第104話 かえりみち、二人で

 ぼ、某妖怪アニメじゃないけど、八面体の底辺に空いた空間にぽっかり浮かぶ巨大な目玉は、それはそれは生々しい見目である。


「シ、シス――?」

『ああ、確かに私だ。私こそ、この箱がシクストゥスさ』


 唐突に、頭から霧が晴れたように思考が澄み切った。以前エルが言おうとした言葉を思い出し、そして理解したのである。エルはあの時「シスは箱だ」と告げていた。

 え、ええと、この場合、なんて話しかければいいのだろう。ライナルトを振り返っても、彼は腕を組んで八面体を見上げたままである。シスも私の言葉を待っているようで、あり得ない話だけれど、期待に胸を膨らませるような空気を感じ取った。


「き」

『き?』

「窮屈じゃ、ない……?」


 ……はい。

 わかってる、わかってますとも、ええ! この質問がいかに馬鹿げているかってくらい、重々承知している! だけど、何か話さなきゃと思ったら、咄嗟にこれくらいしか浮かばなかったのだ!

 目玉は何度か瞬きを繰り返す。笑うように細まった眼に、密やかな笑い声が地下に反響するよう響いていた。


『そうくるか。ああ、いや、しかしたまの客人はこれくらいがいいのかもしれない。……ご心配どうも。だが窮屈という感覚は私には存在しないのでね、このままでも十分快適さ。そう、光もろくに差さない室内と黴びた冷たい石壁は鬱々とした心を養うのにぴったりだ。後ろ暗い帝国ならではの歓待に涙が出るくらいさ』


 シスに言われて気付いた。確かにこの部屋、否、部屋というか空間は天井で塞がっていて光も差さない空間だ。八面体付近が発光しているから全体が見渡せるのである。


「文句なら皇帝に言え」

『もちろん伝えたとも。そうしたらあの男、翌日には壁掛け燭台を全部取っ払っていきやがった。かれこれ十年前の話さ!』

「……ああ、そういえば確かになくなっているな」

「ライナルト様、ご存じなかったのです?」

「目の塔は私やヴィルヘルミナとて滅多に入る許可を得られません。皇帝を除き、自由に立ち入りを許可されているのは決まった清掃夫だけですよ」


 特に地下は皇帝のお付きでさえも入るのを禁じられている。唯一皇帝の許可なく塔に入れる清掃夫は盲目らしいから徹底している。


「……すごく初歩的な質問で申し訳ないのだけど、シスはなんでこんなところにいるの?」


 彼は八面体を自身の本体と述べたが、気に掛かることも言っていた。閉じ込められている、とはどういうことだろう。そもそも、彼は元旅人で、祖父の話をしたばかりである。まさかあの奇妙な姿で外を歩いていたわけではあるまい。


『はははは、そうだね。やはり気になるだろうねそこは』


 目玉と顔を合わせて喋るなんて初めてだから、どこをみていいかわからないが、やたらでかい目玉は、まっすぐにこちらを見下ろしていた。


『ま、ここまできて隠すのも野暮だろう。昔々、人間に騙されて閉じ込められたのさ。この遺跡とくそったれな容れ物のおかげでここから出ることも叶わない』

「……それでそんな姿なの?」

『それについては秘密さ』


 教えてくれないらしい。瞼を使うことで、多少なりとも意思表示はできるようだ。


「……ええと、その、事情はわからないけど大変ね」

『まったくだよ。同情してくれるのなら、これからもライナルトに協力してあげておくれ。ああ、それで命を落として私のせいにされても困るから、自己責任でね』

「無茶苦茶言うなぁ。言われなくたってそのつもりだけど、ねえ、あの姿にはならないの?」

『お望みなら出してあげるけど……』


 ふと、シスが黙り込む。目を細めたかと思えば、ライナルトに忠告していた。


『ライナルト、君、彼女を連れて帰りたまえよ』

「……どうした?」

『カールが来る』


 瞬間、ライナルトが私の手を引いていた。私がこけそうになっても歩みを止めず、この部屋に唯一ある真っ黒な出入り口に向かって一直線である。

 ……なんなのだろうかあれは。出入り口にしてはただ真っ暗闇が広がるだけで、開閉扉もないが、ライナルトは躊躇なくそこに私を押し込んだのである。

 視界がぐにゃりと歪む瞬間、背後で高らかな笑い声が聞こえていた。「来てやったぞ憐れな虜囚」と男性の声がしたのは気のせいではない。だが、次の瞬間に私はあの真っ暗闇の水路に逆戻りである。


「なに……」

「カレン、手を離さないように。まだ貴方の安全を保証できない」


 ライナルトが傍らにいた。しっかりと手を握っており、私たちの前には大きな鏡が設置されている。珍しく安堵の息を吐きながら鏡を見つめている。


「戻った、んですか」

「ええ。ぎりぎりですが、姿を見られる前に飛び込むことができた。貴方が見つかると厄介ですからね、間に合って良かった」

「間に合わなかったらなんて想像したくありませんね。……シスは出てこないのですか?」

「皇帝が降りてきたので、しばらく影は作れないでしょう。私たちだけで戻るしかないが、およその順路は覚えたので心配はいりませんよ」

「あ、あの道を覚えたんです?」


 曲がり角や十字路ばかりのあの道を、たった一度で!?

 彼の記憶力ってどれほど優秀なのだろう。驚きながらも手を引かれたのだが、そこでまた困惑する羽目になった。

 一応私なりに道を覚えようと少しは努力していたのだ。それらはほとんど無駄に終わったけれど、ゴール前の道順くらいは頭に入っている。けれど、その順路がすでにおかしいのだ。


「あれ、曲がり角の前は十字路だったはずじゃ……なんか、道が随分簡単になってません?」

「この路はずっと右折でしたよ。カレンが見たという十字路はなかった」

「え?」


 ここで話をすり合わせたのだが、どうやら私とライナルトでは見えている順路が違うようなのだ。行きにどれほど滅茶苦茶な道順だったか説明すると、種明かしをしてくれた。


「私にはそこまで複雑な道ではなかったが、カレンの見たものが違うとなれば、それは水路の惑わしでしょう。そうやってあべこべの道を進んでいると、行き止まり等で違う場所に跳ばされることがある」

「跳ば……消えるんですか!?」

「そういう報告例があります。入り口近くで姿を消したはずの者が、地下二階で発見されたとね。そして生還者によれば、目の前を歩いていたはずの人間が突然消えたという話もある」

「ひぇ……」


 正規路で塔にたどり着いたからか、いまはライナルトと同じ路が見えているようだが、それでも惑わしの魔法が作用しない保証はない。ライナルトにお願いして、引き続き手を握ってもらっていた。


「……あれ? ライナルト様に惑わしはかからないのですか。皇族だから?」

「皇族、とりわけシスティーナの一族には効き目が薄いが、かからないわけではない。私に幻覚が効かないのは、単純に正しい手順で探索したことがあるからですよ。どういうわけか、そういう者には効果が薄くなる」


 彼の場合は相乗効果でとりわけ迷いにくいわけだ。

 ところで正規路、とはなんだろう。するとライナルトは子供の頃の話をしてくれた。


「昔、あの人間嫌いの魔法使いに水路で放置されたことがあります」

「そういえば、そんなことを話してましたね。…………え、まって。だとしたら相当酷くないですか?」

「酷いもなにも、あれは私を殺すつもりでしたから」

「……脱出、されたんですか」

「完全に惑わされなかったのが生死を分けたのでしょう。丸二日かけたものの運良く出口を見つけることができた」


 死ぬかもしれない、とは覚悟したらしい。なお、彼のような脱出パターンでも「正規」の手順とはみなされるようである。この水路、本当にどういったギミックがかけられているのだろう。


「いまだから笑って話せるが、当時はどうやって奴を懲らしめるかと頭を捻りましたよ」

「……シスは、なんて?」

「なにも」

「なにも、って。ごめんとか、そういうのもなかったんですか」

「ありませんね。元々私を水路に置いていったのも、暇潰しの一環だ。水路を見たいかと問われ、迂闊にも頷いた私にも責任がありますが……」

「ライナルト様、それっていくつの頃なのですか」

「十三、四あたりだったかと。探究心がありすぎるのも考えものですね」

「こ、行動力ありますね……」

「灯りを持参していたのが良かったのでしょう。そうでなくてはきっと動けなかった」


 などとライナルトは語るが、違う、絶対になにかが違う。十代前半の子がこんなところに放置されたら、普通どうしようもないだろう。まさか彼までシスの被害者だったとは予想できなかったし、考える以上にシスの行動が外道じみているけれど、肝心のライナルトは淡々としている。

 そしてシスからライナルトへの謝罪は一言もなし。当時、生還した姿を見ても感慨一つ漏らさなかったようだ。

 戻りは相変わらず暗かった。彼が気を利かせて硝子灯を持っていなかったら、安心して歩けなかっただろう。

 

「しかしカレンは本当に聡い。跳ばされると聞いて、すぐに消えると連想されるとは」

「……ふ、ふふ、そ、そうでしょう。この間エルとあって色々話しましたから……」

「ああ、エル・クワイック。彼女は本当に有益な人物だ。あの若さで研究室や弟子を得るなど普通はあり得ない。着想もさることながら、希代の天才だと謳われていますね」

「そ、そういう評価は知らないのですが……いい友人なのは確かです。魔法に疎い私にわかりやすく教えてくれますから」

「だとすれば貴方くらいでしょう、秘密主義の彼女に細かく教えを乞えるのは」


 ……あぶなー! そうか、この世界魔法はあっても、転移魔法までは存在しないのか! そっか、とぶ、って聞いたら普通はお空を飛ぶっていう方を考えるものね。RPGのお約束がこんなところで牙を剥いてくるとは予想してなかった。話題、話題を変えなければならない!!


「あの、カール皇帝陛下がシスを訪ねたことも驚いたのですが、もっと気になってることがありまして」

「なんでしょう」


 皇帝の話も聞きたいけれど、シスのあの姿を見て疑問がわいたのだ。


「シスは人間嫌いだと聞きました。だとしたら、どうしてライナルト様とは仲良くしているのでしょう」

「別段仲良くしているわけではありませんが……」

「嘘、仲良しじゃありませんか」


 突っ込むと、考え込むように黙り込んでしまった。そういえば喋りながら進んでるけど道に迷ったりしないかな……と不安になったのだが、どうやらその心配は必要ないらしい。ライナルトの記憶と、なにより曲がり角の壁に時折描かれている白いマーク。目を凝らして見なければわからない箇所に目印が残されていたのだ。


「こんなのいつの間に……」

「シスはずっと音を立て跡を残していましたよ。ただ、目印を付けるという行為はこの水路にとって規則違反にあたるのでしょう。貴方の目と耳には届かなかった」

「じゃあ、いまこうして見えるのは?」

「目の塔にたどり着いた時点で無効となったのではと考えるが、私は専門家ではない。答えは避けておきましょう。シスが正しい返答を知っているはずだ」

「……この水路、すごく厄介なんですね」

「そうでなくては歴代皇帝を悩ませ続けはしないでしょう。普段居丈高な連中が、水路の話をするときだけは背筋を伸ばす光景はなかなか見物ですよ」


 彼を見ていて気付いたのだが、ライナルトは皇族といった人々を皮肉るとき、すごく楽しそうに笑う。再び手を引かれ歩き始めると、手暇なのかこんなことを話し始めた。


「先の質問ですが、シス自ら貴方を塔に招いたことだし、特別にお教えしよう。ですがくれぐれも内密に願いますよ」

「はい。……でも、ライナルト様回りなら誰にまで話してもいいですか?」


 秘密と言われた直後に聞いたのはまずかったか。呆れたような息を吐かれてしまった。

 

「モーリッツとニーカなら、話すくらいは構いません。もっとも、あれらが素直に話すかはわかりかねるが」

「大丈夫です、その二人以外には話しません」

「頼みますよ?」

「はい、もちろん! ……もう、違いますよ。話が大事過ぎて、抱えきれなくなったときにお話しできる人を知っておきたいだけです」


 大丈夫、と言うようにぎゅっと手を握りしめるが、いまいち信用されていない感がある。私は約束を守れるし、そんなにお喋りではないぞ。


「それより先ほどの続きを聞かせてくれませんか」

「……聞きたいですか」

「とっても聞きたいです。それに、教えてくれると言ったのはライナルト様ですよ。ここまで焦らして秘密では、あんまりじゃありませんか」


 誤魔化されてやるつもりはないのだ。早く、と急かすように腕を引っ張ったのは、些か調子に乗りすぎていたかもしれない。反省は数日後の私に任せる所存である。

 私がしつこかったからか、ライナルトはとうとう観念したようだ。

 

「改めて私とシスが仲が良く見えると言われては複雑ですが、他の皇族よりあれを理解し、助力を得ているのは事実です。何故ならシスは箱から出たがっている。そして私は箱を破壊したいと考えている。互いの利害が一致しているが故の関係だ」

 

 皇帝カール含め、ヴィルヘルミナ皇女といった一派は箱を修復したがっているけれど、ライナルトは反対なのだと胸の裡を明かされたのである。

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