183話 向き合う

「わぁお。きみたち友人だったんだろう。いらないとは酷いなぁ」

「聞きたくないわけじゃない。あなたの状態を優先しているの」

 

 あのとき連れて行かれたエルの亡骸。それがどんな風に扱われているか、想像するだけでもおぞましかった。遺骸がなぜ『箱』に必要なのか、知りたくない気持ちがないわけではない。むしろ知らなければならないとは知っている。

 けれどいま聞いてしまえばいても立ってもいられなくなる自分がいるから、拳を握ってぐっとこらえた。


「必要だと思ったらちゃんと聞くわ。でもいまは……簡単に整理しきれないの」

「ふぅん。ま、いいけど」


 シスは相変わらず人の生き死に関心がないようである。どこかから林檎を取り出して齧り付くのだが、その顔はどことなく覇気がない。


「大体の見積もりだけど、およそ半年だ。私の封印を補助する魔具が仕上がるまで約半年、遅くなる可能性もあるが、早まる可能性も充分あるな」

「半年……」

「いまのところ一気に封印を重ねるのか、私の意思を徐々に削っていくつもりなのかはわからない。なにせ肝心の場所には近寄るなと言われてるんでね。行けないことはないが、連中慎重になってるだろうし嘘がバレるのも面倒だから近寄ってない」


 なぜ半年なのかだが、これはシスの憶測上の時間に過ぎないから、あくまでも目安である。確実性は足りないが、『箱』のこれまでによる経験や各魔法使いに対する聞き耳や資料の盗み見、魔法院や宮廷内の「協力者」の存在が大きいようだ。


「魔法院内の協力者は誰か聞いてもいい?」

「それは流石に黙っておこう。きみの友人を助けることができたわけじゃないし、それに皆が心からライナルトに協力しているわけじゃない。中には妥協して味方になった、なんて連中もいるからね」

「……そう、やっぱりそういう人はいるわよね」

「そんな顔しない。利害の一致なんて理由だったらファルクラムでのきみと似たようなものだろ。そっちの方が逆に信用できるときだってあるんだ、わかるだろ。ナーディアを紹介しただけでも充分すごいんだって思ってくれよ」

「あら心外、別に拗ねているわけではないのよ」

 

 その人らは果たして大丈夫なのだろうか、と間抜けっぽくなりそうな質問を呑み込んだだけだ。すべてがモーリッツさんやニーカさんみたく忠誠を誓っているわけではないと改めて至っただけである。

 そういえば「およそ万能に近い箱」であるシスだが、本体が『箱』ならば分身はできないかといった疑問がある。これは気になったので聞いたことがあるのだが、答えとしては是、ただし望んでやりたくはないといった回答である。


「私が私のために現し身を分けて使うのはいいさ。けれど人のために労力を割くのは御免だね。それに一つに集まっている方が好きなんだ。人だった頃と同じような気分でいられる」


 気が向いたらやってもいい、くらいの感覚なのだろう。

 しかしおよそ半年……。短いのか長いのか、私には把握しかねる時間だが、ライナルトにとっては前者だったようで、シスは指折り数えながら続けるのだ。


「この取り締まりの最中で戦争の準備をしなきゃいけないんだ、時間はいくらあっても足りないさ。そうなってくると私の唯一の望みはきみになってくるわけだが、彼女の遺産はうんともすんとも言いやしない」

「そうね。話ができるようになったところで、まだなにかあるかもしれないし」


 戦争、の言葉に一瞬コンラートの惨状が頭を過った。理解していても、いざ耳にしてしまうと緊張してしまう。

 そう、彼らの企みに加えてもらうからには、私は言わねばならないのだ。そろそろいい機会だし、少しずつ応酬で言葉を重ねるのではなく、しかるべき覚悟を声として聞いておくべきだろう。

 幸いここは人払いがされている。シスもいるから盗み聞きの心配はないし、眠気の方もまだ耐えられそうだ。


「ライナルト様、こんなことを尋ねるのは――」


 喋る直前、ライナルトが声を遮った。林檎の芯まで食べきったシスを追い払ったのである。

 

「その前に、シス。頼んでいた件を任せられるか」

「そうだったそうだった。はいはい、じゃあ私は出かけてこようか。皇太子の補佐も私の仕事だからね」


 シスの姿が一瞬で闇と化け地面に融け消えた。いままで一瞬で姿を見せたり消えたりしていたから驚きはしないが、単純にこの消え方は心臓に悪い。

 ところでいまのはライナルトがわざとシスを追い払ったように見えるが、これは間違っていなかったようだ。私の目線に彼は軽く肩をすくめた。


「シスは人を揶揄うのを趣味にしているようなところがある。余計だったら後日改めて呼びだしてもらいたい」

「驚きましたが、察してもらえて助かりました。シスがいても構わないのですが、茶化されると困るときもあるので……」


 いまからはかなり突っ込んだ話になる。気を取り直すべく深い呼吸を繰り返した。


「戦争が起こるのは確実なのでしょうか」


 いまさらな質問。だが私にとっては大事な確認だった。

 前置きのない本題そのものの問いはライナルトの感情を揺らすことはない。両手を組んだ彼の口角がつり上がっているのは、どういった心境からなのだろう。


「既にお聞きしている内容。改めて問い詰めるような真似をお許しください。ライナルト様が皇位を望んでいるのは知っています。私がライナルト様の味方であるのも変わりません。ただ……」

「なぜ戦が起こるかと問いたい」

「皇位継承を確実にするだけではいけないのかと。ライナルト様の行動はすでに戦を前提としたものとなっている。ヴィルヘルミナ皇女も皇位を譲るつもりがなく、皇帝陛下の言葉がいつ移ろうかも不明ですから、不確かな情勢では当然ではありますが」


 ヴィルヘルミナ皇女とはまだ話をしていないが、彼女が皇位を諦めていないのは噂に聞いている。シスに対する考え方もだが、お互い主張を変える気がないのであれば戦もやむを得ない。ただその前に話し合いの道はないか知る必要があった。

 ……こう言ってはなんだがライナルトはすでに道を決めている。それはおそらくヴィルヘルミナ皇女も同様で、二人にしかわからないある種の信頼感が存在している風にもうつっているが、それでもこうして聞いておきたかった。もっと言ってしまえばライナルトの本音を引き出したいのである。


「ライナルト様の決心が固いのは知っています。これはほとんど私のためのような問いですが……」

「それで貴方の迷いが晴れるのなら構わない」

「迷い、でしょうか。すでに振り払っているつもりなのですが……。いえ、自分ではわからないものですね。ライナルト様にそううつるのであれば、当たっているのかもしれません」


 彼に気負った様子はなかった。ファルクラムの時と同じで、これはライナルトが変わらないというより、覚悟がとうに定まっているが故の落ち着きなのだろう。


「カレンは私と皇帝が相容れないのは承知しているだろうか」

「皇帝陛下の人となりを見る限り、ライナルト様とは合いません。私もあの方には含むところがありますし、友人の遺産を有している以上、決して譲れないものがあります」

「あなたがあくまでも気にしているのはヴィルヘルミナ……キルステン卿か」


 そこはやはり行き着くだろう。いままではっきりと区別するのは避けていたけれど、皇女と争う以上は兄さんとも対立する。それだけならまだしも、二人の関係を踏まえれば、兄さんが恋人を裏切るとは考えがたい。もしキルステンにライナルトに下るよう説得しおおせたとしても、一度コンラート、ひいてはライナルトの保護を離れた身では、新しい居場所を作るのは難しいし、当主交代の可能性だってある。アルノー兄さんがそれを考えていなかったとは思えないし、ヴィルヘルミナ皇女を選んだ時点で戻る道を捨てたと考えるべきなのだ。


「先日、我が家に住む弟がしばらく兄の元で世話になると言い出しました」

「ほう」

「勘違いしないでください。弟は、エミールは兄姉の仲を、なにより世間を知るために言ったのです。私たちはそれぞれの考えたって対立しましたが、あの子は己が何も知らないようでは今後はなにも立ち行かないだろうと言って荷物をまとめています」


 これはエミール自身が以前から考えていた事らしい。どうやら兄さんからも誘われていたようで、今回の決断に至ったのである。

 あの子はコンラートの家で過ごす間に、兄と姉の対立を目の当たりにし、様々な体験をしてきた。私たちはお互いの我を通した形だけど、学校では色々言われることもあっただろう。

 あの子は私に「何が正しいかわからない」と声にした。兄姉にはそれぞれの理由があっても、それはエミールの体験ではない。私たちは別人であり、本人なりに思うところがあったのである。そのため弟は兄を理解するために、キルステンに行くと声にした。もっと後でいいのではと説得したけれど、エミールは「いま必要」と決意を固めたようだから、準備を整えている最中である。

 これが一人暮らしなどと言い出したのであれば止めたが、兄さんやアヒムなら必ず守ってくれるはずだ。それに犬のジルをエミールの守りとして連れて行ってもらうし、向こうから犬の訓練士の所へも通ってもらう手筈も整える。ヴェンデルは寂しがっているけれど、学校で会えると説得したようだ。


「弟もきちんと向き合おうとしています。私もあの子を見習わねばならないでしょう」

 

 キルステンはヴィルヘルミナ皇女側だからと切り捨てることはできない。私たち兄妹だし、情だって残っている。なるべく穏便に済むよう働くつもりではあるけれど、それもやはり状況次第。内乱が確実になれば状況がどう転ぶか不明だし、皇女だけでも内々に片付くのであれば負担が減り、皇帝に集中できるとの考えは愚かではないはずだ。これは私だけでなく、クロードさんやウェイトリーさんとも話し終えている。


「普通に考えれば皇帝陛下とヴィルヘルミナ皇女を同時に相手取るのは得策ではありません。ライナルト様はファルクラムまで落とされたのです。あなたの覚悟を知れば止めるなど愚かだとわかっていますが、問わねばならないでしょう。せめて一時的な共闘でも道はありませんか」

「……もしかしたらカレンは私から戦争を控えるべきだと引き出したいのかもしれないが」

「あえて、と申し上げております」

「そうだった。いや、揶揄しているのではない。あえて声にすることで常識を振り返ることができる。私の傍にはそういう人間も必要だ、貴方の必要性を実感できたのは嬉しく思う」


 微笑みは変わらない。彼の貌は様々目にしたけれど、初めて出会ったときからこの類の表情はまるで揺らがない、ライナルトの心に張った根を見ている気分だ。


「私は戦を厭わない。皇帝は無論、ヴィルヘルミナや彼らの信奉者を初めとして、そこに民の血が混じろうとも道を譲るつもりはない」


 戦と口にしたとき、ライナルトの瞳は子供っぽく愉しそうに歪んでいた。

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