第49話 隠れたファインプレー


 兄さんははじめ、私がなにを言っているのか理解できないようだった。


「カレン? 私の話を聞いていたのかい。お前の所の人を貸してほしいと言ったのだよ」

「聞いていましたよ。もしもに備えての準備と警戒を促すためにも、伯へ報せを届ければ良いのでしょう」

「馬鹿を言うんじゃない。危険かもしれないのに行かせるわけないだろう。それに、急いで届けてもらいたいと言ったじゃないか」

「ええ、乗馬を習っていて今日ほど良かったと思った日はありませんね。もちろん彼らほどうまく走れるかはわかりませんが」


 兄さんも真剣だが、私も真剣である。こちらが引き下がるきがないとわかったのだろう、秀眉を逆立てていくのがわかった。


「待ちなさい。それは許さないぞ、自分の立場を考えるんだ」

「立場を踏まえているからこそ決めたんです」


 言いたいこともわかる。コンラートに危険が及ぶ以上、剣の心得もない私が戻ったところで何の役にも立たない。ごもっともだ、剣すらまったく扱えない自分が悔しいと思ったのは今日が初めてである。それでもここは引き下がらないし、譲る気もない。


「何とでも言ってください。私にも引き下がれない時くらいあります」

「カレン……!」

「それに、国王陛下から頼まれた務めもあります。どのみち近日中に一度帰る相談をしようと思っていましたから、何も変わりませんよ」

「陛下から? いや、だからといってだな……。内容を教えなさい、私から陛下にお伝えして、こちらがお前の代わりに引き受けよう」

「駄目です。他の者を経由するのは厳禁、必ず私から伯にお届けするよう仰せつかってます。……私も準備するから皆さんも出立の準備をしてください」


 最後の方は護衛の皆へ。ただ、その間にも早歩き気味にやってくる男性の姿は視界の端に捉えていた。ここで護衛のおじさまの後ろに回り盾にした。


「お嬢さん」

「嫌よ、引きません」


 アヒムが怒っていた。彼は兄さんを主にキルステンの人たちを大事にしている。逆を言えばそれ以外にはあまり頓着しない。大事にはするけれど、いざとなったらさっくり切り捨てられるのもアヒムという人だというのを知っている。


「縛ったり閉じ込めたりしてご覧なさい。絶対に脱出して、なんだったらお金に物を言わせてでも戻るわ。嫌だったら足でもなんでも斬りなさいな、一生許さないから」

 

 嫌な予感がするのだ。

 ここで立場を引きずり、王都に留まっていたらなにもかも駄目になってしまう、そんな胸騒ぎがする。

 盾にしてしまった護衛には申し訳ないが、捕まったら本当に部屋に放り込まれてしまうので、出発が遅れる事態はお断りだ。

 私vsアヒムのにらみ合いが続いていると、おもむろに第三者の声がかかった。


「僕も戻る。準備するから急いでね」


 姉さんに託したはずのヴェンデルである。傍には姉さんが控えており、なぜか呆れた様子で私たちを見つめている。


「部屋に引っ込まないと思ったら、玄関先で騒々しいこと」

「ゲルダ、いつから……」

「もしもに備えて、かしらね。……そんな顔しないでちょうだい、元気な男の子が本気を出したら、私一人で止められるものではないのよ」


 ヴェンデルにはコンラート領が危険かもしれないと伝わってしまったのだ。しくじってしまったが、肝心のヴェンデルは淡々としている。


「僕も戻る、本当に家が危ないのかもしれないのなら、帰っておかなくちゃ」

「い、いえ。待って、ヴェンデル。あなたには王都の方で……」

「そうだぞ、カレンの言うとおりだ。王都で待っていなさい、君の世話は私が責任を持って……」


 兄さんもヴェンデルが戻るのは反対らしい。狼狽しつつ説得にあたるも、これを揶揄するのは長女である。

 

「ま。あなたはよくてヴェンデルは駄目なの? ひどい義母と叔父さんねえ」

「姉さん!」

「私はカレンのことも認めてない!」


 ヴェンデルはまだ十一歳だ。危険な場所に行かせるわけにはいかない。ところがヴェンデルこう言うのだ。


「本当に向こうが危ないなら、いまのうちに父さんに会っておかなきゃいけない」

「ヴェンデル」

「父さんは兄さん達を避難させるけど、父さんは絶対に領地を離れない。父さんが行かないのなら、多分母さんもどこにも行かない」


 だから帰ると言う。意外にもこれを援護したのは姉さんだ。


「ヴェンデルはともかく。兄さん、アヒム。カレンはこう言い出したら聞かないわよ。目の届かない所で面倒をしでかされる前に首輪を付けて監視しときなさい」


 そして私たちを交互に見ると、しょうもない子供を叱るように言った。


「あなたもただ行く、ではなくて説得できるだけの案を提示なさいな。カレン、あなたはまだ日があるし、いくらか余裕があると踏んでるから無茶するんでしょう」

「う……そうです」

「だったらさっさと行ってすぐに帰ってきなさい。滞在を一日に抑えて王都に戻ってくるのなら兄さんだって妥協するでしょう。好き好んであなたたちを帰したくないわけじゃないのよ」


 などと言われてしまった。長女の一言は私たち全員の勢いを丸ごと呑み込んでしまったようで、おそるおそる話しかける。


「一日ならいい?」

「……すぐに帰ってくるなら。あと、早馬でなくていいから、せめて荷馬車で安全に向かいなさい。アヒム、私は許すからお前も下がれ」


 こういうところ、さすがは私たちの姉である。兄さんが決めてしまったからか、アヒムも納得してないなりに下がってくれるようだ。ヴェンデルの同行は私も微妙だが……自分が我を通すのだ。子供だからといって反対するのは気が引けた。なにより、情勢が悪くなればヴェンデルは長期にわたって両親と離ればなれになるかもしれないことを思えば、一度ちゃんと会わせておきたい。

 それからは慌ただしく準備を済ませ、コンラート領へ逆戻りだ。姉さんは顔色が悪いながらも大丈夫と言ってくれたし、エミールやアヒムも仕方ないとばかりに見送ってくれた。


「奥様、坊ちゃん。今回は急を要しますので休憩に村を使いません。寝泊まりは荷馬車になると思いますが、周囲は我々が警護してますので……」

「大丈夫、無理を言っているのはこちらですからお任せします。よろしくお願いしますね」


 旅程は短縮を重視して、馬の休憩を除くと移動しっぱなしである。揺られっぱなしは案外体に負担がかかるもので、酔いこそしなかったがあちこちが痛くなる。それでも誰一人文句を漏らさなかったのは、一刻も早く帰省せねばという強い思いがあったのだろう。

 心配していた天候だが、幸いにも雨は一度きりであった。霧も深くなく、これは天上の神々のご加護に違いないと零したのは誰の言葉だったか。

 旅程は順調かと思われたが、途中、少しだけ足止めを食らった。コンラート領に突入したところで道の封鎖に行き当たったのだ。

 封鎖なんてただごとではない。足止めを食らっている者も多いようで、中にはこれからコンラート領に帰る領民の顔もあった。


「封鎖しているのは誰、道を塞いでいる理由を確認してこないと……」

「奥様はそこでお待ちを、我々が行って参ります」


 護衛が用向きに走ってくれたのだが、しばらくすると黒い制服を着た数名を引き連れて戻ってきたのである。体格の良い男性らがぞろぞろとやってくるのだ、思わず目を見張ってしまったが、彼らの制服には覚えがあった。間違いでなければローデンヴァルト……というよりライナルト旗下の部隊の人のはずである。背丈が高く、筋骨隆々の刈り上げ頭の男性は一礼し、直立不動の姿勢をとったのである。


「お初にお目にかかります、コンラート辺境伯夫人。自分はこの封鎖区画を任されております王国騎兵隊、ローデンヴァルト騎士長麾下のものでございます。この先でございますが、大木が倒れ到底荷馬車が通れる道ではございませぬ」

「大木? 道が塞がれているのはわかりましたが、でしたらなぜ軍の方がここにいらっしゃるのですか。道の整備や領内の問題は領主があたるものと思っていましたが」

「は、偶然ではございますが大木が道を塞ぎ、近隣住民が困っているところ、偶然我が隊が近くを通りかかりましたので事態にあたっている次第です。ご無礼とは思いましたが、ご領主には事後承諾という形で既に承認を……」

「……でしたら構いませんが、大木の除去はどのくらいかかりそうですか? 私たちは急ぎコンラートへ戻らないとならないのですが……」

「完全な除去は数日かかるかと思われます。ですので引き返し数日お待ち頂くかと存じますが……」

「数日! そんなには待てません」

「ですが……」


 困りはてたこの軍人の話によれば、大木だけではなく、連鎖していくつもの木々や石が落下したのだという。最近の雨により地面がぬかるんだことが原因らしかった。


「雨もまだ続くようですし、この先の道が安全とは言い切れません。万が一、ご夫人になにかあれば我々も辺境伯に申し開きしようがなく……」

「…………では他の道はありませんか。あなたは先ほど近くを通りかかったとおっしゃいましたし、多少迂回してもその道なら……」

「迂回路ですか。あるにはありますが、荷馬車が通れる道ではありません! それに獣も見かけておりますので、護衛の方を信じないわけではありませんが、お通しするわけには……」


 などと消極的である。彼らとしては下手に辺境伯夫人を通し、怪我をされてはたまったものではないのだろう。しかし私たちもここで引くわけにはいかず、押し問答が続いていたのだが、そこに思わぬ助っ人が現れた。


「フランツェン副長、その方は通してあげてください。責任は私が負います」


 まさかこんな所で出会うとは思わなかった。くりっとした目が特徴的で、青がかった不思議な髪が印象に残るのは……。


「エレナさん」

「はい、お久しぶりです。コンラート辺境伯夫人」


 にこりと笑う彼女は親しみを込めた面持ちで笑うと、フランツェンと呼んだ男性と話し始めた。


「ココシュカ、しかしここは我らがサガノフ隊長より任された……」

「住民に被害がないように、というのが命令でしたでしょう。それに辺境伯夫人でしたらお通ししないわけにはいきません。道案内は私がしますから、フランツェンは引き続き任務に従事してください」

「しかし、ご婦人をあのような細道の中を進ませるのはだな……」

「たぶんですけど、隊長がいれば同じようにしていたと思いますよ。それにライナルト様のお知り合いですから、ここは恩を売っておくべきです」


 最後で恩と言っちゃう辺りが台無しである。そういうのは聞こえないところでやるべきではないだろうか。フランツェンさんも同じ感想を抱いたらしい、「知らないぞ」と言わんばかりにエレナさんを睨んでいたのであった。


「みなさんはこちらにいらしてください。ここだと人目が多いので、落ち着いたところでお話ししましょう」


 脇道に逸れると、いくつもの天幕が張られた区画に案内された。エレナさんの説明によると、どうやら土砂崩れの話は本当らしく、また木々を除去しようにも安全性の確保ができないことから彼らも様子を見かねているらしい。


「合同訓練、間に合えばいいんですけどねぇ」

「まだ始まってなかったんですか?」

「これから合流といったところで出くわしちゃいまして。私たちだけが一旦封鎖と除去のために残ったんです。運がないと思ってましたけど、ここでお会いできたのは幸運だったのかもしれませんね。カレンちゃ……っと。夫人は王都からの戻りですか?」

「ええ、実は急用があって……」


 どうしてもコンラート領に戻らねばならないと説明すると、エレナさんは荷馬車を見上げて唇を尖らせた。


「うん、やっぱり荷馬車は置いていってもらって、夫人とご子息には馬に乗ってもらうのがいいでしょうね。少し面倒な道をいくことになるので、荷物は最低限がいいです」

「構いません。元々荷は少なくしてきましたから、置いていっても問題ないものばかりです」

「早めに取りにきてくださるならこちらで管理しておけそうですから、そうあせらないでも大丈夫ですよ」


 これから通る道だが、普通は使われない、それこそ近隣住民しか通らない細道を進むらしい。

 エレナさんが天幕を駆け巡ることしばらく、私たちも支度を済ませていると、彼女を含む六名ほどが案内に付いてくれることになった。


「迂回路を進むだけですから途中までしか案内できませんけど、その間は賊が出ようが獣が出ようが絶対に死守しますので!」


 張り切るエレナさんに、こちらは頭が下がる思いである。

 かくして彼女らに道案内を頼んだが、こちらの護衛の心配をよそに彼女らは慣れた足取りである。私とヴェンデルが足手まといになるので馬に揺られているが、お供の方々が上手く手綱を引いてくれるので快適である。


「この道は他の人たちには開放しないんですか?」

「最近まで人さらいがいたらしくって、近くの村の人におすすめできないって言われちゃったんです。もう退治されたらしいですけど、徒党を組んでない保証はないですし、生き残りがいたら危ないでしょう。安全が確保されるまでは封鎖だーって隊長が」

「ああ、ニーカさんの指示で」

「ですです。私たちも一応市民の皆さんを守る騎士ですからね。無辜の民を危険には晒せませんよ」


 一応、とつけるあたりがなんだけど、お仕事はしっかりなされてるらしい。ご機嫌らしいエレナさんだが、先ほどから気になっていたこともある。出発前は荷物の選別やら人気があるわで慌ただしかったが……。


「エレナさん、部隊の合流は時間がかかりそうなんですか」

「どうなんでしょう。状況次第といったところですけど、このままだと遅れて参加するんじゃないかなって感じですね。それがどうかしました?」

「……いえ、ならまだお耳に入ってないのかなと」


 ここで私の前に座っているヴェンデルが顔を上げてきたが、彼らに知らせないという手はない。兄さんに忠告されていたし、護衛の人たちも察したのか「奥様」と咎めるような口調だったが、口が軽くなる理由も一応あるのだ。


「奥様、兄上様よりご忠告されていたのでは……」

「わかってます。ですけど、どのみちローデンヴァルト候より報せは走っているのでしょうし、遅かれ早かれ伝わるのではないかしら。それに、現状誰よりもコンラート領の近くにいて、頼りになるとしたらローデンヴァルト……いえ、ライナルト様が保有している戦力だし……」


 戦力が不足しているとわかった以上、ライナルトと連携を図っておくか、あるいはお互いの状況を知っておくのは悪い話ではない。コンラートから王都へ早馬を飛ばしても何日もかかるし、彼らがこの辺りに常駐するなら是が非でも頼りたい。

 こちらの雰囲気がただならぬと感づいたのか、いつの間にか全員が私の出方をうかがっている。


「……カレンちゃん、もしかして何かありました?」

「あります。それもとびきり重要な案件で、私はそのためにコンラート領に戻ってきました」


 このときまではアクシデントに見舞われ、それこそ運がないと考えていたけれど、後に思えばこの時の判断が私たちを助けたのである。

 エレナさん達の案内は的確で、私たちは無事にコンラート領まで戻ることができた。帰るまでは奇妙な焦燥に突き動かされていたのだけど、いざ到着してみるとコンラート領は相変わらず長閑な笑い声を響かせており、私たちは拍子抜けしてしまったのである。

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