていた。


「君がとてもハルカさんを大切にしている事はわかっているよ。だから安心してくれって事さ」


 その言葉を聞いてもカイルは不服そうな顔をしていた。

 しかし、その言葉でまた怒りに火が着いた人物がいた。


「なによ、それ……。 その子をそこまで大切にする理由はなんなのよっ!? それに黒の魔法使いなんて——」


 カーシャさんのその言葉を、カイルの冷たい声が遮った。


「それ以上何か言うのは許さない」


 低く、それでいてはっきりとした声に、カーシャさんは黙り込んだ。


「女性同士の喧嘩に男が仲裁に入るのは考えものですが……、今回はやりすぎですよ、カーシャさん?」


 アルーシャさんからもたしなめられ、カーシャさんは歯を食いしばりながら可愛らしい顔を歪めていた。そんな彼女にハルカが声をかけようとした瞬間、カーシャさんは背を向けて歩き出した。


「あの、カーシャさん……!」


 歩き始めたカーシャさんにハルカは手を伸ばしながら追いかけようとした。だが、その手が届く寸前に、カーシャさんの言葉によって体が動かなくなる。


「もう何も話す事はありませんよぉ。今日もお遊びに行ってらっしゃい、ハルカちゃん」


 全てを拒絶するような背中と声の響きに、ハルカは何も言えなくなってしまった。


「行くぞ、ハルカ」


 カイルはそう言うと、ハルカの返事を待たずに抱き抱えながら魔法で飛び立つ。


 先程の場所から遠ざかりながらも、残されたアルーシャさんがカーシャさんに何か話しかけているのをハルカはずっと眺めていた。

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