第75話 選択という名の

 パウラさんの遺体はすぐに運ばれていってしまった。時を置いて彼女を追ってきた人たちの中にはエレナさんがいて、なぜか申し訳なさそうに肩を縮みこませていた。


「すみません。まさかカレンちゃんのところに行かれたとは思っていませ……いえ、彼女を逃がしてしまったのは私たちの監督不足です。ご迷惑おかけしました」

「……いいえ。あの人に私を傷つける意思はなかったから」


 おそらく彼女を発見したのが私だから彼女が足を運んだのだろう。逃がしてしまった、ということは監禁でもしていたのだろうか。エレナさんは私の服が血に汚れていたのを見て取ると、着替えを用意するよう他の人に指示している。


「彼女、怪我をしていました。まさかと思いますけど、そちらから危害を加えた……わけではありませんよね?」

「ええっ、とぉ……」

「私、これが終わったらモーリッツさんのお手伝いをすることになると思います。その、ライナルト様がそう言われましたから。ですから話してくれても大丈夫ではないでしょうか」

「……ほんとに?」

「私がエレナさんに嘘をつく理由がないです。いまさら情勢が覆ると夢見ているわけでもありませんし、そんなことしたら不利益を被るのは私でしょう?」


 露骨に視線を逸らした彼女に敵ではない、と意思表示すると、ほっと胸をなで下ろしたようだった。そういうことならと彼女は向かいに腰を下ろす。


「剣を抜かれたら対応しますが、こちらは必要以上の血を流すつもりはありません。あの女性はこちらの監視を抜け、看守を殺害し脱走してしまったので致し方なく」

「……そうですか」


 パウラさんの亡骸は乱暴に扱われるわけでもなく、担架に乗せて運ばれていった。彼らも仕事ではあるのだろうが、軽蔑といった眼差しではなく、遺体に一種の敬意を払っていたような態度だったから、仕方なく、といった言葉は信用してもいいのかもしれない。実際、エレナさんも彼女に対して好意的だった。


「まともな武人であれば主君を殺害されて怒るのは当然でしょう。気持ちはわかりますし、だからお籠もりいただいてたんですけど」

「……意外。敵相手なのに好意的なんですね」

「相手がどう思われるはともかく、私がどう思うかは別なのでー。ああでも、あの人が耐え忍ぶ選択をする人だったら厄介だっただろうなあという気はしてます。きっと腕も良かったでしょうに、惜しい人でしたね」


 味方が殺された怒りもあるだろうに、エレナさんはあっけらかんと笑う。こういう人たちの気質は、まだまだ理解にはほど遠い。


「ところで、やはり国王陛下を手にかけたのは皆さんなんですね」

「そこは知らないんですか」

「今朝、本当にぎりぎりのところで色々わかったので」


 全容は知らないと伝えると、エレナさんもその方がいいと頷いた。


「答えを言っちゃったようなものですけど、そういうことだったらもう少し待った方がいいかもしれません。閣下がそうと決めたのなら、アーベラインもカレンちゃんを放置するような真似はしないでしょう」


 そう告げるとエレナさんは背伸びをして、私の着替えが届くのを見届けると戻っていってしまった。本人曰く「まだやらなければならないことが多い」らしく忙しいそうだ。その後は特になにも起こらず大人しく待機していたのだが、時間はあっという間に過ぎていた。

 戻ってきた兄さんは、私の服が変わっていたことに疑問を覚えたらしい。調子の悪い方を介抱したら服が汚れてしまったと伝えると簡単に信じてくれたのだが、これは私を気にかけるより、他のことに思考の大半を奪われていたせいだろう。

 それというのも兄さん達の近くにはモーリッツさんやヘリングさんがいたのだが、二人、特に兄さんが彼らに対する嫌悪をありありと浮かべていたのである。

 無論、口に出すわけではないのだが、兄さんがこうもわかりやすい態度でいるのは珍しい。モーリッツさんが深々と頭を垂れていた。


「戻りの馬車を手配致します」

「……お気遣いは結構だ。こちらの用意した足で戻らせていただく」

「では警護だけでもお付けさせていただきましょう。我が主にはお二方の身の安全を優先するよう仰せつかっておりますので、ご理解いただきたい」


 どうやら彼らの目を逃れることは叶わなかったらしい。兄さんは困惑と怒り、姉さんはどちらかといえば疲労の色が濃いだろうか。馬車に乗るまでの間、二人は会話も交わさず貝のように口を閉ざしており、私もなんとなく二人に合わせていたのだが……。馬車に乗る直前、王城に残るらしいモーリッツさんに呼び止められた。

 兄さんや姉さん、アヒムが馬車に乗り込んでからであった。怪しまれないためか、彼からかけられた言葉はわずかであったが、印象的ではあった。


「ご兄姉の快い返答を期待する。最悪の結果を回避したいのであれば尽力されるとよろしい」

 

 説得の内容がどんなものなのかは、館に戻ってから教えてもらえた。それというのも、館でヘリングさん達を下がらせてからの兄さんが爆発したからである。


「よくもあれだけふざけたことを言えたものだ!!」


 温厚な兄さんが感情のままにクッションを叩くのもまた珍しい。王城でなにがあったのか聞くために待っていたエミール達が驚いてしまった。


「兄さん、ひとまず怒りは堪えてお話を聞かせて。……それとエミールとヴェンデルは部屋に下がってもらえるかしら」

「……僕たちもなにがあったか知る権利はあると思うんですが」

「二人をないがしろにしたいわけではないの。ただ、まだにいさ……大人の方が落ち着けてないから。後で必ずお話しするから、いまは言うこと聞いて。ね?」


 エミールは話を聞きたそうだったが、幸いにもヴェンデルが察してくれたようで、エミールを連れて行ってくれた。兄さんは私にも下がって欲しそうだったがそうはいかない


「それで、さっきから怒りっぱなしの兄さんと、黙ってしまった姉さんやアヒムはなにを考えているの?」

「……カレン。あなたは……」


 なるべく避けていたが、お腹の前で両手を組み合わせる姉さんがあまりに辛そうだったから、姉さんの前に跪いた。辛そうに瞼を下ろした姉さんは溜息を吐いて、ゆっくりと首を振る。


「ライナルトがね……。彼や、周りにいた大公達が帝国にファルクラムを明け渡すと……そのために、私の子にファルクラムの象徴として立ってもらいたいのですって」

「象徴などと……体の良いお飾りだろう。どうなるかわかったものではないよ。それとゲルダ、大公達といったが一緒にしてはいけない。彼らは本意ではなさそうだった。あの怯えようは異常だ」

「怯えていようがいまいが、ライナルトに下った事実は認めなくてはなりません。彼らの総意は変わりないわ」

「そうはいってもだな……」


 二人は言い争いを始めようとするが、そこにストップをかけた。


「兄さん姉さん、私にもわかるように説明して」

「……カレンは知っていたのではないの?」

「なにを?」


 姉さんは苦虫をかみつぶしたような表情で私を見ていたが、嘘はついていない。私は全容を知っているわけではない。…………黙っていただけだ、とは詭弁だろうな。


「……いいわ。兄妹喧嘩をしたいわけではないもの」


 自身の整理をつけるためだろうか。姉さんはなにを見聞きしたのかを教えてくれる。

 全容はこうだ。

 二人が大公達の待つ部屋に通されると、そこにはライナルトを含め十名ほどの貴族とファルクラムの軍事を統べる将軍が待っていた。ライナルトは彼らを統括するような位置に座っていたという。

 貴族はもちろん、大公含めほとんどが大貴族といって差し支えのない人々だ。二、三名ほど当主ではなくそのご子息といった若者もおり不思議に感じたが、彼らは総じて「代替わりをした」と告げたのだという。

 彼らは国王と王妃に対し哀悼の意を捧げ、流れる汗を拭きながらこう言った。


「これより後、ファルクラムは帝国に下り、以降彼らの指示の元で国を運営していくことになる。我らが国王陛下のお子を身篭もられたサブロヴァ夫人、並びに夫人の後見人であらせられるキルステンはこれを了承し、協力していただきたい」


 すでに決定事項であった。驚く二人は当然異を唱える。兄さんは子供を世継ぎにしたいわけではなかったが、国が墜ちるとなれば話は変わってくるからだ。大体陛下の血筋でなくとも「王家の血筋」はいくらか存在するのに、なぜ生まれてもいない子に重荷を背負わせるのか。彼らも民も納得しないであろうと訴えたのだが、「王家の血筋」を有する家々の結末はぞっとするようなものだった。

 これはライナルトの口から直接語られた。


「残念ながら――陛下を襲撃した犯人の中に、我が兄のみならず王家の方々が参加しておられた。とてもではないが、そのような方々に民を率いていただくわけにはいかない。この意味がおわかりだろうか」

「もはやサブロヴァ夫人の腹の子しかいないと? ……それはそうとライナルト殿、なぜ貴方がこの場にいらっしゃるのかも私はわからないのです。確かに逆賊を退治された功績は誰しもが認めるのでしょうが、理由をお聞かせ願えるだろうか」

「なに、これも民を守るためですよ」


 悠々と腰掛ける彼はこれまでと何ら変わりなく、変化がなさすぎるからこそ嫌な予感がしたのだという。


「殿下方をはじめ、陛下や王妃までお亡くなりになられた、それはもう覆らない事実でしょう。ですが我々はこの国を守らなくてはならない。それはラトリアや、ひいてはこれからファルクラムを陥落させるべくやってくるであろう帝国からです」


 躊躇のない物言いである。同時にライナルトの言葉は確信に満ちており、ファルクラムの崩壊は免れようのない事実であると断言しているようでもあった。当然、兄さんもそれを口にした。本能的に逆らっては拙いと危機感を抱きつつ、聞かずにはいられなかったのだ。


「ライナルト殿は不思議な物言いをされる。これからと申されたが、なぜあなたが陛下しか知らぬような話をご存知なのか」

「たいした理由ではありませんが」

「それはこちらで判断する」


 ここまでくると諸侯の様子がおかしいのもはっきりと理解していた。場合によっては自分だけでもライナルトを糾弾せねばなるまいと誓った兄さんは、どちらかといえばパウラさんのような人間なのかもしれない。 


「此度の件、帝国兵を率いているのは私の妹でしてね。こともあろうにラトリアと手を組み、この国への侵攻を決めたようだ」


 ……などと、淡々とした調子で述べたようなのである。

 これには兄さんも十数秒ほど理解が及ばなかったようだ、と後の状況を姉さんに聞いた。

 諸侯の中には露骨に視線を逸らした者や、或いは俯いて拳を握っていた者もいた。中にはライナルトを睨めつけたり、輝かしい視線を送る者もいたようだが、どのみち視線だけでは痛くも痒くもないだろう。


「貴方がたには選択してもらいたい。私に従いこの国を明け渡すことで民を守るか、迫り来る大軍に財産もろとも奪われるか。賢い者ならば前者を選ぶだろうが、無論、私に従えないという可能性も考慮している。後者を選択しても責めるつもりはない」


 恭順か反逆を迫られたのである。即答できなかった二人だが、おそらく他の諸侯はそんな時間すら与えられずに決断を迫られた者も多かっただろう。わずかだが猶予を与えられただけ、姉さんとお腹の子の重要性は高かったのかもしれない。

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