第48話 暗雲たちこめる
ほとんどの時間を姉さんの館で過ごすようになって何日目だっただろうか。その日はヴェンデルと一緒に伯やエマ先生への贈り物を見に行ったのだ。姉さんの状態は、兄妹全員揃ったのがよかったのか、エミール曰く「張り詰めたような空気は消えた」そうなので、使用人に必要以上の負担がかかるのは減ったと思う。エミールはキルステンの家に帰そうとしたのだが、本人が断ったのでそのままだ。どうも母親の監視が厳しいらしく、いまの方が気楽でいいらしい。現在も姉さんの館から学校に通っている状態である。
「ヴェンデルは将来的に学校はどうするの?」
「通うよ。けど、もしコネが利くのなら僕は貴族の方の学校に行きたい」
なんとなく聞いた質問だが、意外な返答だった。
「……そっちの方?」
「兄さんが普通の学校を出るんだし、僕が行ったっていいじゃないか。僕に貴族の友達ができればコンラートにも得だよ」
「それはもちろんわかるけど、苦労すると思うのよ。いいの?」
「カレンの言いたいことはわかってる。だけど次男の僕でも付き合ってくれるような友達ができたんなら、将来的にもいい付き合いができそうじゃん」
「将来設計がしっかりしてるのねえ」
「だろ。だから兄ちゃ……兄さんの右腕くらいにはなれるかなって。それにあっちの学校の方が希少本が多いって聞いた」
「目的はそっちね?」
ヴェンデルの中ではスウェンの補佐役である自分のイメージがすっかり固まっているのだろう。これがどこかの貴族なら当主の座を奪うべく……などと下世話な話が飛び交いそうな話題だが、スウェンとヴェンデルの兄弟に関しては単純に言葉通りの意味であるのを知っていた。ヴェンデルは可能ならと思っているが、スウェンや伯が反対するとは思えないし、なによりキルステンとの繋がりもある。ヴェンデルが貴族の学校に入るのは容易いだろう。
私たちは二人で煉瓦通りを闊歩している。護衛はこの場にいないが、きっちり私たちの後を付けてきていた。せめて気分だけでも二人だけのお出かけ気分を味わわせてくれと頼んだ結果だ。
しかし、以前もこの通りはアヒムと歩いたのだが……。
「きょろきょろしてどうしたのさ。僕より詳しいんだし迷った、なんてことはないよね」
「そんなわけないでしょ。ただ……行商人の姿が減ってるなって」
「冬だからじゃないの。最近は天候も悪いし、寒空の下でわざわざ売りたくないんじゃない」
「……そう、かなぁ」
もちろん、賑やかさがなくなったわけではないのだ。大道芸人は相変わらず仰天するようなパフォーマンスで小銭を稼いでいるし、手頃なアクセサリーを売る露天商や果物売りも相変わらずだ。ただ違和感を覚えるのは、それらがすべて昔からよく見る顔ぶれだということ。以前はもうちょっと、外国からやってきた露天商が所狭しと並んでいたはずなのである。
「ヴェンデル、そこの店で飲み物買いましょう」
喉は渇いていなかったが、適当な果物売りに硬貨を渡した。搾りたてのジュースを作ってくれるお手軽飲料である。何度か利用したことのある店だが、店の人はこちらを覚えていたようだ。
二人分に頼んだからか、店のおばさんの機嫌は良い。
「随分と久しぶりだねぇ。その子はもしかして姉弟かしら。綺麗なお洋服着てるし、どこかにお出かけ?」
「そうなんです。久しぶりにファルクラムに戻ってきまして。……あの、確か前はあの辺に露天商があったと思うんですけど、今日はないんですね」
「ああ、あの一画は外国から来た商人が使ってるからねえ」
「そうなんですか……。すごく綺麗な胸飾りを売ってたから、今回はあるかなって思って買いに来たんですけど」
「そりゃあ残念だったね。何日か店を出したらそれっきりって人も多いんだよ。出会いを逃しちゃったのかもしれないね」
「……残念です。ですけど、同じように外国から来た方なら似たような品物を扱ってるかもしれませんね。探してみたいと思うんですけど、いまは……なんだか数が減りました? 冬だからお店が減ってるんでしょうか?」
ヴェンデルからの「なにしてるんだ」と言いたげな視線が痛いが、ジュースで妥協してくれるようだ。おばちゃんから渡されたカップを無言で傾けている。
他にお客さんのいないおばさんは、苦笑交じりに教えてくれる。
「そんなことないよ。本当なら煉瓦通りは年中店で賑わってるんだけどね。今年は天候も悪いし、道が悪くなったとかで外国から来る行商人も減ってるみたいだよ」
「あら。道が、ですか……」
道、というとファルクラムと帝都を繋ぐ交易路?
だけどこの交易路、戦後長年使用されているだけあって整備されているし、所々街が点在しているから交易路もそれなりに監督されているはずだ。崖を経由するわけじゃないし、道が悪くなった、なんてどんな理由だろう。
「帝国やラトリアからくる行商人さんたちの間じゃ結構有名みたいだけどねえ、お嬢ちゃん達はそういう話は聞かなかったの?」
「あー……最近、田舎から王都に戻ってきたので外国のことはちょっと……」
適当に誤魔化して場を濁そう。おばちゃんも、まさか目の前にいる客がいいところの貴族だとは思うまい。喉を潤すと店を出たのだが、ヴェンデルは相変わらず懐疑的な眼差しである。
「で、変に回りくどいことまでやって、何がしたかったのさ」
「……特に理由があるわけじゃないけど、どうも引っかかってて」
何がしたいのか、なんて言われてはっきりと答えられるものではなかった。ともあれ、コンラートと同じく王都の方も行商人の行き来が減っているのは確かなようだ。
「悩むのはいいんだけどさ、今日の目的も忘れないでよ」
「わかってますわかってます」
「ならいいけど。……でもさ、子供だけで入店して大丈夫なの?」
「入ってみたらわかるわよ」
目的は腕のいい彫金師のいる装飾品店だ。入店するなり笑顔の店員が話しかけてくる。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなお品をお探しでしょうか」
このように、店員さんの教育が端々まで行き届いているので、若者だけで入店したからといってぞんざいな扱いを受けることはない。
先ほど果物屋のおばさんに「綺麗なお洋服」と言われていたように、装いを変えたのはこのためだ。キルステンか姉さんの名でもだせば店員さんにも話が通じやすいのだろうが、なにせ今回、贈る相手が伯とエマ先生である。名目上正妻である私が二人に贈り物を用意するというのはどう考えても怪しまれるわけで、今日もヴェンデルと街を散策してくるといって誤魔化して出てきている。
「こんにちは。父と母に贈れそうな装飾品を探しに来たのですけれど、何か良いお品はございますか?」
「ご両親への贈り物でございますね。それでは、こちらにご案内いたします」
このようにヴェンデルと一緒に必要な物を探し、予算とデザインを照らし合わせながら品物を決めたのがおよそ一時間。オーダーメイド品にするかと悩んでいたのだが、高すぎるとヴェンデルに叱られてしまい、既製品かつペアリングということで決めさせてもらった。
店を出たのは太陽が天高く登った昼頃。一度どこかで昼食でも、となったところで、大通りの方が騒がしい事に気がついた。人々のざわめきと戸惑いが噂という波になって耳に入ってくるのだ。何事か……と、わざわざ混み合う雑踏を抜けて確認しに向かう必要はなかった。なぜなら遠目からでもわかるほどに、大通りを通過する兵士の姿が目に入ったからである。
馬車も数台あるが、それより気になったのは大通りをぞろぞろと進んでいく馬と武装した兵。その数、通過しているだけでも百はくだらないだろう。それぞれが厳しい表情をしており、雑踏には目もくれない様は独特の緊張感を孕んでいる。
いつの間にか、離れていてほしいと頼んだ護衛が近くに寄っていた。話を聞いてみたのだが、彼らも戸惑いがちである。
「我々も気になったので話を聞いてみたのですが、なんでもラトリアが派兵の準備をしているとかで……」
「ラトリア?」
「あくまで聞いただけですから、詳しい理由はなんとも……」
彼らもコンラートから連れてきた護衛だから、やはりその名に穏やかではいないようだ。ヴェンデルが不安そうにこちらを見上げているが……。
「……念のため、コンラート領に戻る支度をしておいてもらえる?」
「戻られるのですか?」
「まだわからない。でも状況によっては急いでコンラートに走ります」
この後の予定は総てキャンセルだ。ひとまずヴェンデルを戻すべく姉さんの館に向かったのだが、そこで待っていたのは出かけていたはずの兄さんだ。玄関でずっと待っていたのか緊迫した面持ちで、こちらが帰って来るなり私と後ろの護衛を呼んだ。ヴェンデルは姉さんに預けられ別室で待機である。
「コンラート領の武官達をいくらか借りたい」
こちらが用件を言う前に、そんなことを頼まれたのである。
「聞きたいことはわかっている。外のアレをみたんだろう」
「ラトリアがどうとかは聞きました。でも武装した彼らはなんですか」
「……お前はコンラート領の関係者だ。だからこのことは話すが、いまは確定した話でもない。むやみに口にして噂を広げないと約束できるな?」
「当然です」
「よし、時間もないし端的にいくぞ」
兄さんはそういうものの、後ろに控えるアヒムは納得していない様子なのが気に掛かる。
「といっても、私もそこまで詳しいわけではないのだがな。登城したらすでに城内が騒がしかった、陛下にお目通りもかなわず、ひとまず情報収集にあたっていたんだが……どうもラトリアに出兵の動きがあるらしくてな」
「それよ、それ。ちょっとおかしくない」
これは私だけでなく、後ろの護衛からも異論が上がった。だってそうだ、大国ラトリアといえば確かにファルクラムと長らく敵対している国だが、彼の国の位置に問題がある。
護衛の一人があり得ない、と言った。
「ラトリアの監視は我が領、我が主が心血注いで任にあたっているのです。もしそのような動きがあったのならば、事前の陛下へのご注進は無論、今頃奥様や我らにもなんらかの沙汰があるはずでございましょう」
「落ち着きたまえ。我らとて辺境伯の忠誠を疑っているわけではない。そもそもこの情報は別口から来たとの話だ。おそらくはまだ辺境伯もご存じないはず」
「別口、とはなんでございましょう」
「少々話は変わるが、ここのところファルクラムに入国する商隊が減っていてね。こちらでもいくらか調べていたのだが、やはり陛下もそのあたりを気にかけられていたようだ」
つい先ほどまで気になっていた話題に心臓がどくんと高まった。
「独自に調査されていたらしい。するとここしばらくの間、ラトリアに流れる鉄の量が尋常でないことが判明したようでね。さらに調査を進めたところ、ある筋から派兵の準備を進めているのではないかと話が上がったわけだ」
「……待って、進めているのではないかとはどういうこと?」
なんと不確かな言葉だろう。妙な引っかかりを覚えたが、間違っていなかったらしい。
「そう、まだ推測の域を出ないんだ。騒ぎにはなっているが戦争が起こると決まったわけではないし、いまはまだ疑わしいという段階に過ぎない」
「ではあの兵士達は? 彼らはどこに行こうとしてるんですか」
「帝国だ」
ここでさらに帝国である。ファルクラムとラトリアで争いが起こる可能性があるとして、なぜ帝国がと疑問だったが、大いに関係あるらしい。
「もし本格的にラトリアが攻めてくるのなら、我が国にはそれに対抗しうる戦力はないと陛下はお考えだ。だから、帝国に戦力を借りれないかと交渉しにね……」
「……じゃあ、あれはまさか」
「そう、外交官が帝都に向かうための護衛だ。だからまだ、戦争が起こる段階ではないよ、カレン」
「…………よかった」
安堵で一気に力が抜けた。急とはいえ、外交官が帝都に交渉をしに向かう余地があるのなら時間的余裕は十分にあるだろう。
「市井の間にラトリアの噂が流れているのが気に掛かるが……いまは気にしてもしょうがない。カレン、お前に頼みたいのは、彼らをコンラート領まで急ぎ報せを運ぶための人員として借りたいということだ。私から使いを出してもいいが、コンラートまでの旅程に慣れている者の方が確実だからね」
「報せ、ですか。……いえ、それに異論はありません。ですがわざわざ兄さんから、ですか?」
国の有事に関わるのだ。城から使いを出さないわけではないだろうし、首を捻っていたのだが、兄さんはこれに苦々しい様子である。
「地方を治める領主に知らせるべきかは内部でも意見が分かれていてね。出兵したと確実な話でない以上、無為に混乱を広げるべきではないという者も多い」
「……商隊が減ってるのであれば、彼らなりになにか掴んでるからファルクラムに来るのを止めたのでしょう。それに鉄が流れてる噂は無視できないのではありませんか」
「だがいまのラトリアは内部で争いが起きているというし、そもそもファルクラムを襲うのかと懐疑的な者も多いんだ。特に第一王子のダヴィット殿下は事態をかなり楽観していらっしゃる。幸いにも陛下は真剣に受け止めていらっしゃるから、外交官の派遣もすぐに決定されたが……」
この国は国王がすべての政権を握っている。陛下が取り決めた以上、コンラート領に報せが走るのは確実だが、兄さんはそこが信じ切れないようだ。
「いまの流れはあまり良くないように感じる。辺境伯は味方も多いが、そのぶん快く思ってない者もいるから、意図的に情報が伏せられている可能性は大いにある。同じ内容になっても構わないんだ。私の知るできうる限りの情報をお渡ししたい」
嘆かわしい話だけれど、こんな事態でも権力争いが絶えることはない。奇妙なまでに確信めいた言葉に不安が募った。
「辺境伯に確実な情報が渡らないかもしれない。そう考える根拠はなんですか、兄さん?」
「静観派のなかに、伯のご兄弟とその親戚筋がいらっしゃったんだよ」
そういえばコンラート家の親戚と親しい付き合いをしたことがない。伯は親類を信じていないようで、挨拶回りをしても数える程度。彼らの話題に、ウェイトリーさんやヘンリック夫人も良い顔をしない。
「数十年と没交渉のようだし、すでに別の家に分かたれているから兄弟仲は悪いようだね。彼らや、伯の存在が目障りな方々が細工をしないとは断言できないんだ。軍といえど、貴族の手が及んでいない者がいないという保証がないから」
「……それは、兄さんの考え?」
「私とローデンヴァルト候の意見だ。ラトリアが戦争を仕掛けてくるのなら、第一に攻められるのはコンラートになる。もしもに備え準備をしてもらいたい」
いつだったか伯にこう教えてもらったことがある。戦争は争いを始めるよりも、始める前の準備が大事なのだと。
「ローデンヴァルト候はどう動かれるつもりなの?」
「ひとまずライナルト殿に報せを送ると言っていた。場合によっては彼らも演練ではなくなるかもしれないな。そういえばコンラート領に近い所にいるのだったか」
ふと、あの金髪の男性が脳裏をかすめた。
考えたくもないケースだが、もしコンラート領が危機に瀕したのなら、彼は私たちにどんな感情を抱くのだろう。
そして何を思ってローデンヴァルト候からの報せを受け取るのだろう。戦争という言葉が胸に重く沈み込む。暗闇に飲まれそうになる前に兄さんを見上げ凝視した。
「お話はわかりました。でしたら、私も一緒にコンラートへ戻ります」
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