美作郁音②

「さて――恋愛ってのは、まず何から始めたらいいんだろうか」

 固い声で改まって言う麟は、不器用に口角を持ち上げた。

「何って、まずはデートじゃねーの」

 涼しげにアドバイスするのは雫。なんで乗り気なんだ、この人は。

「デートって何をするんだろうか」

「無難に二人で遊びに行ってきたらいいんじゃね?」

「なるほど。よし、そんじゃあデートしよう、郁音!」

 言いながら私に手を差し出す麟。そんな彼を、私は思い切り突き飛ばした。

「するかぁ! ふざけんな!」

 ふられたばっかりだっていうのに、しかも好きな人の前で「デートしよう」って言うなんて、あり得ないですけど!

 バランスを崩して部室のドアに背中をぶつけた麟は「うぉぉぉ」と呻いている。こいつを無視して雫を見た。眼鏡の奥の目がわずかに怯むけど、こっちはこっちでやっぱり面白がっている節がある。

 雫は苦笑しながら言った。

「いや、ほら、気分転換に、さ……」

「何が気分転換よ! バッカじゃないの! あんたたち、私をなんだと思ってんの!」

「落ち着け、郁音。別に俺は面白がってるわけじゃねぇよ」

 雫は慌てて弁明しようとする。そして、私の耳に口元を寄せた。

「気分転換に遊びに行くのは悪くないだろ? さすがに今日は、俺もお前も気まずいんだし」

 呻く麟には聴こえないくらいの囁きで雫が言う。さっきまでジュースを飲んでたから、耳にかかる息がなんだか甘い。

 そんな風に言われたら、私は何も言えなくなる。そして、やっぱり雫のことが好きなんだと胸がうるさくて、その脈動に気が散ってしまう。だから、せめてもの抵抗で私は彼を睨みつける。機嫌の悪さを露呈しただけだった。

 そんな怖い顔すんなよ、と彼は頼りなく言い、それからボソボソと口を動かす。

「これで気まずくなるの、やっぱり嫌なんだよ」

 目を伏せる雫。

 ずるい。そういうところがずるくて嫌い。でも、好き。理屈は分かんないけど、感情だけが先走ってるっていうか。

 だから、責めることはできなかった。


 ***


 背中を押されるような形で、私は麟と共に部室から追い出された。

 今日はまったく役に立たなかったベースをケースに入れて背負い、とりあえず学校の外に出る。

「郁音ー」

 早足の私の後ろで麟がだらけた声を投げた。ゆっくり振り返って「なに?」とだけ返す。彼はこちらのもやついた心なんかお構い無しで、へらへらしていた。

「女子ってさ、デートのとき、どういうとこに行きたいわけ?」

「知らない」

「知らないって……ちょっとくらい協力しろよ」

「私、あんたの彼女やるって一言も言ってないんだけど」

 しかもニセモノだし。三日間だけの限定彼氏じゃん。

 私は麟を置きざりに、さっさと前を歩いてバス停へ向かった。もう帰ろう。付き合ってらんない。

 今から私は傷心に浸るのだ。そんな時に、こんなお子様の相手をするのは面倒だし御免だ。

 すると、パタパタ足を踏み鳴らして麟が追いかけてきた。

「じゃあ、オレが行きたいとこに連れてってやるよ」

 私の前に立ちふさがる。面食らってしまえば、もう立ち止まるしかない。

 麟はにっこりと笑って、勝手に私の手をとった。

 瞬間、握られた手が別人になったように火照っていく。熱い。汗がどっと溢れ出してきて、恥ずかしさが全身に渡った。

「ちょっ、と……!」

「ん? 何?」

 ごく自然に、私の指と手のひらを掴む麟。キョトンとこちらを見ている。

「あ、の……私……」

 男子と手をつなぐのは初めてだ。

 別に好きじゃなくても、異性というだけで体は意識してしまうらしい。ぎゅっと握りしめられた手は力は強くないはずなのに振りほどけない。

 そして麟の手は熱い。私の恥ずかしさが勝っているから温度なんて確かめようがないけど、熱い。触れているのが分かってしまえば、感触を理解する。

 麟の指の皮は厚かった。少しだけざらついて乾燥した指。この知らない感触に、私の胸はびっくりしているかのように早鐘を打つ。

「ん? 郁音、大丈夫?」

 小首をかしげて、私の顔を覗きこんでくる麟。

 上目遣い、やめろ。ドキドキが増す。意外とまつ毛が長いんだなーって、妙なところを意識してしまう。ダメだ。今日の私は本当にダメだ。まともじゃない。

「だ、いじょーぶ……ほら、手つなぐの初めてだから……」

 切れ切れに息継ぎしながら返す。

 すると、麟は目をまんまるにした。

「あ……あー、そっかぁ。そうだよな。うん、オレもそうだった」

 ボソボソと言って、顔をそらした。だから、どんな表情かは分からない。

 指先はそれでも離れない。

 あぁ、そっか。麟もギターを弾くから指が厚いし固いのは当たり前だ。そんなことを考えれば、「私、何を考えてんだろう」って、また恥ずかしくなる。たかが手をつないだだけなのに。

 これが雫だったら、めまいを起こして倒れていることだろう。

「じゃ、行こうか」

「うん……」

 自然と返事をしていた。麟は「よーし!」と張り切っていて、私の手を引く。

 彼のギターケースで前が見えないから、もう成り行きにまかせておくしかない。

 毎日、放課後は当たり前に一緒なのに、触れるだけで麟が麟じゃないような気がした。


 ***


 一日目は、麟の行きたい場所に行っただけ。ゲームセンターと楽器店。デートと言うよりも普段となんら変わらない。手をつなぐというオプションがついた……だけ。

 そう、たったそれだけなのに、私は麟の言葉や仕草をまるきり覚えていない。緊張で頭が回っていない。

 帰り道、駅のホームで私と麟はようやく手を離した。

 私が乗る電車が早く着いたから見送ってくれるらしい。

「じゃ、また明日もよろしく」

 麟は満足そうな顔をしていた。ドアが閉まっても、手を振って柔らかに笑っている。

「……ばいばい」

 聴こえないだろうけど、私はそっと呟いて麟の顔を怪訝に見た。

 徐々にスピードを増す電車は、彼を置き去りに走っていく。私はようやく強張った肩を落とした。

 はぁ、疲れた……これが明日も続くのか。好きでもないのにドキドキするなんてオカシイんじゃないの、私。

 ドアにもたれて天を仰ぐ。重たいギターケースを下ろして肩をほぐした。

 ――雫とだったら、楽しかったのかな……

 あの麟の笑顔に、残酷にも雫の顔を重ねてしまう。

 麟には申し訳ないけど、私はやっぱり雫がいい。頭が空っぽになるくらい、今日のことは覚えてないし。それに麟の手のひらを思い出すと、持たなくてもいい罪悪感が伸し掛かって重たい。

 雫が好きなのに、麟に触れただけで緊張するなんて……

「あぁ、もう」

 分かんなくなる。

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