第94話 外への誘い

 どことなくというぼんやりしたものではあるけれど、ライナルトの声の響きには過去を懐かしむような、そんな彩りが含まれている。お疲れですか、と聞くのは簡単だけれど、せっかくの食事に水を差すような真似はしない。

 

「さて、せっかくの再会だ。堅苦しい話はあとにして、いまは食事に集中しましょうか」

 

 帝都の食事だけれど、端的に述べてしまえば私の舌に合っていた。ファルクラムは料理を一品ずつ運んでくるのが食事の作法だが、帝都式はテーブルの上に料理を並べて好きな物を取ってもらうのが主なスタイルと聞いていた。食べきれないくらいの量を並べ、残すのが豊かさの象徴であり為政者の証なのだとウェイトリーさんに教わっている。なんとももったいない話だけれど、料理自体は繊細で素材の味を生かしたものが多く、見た目も凝っているのが多い。

 けれど今回の場合、ライナルトはいちいち人が入るのを嫌ったのか、あらかじめ決められた分量の皿を配膳する方式に変えていたようだ。些か量は多かったけれど、おかげで「もったいない」を味わうことはなかった。

 牛の赤身肉を柔らかくなるまで煮込んだシチューの味といったらまさに絶品。美味しいものを食べて顔を綻ばせない人がいないように、そしてどことなく日本で食べたことのある味を想起させて、笑みがこぼれていた。


「美味しい。結構なお味です」

「それはよかった。ファルクラムから来た方にすると帝都の食事は味が薄いとよく零されるのだが、お気に召されたようでなによりだ」

「味付けがかなり違うんですね。向こうは塩と香辛料を多く使うから、でしょうか。こちらは確か海産物も多く扱っているのでしょう?」

「幸いにも近くを運河が渡っているので海産物には事欠かない。ファルクラムでは見かけない食べ物も多いでしょうね」

 

 ……タコとかイカは食べるのかなぁ。

 気になって尋ねてみたのだが、彼には別の意味で驚かれた。

 

「確かにそういったものも水揚げされるが――あまり好んでは食しませんね。特に赤い方、あれは漁港付近に住むものがよく食べる。……カレン嬢、詳しいですね」

「本ばかり読んでいたから、知識ばかりが先立ってしまうんです」

 

 笑って誤魔化す。……刺身はあるだろうか。いや、例えできたとしても醤油と山葵がないと話にならないな。ちなみに、今日までにおける帝都の食事で生魚料理は未だ発見に至っていない。要検証である。

 食事だが、これまでの対面と比べると驚くくらい穏やかだった。少なくともいままで仕事に類する話題は一切出てこない。

 

「新しい家はどうだろうか。家捜しはモーリッツに任せたが、随分派手な家を紹介されたのでは?」

「あら、やはりご存知だったんですか」

「報告は受け取っていましたからね。もう一軒は、おそらく貴女は選ばないだろうと別の家を選定するよう伝えたが……」

 

 そのもう一軒、つまりいまの家を紹介したのはエレナさんだったという。どうりで選んだ家に差があったわけだ。ここで驚くべき話を聞いたのだが、なんと隣の老夫婦、彼女の祖父母らしい。

 

「まあ。挨拶に伺いましたけど、そんなお話は一度も……」

「彼女のことだ。説明を忘れていたくらいはありえる。帰ってから尋ねてみられるといい、おそらく間違いないと思いますよ」

 

 エレナさーん! それならお土産はもっと気の利いたものにしたのにー!

 

「もう片方の家、あちらはモーリッツさんがご紹介くださったのですよね。……かなり立派なお家だったのですけれど……どうしてあんな豪邸を?」

「あれはモーリッツの別宅の一つですよ」

「べ……」

 

 別宅だと。

 だとしたら持ち家なの? なんでそんな家を紹介したのだろう。ライナルトは意地の悪い表情で、ここにはいない誰かを想像して口角をつり上げた。

 

「以前、持っている別宅の一つが売るに売れなく管理が大変だと聞いた覚えがある。あいつは無駄な出費を嫌いますからね。大方、貴女に押しつけて家の管理を任せようという算段だったのではないだろうか」

「……笑っていらっしゃいますけど、もしあの家を選んでいたら我が家の家計は大変なことになっていましたよ?」

「きっと公庫権の件をいまだ根に持っているのでしょう。気をつけられるといい」

「そういうライナルト様も随分楽しそうで……」

「あいつが未だ仕返しできずに知恵を巡らす様は楽しくてしょうがない。それが一回り以上年下のカレン嬢となればなおさらだ」

 

 な、るほどぉ。つまりモーリッツさん、あの金貨五千枚を維持費という形で回収しようとしたのか。今後も気をつけなければなるまいと身を引き締める。

 

「……ライナルト様も意地が悪いですね、とは今更でしょうか。ところでモーリッツさんとは随分仲がよろしいのですね」

「うん?」

「あいつ、などとおっしゃるものですから……」

 

 ファルクラムでは名前で呼ぶばかりだったし、親しみを持った態度を見せることもなかったから意外だった。ライナルトはやや考え込む素振りを見せて頷いたのである。

 

「カレン嬢はご存じないか。私とモーリッツは十年以上の付き合いになる。子供の時分から顔を合わせていますから、お互いのことはそれなりに知っているつもりですよ」

「そこまで長いお付き合いだとは存じませんでした。でしたら本当に気心が知れているのですね」


 ライナルトは含み笑いを残し、その後はヴェンデルの近況を確認するといった話もあったが、会話の大部分が雑談で終わっていた。軽い口約束であったが、ヴェンデルやエミールの転入には便宜を図ってくれるようなので、ウェイトリーさんの苦労も少しは減るだろうか。

 楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、食後のデザートもあっという間だった。ファルクラムではデザートと言えば焼き菓子だけれど、こちらではなんとカスタードに似たクリームに、赤い実の蜜をかけた冷菓である。ふわっとした甘みと食感が口の中で溶けていく心地は、こんなデザートがある帝都の人が羨ましいと感じたくらいだ。なお、後にカスタードっぽいものの作り方を確認したが、私の知るカスタードそのままだった。バニラエッセンスではなく別の香料を使っていたので違いはそこだろう。

 にこにこしながら舌鼓を打っていたがライナルトも仕事があるだろうし、ここでお終いかなと考えていたのだが、今後の予定を聞かれたので素直に答える。


「日中の間にまだ見てない区画を回ってみるつもりです。広すぎて、街並みがさっぱりわかりませんから少しでも頭に入れておきたくて」


 それに場所を間違えなければ今後の一人歩きも問題ないはずだ。アヒムがいるうちになるべく道はたたき込んでおきたい。見たい場所があるのかと問われたら、特にあるわけではないけれど……。そんな会話をしていると、突拍子もない申し出がなされた。


「私が案内しても問題ないだろうか」

「へ? え、ええ、まあ別に問題はないですけれど……」


 でもそれは無理があるんじゃ……。ライナルトと並んで街を歩くなど人の目が気になってしょうがない。第一護衛も許さないだろうと答える前に、ライナルトが胸の内ポケットに手を差し入れた。

 それは手の平に収まる大きさの、何ら変哲のない切り紙である。いまにもくしゃくしゃになってしまいそうな薄っぺらい紙の先端を掴み一振りすると、目を疑う現象が起こった。

 ――鐘になったのである。

 見紛うことなく鐘である。手の平サイズなのは変わりないが、ぺらぺらの紙が立体と色を伴って呼び出し鐘になったのだ。

 ライナルトはそれを数度振るのだが、不思議なことに内部にぶら下げた分銅は揺れるのに音が鳴らない。振り終わった鐘を片手で包み込むと、次の瞬間には薄っぺらい紙に元通り。再び懐に仕舞い込むのだが、いまの動作に何の意味があったのだろう。

 ――ところが、である。

 トントンと扉をノックする音。こちらの返事を待たずにガチャリと扉が開いた。


「呼んだかーい」


 現れたのは私にも見覚えのある胡散臭い男だった。会う毎に格好が変わるのはおなじみだが、裾の長い外套を羽織り、ごてごての金銀で身を飾ったシスである。

 うわ、と思わず声が出ていた。シスはこちらと目が合うと、老人のように背を丸めながら近寄ってきたのである。


「きみが昼寝の邪魔をするなんて珍しいと思ったら、彼女が来てたのかい。やあやあ久しぶりだねお嬢さん。たしか向こうの闘技場以来だっけ、あのときは大変だったねぇ」

「大変なんてものでは……」

「シス、外に出たいのだが目眩ましを頼めるか」

「ああなに、いつものか。一人じゃないとは珍しいね、逢い引きでもするのかい」

「ちが――」

「はいはいわかったわかった。眠たいからさっさとすませよう」


 違う、と突っ込みたかったのに、シスはにべもないし返答すら迷いがない。


「ええと? きみの護衛とお嬢さんの護衛クンか。……この五人くらいならそんなに手間もかからないね」


 シスは衝立の向こうに隠れている護衛の人数を知らないはずだ。もし知っていたとしても、どうして彼の登場以来一度も姿を見せていないのだろう。彼はあたりを一瞥しただけだったのに、あっけなく「終わったよ」と告げたのである。


「眠い眠い。まったく、ヴィルヘルミナじゃあるまいし昼寝している年寄りを鞭打つような真似は控えておくれ」

「善処しよう。……さて、行きましょうか」

「は? え?」


 ライナルトは席を立ち、シスは……待って、さっきまでそこには長椅子なんてなかったはず。いつの間にか出現した椅子に寝転がると、欠伸をしながら寝転がった。


「もうさぁ、話すの面倒だし、さっさと行っておいでよ」

「え……まって、いまのな……」

「カレン嬢、行きますよ」

「え、あ、はい!」


 ライナルトはもう扉を越えてしまっているし、これ以上離れると置いていかれてしまう。なにがなんだかわからないが、これは彼についていくしかないのだろう。

 道中なのだが、ライナルトは私の知らない道を堂々と歩いて行く。明らかに私が通ってはいけなさそうな道を彼は進む上に、道中は宮殿で働く人々とすれ違うのだけれど、彼らは私たちに目もくれない。


「あ。アヒムがいる」


 中庭の長椅子では、私を待っているはずのアヒムが足を組んで座っていた。彼もまた私たちを目撃していてもおかしくないはずの位置なのに、視線は素通りしていく。


「声をかけると存在に気付かれる。声をかけるのは待ってもらえますか」

「でも、彼は私の護衛で……いないと知ったら心配するのではないかと」

「どこかで私の部下が不在に気付くでしょうから、彼にもうまく説明しますよ。大丈夫、下手に騒ぎ立てはしないでしょう」


 そういうライナルトはすいすいと小道に入っていくのだが、廊下の汚れ具合や脇に生えた雑草の散らかりからして、彼のような皇族が通るような道ではない。洗濯籠を抱えて小走りに過ぎていく小間使い、ぞうきん片手に肩を怒らせ歩く侍女と様々だけれど、やはり誰も私たちを気にしないのだ。


「……もしかして、ライナルト様ってこういうお出かけに慣れてます?」

「数える程度ですよ」


 彼の態度はどう考えても慣れている者のそれだ。詳しく聞いてみると濁されたが、シスの発言をみるに単身脱走はこれが初めてではない。職務に忠実な像しかなかったから、意外な一面に面食らった。

 そしてこの不思議現象だが、どうやらシスは他人にとって私たちがうまく認識できなくなる魔法をかけたらしい。そこに「居る」という認識はあれど、私たちを目にする相手には、その人にとって都合の良い存在だったり、そこにいても「おかしくないはずの人間」が当てはまるそうだ。


「完璧ではありませんから、例えばニーカが私たちを探そうと目をこらして探せば簡単に見つかりますがね」


 逆に言えば意図してない相手の前を過ぎるのは簡単なのだ。地味だけど普通に凄いことではないだろうか。少なくとも街中を王族が単身闊歩しているとは考えないだろう。事実、宮殿を抜けて橋を渡り、街中に繰り出しても私たちの存在は誰にも気付かれなかった。

 ライナルトが向かったのは商業区ほど賑わいがない区画だった。聞けば住居が集まっている区画らしいが、所謂一般市民層が多く住んでいる場所らしい。確かに集合住宅を兼ねていそうな建物や大衆酒場の入り口が軒を連ねている。

 この頃になると私も慣れてきたのもあって、彼より先を歩いて周辺を観察していた。ライナルトは後ろをついてくる形である。

 不謹慎だがこの状況に胸が躍っている。誰にも咎められず自由に散策できるのは久しぶりで、行きたいところに進めるのは楽しかった。


「本当に大きな都市なんですね。ファルクラムじゃ昼からお酒なんて怒られるけど、人もけっこう入ってるし……」

「夜も騒がしいですからね、いま飲んでいるのは夜更けから働く者達でしょう。……このまま通りを進むと共同墓地になる」

「墓地の為に土地を開放してるんですか」

「土地……ではありませんね。あるのは墓所への入り口と詰所、それに国が管理する院と薬草園だ。墓地は都市の外に備えられますが、それでも都市内で眠りたいという声があがる。そういう者のために地下墓所が開かれています」

「ち……か墓所、というと……ええと、壁に穴を掘って亡骸を寝かすようなあれですか?」

「詳しいですね、その通りです。ファルクラムにはない形態のはずだ、勉強でもされましたか」

「で、ですね」


 テレビで見たとは言えずに頷いた。……地下墓所、所謂カタコンベなんて馴染みがないから珍しいが、軽率に入ってみたいとは言えない。だって……遺跡じゃなくて使用中の地下墓所でしょ? 日本みたくじめっとした気候ではないし、干からびてるんだろうなーくらいは想像できるけど、だからって現物を見たいとは思わない。

 ライナルトも詰所方面には行きたくないようで方向転換するのだが、もう一つ気になったことを尋ねた。


「薬草園とおっしゃいましたけど、薬も国が管理をされているのですか」

「基本的にはそうです。魔法使いを初めとして、薬師や医者も国の管轄下にあるので届け出のない開業は許されていない」

「……基本的には、とおっしゃるには例外もあると?」

「人が多いですからね。やはり無許可の者が店を構えていることもある。彼らの方が下手な医者より信頼が厚いくらいだ」


 ライナルトの口ぶりは皮肉っぽく、だからこそ事実を語っているようにも感じられる。


「帝都は栄えているでしょう。だが、だからこそ貧困に喘ぐものに厳しい者も多い。例えば傷を負った死にかけの子供が倒れていたとして、その手を差し伸べるのは彼らではなく、同じ立場の者達だけだ」

 

 淡々とした語りだから、そこに込められた感情はわからない。けれど茶化して良い話でないくらいはわかる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る