184話 彼の夢

 その言葉に思わず身をかためたものの、不思議と驚きは出なかった。ライナルトの言葉に嘘はないのだろう。語気は大人しく、唯そこにあるがままの言葉を述べているだけだが、淡々としているからこそ確固たる意志が伝わるのだ。

 これは覚悟を決めているのではない。すでに進む道を定めているからこそこの言葉だから、オウム返しで聞き返すなど愚かな真似はしない。

 ただ、目を閉じてゆっくり息を吐いた。

 

「驚かれなくてよかった。いまさらなぜ、などと問われるのは心外だ」

「……ライナルト様がそういう方なのは、わかっていたつもりです」


 そうだ、この感覚は久しぶりだ。

 もう前の話になるか、オルレンドルに移住する前、スウェン達を助けに詰所に走って襲われた事件。ライナルトはあの時、ラングと名乗った同郷達を処刑した。その後も国王陛下に始まりローデンヴァルド候も命を落とした。あの時、私は彼をヒーローではない、対極にあるヴィランだと感じたのは間違いではなかった。いまはとうとう、時間を掛けてここまで踏み込むのが許された。彼に根付く願望に触れる機会を得たのだ。


「ヴィルヘルミナ皇女と皇帝陛下を両方相手取り、勝てる見込みがおありなのですか」

「さて。現状では勝てたらいい、くらいの感覚だが」


 意外にも確実な勝算はないらしいが、両名を相手取り「勝てたらいい」でも言えるのは自信の表れだろうか。不利な状況でもライナルトは焦る様子は見せないし、この状況自体を歓迎しているようにも――楽しんでいるようにも感じる。


「確実、とはおっしゃらないのですね。貴方はもっと確実に勝てる戦いにのみ挑むと思っていました」

「ファルクラムのときはそうだった。だが箱の件が不確かな以上、やはり定かではないだろう。あれを皇帝に牛耳られてしまえば、あとは私の首が飛ぶだけだから。どんなに優れた大軍だろうと頭が潰れてしまえば意味はない。それは我が軍においても同じと言える」

「箱さえ壊してしまえば勝てると?」

「まさか。私はそこまで己を過信してはいないし、歴代皇帝やカールのようにあれ頼みの戦略を立てたいとは思わない。他の二人はやたらと箱を信じ切っているようだが……」


 茶化すようでもシスがライナルトを「友」と呼ぶのはこの背景もあったからなのかもしれない。彼は『箱』の魔法使いシクストゥスを信じていない。シスにとって彼は貴重な存在なのだ。ライナルトは皇族についてこうも言った。


「私たちが生き続ける限り、絶えず軋轢が生まれ続ける。猜疑の果てに戦になるとわかっているのなら、引くか、そうでなければ互いの意志をぶつけ合うしかない」

「そのために部下や民が、場合によってはあなた自身が命を落とすとしても?」

「重ねて言おう。そうだ。あれらには私のために命を賭けてもらわねばならないし、当然賭けてもらう。元より皇位とは血なくしては語れぬもの、彼らとて己の役目を理解した上で私に仕えている。これに私自身が表に立たずして語れることはない」


 決して相容れなさそうな皇帝カールはともかく、ヴィルヘルミナ皇女はどう転ぶかわからないではないか。けれどライナルトの言い様は私の知らない何かを確信していると言っても過言ではなかった。


「きっと私が思うよりもずっと前から準備を進めているのですね。初めから武力で制するつもりだったから」


 コンラートで師たる伯に教わったのは、戦は思い立ったからと突発的にできるものではないということだ。戦争は必ず準備期間が設けられる、どれだけ有事に備え準備をしたかで勝率が変わってくる。これまでの話を統合する限り、彼らは長い時間を掛けて準備していた。この考えが正しいなら、きっと皇太子になる以前からだ。

 皇帝はともかく、ヴィルヘルミナ皇女ですら相容れないとはじめから想定しているのだ。箱に対する考え以外にもなにか、もっと違う理由が存在している。それを問おうとして、ふと気付いた。

 私はライナルトが皇帝になりたいのだと知っている。そして私も彼の治世を見たいと思い、そして協力を願った。いまはそのお陰でこうして対等に話しても許されるだけの共犯者になっている。

 でも、と思う。

 彼は玉座を戴きなにをしたいのだろう。

 オルレンドルの皇帝になることが彼の目標だと思っていたけれど、もし、これがただの通過点に過ぎなかったら?

 常人であればその玉座こそが最終的な目的になるだろうが、目の前に座るこの人はそれだけで満足するような人なのだろうか。疑問はすぐ口をついていた。


「ライナルト様は、皇帝になってなにがしたいのですか」

「ようやくそれを聞かれるか」


 もしかして私は彼を待たせていたのだろうか。親愛に満ちた、けれどもどこか酷薄さを感じる笑みは、この時初めてこの人を邪悪な存在だと認識したのである。

 いまさらなのかもしれないが、私はただ目の当たりにする機会がなかっただけ。それが幸運なのか不幸なのかはわからない。

 椅子へ深々と腰を掛けるライナルトは、肘掛けに肘をのせ、両手を組み合わせ言った。


「カレン、私はこの大陸が欲しいのです」

「た……」


 大陸?

 一瞬言葉を続けられなかったのは、理解できなかったからではない。むしろその逆で、意図をよく掴めたからこそ戸惑った。

 先ほどまでの悪辣さはすでになくなっている。たおやかな微笑は見る人を魅了する不思議な引力を有しているようだ。


「大陸、といえばファルクラムはもちろん……」

「大森林奥のラトリアから、砂漠向こうの都市国家連合。果ては見知らぬ部族に至るまで」

「そのすべてを?」

「すべてです」


 短くも揺るぎない一言であった。

 ライナルトは立ち上がると、後ろをついてくるよう促してくる。どこに行くのかと思えば、執政館に備わっている庭だった。ライナルトの姿を認めると人々は散り散りに去り、あっという間に人の姿が消えたのである。

 散策に付き合えと言いたいのだろうか。隣を行く人はいつもと変わらないから、違うとしたら彼を見る私の心なのだろう。付添を許されたのは、まだ質問を許されている証だと深く息を吐いた。


「ライナルト様はどうして、そんなものを望むのでしょう。皇帝の称号だけでは足りないのですか」

「おや、カレンにしてみれば私の夢すらもそんなものの一言になりますか」

「揶揄わないでください。声にするには……いささか規模が大きすぎます。私のような小心者には口に出すのも一苦労なのだとわかってください」

「これは意外だ。ただの小心者がファルクラムを乗っ取った男と共犯になるわけがないでしょうに」


 ライナルトは過大評価してくれるけれど、残念ながら私は本当に小心者である。これまでの決断はすべて私なりの迷いを経た答えであって、自分を過信するつもりはない。だんまりを不機嫌と受け取ったのか、ライナルトはわずかに肩をすくめる。

 

「あなたはなぜ、と問われるが、私にしてみれば皆なぜそのようなことを問うのか不思議なのです。玉座を望むも大陸を望むも、そこに大した違いはない、なんら変わらないではありませんか。やるべきことはどれも同じはずなのに、大陸全土に目を向けない理由がわからない」

「私とライナルト様では物事をはかる物差しが違うのです。……どうかお気をつけください。あなたの夢は壮大すぎて、足元を掬われないか心配になりました」


 まだ話は終わっていないのに、どうしてこんな忠告をしているのだろう。ライナルトもおかしかったようで低く喉を鳴らしていた。


「質問に答えよう。私はカールと違い、ファルクラムを手に入れただけでは満足できないのです。ヴィルヘルミナのように人のために皇帝を望む行為も理解できない。カレンはヴィルヘルミナと一時的共闘を視野に入れたが、箱に対する考えを除くとしたら、あれが誰よりも私と相容れないでしょう。それは向こうもわかっているはずだ」


 ヴィルヘルミナ皇女が誰かのために玉座を望んでいる?

 一体誰のために、と気になるが、その前に疑問があった。

 皇帝になるのがライナルトの最終目標ではないこと、皇帝や皇女と相容れないのも一応の理解はできた。


「……こう言ってはなんですが、その願いが偽りなき真実だとして、であれば箱を壊したい理由はなんなのでしょう。ただ嫌いというにはおかしな話ではありませんか」

「妙なことを気にされる」

「妙でしょうか。だって、一番てっとり早くありませんか?」


 そんな大層な夢なら箱を修復して我が物とした方が早いはずだ。自ら安全を手放す行為に困惑を隠せずにいると、ライナルトは「モーリッツも同じことを言った」と笑いながら教えてくれたのである。


「私にとってあれはただの邪魔者だ。己が実力でもない、安穏な場所からただ命令するだけの侵略には何の価値も見出せない。いかにあれのおかげで身の安全が保証され続けようとも、前任共の遺産など不要なのです。壊せる機会を得られるのであれば、どんな存在であれ手を組みましょう」

「そのために道半ばであなたや、他の誰かが死ぬことにあっても? 人々に後ろ指を指されても進むのですか」

「後ろを恐れる者が皇位を望むとお思いか」


 そのライナルトがシスを活用している点について、などと問い正してはただの揚げ足取りだ。彼は『箱』が嫌いだからと拒むばかりではない、相容れぬ二人を屠るためなら『箱』をいくらでも活用するつもりなのだ。

 そしてシスはライナルトと手を組むことこそ己の解放に繋がると知っている。二人それぞれの目的が上手に噛み合っていた。


「はじめから講和の道はないとおっしゃるのですね」

「ない。あの二人とは既に道を違えている」


 断言されてしまった。ライナルトの意志は揺るぎなく、また考えを変えるなんて思考そのものがおこがましいようで、なんとも言えず近くの花弁に視線を向ける。ライナルトが見ているのは途方もない夢だけれど、ただ道を進む姿にはどんな言葉も霞むようで溜息をこぼしたのだ。

 ……どうして彼はこんな大層な夢を抱けるのだろう。

 きっかけなどはあったのだろうか。ふとそんなことを問うたのだが、これは流石に踏み込みすぎだろうか。答えなどは期待していなかったが……。


「さて、はじめこそ……ただ奪われないための答えだったが……」


 そんなことを呟いて、口を噤んだのである。

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