美作郁音③

 二日目。

 今日もやはり麟は恋を知るべく私につきまとっていた。

「デートしよう」

 放課後。部室に行くと、ケースを開く前に言われた。実に軽々しい口調で。

 ちなみに、雫はまだ来ていない。

 もう二週間後に文化祭だ。曲は出来ているけど、肝心の詞がまだだ。練習したいんだけどなぁ。

 それに、

「デートだけが恋してるってことにならないと思うよ」

 私はじっとりとした目を向けてみる。

 それを受けて麟は「ほう」と興味津々。

「じゃあ、今日はお前の恋愛観を聞こうじゃないか」

「はぁ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 それに構わず、麟は部室の隅に立てかけたパイプ椅子を引きずってくる。

「ぶっちゃけ、昨日のじゃよく分かんなくて。まぁ、緊張感はあったけども」

「えっ」

 緊張、してたの?

「だって、手をつなぐって相当ハードル高いだろ。好きになった人なら尚更つなぐのも難しくって、多分、何もできなさそう」

 麟は背もたれに胸をくっつけて、私を覗くように近づく。

 その時、彼の手のひらを思い出してしまい、途端に顔がかぁっと熱くなった。

「そういや、郁音も手つなぐの初めてだって言ってたよな。やっぱ恥ずかしくない?」

「そ、だね……」

 声が裏返りそうになり、慌てて声を止めた。

 本当に情けない。周りの子は平然と好きな人と一緒に手をつないだり一緒に歩いたり、話したり、キスしたり……してるはずだ。

 知識は漫画しかないけれど、それくらいは私だって分かる。それなのに、いざそんな局面に立たされると恥ずかしさだけが込み上がってきて、まともに顔も見られなくなる。いちいち胸がうるさいし。

 恋って、こんなに大変なんだ……いや待って、私は麟に恋をしてるわけじゃない。

「――郁音」

 唐突に麟が声音を落とした。ひそやかな音は、少しだけ気まずさを含んでいる。

「お前さ、好きなやつ、いる?」

「はっ」

 いきなり何を言い出すんだ。

「いや、強引に彼女やれって言っといてなんだけど、お前に好きなヤツいるんならちょっと申し訳ないなーって」

 罪悪感、とでも言うのだろうか。そういう重たいものが天井から落ちてくるような空気になった。

 私はさっきまでの恥ずかしさを押し込めた。息を吸う。

「いたよ。好きな人」

「……そっかぁ」

 間を空けて、わざとらしく声を上げて仰け反る麟。別に気をつかわなくてもいいのに。

「でも、ふられちゃった」

 私はすぐさま空気を上書きするように言った。「へ?」と麟の目が丸くなる。

「あー……そうなんだ。それなら尚のことつらいだろ。ごめんなぁ」

 笑ってくれるかと思ったのに、期待とは違う心配の声をかけられてしまった。意外と優しいし、調子が狂う。笑おうとした口角が急に下がってしまい、私はうつむくしかなかった。

 麟の馬鹿。利用されているってことに気づいてよ。そして、私を軽蔑してくれたらいい。そんな願いは虚しく、心で叫ぶままにして口には絶対出せない。

「郁音、無理に誘ってごめん」

「やめて。優しくされたら余計に惨めになる」

 私こそ「ごめん」って言うべきなのに。素直になれない口が憎たらしい。

「だから、別にいいよ。麟の手伝いをしてやっても。ふられた腹いせでいいなら」

 わざと酷いことを言う私。そうしてよどんだ空気を薄めていこうとしている。

 おどけた調子を出せば、麟の顔は少しだけ明るみを帯びた。

「そっか……郁音がそれでいいんなら」

 麟は口の端を水平に引っ張って、不思議な笑い方をする。照れくさそうでも、気まずそうでもある笑い。

 それは一瞬のことで、彼はすぐさま眉をひそめて首をかしげた。

「でも、その割にはあんまり悲しんでないよな」

「え?」

「だって、好きだったヤツにふられたんだろ。泣きたくなるくらいショックじゃないの?」

 素朴な疑問だったんだろう。彼から飛び出した問いに、私は時が止まった。


 ***


 一年生の春、念願の軽音楽部に入った。私はギターボーカルを担当したかった。

 でも、同じ学年の麟にギターを取られ、ボーカルまで奪われた。先輩グループへ駆り出されたり、曲や詞を作ろうものなら、たちまちやんやの喝采。

 ギターやバンドにちょっとだけ興味がある「にわか」な私と、本気でバンド活動に励む麟とじゃ、確かに比べ物にならない。

 だから、私はみんなの前で悔しがる資格はない。こっそりと部室から離れてぼんやりと呆けていることがよくあって。

 でも、だからと言って麟が嫌いになったことは一度もない。

 彼の歌は、すごくすごく胸にくる。熱い。全力を注いだその熱を彼が歌えば、奏でれば、振動が伝ってステージを沸かす。

 適うわけがないんだ。最初から。

 あぁ、それでだったかな。ドラム担当の雫が私に話しかけてきて、ジュースを一緒に飲んで励ましてくれた。

「あいつは本気だもんな。そりゃ勝てるわけねーよ」

 勝ち負けなんてないけど、私の様子からそう汲んでくれた。彼は、ドラム以外は無知だったけど私のことを常に気にかけてくれた。

 それからだろう。始まりは。雫が優しいから惹かれたんだ。

 麟は私の憧れでいい。でも、雫に寄せる思いは別になっていく。

 去年の秋、文化祭で私たちは「BreeZe」というグループとしてステージに立った。

 ギターボーカルの麟、ベースに転向した私、ドラムの雫。

 麟が歌った青春の応援歌は、やっぱり熱くて眩しくて。これを私と雫が支えているのだと思えば快感さえ覚えた。

 こうして楽しくいればいいじゃないか。そうやって、二人への思いを忍ばせていたら……現実はどうにも上手くいかない。

 私はどっちが好きなんだろう。雫に彼女がいたことはショックだった。けれど、状況が状況だけに泣く暇もなくて、引きずってない。「あー、やっぱりそうかぁ」って、自分のことなのに客観視している。

 そんな私だから、悔しがって泣けないのかもしれない。好きだったのに。あぁ、もう過去なのかな、この感情は。気の抜けたサイダーみたいだ。

 もしかすると、「恋」というのは感情が紛らわしくて、独り歩きする生き物なのかもしれない。

「水色の風がなびく。キラキラ眩しくて、揺らめいて。君の笑顔にくらっときちゃって、目が眩んで……」

 頭の中で弾け飛ぶ詩。文字が溢れ出てくる。ほとばしっていく。サイダーの泡みたいに。

 それを慌ててかき集めようと、私の手はシャープペンを握っていた。気が抜けた炭酸だと思っていたら急に勢いよく溢れ出していく。私にもまだ、こんな気持ちが残っていたんだ。

「今なら書ける、はずだ」

 机にルーズリーフを敷いて、今出てきたフレーズを夢中で書き記した。箇条書きにして、気持ちだけをぶつけて。文字に起こしたら、なんだか私の気持ちがさらされているようだったたけれど、それでも書く手は止まらなかった。

 メロディにのせて、フレーズがいくつも浮かんでくる。止まらない。止められない。ルーズリーフが滲んでいく。視界がぼやけても、それでも書く手は止まらなかった。

 恋の歌は難しいと思う。いくらそれっぽいものが書けたからって、歌にどれだけ魂を込められるかが大事だ。

 青春が得意な麟は、自分自身の「青春感覚」がすでに出来上がっているからだろう。一瞬一瞬を楽しんでいるから、熱くて爽やかな詞が書けるんだ。

 そんな彼でも難しいのが「恋」。それでも、芽生えつつある彼の「恋愛感覚」にまかせておけば、きっとすごいものができるに違いない。いつか、彼も恋を仕上げてくるんだろう。私の詞よりもすごいものを生み出すんだろう。

 でも、今はまず、既存の私の気持ちを歌にしてほしい。どんなに淡くて中途半端な恋でも、この感覚を残しておきたいと思ったから。


 ***


 三日目。限定彼氏のイベントが始まる前、私はぶっきらぼうに麟へルーズリーフを渡した。

「はい」

「え、何? まさか、ラブレター?」

「んなわけないでしょ。私たち、今付き合ってるじゃん」

「おぉう……まぁ、そうなんだけど」

 昨日の気まずさが抜けないらしい。そんな麟のおでこに、私は思い切り指を弾いた。パーンといい音が鳴る。

 不意打ちに、麟は頭を抑えてうずくまった。

「痛いんですけどぉ……」

「うっさい。いいから、早くそれを見て」

 デコピンを謝るのはおろか、私は半ばイライラしながら言った。

 訝る麟は額を揉みながら、ルーズリーフを私の前で広げる。そして、目を見張った。

「これ!」

 驚く麟に、私は鼻を鳴らして顎をそらす。

「あんたが恋愛ド素人だから、書いてみたのよ。私がここ一年で育てて呆気なくつぶれた初恋を」

 初めて詞を書いてみた。全部の思いをぶつけた。

 雫への気持ちは確かにあったこと。けれど、呆気なく散った恋心はまるでサイダーの気泡みたいに弾けていっちゃった。

 気づいてくれなくて、もどかしかった。でも、見せないでいたのは自分自身。甘くて、ちょっぴり怖い。そんな思い出を全部詰め込んでみた。

 それを麟はしっかりと目を通して頷く。

「あはは。ここ、すげーいいな。Cメロのとこ」

 麟が指し示す部分。そこは私もお気に入りの場所だ。

 すると、彼はメロディに合わせるように、ぎこちなく歌詞を口ずさむ。

「気づいてないのかな、気づいてないよね。ぐっと飲み干してしまうのももう何回目。飲み干すと水色の味がした……ん? あれか、ラムネの部分をこう変えてきたか」

 何やら感心げに唸る麟。その横顔の真剣さに、私は言いようのない緊張感に襲われた。

「すげーな。お前、こんなの隠し持ってたのかよー」

「初めて書いたけどね。拙いもので悪いけど」

「いや、いいよこれ。あぁ、でもこれじゃあ女子目線だからなんか恥ずかしいな」

「だったら、これを元に麟の想像を反映すればいい。出来るでしょ?」

 天才なんだから。

 そんな冷やかしと期待を込めると、彼はにっこりと眩しく笑った。花が開くような笑顔だ。

「いやぁ、まさか郁音が書いてくれるなんて思わなかったから……すげー助かるよ。やっぱりオレには恋愛って難しくてさ。でも、詞にはドラマを入れたい。それがオレのポリシーというか」

 段々と照れくさそうに声を落としていく麟。

 うん、知ってるよ。

 麟の詞はまるで物語だ。だからみんなが共感する。

 雫を見てきた分、麟のことも見てきたんだから。

「じゃあ、さっさと作って雫を驚かせてやろうよ」

「あぁ、そうだな! よし、やる気出てきた!」

 そう意気込む麟は、無防備だった私の手を引っ張る。熱が一気に伝った。

「ありがとう、郁音。せっかくだし、一緒にもう一回練ろう。これを最高の歌にしてやろうぜ!」

 その高くも低くもない爽やかな音は、どんな色でも心地いい。

 雫は絶対、歌詞の意味に気づかないだろう。

 そして、私も次のステージに気づいてない。

 恋とは思いが淡く弾けていくばっかりで、それを繰り返していくものなんだと思う。


〈track1:ドラマ/美作郁音 完〉

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