第53話 誰の役にも立てず
崩れそうになる身体を抱きしめてくれたのはエレナさんだった。
「エレ――」
「はいっ、カレンちゃんの頼れる味方、エレナおねえさんの登場ですよ!」
明るい返事の傍らで、倒れた女とつるんでいた男に誰かが飛びかかっていく影を見た。男もろとも地面に伏したようだが、起き上がった影は一つだけである。あれは確か……見間違えるはずがない、ヘリングさんである。
「あっちは大丈夫です。いまは……ごめん、肩のそれ、抜きますよ。痛いですから歯を食いしばって」
「え――あ、づっ……ッ!!?」
上半身を動かすと、脳天を突き刺すような痛みが全身に走った。そういえば、肩に痛みが走ってから身体が動かなくなったのだ。肩越しに振り返ると、左肩に柄のようなものが刺さっている。
「この程度で済んだのはエルのおかげですかね。少年、ちょっと手伝ってください」
「…………え、あ」
「男の子でしょ。女の子が怪我してるんだから、もっとシャキッとする!!」
「あ、は、はい」
「カレンちゃんはこの布くわえて悲鳴を抑えてください。できますよね、できます、大丈夫」
エレナさん、その子にはもうちょっと優しく……と言いたいところだが、痛みのせいで声にもならない。エレナさんはヴェンデルに私の身体を押さえておくよう指示すると、いちにのさんで肩に刺さっていたなにかを引き抜いた。
頭が真っ白になるくらい痛かった。悲鳴は布のおかげで抑えられたのかもしれないが、痛いものはいたい。なのにエレナさんは私を休ませる気はないらしく、素早く患部を布で縛り、いつの間にか傍に立っていた男性を見上げた。
「ヘリング、カレンちゃんたちはお任せしますよ」
「……きみの方が力があるのでは?」
普段よりいっそう黒い装束に身を包んだヘリングさんである。霧でよく見えないが、周辺、十は軽く超える人数がいるのではないだろうか。ヘリングさんの問いにエレナさんは肩をすくめる。
「流石にこの足場じゃ無理です。それに私はまだお仕事が残ってますので……フランツェン副長、そちらはどうです」
「周辺に問題ない、いつでも行ける」
やや離れた場所で背中を向けている大男は、あの封鎖所で出くわした人である。
「私の方が斥候に向いてますからね、探り終わったらぱぱっと帰ります。……けど、その前にカレンちゃん、まだ意識はありますか。喋るのに問題はありません?」
「……それは、なんとか……」
「カレンちゃん達が来た方向はなんとかわかるかもしれないんですが、どうやってコンラートから抜けてきたか教えてもらえませんか」
痛みはあれど極限の状態から逃れたためか、いまにも気絶してしまいそうだけれど、彼女の言葉で伝えねばならないことを思い出す。
「屋敷の地下の抜け道から……。斜面、上の方にあるのはわかります。だけど、霧の中を無我夢中で走ったから……」
「……わかりました。見つけられたら儲けくらいですかね」
「そ、それと!」
「はい」
「それと、私たちを逃がすために、侍女頭と護衛が」
死んだ、と言おうとして口が強ばった。
「…………途中で、別れました。もし、身体があれば……」
「わかりました。努力はしてみましょう」
「あと、あの……最後に残っていた護衛が……」
いるはずなのだが、先ほどの女が言っていた「主君を置いて逃げる卑怯者」の一言が引っかかっている。なのだが、これに対しエレナさんとヘリングさんは顔を見合わせると、どちらからともなく「ああ」と呟いた。
「どういう関係かと思っていたが、彼が護衛なのか。ココシュカ、彼を起こして使えばいいじゃないか。彼女らは一刻も早く治療したいし、行きたまえ」
「……そうですね。カレンちゃんたちに鞭打つよりはいいでしょう。じゃ、あとはよろしくお願いします」
エレナさんはフランツェンさん含んだ十名くらいを引き連れると霧の向こうに消えていき、残った私を背が高くて筋肉質な女性が背負い紐で結び、ヴェンデルをヘリングさんが抱え上げる。
「長居は無用です、ひとまず私たちの待機場所へ」
「いえ、まって……まってください、まだ、コンラート領には……」
「異常があったのはわかっています。ですが、生憎と僕らは斥候でして……相手の規模もわからない以上、それを調べなくてはならない。いまは本隊の到着を待つしかないのですよ」
斥候?
では、何故このタイミングで間に合ったのか。疑問は尽きなかったが、ヘリングさんは移動を優先したようである。
「……でも!」
「お気持ちはわかりますが、我々も状況を掴みかねているのです。お伽話に出てくるような勇者ではない。ただの人間なのだとご理解ください」
「ッ……!」
暗に「死にに行けというのか」と目が語っているようで、コンラート領を見捨てるのかと叫びそうになったのをぐっと堪えて、歯を食いしばった。
彼らの脚力はおよそ私の知っているどの人物達よりも強かった。休みなく走り続け、到着したのは、林の中に突如現れた天幕の集まりである。ヘリングさん達は私とヴェンデルを天幕内に降ろすと、聴取しながらの応急処置となった。
「ほとんどは私が答えられます。だからヴェンデルは寝かせてあげてください」
精神的なショックが強かったヴェンデルは疲労もあってすでに限界に近い。傍に居てやりたい気持ちは山々だが、この子の前で家族の死を伝えるのははばかられた。事情を察したヘリングさんがすぐに天幕を分けてくれた上に、優しそうな雰囲気の女性を監督に付けてくれたのである。
そう短くない時間、突然の襲撃を受けたことからすべて説明したのだが、ヘリングさんは傍らに立っていた部下に指示を下した。
「ココシュカ達の到着は待たないでいい、いまの内容を閣下に伝えてくれ。……さて、あなたにはつらい思いをさせてしまった。ここなら安全ですから、少しでも休息を取って傷を……」
「待ってください、私はまだあなた方がどうしてここにいるのかを教えてもらってません」
「……ですね。しかし気になるのはわかりますが、お疲れでは?」
「この状況で寝ていられるわけないでしょう!」
傷は痛いし、全身が悲鳴を上げている。ひとりで助けに行けるなんて毛ほども思っていないけれど、本当はいますぐだって飛び出して駆け出したい。
……女が言っていた。「向こうの連中は領主と息子と若妻の方をやった」と。伯は亡くなった。スウェンも殺された。おそらく私と勘違いされたであろうニコも一緒に斃れた。ヘンリック夫人もあの状況では絶望的だろう。なぜなら彼女はコンラート辺境伯のもう一人の奥方と勘違いされていたからだ。
今夜のニコとヘンリック夫人は、私やエマ先生よりも上等な服を身につけていたのだ。彼らの台詞を反芻すれば想像に難しくない。
もう彼らが生きていないであろうことが心の隅でわかっていたとしても、やっぱり簡単には受け容れられない。
「……状況を、教えてください。お願いします」
ヘリングさんは本隊の到着待ちだと言っていた。ならばいまや伯が総て残すと伝えたヴェンデルが彼らに救援を求めるのが筋だが、家族を亡くしたばかりのあの子に対応を求めるのは無謀だ。ならば名目上とはいえ辺境伯の妻である私が立つしかないし、なにより彼らに恩がある身として、ここでしくしくと泣いてはいられない。泣くのは後でもできる、助かったのならできることをしないと、きっと屋敷のどこかで隠れているウェイトリーさんや、厨房の扉の奥で震えているであろう使用人達も助けられない。
ヘリングさんは私が引かないであろうとわかったのだろう。一度外に出て行ってしまったのだが、またしばらくすると戻ってきて薄手の毛布とあたたかい飲み物を渡してくれた。けっして美味しい味ではないが、冷え切った身体には染み渡る。
「傷口は深いですが、大きく動かさなければ命に別状はありません。じき痛み止めが効いてくるでしょうが、しばらくは痛みますよ。しんどかったら横になって休んでください」
「……思ったよりは酷くないですから」
「でしょうね。お友達のくれた加護に感謝なさるとよろしいでしょう」
ヘリングさんはため息を吐くと、困ったように天を仰ぐ。
「……ココシュカの言ったように、意外と冷静な方ですね。……まあいいでしょう、先ほどもお話ししましたが、我々はただの斥候です。貴女から話を聞いたココシュカが鷹を使い、我々に報せを持ってきました」
……鷹なんて使っていたのか、という疑問は置いておこう。彼らとしてはこの時点では異常があったとは考えていなかったらしいが、昼過ぎにはローデンヴァルト候からの報せが到着し演習を切り上げる方向で協議していたようだ。その後エレナさんからの鷹が到着、夕刻頃には対ラトリアに備え、コンラート領と合流のため準備を開始したらしい。
とはいえこの合流、ほとんどライナルトの独断であり陛下からの指示がくだっていたわけではない。演習に際し多少なりとも領内への進入は許しを得ていたものの、示威行動とみなされても仕方がないわけで、多少離れた場所で待機を決めたようだ。エレナさん達には領内に異常があればすぐに報せるよう斥候を命じ、足の速いヘリングさんが合流していたようだ。
「とはいえ、到着早々問題が起きていたとは思いませんでしたが」
彼らはコンラート領の状況を確認したらすぐに戻るつもりだったようだが、突如轟音が一帯に響き渡ったことでもう少し踏み込むことにしたようだ。霧と闇を隠れ蓑に進んでいたところ、凶器を携えた不審な集団を発見。様子を見ていたところ、半狂乱になりながら走り抜ける男がいたらしい。どうも様子がおかしいので観察していたところ、男は不審者達に追いつめられており、そこでヴェンデルの居場所を吐いて、代わりに自分を逃がすよう叫んでいたようだ。これを聞いてしまったとき、なんとも言えない苦々しい気持ちが心中を巡ったのは言うまでもない。あの人はてっきり助けを求めに走っていたと思っていたからなおさらだ。
とはいえそれで男……護衛の青年を逃すほど不審者も甘くなかったようだ。青年が殺されかけたところを強襲を行いひとまず救出。その後、私達を探すべく走ったそうだ。霧のせいかあの男女のペアがいたとは気付かなかったらしい。私と組み合っているところでぎりぎり間に合ったようである。
「とはいえ、女が何度か貴女を刺そうとしては弾かれていたので、駆けつけるまでのココシュカが大変なことになっていましたが」
「弾かれてた?」
「気付きませんでしたか。背中から心臓に向かって数度、弾かれていましたよ」
それがいつだったか、エルが私にかけてくれたという加護とやらの効果だったらしい。そういえば女と対峙していたときは刃物を持つ手を押さえるのに必死で、もう片方の手はがら空きだった。女も私を引き剥がそうと刃物を握って振り下ろしていたようで、何度目かの正直で肩を刺されたらしい。
あとは私も知っての通り……らしいが、つい質問していた。
「みなさん、以前からラトリアに続く森林を警戒されていましたね。そんなに早くラトリアの脅威を?」
「……商人群の動きが鈍かったので多少きな臭いと感じていた程度ですが……それでもこんなに早くラトリアが動くとは考えもしませんでしたよ」
コンラート領と合流を決定したのはライナルトだが、次いでモーリッツさんも同意を示していた。他は懐疑的な者が多かったようである。
「閣下のお考えは僕如きでは到底計りかねます。モーリッツなど特にそうです」
その後は住居地域を取り囲む壁や街の区画、見張りにいたはずの兵士の人数、屋敷の簡単な見取りといった細々した話をすませると、ヘリングさんは踵を返した。必要な情報は得たということなのだろう。
「貴女も休みなさい。閣下は無能ではない御方だ。遠からず到着し、貴女の仰る賊の討伐を開始するでしょう」
「ヘリングさんはどうなさるんです」
「私は閣下の到着をお待ちしますが、ココシュカの報告内容によってはコンラート領への侵入を試みます」
それで終わりなのか。他になにかできることは、せめて私にもできることはないのか模索するのだがなにも浮かばない。この焦燥をヘリングさんは理解していたのだろう。彼は一言「眠りなさい」と言った。
「貴女は一人の少年を守り、私たちに情報をもたらすという仕事をやってのけられた。いま彼らに対し報いることができるとしたら休息を取ることです」
あとは、さほど広くもない天幕で一人きり残された。
本当にできることはこれっぽっちなのか。考えても妙案が浮かぶわけでもなく、時間が経過するにつれて段々と身体が重くなってくる。思考は興奮しているのに何故か瞼が重くなってくるのだ。やがて木のカップを持っていた手が力をなくし、中身が床に飛び散った。拭かなくては、と指を動かすより早く身体が傾いていたのである。
目を覚ましたのは、地面が微かに震動する音につられてのことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます