第98話 顔を出さなくてよかった

 お客様が帰ったからか、降りてきたヴェンデルは不思議そうである。エミールも話を聞きたそうな様子だが、ウェイトリーさんは始終こちらに頭を下げるばかりである。


「申し訳ありません、多少なりともまともになったと思い家に入れたら……!」

「面白そうな人だし構いませんよ。……それよりお腹空いたし、そろそろ料理も届くと思うから、食べながら話しましょうよ。いい加減ウェイトリーさんも一緒の席についてくださいね」

「いえ、わたくしは給仕が……」

「そんなこと言って、ほとんど遠慮してしまうじゃありませんか。外食ならともかく、家族の食卓なんですから、お茶くらい順番にでもやればいいのよ。そろそろ一緒に食べてくれたっていいじゃありませんか」

「しかしですな、この家で茶を失敗せず淹れられるのはわたくしだけです」

「お茶くらい順番に回しましょうよ。エミールもお茶を覚えるいい機会でしょう」

「うぇ!?」

「私とヴェンデルだって基本を習ってるし、みんな覚えておけば後が楽よ」


 エミール、微妙にとばっちりを食らって被弾。だが良家の男子といえど、お茶くらい淹れられるようになってもいいだろうしいい機会だ。

 ついでにお茶を覚えたら料理と掃除も仕込んでいきたい。


「ヴェンデル、ウェイトリーさんが一緒でも構わないわよね」

「家長命令だけで足りないなら次期当主命令も付けるよ~」

 

 このようにヴェンデルもウェイトリーさんと食卓を囲むのを賛成しているし、反対する者はいなさそうだ。いままではウェイトリーさんが一歩引いてるのかなと遠慮していたけど「私の家族」と言ってくれたのだから構わないだろう。

 そして話題はクロードさん、もといバダンデール調査事務所に移るのだけど、名前からして探偵みたいなものだろう。ファルクラムじゃお見かけするような職業ではなかった、という感想は正解だったらしい。アヒム曰く「情報屋はいるが、専門職を見かけたのは初めてだ」とのことだ。

 ウェイトリーさんが語るには、懐かしい人との再会につい家に上げてしまったらしいが、昔の話になってつい激昂してしまった、と恥ずかしそうに語るのだ。この人が激昂するなんて滅多にないのと同時に、気恥ずかしそうな姿を可愛いと思ってしまったのは秘密である。ヴェンデルが「昔の話」とやらの詳細を知りたがったが、頑なに話さなかったのだけは記しておこう。

 

「それと食器を片付けるくらいは私たちがしますから、食後くらいはゆっくり休んでくださいね」

「ええ……そんなことまでしなきゃだめなんですか」

「エミール」

「はい、すみません。コンラートのやり方に従います」

「僕はあとで薬湯作るから、寝る前に飲んでね」

「……かしこまりました。お言葉に甘えさせていただきます」


 最近はウェイトリーさんも働きずくめで心配である。私たちの中では一番の年長だし、できる限り休んでもらいたいところだ。

 なんとも言えない表情のエミールを笑うアヒムの椅子が蹴られたところで、場は一旦お開き。食後の話し合いでクロードさんの名刺は私が預かることになった。

 ――もしかしたら使うかもしれないしね。

 早くお荷物を脱するためにも明日からまた動かねばなるまい。密かに誓いを立てたのだが、私の誓いというのはどうにも空回りしやすいようである。

 この街に住むための手続き、秘書官の引っ越し手配諸々含めてあくせく働いていたある日、熱を出した。多少なりとも頑丈になったと思ったのは私だけで、身体能力は相変わらずだったのである。

 熱は徐々に上がっていき、二日目頃はけっこうな辛さだった。


「なんで、なんで私だけ……」

「しょうがないよ。姉さんもともと身体が強くないし」


 看病してくれるエミールは慣れた様子で白湯を差し出す。……定期的に部屋を訪ねては様子を見に来てくれるのだ。


「父さんたちが……」

「……ん?」

「父さんたちが、カレンは一息ついたところで熱を出すだろうから気をつけておけって。そして僕が熱冷ましを持っていたのはゲルダ姉さんの指示です」


 ……持つべきものは家族である。

 三日目になると微熱程度に治まって、ベッドに安静にしていた日のことだ。この時、家にはジェフ兄妹と使用人一人しかいなかった。全員用事があって出かけていたのである。

 困った様子の使用人がやってくるとお客様だ、と告げていた。


「お名前をエレナ・ココシュカと名乗られております。お休み中だとは伝えたのですけれど、お時間は取らせないからと言われてしまいまして」

「エレナさんが? ……いいわ、ほとんど熱も下がってるし、お通ししといて。すぐに着替えます」

「ですがヴェンデル様やウェイトリーさんは安静にしているようにと……失礼ですけれど、その方はカレン様のお友達ですか」

「ん、ええ、そんな感じかしら」

「でしたら後日にして頂くわけにはまいりませんか。まだお熱もさがっていないでしょう」

「それは流石に失礼になるから……」

「そういわれても、お洋服に着替えたら無理されてしまうでしょう。あたくし達もウェイトリーさんにくれぐれもと言われてますからね、無茶は見逃せませんよ」


 現在コンラート家で働いている使用人さん。ウェイトリーさんのお手伝いをしているだけあって、使用人といっても物怖じしない人である。基本的に気の良いおばさまだ。

 私の額に手を当てると「ほらね」と困ったように口を尖らせるのである。

 うーん、たしかに気怠さはまだ残ってるし、着替えるのはしんどいか。


「エレナさんの方が問題なさそうなら、ここにお通ししてもらえる?」

「ですが……」

「体調が優れないとお伝えてして、無茶を通す方ではないと思うの。そうまで言われるのなら理由があるはずだし、すぐに終わらせるから」

「……畏まりました。ですが気分が悪くなったらすぐに終わらせてくださいまし」

「ありがとう。それと、エレナさんをお通しする前にジェフに伝えて。チェルシーを連れて部屋に下がっておいてねって」


 はい、と頷く彼女に、私の伝言は気を違えたチェルシーを人様に晒さないためだと勘違いされているだろう。実際は彼らを引き合わさない念のための処置であったが、それを伝えるのは難しい。

 脇に置いてあった肩掛けを羽織ってしばらく、控えめなノックが響いて入室してきたのは、いまにも倒れてしまいそうなくらい青ざめたエレナさんである。

 彼女は一つの包みを抱えていた。彼女の身長ほどもある、木枠でできた長方形の箱である。


「エレナさん、お久しぶりです。こんな格好でごめんなさい」


 そして今日の彼女はお休みらしい。彼女のスカート姿は初めて見たけれど、ゆるく髪を纏めて流した彼女は間違いなく美人さんであった。だからこそ、両手で抱えた箱がいっそう目立つのだが。

 挨拶する私に、エレナさんは半泣きで近寄ってくる。

 

「カレンちゃん、ごめん、本当にごめんねぇ。体調が優れないなら引き返すべきなんですけど、今日を逃すとこれを届ける機会がしばらくなくって……」

「熱はもうほとんど下がったんですよ。無理はしてませんから心配しないで」

「ごめんねぇぇぇ……」


 久しぶりの再会、まさかエレナさんの鼻水を拝むことになろうとは予想もしていなかった。ひとまず彼女を落ち着かせると、挨拶と近況の説明から入ったのだが、エレナさんは昨日まで帝都から少し離れた港区にいたらしい。今日は一日だけ休みを取って、馬を飛ばしてきたようである。明日からまた連勤らしく、うんざりとした表情であった。


「お祖父ちゃん達のこと話してなかっただろーって先輩から連絡がきて、しまったなぁとは思ってたんですけど、仕事場から離れるわけにもいかなくって……」

「とんでもない。それよりお隣がエレナさんのお爺様とお婆様だなんて、信用してもらえたみたいで嬉しかったです。それにこんなにちゃんとしたお家をご紹介いただけるなんて思ってもいませんでした。ありがとうございます」

「いえいえ。お隣が空き家だったの思いだしただけですから。こっちも変な人が入るより、知ってる人が入ってくれて助かったって気持ちです」


 どうやらこの家とその横の家、空き家になって長いようだ。この家は一時期人が入ったらしいが、すぐに出て行ってしまったとの話だ。


「連絡なしで行くことになっちゃうから、不在ならお祖父ちゃん達の顔だけ見て帰ろうってつもりだったんですけど、エルからカレンちゃんの所にいくなら、これ持っていけって言われちゃって……」

「それ、ですか」

「そうそう。硝子灯を設置してからじゃ遅いから早くしろと言われてしまって。……人を使って届けたらって言っても、盗まれたら困るとしか言わないし。ひとを使いっ走りにするなんて、あの子もいい性格ですよ」


 人を使えばいいのに、わざわざエレナさんを指定した理由はなんだろう。彼女の言い様だと、余程のものだと想像してしまうが――。

 エレナさんが包みを解くと、箱の蓋が開かれる。箱の空洞にぴったりと嵌まっていたのは、従来より一回り小さい五、六個の硝子灯だった。


「先ほども硝子灯とおっしゃってましたけど……壁掛け式ですか?」

「ええ、上層区画で見かけたことありませんか。夜になったら勝手に灯りが付くあれ」


 ……初めて帝都を訪れたときに見かけたやつか!

 あのどこから火を点けるのかわからなかった街灯、あとから聞いたら夜になると勝手に明かりが灯る仕掛けだと聞いたのだ。帝都の魔法使いが所属する院が開発したもので、それらはすべて帝国の占有品である。


「……まさかこれをうちに?」

「そうそう。宮廷に納品される予定だったんですけど、余剰分が保管庫に入ってるんです。そこから回してくれって連絡がきまして」

「……宮廷に?」

「大丈夫ですよ、ちゃんと手続きしてますから。これはエルからの引っ越しのお祝いです。なにか贈るって言ってたんでしょう、聞いてませんでした?」

「確かにそんなことを言った気が……エレナさん、これは受け取れませんよ。宮廷に納められるものだったんでしょう。そんなのを受け取ってしまっては問題が……」

「手続きは通しましたし、余剰分だから大丈夫。……っていっても気になりますよね。だから本人に聞いたんですけど、作った人の権利ってやつがあるらしいです。上の人達もなんだかんだ言って余剰品を買い取ってるから持って行けって。余り物のお菓子を持ち帰れーってくらいの勢いで言われちゃいましたよ」


 ――なんだって?


「……まさかエルが作ったんですか?」

「はい、その通り」


 知らない? とエレナさんは可愛らしく小首を傾げる。知らない、知るわけがない。驚く私にエレナさんが教えてくれた。


「私は詳しくないですけど、色々とすごいことやったらしいですよ。色々揉めたらしいけど、製造方法を全部院に教える代わりにいまの地位を獲得したとかナントカ」

 

 期待の若手と名高いらしい。エル、けっこうな有名人じゃないか!


「こっちは改良したものらしくって、人が通ったら明かりは勝手について、いなくなったら消えるそうです。問題があったら院に連絡してください」

「結構な高値では……」

「くれるっていうならもらった方がいいですよ。油代だって馬鹿にならないでしょ?」

「そうですけども、引っ越しのお祝いには高すぎます」

「エルも贈る相手が来てくれて嬉しかったんですよ。そうじゃなきゃこんな高級品贈ろうとはしません。そしてカレンちゃんが受け取ってくれないと、私もついでにいただいたこれを返さなきゃいけなくなるので、できればもらってください」

「……あ、はい」


 後半、やたら真剣な顔だった。

 なんでもお隣の祖父母宅に設置したいらしい。引き渡すと用事も終わったからだろうか、エレナさんは名残惜しそうに席を立つのだが、逆に引き留めたのは私だった。彼女には聞きたいことがあったのである。


「あの、エレナさん、ベルトランド・ロレンツィという方はご存知ですか?」

「ロレンツィ……ですか?」


 ふっとエレナさんの表情が険しくなる。口元を押さえた彼女は考え込む様子で俯いた。


「その名はこちらじゃ馴染みがないから、うん、わかりますよ。最近軍団長の家に養子入りした、百人斬りで有名な十連隊の隊長ですよね。最近は目立った噂もなかったはずですけど、なにかありました?」

「ちょっと気になっただけと言いますか」

「ほんとに?」

「……他になにが?」


 探るようなエレナさんの視線は険しい。それとなく情報収集を、と軽い気持ちで聞いたのだが、やぶ蛇でもつついただろうか。

 この時は疑問を抱くだけだったが、後々思うに、どう考えてもこの時の私は迂闊であった。きっと熱に頭がやられていたのだろう。


「女遊びが激しいので有名でしょう。絡まれたんじゃないですか」

「い、いえ! 違います、そういうのじゃないです。本当にただの興味本位!」


 追求するエレナさんの瞳。だがそれも長くは続かなかった。


「……そうですね。火遊びで有名な人ですが、若い女の子とのいざこざは聞いたことありません」


 不承不承ながら下がってくれたのは助かった。けれども疑惑の眼差しは晴れないので、慌てて話題を探そうと記憶を引っかき回す。なんとかして実父(仮)のことは忘れてもらわなければならない。話題話題……は、あった。


「あともう一つあるんですけど……。お隣、もう一つの空き家なんですけど、あそこ本当にずっと空き家なんですか?」

「隣? そうですよ。私がちっちゃい頃からずっとそうです」


 これは真剣に聞いておきたい。昨日は熱に浮かされていてわからないけど、引っ越してすぐに聞いたような騒音が頻繁に聞こえるのだ。相変わらず三階に部屋をかまえる私やヴェンデルしか訴えていないのだが、深夜にああも騒がしくされるのは困る。外を確認しようと考えたことはあったが、もし変な人だったら目を付けられるのが怖くて行動を移すに移せない、とエレナさんに説明したのである。


「やってはいけないことだとわかってるのですが、うちの者がお隣の庭とか覗かせてもらって、誰も居なさそうとは報告してくれたのですけど」

「……三階のカレンちゃんやヴェンデル君だけ聞こえると?」

「二人とも聞いてますから、幻聴ではないと思うんです。ああも堂々と喧嘩しているのなら、泥棒や不法侵入ってこともなさそうですし……でも段々と声も大きくなってるから、迷惑だなあってなりはじめて」


 これ以上続くようなら、夜中にアヒム達を起こさなければならなくなる。エレナさんの祖父母に話を聞く前に尋ねてみたのだが、不思議そうに腕を組んだエレナさん。やがて何か思い出したようにはっと目を見開いたのである。


「心当たりがあるんですか」

「え、えぇ、ま……ぁ」


 ところがさっと顔色を青ざめさせると、視線を泳がせ始める。いったいなにが彼女の心を騒がせたのか、困惑が色濃く浮き出ていたのだ。


「カレンちゃん」

「はい」

「……それ、ちょっとお姉さんが調べてきますから、もし今夜お隣が騒がしくても、絶対外に出ないでください」

「え? えぇ、それは構いませんが……でもなんで……」

「ヴェンデル君もです。どれだけ騒がしくても、夜中に出しちゃ駄目ですよ。絶対に、絶対です!」

「エレナさん?」

「数日内で調べます。すぐにまた来ますから」

「お仕事忙しいんじゃ……」

「数日です!! それじゃ急ぐのでここで失礼します。お邪魔しといてなんですが、今日はもう安静にして寝てくださいねっ」


 叫ぶように立ち上がるエレナさんはどこか鬼気迫る表情だ。大股でドアを潜る彼女は、去り際もう一度「約束ですからね!」としっかり念を押してきたのである。

 呆然と見送ったこの時までは、まさかあんな目に遭うとは予想だにしていなかった。

 エレナさんが予言したまさに数日後、我が家は貴人の来襲を受けた。


「昼時に失礼する、少々時間まで隠してもらいたい」


 皇太子が玄関叩いて来るなんて思わないでしょ普通。

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