126話 みせない貌
バスケットを腕にかけたエルのお母さん、その瞳を彩るのは再会を懐かしむ喜びだ。私が彼女に気付くなり手を取って喜んでくれる。
「まあまあ、なんてことでしょう。うちにご飯を食べに来ていたあのお嬢さんがこんなに立派になるなんて……。エルから話は聞いていたけれど、本当に大きくなったわね」
「そんな、大きくなったなんて大袈裟ですよ。ご飯を食べに行ってたときから身長もあんまりのびなくて。それよりおばさんが元気そうでなによりです」
「あたしにしてみれば全然変わりゃしませんよ。エルと一緒にお菓子談義してたのが懐かしいくらいですよ」
「そ、その節はご迷惑おかけしました」
懐かしい記憶。こちらのお菓子は激甘でカラフルが主軸で、エルもどちらかといえばそちらがなじみ深い人だったから、一時期お菓子談義が激しかったのだ。私が一番親しかったのがエルだから当然彼女の家にも遊びにいっていたし、ご飯を馳走になったことだって何度もある。ご両親は私に対して嫌な顔ひとつせずにあたたかく迎えてくれたし、時にはエルを経由して差し入れだってしてくれた。
いまはあの頃より身だしなみも清潔感に溢れていて、惣菜屋も順調なんだろうと想像するのは難しくない。エルの両親はとにかく娘の学費を稼ぐために働き続けていたから、自分たちのことはそっちのけだったのだ。
「おじさんはどうです、元気にされてるんですか」
「最近は少し膝を痛めちゃったけど、いまはいいお薬も買えるからね。それはもう元気に野菜を切ってるわよ。カレンちゃんのところに行くと言ったら来たがっていたけど、店の仕込みがあるから来られなくて、すごく残念がってた」
「いまはお惣菜屋さんをされてるのですよね。一度お伺いしたいと思ってましたけど、まだ直接お伺いできてなくて……」
「忙しいって聞いてるから仕方ないわよ。それにファルクラムのお酒や織物を送ってくれたじゃない。父ちゃんと懐かしいねえって喜んでたんだよ」
「それくらいしかできなくて……ああ、気付かなくてごめんなさい。立たせっぱなしでなんて失礼を……どうぞ中に入ってください」
懐かしい人に会えたからか、立ち話が弾んでしまった。お茶でもだしてもてなさないとと思ったけれど、おばさんは困ったように笑って首を横に振るのだ。
「ありがとうね。気持ちはとても嬉しいけど、今日はあたしが勝手に来たからなんだ」
「勝手だなんてどうされたんですか」
「……エルは、今日はいるかい?」
「ええと、多分院の方にいます。帰りの時間はわからないのですけれど……」
「そうかい、よかった」
娘がいないというのに、何故かおばさんはほっとしたように胸をなで下ろす。エルとおばさんはとても仲が良かったから、その姿はなんだか意外だ。こちらの視線におばさんも気付いたのか、笑って手を振った。
「あの子からカレンちゃんのところの世話になってるって話は聞いてたんだけど、来たら駄目だってきつく言われててね……」
ほんの少し肩が下がり、寂しそうな呟きを漏らす。エルが帰らない理由は聞いていたけれど、おばさんに言い聞かせていたのは初耳だった。
「なんだけどねぇ。……ほら、あの子熱中すると周りが見えなくなっちゃうでしょう。それにご飯だって適当に終わらせちゃう」
そして周りを気にするように視線を巡らせ、ジェフに行き着く。私がジェフ、と小さく呟くと、彼は察したように建物の中に消えていった。とはいっても見た目だけで、玄関で待機しているのは間違いない。けれどおばさんに効果があったようで、ほんのりと声を潜めてしゃべり出すのだ。
「あの子、こちらに来てからは特にキツい言い方をするようになっちゃったから、皆さんに誤解されてないか心配でね。注意した翌日には改まってることが多いんだけど、最近は会えてないから大丈夫かねって父ちゃんと話してて……」
「うちでは良くしてもらってます。使用人さんにも優しくて、子供達にも気を使ってくれてますよ」
「そうかい? 皆さんに迷惑かけてなければいいんだけど……」
「とんでもない。世話になりっぱなしで、逆にうちでよかったのかと心配になるくらいです」
娘が気になって様子見に来たといったところだろう。おばさんは他にも心配事があったのか細々と教えてくれたけれど、エルは両親と距離を置いた理由を説明していなかったとみえる。ただそれは私から言うことも、さらにはエルを責めることもできない。まさか周囲に敵が多くて両親を危険にさらしたくないから、なんて言えるはずがないのだ。
「私が記憶する限り、エルはうちにいる限りは野菜も肉も均等に食べています。ただやっぱりお家の味が恋しいのか、南瓜のパイが食べたいってよくこぼしますけど」
「あの子、家にいるときは食べ飽きたって文句ばっかりなのに」
「うちの料理人には、あなたの料理は最高だけど、残念だけど父さんの料理には負けるわねって言うんです。家の味が一番なんですよ」
「あれま。ほんとに素直じゃないこと」
からからと軽快に笑うおばさんは、ひとしきり話すと安心したのだろう。そうかい、としみじみと呟く。
「なら、大丈夫なのかねぇ」
「おばさん」
「いやね、あたしが過保護なのはわかってるんだけどさ。あたしも父ちゃんもあの子ほど頭がよくないから……」
ほう、と悩ましげに下唇をかんで目線を合わせる。それは子を思う母親としての、私にとっては何処か懐かしい眼差しだ。
「あの子が正しいこといってるのはわかるんだけど、ほとんど理解してあげられなくてね。周りを置いてけぼりにしてないのか不安だったんだよ」
「そう、ですか……」
「カレンちゃんの所にいてくれるなら安心だけどね。貴女といるときのエルは随分お喋りだった。毎日が楽しそうだったわ」
「私もエルがいてくれて嬉しいです。学生時代に戻れたみたいで、つい無理をしがちになっちゃう」
「急なお別れになっちゃったものね。あの子はなにも言っていないだろうけど、カレンちゃんがいなくなったあとはすごく寂しそうで、部屋で不貞腐れてたんだよ」
「あら、ホントに素直じゃない。私にはそっけないばっかりだったのに!」
それは是非とも話を聞きたいところだが、おばさんは名残惜しげに一歩下がってしまう。
「つい長話になっちゃいそうだから、あたしはここでおいとましとくよ。それでね、よかったらあの子に渡して欲しいんだよ」
「わ。すごい、美味しそう」
持っていたバスケットを差し出すのだが、ふわりと被せられた布の下にはパンや焼き菓子である。
「エルに渡せばいいんですね。おばさんの味を恋しがってたからきっと喜びます」
「だといいけど。ちゃんと食べてるか心配で、父ちゃんが張り切っちゃってねえ。……多めに作ってあるから、カレンちゃんもよかったら食べておくれ」
「いいんですか! おじさんのご飯美味しいから懐かしいな」
「やだね、美味しいのはたくさん食べてるだろ」
「おじさんとおばさんのご飯は別です。私だって作ってもらったご飯大好きでしたもの」
「そうかい? あの人も喜ぶだろうから、伝えとくよ」
おばさんは照れたように笑い、そそくさと立ち去ろうとする。最後まで引き留めたけれど、家に入る気は本当にないようだ。
パンは焼きたてなんだろう。小麦の良い香りが鼻腔をくすぐって食欲を掻き立てられる。
これは絶対エルが喜ぶに違いない。そう思って家に入ろうとすると、玄関には案の定ジェフが待機していて、扉を開けてくれるのだ。
「エル様のお母上ですか」
「そう。いい人なのよ。お茶にはお誘いできなかったけど、今度エルにお願いしてお招きしたいな」
私から二人を訪ねるのはできれば止めて欲しいと、エルには謝られながら頼まれていたし、彼女がとにかく両親を貴族に絡めたくないという気持ちがわかるから、いままで差し入れだけに留めたからこんな再会になってしまった。
エルの仕送りだけでいい所に暮らせるというのに、「美味しいものを食べてもらいたいから」とあえて人の賑わう場所でお店を開いた人達である。
「色とりどりで食べやすそうですね」
「エルが片手間に食べやすいように色々考案したのね。そういうのも大当たり」
料理類はもちろんサンドウィッチといった食べ物も売っている。ファルクラムでは雑貨類も取り扱っていたけど、帝都じゃ食事が売りのようである。
エルの口に一番合うのは、やっぱりご両親のご飯だろう。だから帰ってきたらきっと喜ぶだろうと思ったのだけれど、その日の夜に限って彼女は帰ってこない。
翌朝になると鳩が飛んできて、足には「数日帰らない」の伝言。
さてこれではおじさんおばさんのご飯を食べてもらえない。考えた結果、幸い練習は午後からだから、予定を変更して院を訪ねることを決めたのである。
「午後からはずっと動き通しになるでしょう? お出かけになられずとも、おっしゃっていただければあたくしが届けに行きますけれど……」
「ありがとう。だけどちょっと気になることもあったから、私が魔法院に行っておきたいの。午後には戻りますから、お留守番お願いします」
使用人さんの申し出は断って馬車を走らせてもらう。護衛はいつものようにジェフだけれど、彼は私の発言が気になっていたようだ。
「カレン様、気になることとはなにかありましたが」
「うん? ちょっと、ね」
ジェフの質問ははぐらかして、窓から流れる景色を注意深く観察する。区画をまたいで地下墓地から魔法院のある区に移動すると、自然と厳しい眼差しになっていたのは否めない。
「短い期間で大分変わっていってる」
呟きは街並みに対する感想だ。都区に院に向かう途中にある木々の生い茂った路を抜けるときがそうだ。元々それなりに整備されていた道で、きっとここを通る人達にとっては新鮮な驚きを与える景色なのだろうけど、私にとっては別の意味でなじみ深い印象だ。
外を見ていたジェフも感嘆に声を上げる。
「これは、随分と代わり映えを……」
彼にとっては初めての光景。私もこの目で見るのは初めてだが、知らないわけではない。むしろ懐かしささえ覚えるのは、エルなりの言葉に変換すると、魂とやらに郷愁が染みついていたからなのかもしれない。
「あれは夜になったら一斉に灯るのでしょうか。だとしたら随分と便利になりますね」
「そうね。……そうなんだと思う」
道なりに等間隔に並べられた硝子灯は人々を導く標になるのだろう。道に灯りが絶えない、なんて便利な世界をジェフは知らないのである。
「カレン様、顔色が悪いようですが」
「そう? ――大丈夫よ」
口数で返せるだけの余裕があまりない。軽く笑うだけに留め、静まった私たちを乗せて馬車は院の玄関口へ到着する。
私の名前を伝えると、なにやら名簿を開き十秒ほど。あっさりと中への通行が許可されたのである。
「エル・クワイックより許可は下りておりますので、ご自由にお進みください。部屋はおわかりになりますでしょうか」
「以前案内していただいたから大丈夫です。お忙しいみたいだから私共でいかせていただきますね」
以前と違い人々は慌ただしく往来を繰り返し、なんだか余裕も足りないようである。
エルの研究室へと足を向けた。道を間違えることもなかったし、すんなり到着できたからそこまではよかったのだけど、ここで一つ騒動が発生する。
彼女の研究室の近くまで来たときだ。
廊下の先で扉が勢いよく開いたかと思えば、二人の男性が慌ただしく飛び出してくる。次いで本やカップ、硝子製の瓶が勢いよく飛び出して廊下にぶつかるのだ。
「この役立たず共!! 人のもの勝手に触りやがって何様のつもり!!?」
硝子が割れて廊下に飛び散る。轟いた怒声はまごうことなく私の友人のものであった。
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