209、『箱』との共鳴
嫌悪の中にわずかな恐怖を交えるシスは、もはや異様な物体を見る様子で頬を痙攣させている。
「……シス、私にもわかるように説明してもらえないか」
「説明もなにも、そのままの意味だよ!」
シスは適合と言ったけれど、それが悪いことなのか私には区別がつかない。ところがルカまでも難しい表情で説明するのだ。
「そうね。言葉通りの意味だけど、この場合はちょっとよろしくないわ。ええと、貴方たち二人にわかりやすいように伝えるなら……帝国こそうまく『箱』を使っているけれど、そもそもこの箱男ってとんでもなく『悪いもの』なのよ。たとえて言うなら居るだけで周囲に害を成すみたいな、本来関わっちゃいけない部類のやつね」
「人のこと好き勝手にいうなぁ!?」
「でも間違ってないでしょ? お前を作っている基礎の遺跡、アレ自体とても悪意のあるものじゃない。お前に同情はしないけど、この機構はワタシ大嫌いよ」
勢いづいて噛みついたが、ルカの言葉には思い当たるところがあったのだろう。シスは冷静さを取り戻し、彼女の説明を肯定したのである。
「間違っちゃいないさ。私は箱にこそ収まっているが、この娘が本来想定していたとおりよろしくないものだ。たぶん、そういうものになってしまっている」
「普段は面と否定するくせに、たぶん、とはまたお前らしくもない」
「そうなんだろう、ってことなのさ。事実かどうかは、私自身箱から出たことがないからわからない」
このとき、シスは唇を噛んでいた。悔しそうに、ともすれば泣き出しそうな面差しは、見た目相応の青年のような錯覚を覚えさせる。
「だけど半精霊とはいえ、私は人を憎みすぎた。そんな風に箱になったやつが善いものであるはずがないだろう。ボクはもう純粋な精霊でも人間でもない異質な存在だ。そんなものとなんの媒体なしに適合してみせるなんて、考えられるわけない」
「……さっきマスターの脳が壊れるって言ったでしょう? あれ、決して比喩ではなかったのよ。箱の侵食に耐えられないのは、こいつ自身の意思はどうあれ在り方が人にとって害でしかないからだわ。だからワタシが絶対の守りを作っていたのだけど……」
鈍く光る銀鼠色と青緑の瞳。ふと近くにあった姿見に振り返れば、私の目もシスと同様に左右で色が違っていた。
「そこの小娘が想定していた守りの魔法は、私の影響から宿主の精神を守り、魔法を行使するだけの術式と強化を肉体に施すものだ。はじめっから違和感なく融和して適合してみせるなんて、誰も想定しちゃいない」
「……話はわかった。つまり、今のカレンに異常はないということだな」
「そのはずだけど……いや、私より小娘が答えるべきだろこれ。どうなんだよ」
「わ、ワタシにもよくわからないのよ。魔法そのものはちゃんと発動してるし、マスターだってこの通りでしょ。こんなのは予定と違いすぎるわ」
ルカが気弱になるのも珍しかった。二人ともまったくの予想外といった様子で、ライナルトと顔を合わせてしまったほどである。
「異常……がないなら良かったと捉えるべきだろうか。カレンに聞かせておきたい話がある」
ライナルトが口を開こうとしたところで、控えめなノックが鳴った。中の様子を気にかけたのはジェフであり、シスが叫ぶから声をかけたのだろう。
「ありがとう、もう少ししたら終わるから、もうちょっとだけそこにいてもらえる?」
「それは構いませんが、リオが困っています。シス殿に頼まれた料理を運んできたとかで……」
シスがあれこれ注文していた料理を持ってきてくれたのだろう。しかし私の目はオッドアイ状態だし、これをリオさんに見られるのは拙い。下がってもらおうとしたところで、シスがリオさんを招いてしまった。
運ばれた料理は手の込んだ野菜たっぷりのスープから香ばしい鳥の丸焼きまで多岐にわたる。ここまで手の込んだものを注文してあった点に驚きだが、リオさんもまた嬉しそうにお皿を運ぶのだ。
「シスさんは料理の作りがいのあるお客様ですよ。カレン様も要望を出してくださいますが、シスさんも負けず劣らず様々な注文をしてくれますし、なんといっても美味しそうに食べてくれる! この喜びに勝るものはありませんよ」
「リオの腕が良い証拠さ。彼を雇ってくれたことは、カレン嬢の功績の中で最も偉大などうせなら私専属の料理人にしたいところだけど、そこは気を使って我慢してるんだよ」
いつの間に仲良しになっていたのだろう。
それにしてもシスのリクエストに応えられるだけの腕前を持つリオさんは、ますます経歴が謎である。……詐称してないよね?
「カレン様も食べたいものがあれば、これからもどんどんお願いしますよ。腕によりをかけて作りますからね」
「え、ええ。ありがとう」
リオさんと目が合ったけれど、驚いたのは彼が私の目を見てもまるで驚かなかったことだ。どうして何も言わないのだろう。不思議がっていると、横からシスが口を挟んだ。
「とっくに幻術が掛かってるよ。目は実際入れ替え済みだけど、この場にいる者以外にはなにも代わり映えしないようにしか映らないさ。そうだろちびっ子」
「ちびっ子いうな。……でも、ええ、マスターにはちゃんと魔法は掛けてあるわ」
「念のため確認するけど、外に出ても平気ってことよね」
「一応ね。でも、できれば他の魔法使いとの直接的な対面は避けてほしいかも。ワタシの幻術は上手く掛かっているけど、魔法使いの中には異常に勘が鋭かったり、想像もつかないような才能を持っているヤツがいるから」
「気をつけるわね。とにかく普通に出歩けるだけで安心よ、ありがとう」
さて、ライナルトの話の腰を折ってしまった。
シスは新しく運ばれた料理に夢中だし、ルカは難しい顔で黙り込んでしまったし、聞き役に徹するのは私しかいない。
想像の何十倍もあっけなく終わってしまった移植だが、ここまできたらなんでも来いだ。どっしり構えるつもりで続きを促したのだが、彼の一言はやや斜め上を行った。
「遠征に出ねばならない」
である。
遠征とは。
いや言葉の意味は知っているとも。しかし理由がわからない。困惑する私に彼は言った。
「カレンは私が皇太子の座に迎えられる折、皇帝に下された命を知っているだろうか」
「ええと、たしか……地下水路の全把握、砂漠の国の交易解除と城塞都市の奪還、反帝国派の殲滅でしたか」
「そう。現在はその最後の反帝国派の殲滅だけが実行されている最中だ。だがそれを実行したのは皇帝であり、私は何もできていないのが現状だ」
「元々無理難題でしょう」
顔を顰めるも、これは皇帝カールには通らない理屈なのだろう。
「交易解除と都市の奪還にしたって、これってヨー連合国との国交を回復させねば不可能でしょう。それだって自身の失敗をライナルト様に押しつける形じゃありませんか」
「そう、だが皇帝にそれは関係ないのでしょう。地下水路の進捗もなく、国交の回復交渉すら使者を門前払いだ。私は役立たずの皇太子というわけです」
「治水工事や病院の開設を積極的に進められているじゃありませんか。帝国民の教育にしても、力をいれるべく新しい学校の開設だって提案されていらっしゃいます。全部ライナルトが提言されたものです」
「皇帝にとってはその場しのぎと同じですよ。それに国力の向上に力を入れているのはヴィルヘルミナも同じだ」
元帝国統治下にあった城塞都市を占拠しているのは、ヨー連合共和国あるいは砂漠の国と呼称される、現在帝国と不仲にある国だ。こちらは皇帝カールの失策により没交渉状態にあり、ろくに交渉のテーブルにつく目処すら立っていないと言われている。詳細は省くが、交易解除と都市の奪還はほぼイコールと考えるべき事項であり、二つが同時に挙げられているのも皇帝カールの性格の悪さが窺えるのであった。
新たな地下水路に通ずる路は発見しているけれど、これは『塔』に通じる道だから皇帝カールには報告できない。だがこれとて長い間発見されなかったものだし、おとぎ話レベルの眉唾ものだから、誰も本気で新しい通路が見つかったなんて思いもしていないのだ。
けれど、これもライナルトの言ったとおりだ。
皇帝カールにとって、この三つのどれかでも叶えなければライナルトを認めがたい。
「朝の話ですよ、皇帝に直々に呼びだされた。ヨー連合に属しているとある国が交渉の席につくことを了承したため、私に名代を務めよとの命が下りました。私としては当然断れない命令だ。件の城塞都市にて話し合いに赴くことになりました」
「……ライナルト様が向こうの占領地に足を運ぶと?」
「それが条件でしたからね」
ライナルトがケロリと言ってのけるが、あまり良い条件でないのは確かだ。どういった意図があるのか考えあぐねていると、ふと、ライナルトの上着の裾のボタンから糸がはみ出ているのに気が付いた。
「問題はこれが……」
大した意図はなかったのだ。
ただ普段から服にも気を使われているから、糸のほつれひとつ見当たらなかった彼の服にしては珍しいと考えたくらい。糸のほつれなんて鋏があればすぐ切れるし、と思った瞬間だ。
「あ、切れた」
思っただけなのに、糸がぷっつりと千切れて落ちた。たかが糸一本だけど、見た瞬間に千切れるなんてどんな魔法だと不思議に感じていると、ルカの切羽詰まった叫び声が上がる。
「しまっ……マスター、駄目!!」
「はい?」
鼻の下を熱いものが伝った。指で触るとぬめりとした感触と、次に錆の匂いだ。いつのまにか嗅ぎ慣れてしまったそれは血の臭いだと知っているが、鼻血を出したのだと気付いたのは一拍おいてからだった。
「あ、そうかそういうことか」
ぼんやりしたシスに、椅子から腰を浮かすライナルト。
周りの景色が黒一色に染まり、ライナルトの顔が一瞬で別人にすり替わる。
……これ、誰?
流れるように美しい金の髪や、そこはかとない面差しはライナルトに似ているけれど、性別からすり替わっていたから知らない人だと一瞬でわかった。
薄着だけれど纏った布地や傷ひとつない柔らかな肌で、女性は高貴な人だとうかがい知れる。表情こそ無機質めいており無言で私を見つめているけれど、目端から涙がつうっと流れて落ちたのは見逃さなかった。
白魚のような指が頬に伸びる。頬に触れる直前で、唇が開かれた。
『許してとは言わない。止めることが出来なかったわたしを呪ってくれてもかまわない。お前の憎しみなら喜んでこの身に受けよう』
玲瓏とした響きだが、一方で溢れんばかりの愛情があり、そこで気付いた。
――ああ、もしかして、これは私に向けられた声じゃないな。
私は誰かさんに向けられた記憶を追体験しているのだ。
『私の■■■■、■■■■■■』
声は掠れて聞き取れなかった。相手が悪いのではなくて、私の聴力が妙な雑音を拾ったせいだ。様々な音の正体は声であり、老若男女、年齢は問わずたくさん憎悪が『それ』に――違う、私に向かって響いている。
「やだ、ねえ、まって。これはなに」
音が止まない。耳が痛い。悪意が止まらない。私ではない何かに向けられた憎しみは指先すら見えない闇の中で蠢いている。
たくさんの声が聞こえていた。たくさんの悲しみが作られた。たくさんの呪いが放たれた。悪意ばかりが私を呑み込み、とうとう声さえろくに発声できなくなる。
痛いくらいに誰かを呪っていた。
「あの男が私の■■■■を奪った。殺してくれ」「寵姫が儂を裏切ったのだ。殺せ」「友が疑わしいのだ、もし謀反を企むようならこれを処罰せよ」「■■の民は疑わしい、滅ぼそう」
そういって命令を下すのは歴代の皇帝たちだ。彼らがこう言って指先一つ動かすだけで私――ちが、私じゃ――『箱』は魔力を行使する。大人や子供も見境なしにたくさんの命を奪っていく。
わた、僕は、本当は命を奪うのは好きじゃない。本当に好きなのは、好きだったのは、たしか森の木陰だ。だった。森と共生を許された自分には動物が自然に寄ってくるから、懐に忍ばせていた餌で小鳥を餌付けするのが好きだった。
けれどもう「そういうもの」だからとすべてをなかったものにした。愛してくれた爺さ――お爺さんって誰?――の期待に添う半精霊にはとうとう至れなかった。
逆らう術を持たない傀儡はきゅっと檻に閉じ込められ、人でも精霊もない何かへ変わる。
変質の嘆きは誰にも聞こえない。苦しみは届けられない。僕――彼は小さな小さな大きい箱庭で孤独に生涯を終えてしまった。
「――っ、あ」
頭につきんと走る痛みで自我を取り戻すが、混乱状態は抜け出せていない。僕と私を混同したまま、ぐるぐる思考が定まらない頭で闇の中を漂っている。
呼吸すら苦しいけれど、居場所に気を配る余裕はない。なぜなら痛みは次第に激しくなって、堪えきれなくなると涙がぼろぼろ溢れだしたからだ。
「これ、私には関係ないのに――」
流れてくる記憶はほんの一部だけれど、それらすべては過ぎ去った記憶だ。まったくもって、全部、一切合切私には一切関係のない話。
終わってしまった話だから、これはもう、終わった話なのだけれど。
「痛い」
胸を抉る悲しみが癒えなかったが、そんな最中でも他人事のように感想を漏らす自分がいる。
……ああうん、こんなところに始終いたら外に出たいと願う気持ちも、わかってしまうな、と。
これが私とシスの一回目の共鳴であり、希望への一歩でもあったのだけど……。
残念ながら彼はそうは捉えてくれなかったようで、この後、私はシスの「すけべ!」という罵声で起こされ、なんとも言えない気持ちを味わったのであった。
希望の階 了
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