第97話 元外交官おじいちゃん

「シスにまだなにか秘密があるの?」

「秘密っていうか、公然にはなってるんだけど何故か広まらないというか。知ってる人は知ってるんだけどね。理解できる人間の基準はわたしにもわからない」


 エルの説明は不明瞭でわかりにくいものだった。どういうことかと聞いてみても、エル自身困ったように視線を宙に彷徨わせるのである。


「ごめん。いまのはわたしが軽率だった。カレンは皇太子陣営についたし、シスと接触したことがある。だから知ってると思ったんだけど、そうじゃなかった」

「エル、なにをいってるのか意味がわからない」

「……そうだなあ」


 エルはなにかを考えるように腕を組み、数十秒の沈黙を保った。やがてひたりと目を合わせると、こう話し出したのである。


「シスは――…………で…………の……から……」


 シスは、というところまで聞き取れた。けれどその先を耳にしようとすると、途端耳が遠くなるような、不思議な感覚に囚われる。頭に一瞬だけつきんと痛みが走り、一瞬だけぎゅっと目を閉じた。


「……聞こえた?」

「なに、いまの。突然耳が遠くなって……」

「聞いたことは覚えてる。けど聞こえなかったってあたりか。 ……じゃあ、多分話しても理解できないと思う」

「え?」


 エルは肩をすくめて「そういうことだ」と語る。


「いまのは多分……わたしが話して、そして聞き手がシスを知って、そしてシスに覚えられてるカレンだから聞いたって認識は残ってるんじゃないかな。だけど普通の人がシスに興味を持って、そのことを知ってる誰かに聞こうとしたら、次の瞬間には質問したこと自体頭からすっぽ抜けてる。それどころかシスに対する興味もなくなってる。普通は「そう」なんだよ」

「い、いえ…………ちょっとまって」


 そう教えてくれるエルもどこか自信がなさげなのは、確信を持って話しているわけではないからなのだろう。それは伝わったが、彼女が語る話は突拍子がなさすぎて理解が追いつかない。

 もちろんシスが人並み外れた力を有し、得体の知れない魔法使いというのは知っている。けれどエルの語る彼の秘密は、私が知る剣と魔法の世界となにかが違うのだ。


「存在自体が探れないってこと?」

「多分そう。わたしの他に「コレ」を知ってる人は誰かに話そうとも思ってない。というか言った端から忘れられるし、伝えようがないでしょ?」

「なにそれおかしいじゃない」

「おかしいのよ。だからあいつは気持ち悪い」


 紙に書くことはできる。けれど目を通した瞬間から忘れられるようだ。そうなるとシス本人に聞くのが手っ取り早いとエルは教えてくれる。


「機嫌を損ねないようなら、本人は結構簡単に教えてくれるから」

「……魔法がなんなのかわからなくなってきた」

「普通はカレンが考えてるようなもので間違いない」


 学生時代に私たちが語ったように、と。


「杖から炎や氷を出して、物を出現させたり?」

「そう。魔方陣の上に壊れた花瓶を置いて呪文を唱えたら、次の瞬間には元通りになってるの」


 花瓶だったらいくらかの粘土や水がいるけど、とひと笑い。……初めて知ったけど、ただで直るわけじゃないんだね。

 エルはそろそろ研究室に戻ると言って立ち上がったが、別れ際に引越祝いを贈ると別れた。


「きっとびっくりすると思う。楽しみにしてて」


 意地悪く笑うエル。そんな彼女に住まいを聞いたのだが、院の宿舎に寝泊まりしているようで早々この区を離れることはないようだ。ご両親は商業区で惣菜屋を営んでいるようで、そのうち挨拶しておかねばなるまい。


「ところで、エルの研究って……」

「おっと時間だ。それじゃあまたね、今度は手土産でも持って会いに行くから~」

「逃げたな……」


 しかし追いかけるわけにも行かず、ゆっくりとした足取りで住居区画へ足を向ける。

 まだ夕方にもなっていなかった。あとは都内を適当にうろつくだけだが……。

 

「俺はあの嬢さんを詳しく知りませんが、なんだか雰囲気変わりましたね。昔、ファルクラムで見かけたときはごく普通のお嬢さんって感じでしたが」

「ん。そうね。色々あったんでしょう」

「帝都ですからねえ。いつまでも子供じゃいられないってか。ああ、知ってますか、彼女この院じゃ天才って呼ばれてるみたいですよ」

「アヒムは本当に話を聞くのが上手よね。……でもそうか、天才かぁ。学生の頃からエルはすごかったものね」

 

 エルと話してわかったことがある。お互い中身はすでに『大人』というものではあったけれど、私たちはまだ成長の余地があるということだ。あの頃の自分が駄目というわけではないし、嫌っているわけでもない。それでも、例えば伯達のような聡明さや優しさを兼ね備えた人に、果たして私やエルは変わっていけるだろうか。遺されたもの、託されたものを拾えているだろうか。そう考えると少しだけ未来が明るいような気がして、嬉しい気持ちになってくる。

 ああ、エルと会えて、話せて良かった。

 私は彼女のような天才にはなれなかった。彼女を見ているとほんの少し、ちょこっと、ちょこっっとだけ! ……羨ましいと頭の片隅で感じることがある。才覚に恵まれなかった自分に悲しくなるときもあるけれど、その天才と会話を共有できる、理解できる立場であるのは誇らしい。

 

「んー」

「なんです、にやにやして気持ち悪い」

「いいえぇ。コンラートの人たちや兄さん達もだけど、アヒムもいてくれてよかったなぁって思っただけ」

「……おごろうにも手持ち少ないですよ?」

「まっさかぁ、食べ歩きなんてしないわよ」


 マリーの選んだ服、なんの嫌がらせか平常時よりちょっときつめのサイズだったのだ。ここは歩くことで少しでも痩せておきたい。帝都の水が合うのか食べ物は美味しいし、そのせいか今後が恐ろしいのもあるけれど。


「食べると言えば料理人どうしようかしら」

「いまは近くの料理店から運んでもらってますもんねぇ。そういえば御者はどうするんです。大人数抱える気はないんでしょ?」

「よく考えたら馬車を置くだけの土地もないし、確保しておく場所を探すのも手間なのよね。だからしばらく使うときだけ借りようかしらって考えてる。あの辺はよく辻馬車が止まってるから、捕まえやすいでしょ」


 ……ウェイトリーさんは事務仕事全般、ベン老人が庭と雑用、ヒルさんとハンフリーにジェフは護衛と雑用と力仕事。他に二名、女性の使用人を連れてきたが、彼女達はウェイトリーさんの手伝いも兼ねるし、ジェフの妹であるチェルシーがなにもできない上に目を離せないため、ジェフの不在時は彼女らかベン老人に面倒を見てもらうしかない状態だ。

 一緒に来てもらった秘書官らはアヒム達同様に二階に滞在しているが、こちらに定住する予定の者は新しい住まいを見つけたので、数日内にそちらに移る予定となっていた。なお、家庭持ちの人は家族とともに宿に滞在し、現在家捜しの真っ最中。そちらの費用まではコンラート持ちとなっている。独身者だけ連れて来られたら楽だったのだけど、能力的にどうしても必要だとウェイトリーさんに説得されたのである。

 なので以前も述べたが、この移住、かなりの大所帯かつお金が動いている。数日にしてあちこち動き回っているが、さっさと寝台に潜り込みたいのが本音だ。

 しかし人を雇うとしたら、家の広さ的にあと二人かなあ。料理人と、私の身の回りを片付けてくれる人。ベン老人同様に付いてきてくれた女性らの存在はありがたいのだが、いざ宮廷に上がる際の準備等を踏まえると故ヘンリック夫人のような知識人が必要になる。

 ウェイトリーさんにはヴェンデル達に家庭教師が必要だと言われているし……こちらは通いでいいとしても、それも探さなきゃならない。


「商業区に人材斡旋の店があった……わよね。そこで相談していきましょうか」

「はいはい、仰せのままに」

「たまにはアヒムが行きたいところを言ってくれてもいいのよ?」

「それなら腕組んでくださいよ。ちょっとは寂しい気持ちが薄れる」

「はいはい。じゃあ腕を失礼して」


 そういえば兄さんがいないから、アヒムくらいしかこういうこと気軽にできないんだなぁ。エミールもヴェンデルも身長が足りないし。


「さぁてやることは多いし、私もエルに負けないように頑張らなくちゃ」


 予定を終えたら散策して、あとはゆっくり休むぞと決めた帰りである。この日の騒々しさは私の予想を遙かに超えていた。

 家の前に知らない馬車が止まっていたから何事かと思っていたら、玄関を潜るなり、普通ではあり得ない異常な光景を目にしたのである。


「数十年ぶりの再会だってのに、ずいぶんな態度じゃないか、ええ?」

「黙れこのろくでなし、とっとと帰れ!」


 反応に困ってしまった。何故なら知らない男性がウェイトリーさんと言い争っていたからである。ウェイトリーさんがこめかみに青筋を立てて、珍しく憤怒の形相に染まっていた。奥の食堂からはエミールがこっそりこちらを伺っていたし、玄関に入ってすぐだから嫌でも目に付く。ウェイトリーさんと目が合うと、あっと慌てふためいた。


「なんと、もうそんな時間ですか――!」


 ウェイトリーさんが呟くのと、白髪の男性が振り返るのは同時だった。上品な笑みを浮かべたかと思えば素早くやってきて私の手を取る。


「お初にお目に掛かる、もしやとは思いますがコンラート家のカレン殿?」

「は? ……え、えぇ、そうですが」

「――カレン様! そいつと話してはいけません!」


 焦る様子のウェイトリーさん。しかし男性は背後の怒声などものともせず、素晴らしい、と美声を放った。


「はははは後ろの奴の言葉は気にせんでください。やあやあ突然失礼した。私はクロード、クロード・バダンデールという一介の探偵でして、ウェイトリーとは旧知の仲、親友と言っても過言ではない間柄でした」

「は、ぁ……」


 はて、会ったことはないがどこかで見たことのある名前だ。ウェイトリーさん関連で記憶を辿っていると、ウェイトリーさんが私とクロード氏の手を引き剥がした。


「このろくでなしが! 少しはまともになっているかと思えばこんな……お前、私の家族に迷惑をかけるんじゃない!!」


 ウェイトリーさんが私、と言ってしまうくらい感情を丸出しにするのだから、氏が語るように本当に旧知の仲なのだろう。だとすればそのあたりにヒントがありそうなのだが……。

 あっ、ウェイトリーさんの手紙!! ファルクラムと帝国の戦争を終わらせた功労者。


「元外交官の御方?」

「カレン様!」


 焦るウェイトリーさん。一瞬、クロード氏の目が輝いたのは気のせいだろうか。


「ご存知だったとは話が早い。私が外交官だったのはもう数十年も昔の話ですが、そのような古い出来事まで記憶なさっているとは博識でいらっしゃる」


 昔はさぞ鳴らした遊び人だったのだろう。指先を引っ張り上げると口付けの真似だけをして、悠々とした微笑みで一歩退く。ウェイトリーさんより少し上くらいの年齢で、服装はおじいちゃんながらに一目でわかるお洒落さんである。艶やかな黒い背広に、中衣は金の刺繍入り。首回りのスカーフと胸ポケットの飾りハンカチも金糸入りである。しまいには杖の持ち手やベルトまで金細工なのだが、派手どころか似合っているのがすごいところ。顔の彫りが深く、かつて大変な二枚目だったで在ろうことが予測できた。うっすらと香る匂いは不快にならない程度の香水だろう。女性の扱いに慣れた立ち居振る舞いと、しかし決して不愉快にはならない声のトーンで、伯やウェイトリーさんとはまた違ったタイプのご老体だった。


「それでバダンデールさん、本日はいったいどういった御用向きでいらっしゃいますか?」

「用があった、というわけではないのですが、強いて申し上げるならご挨拶に。本来ならば落ち着いた頃にお伺いする予定だったのだが、お宅の前を通りかかると、懐かしい顔が浮かんで離れなくなってしまいましてな。どうしてもこの友人が元気でいるか確かめたくなってしまったのですよ」

「は、ぁ。それにしては、いささか騒がしいようでしたが……」

「なに、誤解ですよ、誤解。昔の些細な行き違いが悲しい勘違いを起こしてしまったのです。ただ、お家の方を驚かせてしまったのは確かなようだ。この通り、お詫び致します」

「あ、いえ。頭など下げられなくても……」

「カレン様、そこの爺を信用してはなりません」

「なにをいう。そこらの爺に比べたら私は若い爺だぞ」

「黙れ爺」

「お前も爺だ、この白髪頭」


 ウェイトリーさんは余裕がない一方で、クロード氏は余裕綽々である。ウェイトリーさんの血管が切れそうなのが恐ろしいので退散願おうとしたところで、クロード氏は引き下がった。


「今日はひとまず挨拶だけ。それと、よければお近づきの印にこれを」


 渡されたのは一枚の紙――所謂名刺というやつだ。長方形の紙に名前と住所が記載されている。場所はおそらく一般住居区だ。


「調査屋……バダンデール調査事務所?」

「お望みとあらば帝都での人捜しや飼い猫捜し等、多少割高ではあるが誠実な仕事をさせてもらっている。高貴な方が足を運ぶには、多少騒がしい所にあるが……お見逃しいただきたい。そちらの方が色々な人々に訪ねてもらいやすいのでね」

「クロード。お前、またそのような仕事を……」

「おっと、胡散臭い、などと言ってくれるなよ。これでも帝都内では顔の利く御方にもご利用いただいている。それに外交官もどきの仕事を受けることもあるのでな、私自身の保証はされているぞ」


 つまり顔見せ兼営業……。なんたるアグレッシブおじいちゃんか。


「詳しいお話はまた機会があれば。口も堅いのでね、困りごとがあれば気軽に訪ねてもらいたい」


 クロード氏は軽やかな笑い声を残し、帰ったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る