第66話 父親として

 兄さんも王城で騒ぎがあったことや決闘の噂も知っていたらしいが、本当に開催されるとは思ってもいなかったらしい。


「陛下と王妃様が取りなしたことでダヴィット殿下は発言を見直され、ジェミヤン殿下に和解の意思を示したらしいのだがね。どうやらジェミヤン殿下の方がダヴィット殿下が次期国王であるのに不服を示したらしい」


 兄さんは青い顔で胃のあたりを押さえている。王城で噂になっている話の中から、真実に近いであろう話をわかりやすいよう説明してくれた。


「陛下方がとりなし、ダヴィット殿下がジェミヤン殿下をお許しになったというのにこれではお三方の面目が丸つぶれだ。結局御前決闘を行うことで決着をつける方向で固まってしまったようだよ」

「それはお二人が争うということ?」

「そう。ダヴィット殿下が勝てば今後ジェミヤン殿下に不服は言わせない、継承権を放棄させた上で副王として王を補佐する役目を全うすることを約束させるだろうね」

「ジェミヤン殿下が勝てば?」

「……万が一にも勝てるとは思わないけれど、ダヴィット殿下の王位継承権の辞退だろうなぁ」

「それって結構重要じゃありませんか。そんな大事な試合の決定をこんなに早く決断されたのですか?」

「違うよカレン、大事だから早く決めたのさ」


 この早い決定にはわけがある、と兄さんは語る。先ほどから胃を痛めている理由にも関わるのだが、早い話これは王位継承権を巡る争いなのである。現在、ただでさえラトリアに目を配っているファルクラムは国の団結をはかる必要がある。両殿下の諍いとなれば、少なくとも臣民の心が二分に分かれるのは必定で、無駄な時間を消費している暇はないのである。帝国に兵を要請したが、それがいくらかの遅れなどを伴った結果、どうやら七日内には到着すると噂されている。内部の弱みを見せたくないファルクラムとしては、内乱の芽は早めに摘む必要があったのだ。


「兄さんはジェミヤン殿下が勝てなさそうな言い方をしましたが、理由はなんでしょう。まさかダヴィット殿下の方がお強い?」

「いいや、この御前試合に本人の実力は関係ない。昔は直接対決したようだが、いまは代理人による決闘だよ。ジェミヤン殿下にも兵はいらっしゃるが、あの方はどちらかといえば文学を重要視される方。個人で武に覚えのある方は、ほとんどがダヴィット殿下の派閥にいらっしゃる」

「……つまりダヴィット殿下の代理人の方がお強いと?」

「ほぼ間違いなくね。それに方々顔もきくから、ジェミヤン殿下に味方しようという者にはそれなりに目を光らせていると思うよ」

「まあ、それじゃ決闘に挑むどころの話ではないじゃない。だれも次期国王が決まっているような方に睨まれたいなんて思いません」


 腐っても王位継承者。ジェミヤン殿下ならわかりそうなものだが、それでもなお決闘を臨むのは何故だろう。周囲の言葉も耳に入らないほど怒り狂っているのだろうか。

 

「先の話に戻ってしまうけれど、だからこそ陛下やダヴィット殿下もあっさりお決めになってしまったのかもね。なにせ決着もはやくつく」

「うわべだけの勝負をするとでも?」

「そこまでは言わないが……ジェミヤン殿下の一人喧嘩になる可能性は高いよ」


 そもそも皆、ダヴィット殿下が次期国王だろうと従ってきたのだ。ダヴィット殿下はあれで彼らを軽視したことはなく、厚く遇することを知っていたから彼らもダヴィット殿下に頭を垂れていた。私は彼個人の人格しか知らないが、あの人の私生活や下半身事情はさておき次期国王としては相応の対応である。

 しかし兄さんほどではないにしても、私も頭が痛い。


「姉さんには聞かせられない話ね」

「……まったくだ。使用人達にはゲルダの耳に入らないよう頼んだが、お前からも気を配っていてもらえるかい」

「もちろん。お腹の子になにかあってはいけないものね」

「そうだ。それにせっかく自分の容体に専念してくれるようになったんだ。また心を病まれてはゲルダ自身が壊れてしまうよ」


 王の子というのもあるが、私たちにとっては血の繋がった子供なのである。


「このうえ王位継承権が一つ繰り上がるなんて笑い話にもならないわ」

「早くダヴィット殿下に即位していただけるといいのだが。それか早くお子を持ってもらいたいよ」


 意外に思うかも知れないが、ダヴィット殿下は現在妻を得ている身である。子がいないため跡継ぎを危ぶまれているが、男の子を成してくれればその子が次の国王として定められる。

 兄さんが胃痛に悩まされるのも、私が頭が痛いのも、いまのところ両殿下と、そして姉さんのお腹の中にいる子が次期国王候補となっているからである。ジェミヤン殿下の継承権辞退となれば自然と順位が繰り上がるから、兄さんとしては嬉しくないようだ。

 姉さんに隠れるように個室でこそこそ話しているのもそのせいだった。


「そういえば兄さんは、もしかしたら姉さんの子が王様になるかもって舞い上がったりはしないのね?」

「私が? まさか……」


 こんな質問しなくとも、とっくに他の人からは暗喩されていたのだろう。疲れた面差しを隠しもせず首を振った。


「考えなかったといえば嘘になるけれど、私のような人間にこれ以上の責務は分不相応だよ。私は人を動かすより、動かされる側が性に合ってるからね」

「そうかしら。ご自身を知っているだけ、他の方よりもお仕えしやすいと思うのだけど」

「褒めてくれるのは嬉しいが、身内贔屓が過ぎるというものだよ。それに皆の支援が的確なだけで、私自身は何度も誤りをおかしているからね」


 重苦しい溜息は、妹の私になにも見せていないだけで、兄さんの脳裏に数々のミスを思い出させたのだろう。キルステンの顔を張るだけに常に堂々としなければならないのも、本人的には苦しいのかもしれない。


「決闘だが、ゲルダも無関係ではない。宰相殿より出席の打診があったが、大事な時期というのもあって本人の参加は見合わせていただいた。代わりに私が出てくるよ」

「あら、血が苦手なのに大丈夫?」

「だい……じょうぶではない」

「ですよね」

「簡単に納得しないでもらえるかい。……いざとなったらアヒムが運んでくれるさ」

「任せてください」


 実は部屋の片隅で会話を聞いていたアヒムが片腕をあげる。

 

「あれこれ言い訳をして、気絶したなんてばれないように運ばせてもらいますよ。いまもあらゆる言い訳を他の連中と選定してますからね。安心してぶっ倒れてください」

「やめろ馬鹿。冗談に決まってるだろう」

「こっちも冗談ですよ。坊ちゃんがそんなことで倒れるなんて思っちゃいません」


 アヒムのことだから言い訳くらいは本気で考えてると思うよ。

 しかし困ったな。私もライナルトとの話し合いの手前、決闘はみておきたいのだ。

 

「えーとね、兄さん。その決闘というのは、女が見学するのは駄目なのかしら」

「昔は禁じられていたみたいだが、いまは女性が騎士に選ばれる時代だからね。女性も多く参列されるが……」

「そうよね。駄目じゃないわよね、よかった」

「……カレン?」

「ええ、まさかって顔をしてるけど、そのまさかです。私も気になることがあるので見に行くだけいこうと思います」

「代理人決闘とはいえ、血が出るかもしれないんだぞ?」


 正気か、なんて目で見られるけれど、私も兄さんの立場なら似たような表情をしていただろう。まだコンラートの傷が癒えきっていないのに、自ら血なまぐさい決闘を見に行くだなんて馬鹿である。けれど馬鹿なりにやらねばならないものも多い、なにより例え八百長であろうとも、これが国の行く末を決定付ける試合であればなおさらだ。

 ライナルトの言葉がなくとも個人的興味が勝っていた。

 ファルクラムは帝都と違ってコロセウムなんてものはないから、立ち会いできる人数は限られているはずだ。


「キルステンか姉さんの名前を使って入りたいの。許してくださいますよね」

「許すときかれても……。いや、お前のことだから許可しなかったら勝手に入るつもりだね?」

「はい、もちろん」

「認めないでほしいな。…………いいよ、私の名前を使っておくれ」


 絶対に行くという雰囲気が伝わったのだろうか。思ったよりもあっさりと頷いてくれたが、この後すぐに申し添えられた。


「ただし一人の観戦は禁じる。来るなら必ず信頼できる人といるか、そうでないなら私の元にきなさい」

「ウェイトリーさんが一緒でも駄目?」

「駄目ではないが、城内にはお前と付き合わせたくない類の人も多い。彼では断り切れないだろう?」

「……許可してもらえるだけでも十分ね。ありがとう、それじゃ兄さんの名前を使わせてくださいな」

 

 これで観戦の体裁は整えた。日取りは三日後と決まったらしく、噂が市井まで広がる頃には、市民の話は両殿下についてもちきりである。使用人達も興味が隠せなさそうで、ひっきりなしに噂をしているとウェイトリーさんに教えてもらった。

 その間の私だが、特にこれと行って目立つ行動はしていない。強いて言えばコンラート問題に取り組んでいるくらいだろうか。とにかく妊娠初期の容体が酷い姉さんのフォローに回っていたのである。

 三日の間、陛下は度々姉さんを見舞っていたが、ある日の夜に私にも声が掛かった。それまでもこちらを気遣う言葉をくれていたのだが、呼び出しをもらったのは珍しい。

 入室すると、陛下と姉さんは並んでソファに腰掛けていた。目を閉じた姉さんが陛下にもたれかかり、安心したように身を委ねており、陛下はその肩を優しく抱いていたのだ。

 私をみるとふっと口角をつり上げた陛下は慎重に立ち上がり、姉さんをソファに横たわらせて毛布をかけるのだ。

 来い、と片手で招き寄せると、離れた一角の椅子に腰掛け、向かいに座るよう促したのである。


「ゲルダはそなたを呼び出したところで寝入ってしまった。……別室で話そうとすると拗ねるのでな、眠ってくれたのは助かった」

「姉は疲れておりましたので……。陛下のお顔をみて安心したのでしょう」

「そうか? ……少しでも夫のつとめを果たせたのなら良いが……。今回は苦労をかけるな。特にそなたは夫を喪ったばかりというのに、ゲルダにつきっきりと聞く」

「……御言葉だけ、ありがたく頂戴いたします。ですが、どうかお気になさらないでくださいませ。私もなにかしていた方が気が紛れるのです」


 姉さんについて語る陛下の表情はほんのりと柔らかい。以前会った時とは違い、疲労を色濃く残す国王は背もたれに身を預けて力を抜いていた。


「ゲルダと腹の子のことでな。アルノーにはすでに話したが……。そなた、コンラートの後見人にライナルトを指名したのであろう」

「はい」

「緊張するな、叱るわけではない。そなたの選択にわしが口出しする暇もないのでな」


 暇がないというのは本当で、帝国兵の派兵が決まってからというもの、陛下は方々に顔を出しているようだ。忙しい隙間を縫って姉さんに会いに来ているので、いつ休んでいるのかと兄さんが心配していた。


「国王として話すにはあまりにも時間が足りぬ。そなたも政治に関わる身ではなかろうし、頼みたいのは子供についてだ」

「……もちろん、私としても大事な甥か姪ですので……大切にお育てするつもりですが」

「無論それもある。だがそなた達コンラートがライナルトを選択したということは、帝国との繋がりを目論んでのことだろう?」

「目論むなどとは、そのようなことはとても……」

「では言い換えよう。いずれ訪れるであろう勢力の盛り返しに、外部の力を頼ったで相違ないか」


 そこまえ言われてしまうと否定できない。ただファルクラムに他意はないことを申し添えると、陛下は頷いた。


「お前達に願うのは、もしもの場合はゲルダと腹の子を頼みたい、それだけだ」

「はい、もちろんで……」

「王位継承とは関係なく、ただの父親としての頼みだよ。わかるかね?」


 ここまで来ると陛下の物言いにも奇妙なものが含まれており、表情を取り繕うのが難しくなっていた。


「陛下、そのおっしゃりようはあまりにも……」

「わかっている。ただ、もしも、という話をしているだけだ」


 国王としては危険な発言で、こちらまで不安に飲み込まれてしまいそうな言葉だ。なぜなら陛下は「例えば帝国の伝手を使ってでも姉さんと姉さんの子を生かせ」と言っている。本来二人を守るはずの人々はたくさんいるはずなのに、これでは周りが誰も頼れないみたいではないか。


「この年になると若さだけでは走れぬものがある。……あらゆる事態を想定し、備えておかねばならんのだよ。子らについてはそのうちの一つだ。二人についてはなんとしても守るつもりでいるが、世はわしの想像通りには動かぬ。不測の事態がないとは限らんのだよ」

「では……」

「念のために話をしておこうと思っただけだ。特にそなたは個人であれに縁を作った、父親として話しておくべきことだろう?」

 

 父親として、という言葉に嘘はないのだろう。姉さんのことを話す陛下の表情はとても優しくて、この人は決して若さと美しさだけで姉さんを選んだわけではないというのが伺い知れた。姉さんが嫁いだ頃、陛下に向ける愛はないという話をしていたのを覚えているだろうか。あれから陛下について語ったことはなかったが、少なくともいまの姉さんと陛下には愛情が生まれている。陛下が「拗ねてしまう」といったのも揶揄ではないのだ。

 両殿下は大丈夫なのか、国力は問題ないのかなどと聞きたいこと、伝えたいことはあるけれど、言葉はぐっと飲み込んだ。


「お任せくださいませ。できうる限り力を尽くしましょう」

 

 胸騒ぎが止まらないのです、とは言えるはずがなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る