第47話 つかのまの休息を

 エミールがどうして兄さんを帰したがらなかったのかという理由だが、これはアヒムとヴェンデルが館を去ってから判明している。なぜなら本人が直接伝えてきたからだ。

 食事の後、私が剥いた果物を姉さんとエミールが食していたときだ。


「カレンがいてくれるようだし、私は休む前にもう一仕事終えてこようかな」

「兄さん、果物は?」

「酒も入ってしまったから、今夜は遠慮しておこう。ゲルダも果物なら食べれるようだし、取ってしまうわけにはいかないからね」

「腐るくらい量があるのに減るもなにもあるもんですか」


 姉さんは夕餉は食べなかったが、果物なら食べたいというのでナイフを手に取ったのである。私が皮を剥くと、なにも言わずエミールが口に運んだのは弟なりの優しさだった。普段なら毒味を経由する姉さんだが、このときは戸惑いがちに、しかし文句も言わずゆっくりと咀嚼しはじめたのである。

 席を立とうとした兄さんをエミールは捕まえ、傍にいて欲しいと懇願した。


「仕事は今度にしてください。姉さんの家なんだし、うちほど捗るものじゃないでしょう」

「しかし、だね。明日はザハール殿との会談があって、目を通しておかないといけないものが……」

「目を通すだけなんでしょ、いまじゃなくてもいいじゃないですか」


 などとしつこく食い下がるのである。この頃には多少気力を取り戻した姉さんが不思議そうに首を傾げていた。


「エミール、今日はやたらと食い下がるわね」

「そうなの?」

「あの子、あなたがいなくなってからあまりわがままを言わなくなったのよ。だから気をつけてあげてねって兄さんには伝えてたのだけど……」

「ふぅん。……ところで、やっぱり妊娠すると好みが変わるって本当なのね。昔は酸っぱすぎる果物なんて見向きもしなかったのに……」

「なんでなのかしらね。……でも、あなたたちがいなかったら食べたくても食べれなかったわ」


 家庭崩壊の余波はエミールの性格にも及んでいたようだ。

 しかし私じゃないにしても、陛下に頼んで確実に信頼できる人を寄越してもらうわけにはいかないのだろうか、とは思うだろう。その点が気になってきいてみたのだが、どうも陛下から重点的に借りたのは屋敷周辺の警護がメインらしい。陛下は姉さんに王宮へ入るなり女官長を寄越そうとしたらしいのだが、姉さん自身が断った。

 理由としては、まず女官長が王妃寄りの人間だということだろうか。とはいえ、実母に頼りたくない現状、多少なりとも心細さがあったのか一度は王宮入りも考えたらしいが、直後に毒を盛られかけたのである。これはもう身内以外誰も信じられないと館に籠もるのを決断したらしかった。

 ……とはいえ家に居っぱなしというのもどうなのだろうか。少しでも気晴らしになるものはあるのだろうかと心配になる。


「エミール、確認が終わったら戻ってくるから、それではいけないのかい」

「そう言っていつも遅くなるじゃないですか。兄さんみたいな仕事人間は熱中したら約束なんてすぐに忘れるんです、信じられません」

「そんなことはないだろう、お前との約束はなるべく守ってるじゃないか」

「……そんなことないですし。夏頃は約束忘れて出かけてたじゃないですか」

「な、夏のやつはちゃんと埋め合わせしただろう。というか、そんな前の話を……」

「ぼくにとっては前の話ではありません」

  

 ひとまず様子を見るべく観察しているのだが、エミールの態度はどことなく不自然である。それは姉さんも同じだったようで、そっと肩をつつかれた私が口を開いた。


「兄さん、エミールは言いたいことがあるようですよ」


 兄弟は年が離れているせいか、エミールも積極的にはなれないようだ。私や姉さんは遠慮なくわがままを言っていた方だから、こうした末っ子の言動は新鮮だ。

 

「べ、別にそういうわけじゃ……」

「なら兄さんはもう部屋に行くが、いいんだね?」

「嫌だ」


 久方ぶりのわがままらしい。ここまで来ると兄さんも顔がほころびだしているのだが、あえてエミールの口から言わせたいようだ。私たちも口を挟むのは野暮なので二人して見守っている。エミールの視線はせわしなく宙を彷徨っており、途中、私に救いを求めるような様子もあったが、笑い返されるだけで終わってしまった。これにはとうとう観念したようで、頬を朱に染めながら口先をすぼめたのである。


「……四人揃うなんて久しぶりじゃないですか。だから、今日くらいは一緒に居たいなって思ったんですよ」


 これが末っ子である。兄さんは驚きに目を見張り、姉さんはそうねえ、と頬に手を当てていた。大分普段の調子に戻ってきている。


「それぞれで会うことはあっても四人が一斉にそろったの久しぶりかもね。就任祝いやちょっとした集まりでは顔も合わせたけど、落ち着いた場で会ったのは随分前のように感じるわ。ねえカレン?」


 恥ずかしそうな末っ子が勇気を振り絞ったところですし、ひとつ助け船を出しましょうか。


「昔はこうして一部屋に集まってたっけ。私たちが危なっかしいからって兄さんが監督役で、小さいエミールを抱えて座ってた」

「兄さんったら寝不足が祟って、エミールを落としかけたのよ。私が支えたから無事だった」


 いまにすれば、遊びたい盛りの男の子が妹弟の面倒をしっかりみてるのは凄いような気がする。肝心の兄さんは天井を仰ぎ記憶を辿っているようだ。


「あの頃は確かカレンが火遊びにはまってて、目を離すなと言われてたような……」

「へ?」

「枯れ葉を集めて火遊びしてただろう?」

「やだ、そんなことあったの?」


 姉さんにまで驚かれるが、火遊びなんてした覚え……は、あったが、これについては断固抗議させてもらいたい。


「……火遊びじゃないわ。確か、火打ち石に興味があったからたき火をして、芋を焼きたかったの」

「それを火遊びというんだ」

「違いますー。たき火で焼いた野菜とバターとチーズの良さがわからない人は黙っててくださーい」


 はっきりと思い出した。火打ち石の存在を知って、ファンタジーならたき火を楽しむべきじゃない! と実行したのだ。想像以上に煙たい、服に臭いが移る、みんなには叱られるで散々だった。

  

「……カレン姉さんって、昔から食に対して変な拘りがあるよね」

「変、どころじゃないわエミール。この子が食に拘りだすと面倒くさいの、ちょっと異常なくらいよ」


 ええい、あなた達には芋が主食の生活に、少しでも潤いを持たそうと努力した元日本人の苦悩はわかるまい。


「私の拘りなんてどうでもいいじゃない。それより大事なのはエミールのお願いでしょう。兄さんがかまわないなら、子供の頃みたいに夜も一緒に寝る?」

「え、僕、そこまでは言ってな……」

「あら、私はいいわよ。こんな風に集まるのも早々ないでしょうし、誰かと一緒に寝るのは嫌いじゃないわ」

「待てお前達。兄妹とはいえ、いい歳した男が女性の寝室で寝るなんてな……」

「あらあら、じゃあ広い部屋を用意させようかしらね。使ってない客間があったはずだから……誰か、ちょっと来てちょうだい!」

「だからゲルダ……」


 冗談半分で言ったつもりが、姉さんが案外乗り気である。兄さんとエミールの表情が大変面白いことになっているが、ここで私も少し面白くなってきた。


「カレン姉さん、ゲルダ姉さんを止めて」

「私は一緒に寝るのもいいと思うけどな。だってエミールとこうやって過ごすのも、全員が揃うことも滅多にないもの。もっと時間が経ってしまったら、二度と機会もなさそう」


 二度と、という言葉に末っ子の動きが止まった。わずかな時の間に様々な葛藤が駆け巡ったのだろう、やがて兄さんの服をひしっと掴むと決死の表情で懇願したのである。


「兄さん、今年の生誕日はなにもいりません。だから今日は僕を助けてください」


 プレゼントを賭けるほどの決心らしい。女同士の私たちならともかく、エミールも思春期の男の子、犠牲者がもう一人いないと恥ずかしいのだろう。


 顔をしかめていた兄さんだが、かわいい末っ子の頼みだ。加えて姉さんや私も乗り気なので勝ち目はない。


「頼むから……絶対に他言するんじゃないぞ……」

「おおげさねえ、一晩くらいかまわないじゃないの」

「大いに構うんだ。いいかゲルダ、絶対に誰にも喋るなよ」

「どうして名指しされるのかしら。失礼なお兄様だこと、そんなにお願いされてしまっては愉快すぎて口が軽くなってしまうじゃないの」

「黙れ、お前に私の苦悩がわかるか」

「まんざらでもない癖に」


 兄さんと姉さんがこうしてじゃれ合うのも久しぶりのような気がする。エミールのほっとしたような表情、いまこの子が抱く懐かしさには私も共感をおぼえている。


「そうだカレン、久しぶりに髪を洗ってあげましょうか」

「ん、そのくらい一人で……」


 できる、と言いかけて止めた。つい忘れそうになっていたが、ここに来た本来の目的を思い出したからだ。疲れ果て色褪せていた姉さんの瞳に生気という名の輝きが戻っている。


「あーうん、そうね、たまにはいいかも」


 姉さんとお風呂くらいたまには許されるだろう。今日みたいな機会なんて二度あるかどうかなのだから。

 各自ゆっくりしたあとは湯浴みを済ませて一部屋に揃ったのだが、やはり最後まで渋っていたのは兄さんであった。


「私は一番端で頼む……」

「心配しなくても兄さんは端っこよ。可愛い弟を囲んであげようじゃないの」


 並びとしては兄さん、エミール、私、姉さんである。用意された部屋の寝台は大きかったが、それでも四人並ぶと手狭だ。寒くなってきたから文句もないが、夏だったら絶対やらなかっただろう。かくしてキルステンの四兄妹が全員並んで寝転ぶわけだが、半分以上が大人となってしまった現在、この光景はさぞかし奇妙に映るだろう。


「姉さん、お腹は大丈夫?」

「気分が悪くなったら言うわよ、今日は平気」


 エミールは兄姉に挟まれ、緊張と羞恥でがちがちである。それが可笑しかったのだろう、くすくすと鈴を転がすような笑いが空気に乗った。


「あなたたちは覚えてないだろうけど、昔はこうやって全員寝かされてたこともあったのよねえ」

「……カレンが眠くないと言って一番ぐずっていた」

「そ、だから兄さんが手を繋いで落ち着かせてたのよね。よっぽどカレンが可愛かったのよ」

「嘘をいえ。カレンに落ち着きがないから面倒だと逃げたんじゃないか」

「子守の下手な兄さんの代わりにエミールをみてたのよ。それにかわいいかわいい弟だったんだもの」

「……兄さんは押しつけられたから私の面倒みてたのかぁ」

「誰もそんなことは言っていないっ」


 ……ぐずったっけなあ。私の記憶では、とても手のかからない良い子だったと思うのだけれど。それにしても一番乗り気だった長女と、一番乗り気でなかった長男が騒がしい。あまりにうるさいためか、エミールの緊張の糸がほどけてきているくらいだ。私の視線に気付いたのか、照れくさそうに顔を逸らされたけれど、握った手をはなそうとはしなかった。

 この子にしてみたら、ばらばらになった兄妹のようやくの集結なのである。当時はエミールが誰よりも幼かっただけに、大きなショックを受けたはずだ。それがわかっているから、兄さんもこの夜に付き合ってくれたのだろう。

 そしてこの夜が少しでも姉さんの気晴らしになってくれたのなら嬉しい。

 

「こういうのも悪くないかもね」

「悪いなんて言ってないじゃないか。…………嬉しいって思ってるよ」

「わ。兄さん姉さん聞いた? エミールが一緒に寝れて嬉しいですって!」

「あああああ!?」


 兄姉が一様に目を丸めるとエミールの悲鳴によって場が騒然となり、ゆっくりと夜が更けていく。

 ある意味これも幸せな時間の一部なのだろうか。

 平和に夢中になっている間に世界が音もなく鳴動しつつあることを、この時の私は知る由もなかった。

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