210、外話:とある滅亡の前日談/前

 オルレンドル帝国騎士団第一隊副長、ヴァルター・クルト・リューベックは宿の狭い一室に居た。


「まったく、こんな田舎では剣の腕も鈍ろうというもの。利点があるとしたらラトリアを制することができる中継点であるというだけだろう」


 場所はファルクラム王国コンラート領の宿の一室。窓から領内を観察するヴァルターに同僚のぼやきが飛び込む。


「そうですか? 私は嫌いではありませんが」

「平和ぼけが過ぎる。どいつもこいつもたるんでばかりではないか。どんくさいやつらばかりだ」

「確かに平和に染まっている気質はあるが、良く治められている証拠ではありませんか。大人も子供も、民の表情も明るい」

「兵の練度が足りん」

「怒るところですか」


 田舎のわりに交易が盛んなためか、宿を利用する者はおおい。宿は古く室内はお世辞にも広いとは言えないが、それでもコンラートに立ち寄る商人が多いのは、居心地の良さだ。なにせコンラートは辺境にも関わらず閉鎖的な気質がないに等しい。田舎というのは都から離れるほど排他的になる傾向があるが、元がラトリアとの間にある交易領だったためか、領主は彼らの交流を大事にしている。

 まだ二日目の滞在だが、室内の清掃は行き届いていた。シーツは洗い立てのものを提供してくれるし、朝は店主が焼きたてのパンや取れたての野菜を用意してくれる。スープの味は濃いめで彼らの舌には合わなかったけれど、それでも彼らの笑顔を悪いものとは感じなかった。


「マイゼンブーク卿はもう少し息を抜かれるべきですよ。隊長もそのおつもりであなたをこの任に充てられたのでしょう」

「……ふん」


 ヴァルターの言葉にマイゼンブークは鼻を鳴らす。外套を羽織ると足早に出て行ってしまったが、おそらく領内の偵察に出かけたのだろう。


「やれやれ、あの方は我々の任務を理解しておいでだろうか」


 ヴァルターにしてみれば、できれば彼に外を歩き回るのは控えて欲しいのが本音だ。自分は多少なりとも商人として対応できる自信があるが、帝国貴族、そして帝国騎士としての矜持が高いマイゼンブークは尊大な振る舞いを隠せない。また選民意識も強いため、基本的にファルクラムの民を見下している節があるのだ。表面上はともかく、内面からにじみ出る態度は誤魔化せないから到底商人には仕立て上げられない。護衛と偽らせているけれど、宿屋の主人達から嫌われているのは一目瞭然だ。


「……ああいった手合いが珍しくないのが救いか。マイゼンブーク卿も手間取らせてくれる」


 マイゼンブークはヴァルターを嫌っている。それは彼が軍人の大家であるのもそうだが、なにより上官であるバルドゥルを憎らしく感じているためだ。マイゼンブークはそろそろ四十も半ば。かつてはバルドゥルと同僚であったが、昇進争いに負けてからは日の目を見ない日々を送っている。

 対してヴァルターはバルドゥルや皇帝に目をかけられ、あまつさえ副官の地位さえ獲得しているのだ。加えて年齢も若く、そんな彼の下で働かねばならないマイゼンブークは鬱屈した思いを抱えているのであろう。

 しかし商人や傭兵も偏見を抱いていたり田舎を嫌っていても、顔には出さないだけのしたたかさはある。


「取り得は真面目に仕事をこなすことだけか」

 

 マイゼンブークが聞けば激怒するような台詞を吐いてカーテンを閉じた。先日うっかりフードが取れてしまったせいで、彼はうかつに外に出れなくなった。顔を見られたのは数名だったけれど、そこは田舎の伝達力。彼の容姿は瞬く間に広がってしまったのである。おかげでひと目彼の顔を見ようと村人――特に若い娘が遠くから観察してくる始末だ。

 彼は自身の容姿の良さを認めている。容姿を褒められるのは嫌いではなかったが、いまは敬愛する上官より下された任務の最中だ。目立つ行いは避けたかった。

 夜になる頃にはマイゼンブークも戻ってきていた。ふてくされて話にならなかったので連れ合いの商人に話を聞いたのだが、どうやら彼の態度が祟って領民にろくに相手にされなかったらしい。どうりで酒の匂いがきつかったはずである。

 夜が更ける頃に着替えを済ますと宿の外に出た。外見に反して足元は慎重で、宿に泊まる者達には誰にも気取られなかった。領内を見回る衛兵もきまりきった日課だからか注意散漫で、ヴァルターは誰にも気取られることなく領の外れに移動したのである。

 これがオルレンドルの都グノーディアであれば衛兵に見咎められもするだろうが、こんな田舎ではたかがしれている。

 コンラート辺境伯カミルはかつて戦で腕を鳴らした武人と聞いたが、やはり寄る年波と年月には勝てないのだろうか。それとも皇帝陛下の政策は見事功を成し、かつての獣の牙を見事奪い取ったのだろうか。

 噂では若い娘を娶った好き者と揶揄されているし、さて男はいくつになっても欲望には抗えないのか。

 物思いに耽りながら木陰に身を隠していると、頭上で鳥の羽ばたきが聞こえた。


「どうも副長。仕事は順調ですか」


 枝に止まったフクロウが鳴き声の代わりに人語を喋っていた。

 これにヴァルターは動揺しない。腕を組んだまま静かに返した。


「ザムエルか」


 しばらく返事がなかった。

 不思議に感じ顔を上げると、はっとした口調で言った。


「ああ、すみませんね。最近はサミュエルって名乗ってるんですよ。あんまり居心地がいいもんで、そっちの名前を忘れかけてました」

「……あまり思い入れを抱くのは感心しないが」

「ほっといてくださいよ。別に隊長達に迷惑かけてないじゃないですか。俺はいつだっていい仕事をしてるでしょ」


 普段は城にいない、諜報活動に勤しむ部下だった。第一隊には珍しく平民出身で癖のある人物だが、本人の弁の通り仕事はこなす男だ。


「そんで、そちらはどうですか」


 なにが、とはいちいち問い返さない。どの情報を求め、何を話すべきかを彼らは心得ているからだ。


「領内の見取り図はなんとかなるな。だがコンラート伯邸は難しい、本番で挑むしかなさそうだな」

「おんやぁ、珍しい薬や香辛料を持っていったんでしょ。お気に召してもらえませんでしたか」

「取引はできたが、館に入るのは無理だな。あそこは家令がしっかりしている、紹介もなしに館に入ることはできないそうだ」

「ありゃあ、残念。新しい奥方のご尊顔を拝めるいい機会だったでしょうに」


 ましてコンラートはファルクラム王国お気に入りの寵妃の身内が嫁いだ場所だ。初見の立ち入りは厳しく制限しているのだろうというのが他の商人の言だった。

 無論、彼らの手にかかれば紹介状の偽造も可能だ。だが、そこまで手間を掛ける必要があるかはわからない。確かにコンラート伯邸は領内を見渡せる位置に建造されており、侵入者にも対応できるようになっているが、その分避難には向いていない。これはかつてコンラートが対ラトリアとしてより重要視されていた頃、ファルクラム領土を守る要として機能していた名残である。引けば国の危機、命尽きようともラトリアを食い止める覚悟の表れがあの館なのであった。


「ザムエルはコンラート辺境伯夫人に興味が?」

「まっさかぁ」


 げらげらと品のない笑いが木霊した。もしこの場にマイゼンブークがいたら、彼の笑い声一つで青筋を立てていただろう。


「俺ぁ彼女一筋ですよ。いまの彼女はそりゃあ可愛くて一途なんだ。浮気なんぞしたらそれこそ金玉が潰されちまう、間違いない」

「お前ののろけはどうでもいい。それで、お前が出張った理由はなんだ」

「あぁそうでした。城壁なんですがなんとか壊せるだけの量は作れそうです。当初の予定通りでいけそうなんで、一番攻めやすい場所をみといてください」

「……ふむ。了解した」

「それと隊長からはもうひとつ。コンラート一家は皆殺しでいいです」


 恐ろしい言葉がさらりと伝えられたが、ヴァルターは顔色一つ変えず頷いた。


「やり方は任せる、だそうで。でもまぁ今後ラトリアに取られる場所だし、とかなんとか言ってましたよ」

「ああ、なるべく領民も全滅させろと言いたいのだろう」


 二度目の沈黙だった。鳥を介しているからザムエルの表情はわからないが、きっと露骨に顔を顰めているに違いない。この男が能力に見合わず昇進できないのは、この甘さが原因である。


「血も涙もないことで。……ま、俺は伝言はきっちり伝えましたんで」

「ご苦労。成果は期待してもらって構わないと伝えてくれ」

「へいへい。とっととくたばっちまえ」


 この口の悪さも帝国軍人に見合わない理由のひとつだろう。第一隊において、ザムエルほどその能力故にすべてを許されている人間もいない。

 ザムエルの挑発もヴァルターには虫の囁きと変わらない。行きと同じように宿に戻ると布団についたのだが、そこからさらに数日逗留した。領内は調べ尽くしたとマイゼンブークは怒り心頭だが、彼の意見が聞き遂げられることはなかったのである。

 機会が巡ってきたのはある日の朝方だった。

 コンラート伯の次男と新しい妻が領内を出歩いていると耳にすると、外套を間深く被り出て行ったのである。

 門の外に出て行ったらしい、と耳にした。ヴァルターにすれば無防備だが、これはチャンスでもある。門に立ち寄ると、彼に気付いた衛兵が声をかけてきた。


「もうコンラートを出るのですか。出発はまだだと聞いていましたよ」

「ああ、いや。実はコンラート伯の新しい奥方様が外においでになったと聞いて見に来たんですよ。綺麗な御方だそうで、そんな噂を聞いたら興味が湧くじゃないですか」


 気のいい衛兵達だった。

 野次馬根性丸出しでやってきたと言ってのけるヴァルターにも苦笑交じりに笑うだけで納得してくれた。先日酒場で酒を馳走していたのが効いたのだろう。


「奥様は可愛らしいお顔をされているからなぁ。だけどうちのヴェンデル様だって、将来は有望な男の子だぞ。うちの七歳の娘だってあの子が大好きだからな!」

「だったらなおさら興味が出てきましたね。これからファルクラムに向かうし、話の種になると思ったんですが、見てもいいですかね」

「ここから見るだけならな。でも隠れて見つからないようにしてくれよ、気付かれたら失礼だからな」

「ありがとう。いい土産話になります」


 こうして覗き見に成功したヴァルターだったが、なるほど噂の奥方は遠目からでも可愛らしい娘であった。侍女をひとり伴った少年少女は、少し高めの岩場に乗って話をしていた。年は近く、義母と義息子には到底見えない。せいぜい姉弟くらいの彼らは朝陽を浴びながら、気の置けない友達みたく佇んでいたのである。

 もっと間近で顔を覚える必要があったが、残念ながらこれ以上の接近はできない。しかし天は彼を見捨てず、すぐに新たな機会を与えたのである。

 なんとコンラート伯が自ら彼らを迎えに来たのだ。

 先に報せを受けた衛兵にヴァルターは追い出された。彼は慌てず騒がず、宿に戻ると窓のカーテンを開いた。しばらく待っていると、コンラート伯とその一行が宿の前を通り始め、面々の顔を確りと目に焼き付けたのである。


「……老人相手では剣を振るう機会はなさそうだな」


 コンラートでの逗留で、より近くコンラート辺境伯を観察した感想だった。昨今は老いに勝てず薬を欠かせないらしく、寝込んでいるのも本当のようだ。痩せた体つきでは己の一刀さえも防げないだろう。

 隣を歩く中年女性はそんな老人の内縁の妻だ。嫡男の生みの母であり、意外にも正妻との関係は良好。人のいい顔つきをしており、コンラートでも評判の医者だった。

 後ろを並び歩くのが、先に観察した少年少女だ。正直夫妻の子供だと勘違いしてしまうが、少女がコンラート辺境伯の正妻である。

 確かにこの辺境で枯れるには惜しい器量である。艶やかな黒髪や屈託なく笑う姿はヴァルターに微笑ましさを与えたが、だがそれだけだ。


「さて、これで一家を間違えることはないか。逗留した甲斐はあったな」


 特徴だけは聞いていたが、やはり自分の目で覚えるのが最善だ。これから命を奪う相手を間違えないよう努めるのが彼の役目である。

 

 滅びが迫るコンラート領における、とある一幕であった。

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