落城編

第39話 思わぬ報せ+ざっくり登場人物関係整理表

 そろそろ十八歳が近づこうとしている。

 畑に薄霜が降りはじめた季節、コンラート領内では高齢者を中心に風邪が流行の兆しをみせはじめている。


「ヴェンデル先生、お願いします……!」


 エマ先生の所有する小さな工房。天井からぶら下がるのは乾燥された木の枝や草花といった植物の束。ほんの少し成長した少年に恭しく差し出したのは、竹網に乗った数種の薬草だった。

 眼鏡をかけるようになったヴェンデル少年は「うむ」と仰々しく網を受け取ると、薬草一つ一つの検品を行うのである。


「ふむ。これは鍛冶屋のおばあさんに頼まれた分だったね。解熱分だけでいいと僕は伝えたはずだけど、違ったかな」

「あとから息子さんが来られて、奥さんがお腹を下してしまったので、その分の薬ももらえないかと相談を受けました。ですのでこちらは私なりに下痢止めを処方し、あとは弱った体に滋養を与えてくれる木の実を加えてみました」

「なるほど。だとするといい選択だね。……でも、お腹の方は粉だと味がきついはずだから丸薬にしてあげよう。鍛冶屋の奥さんは妊娠中だったはずだからね、大先生なら飲みやすさを考慮して作るはずだ」

「ああ、そこまで考えが至りませんでした。先生、流石です」

「いやいや、予備が少なくなってきたからほとんどを作り直さないといけないんだ。苦労をかけるよ、カレン君」

「とんでもない、偉大な先生の元で働けて私は幸せです」


 大真面目に話す私こと助手とヴェンデル先生。

 傍らではニコとエマ先生がこそこそ話をしている。


「あれ、なんですかぁ」

「医者と助手ごっこですって。最近二人の間で流行ってるのよ……」

「で、ヴェンデル様の方が医者役ですか。止めないんですか?」

「飽きてくれないのよ……。みなさんに害はないからいいのだけど」

「大先生って誰のことでしょう、そんな人いましたっけ」

「それが私のことみたいなのよ。……巻き込まれるからちょっと困ってるのよね」


 外野、内緒話はもうちょっと小声でお願いします。


「ところで助手君。夕方からの予定だが……」

「はい、お勉強の時間です。今日のお相手は私がつとめます」

「あーうん、それなんだけど、ベンのお孫さんと遊ぶ……重要な約束が入っていて……ちょっとだけなんだけど」


 本音が出たなヴェンデル先生。遊びに行きたい気持ちはわかるが、ヴェンデルのお勉強は伯やエマ先生に頼まれた大事な役目だ。助手改め家庭教師としては生徒の脱走を容認するわけにはいかない。


「明日でしたら予定が空いておいででしょう。夕方ともなれば相手のご家庭にも迷惑がかかります、勉強といっても夕餉までの短い時間なのですから御自重ください」

「…………僕達も鹿の解体やってみたい」

「大人になってもうちょっと力がついたらねー」


 最近、ヴェンデルは友達と猟師のおじさんの元に足繁く通っているようだ。どうして興味を持ったかは……ニコの「奥様のせいです」という視線が痛いが、断じて私の責任ではないのである。

 私たちの話を聞いていたエマ先生が口を開いた。


「そうだわカレン。鹿といえば、今年の貯蔵はどんな感じなのかしら」


 この季節、鹿ときて連想するのは冬支度である。コンラート領は豚や牛の放牧も行っているが、広大な森が近場にあるので猟も盛んだ。各家庭も冬に備えているが、それとは別に領主として倉に食料を保管している。


「猟師曰く、面白いほど罠にかかっているそうです。この分だと予定よりは早めに備蓄できそうですが……」

「いいことじゃないの。それがどうしたの?」

「いえ、近年にしては希にみるほど鹿が多いそうです。数が増えすぎても困りますし、倉をもう一つ増やすべきじゃないかって、ウェイトリーさんに相談しにいったそうですよ」

「あら……。でも、そうね。あまり食べられすぎても困るものね。でも備蓄倉庫に予備なんてあったかしら」

「もしものためにと今年の春先に穀物倉を一つ増やしてたんです。そっちを流用したらどうかって話でしたね」

「あらまぁ、そういえば、そんなことを言っていたような気も……」

「気も、じゃないって母さん。春頃、カレンとウェイトリーが母さんにも言ってたはずだよ。僕は覚えてたし、母さんだってその場にいたじゃないか」

「忙しくて忘れてしまってたのよ」


 ヴェンデルがエマ先生に向かって口を尖らせたが、彼女が覚えていなくても別段驚きはしなかった。春先は伯や領内のご老人方が体調を崩して看病や診察に走り回っていたし、お世話を任せる分、政務はウェイトリーさんや秘書官達が行い、私がお手伝いという形で割り込んでいた。元よりエマ先生は領内の仕事にはノータッチ、というか相談しても彼女自身がよくわかっておらず、必要であると説明すれば「じゃあお願いね」となるからだ。良い悪いではなく、彼女は優れた薬師であっても領主ではない、というのはこのことなのだろう。これについては多数意見があるかもしれないが、コンラート領はこの体制で納得している。


「ヴェンデルこそよく覚えてたね」

「そりゃあ兄さんが戻ってきたら、僕がお手伝いしないといけないんだもの。領内でなにがあったかも教えてあげなきゃいけないだろ」


 ……救いなのは、ウェイトリーさんという優秀な側仕えがいること、それにスウェンが跡を継ぐ意志があり、ヴェンデルも兄を支える立場として意欲的である、という点だろう。


「いまはカレンがいるからいいかもしれないけど……」


 ヴェンデルはスヴェンが不在になってから、薬学以外にも目を向けるようになっていた。スウェンから手紙が届けば密かにはしゃいでいるし、勉強をサボって友達と遊びに行くことも増えたが、そのあたりは年頃の男の子といった感じである。


「寂しがってくれるのは嬉しいけど、少なくともスウェンが卒業して戻ってくるまでは残ってるわよー」

「……早くない?」

「早くなーい」


 で、ヴェンデルもいずれ私が出て行くであろう事は既に知っている。なのでコンラート一家と使用人三名にはばれてしまっている、という所だろうか。


「大丈夫、まだ乗馬がね、ウェイトリーさんから及第点をいただいてないから、やることはたくさん残ってるし……」

「この間は油断して落馬しかけましたもんねー」

「体を動かすのが得意じゃないのかしらねぇ……」

「剣技も才能ないって匙投げられたんでしょ。一種の才能だよね」


 ニコ、エマ先生、ヴェンデルと畳みかけてくる。酷くない?

 ……乗馬は、上手く乗れるようになったと自分では思っているのだけど、ウェイトリーさんに言わせると一人で行かせるにはまだまだ不安だ、ということらしい。


「そういえばニコ、あなたがこちらに詰めてるなんて珍しいけど、どうしたの?」

「いまさら聞くんですかぁ」

「足をバタバタさせない。子供ですか」

「だって、奥様全然突っ込んでくれないからぁ」


 お茶まで飲みながらいう台詞じゃない。ここぞとばかりにサボり癖を発揮している私の使用人は、背伸びをしながら答えていた。


「奥様にお手紙が届きましたよってお知らせです」

「差出人は?」

「キルステンのご当主様ですね。あとは、随分しなびた手紙でしたねえ。奥様のお名前があったから一応置いてきましたが……クワイックっていうお名前をご存知ですか?」

 


 前者はともかく、後者には思わず目を丸めていた。あれ以来、エレナさん宛にエルへの手紙を送っているのだが、まともな返事が返ってきたためしがなかった。ただエレナさん曰く「届けている」のは間違いないそうで、本人も元気にしているらしいのだが、エルの名前で手紙が届いたのは初めてだ。


「お兄様からのお手紙となれば大事ね。ここはいいから、読んでいらっしゃい」

「エマ先生、でも……」

「貴女のお手伝いが抜けるのは痛いけれど、ずっとというわけじゃないでしょう。いいから行ってらっしゃいな。薬の配達にはニコを借りますよ」

「えっ?」


 突然矛先が向いたニコ。ここでサボりが許されると思ったら大間違いなのである。

  

「あ、ではよろしくお願いします」

「あっ」


 ニコを置いて、工房から屋敷へ戻る。いつも通り、自室の机の上には二通の手紙が乗っていたのだが、彼女のいったとおりクワイックの名が記された手紙はしなびており、ボロボロだ。元の紙質も悪かったようだし、色もいくらか変質している。裏書きには名前だけで、それ以外を示すようなものはなにも載っていない。


「おかしいな、たったこれだけ?」


 開封しようとしたところで扉が叩かれた。


「奥様、旦那様がお呼びです」

「……わかりました。いま行きます!」


 ウェイトリーさんだ。伯のお呼びとあらば手紙は後回しにするしかない。

 すぐに執務室へ向かったのだが、そこには手紙に目を通す伯と、その他、コンラート領の政務を手伝っているいくらかの秘書官達がいた。


「カレン君はそっちに座っておくれ」


 ソファを指すので、そちらに腰掛ける。この間に秘書官達は退出し、私たちとウェイトリーさんだけが残された。


「突然すまないね。キルステンからの手紙は読んだかね」

「いえ、先ほどちょうど戻ったばかりで……」

「そうか、だとしたら悪いことをしたかな。……ううむ、僕から知らせて良いものか……」

「伯にもお知らせが来たのですね? 構いません、なにがあったか教えてください」

「……そうだな。では、これを読んでくれたまえ」


 直接話はできない、ということだろうか。いつになくらしくない態度に不思議に思いながら手紙を受け取ると、その内容に目を通す。差出人は当然、キルステンの当主である兄さんだ。

 別に兄さんから手紙が送られてくるのは不思議ではない。これまでも何度もやりとりしているし、忙しい以外は元気にしているはずである。


「…………うん?」


 思わず疑いの声が出た。兄さんの悪い癖は、用件を先に伝えて理由を書かないことだ。よほど急いでいたのか、普段はきちんと整っている字が相当ブレている。


「私を帰省させろって、なんでまたそんな……」


 要件は私を都へ戻して欲しいという要求だった。この後に、コンラート伯への他意はないことなどを記した上で理由が述べられている。その理由と兄さんの字がブレている訳に思わず息を止めていた。


「…………あの、これは確かでしょうか?」

「こちらではそんな話は聞いていないけれど、噂に上がる前にというなら納得できるね。それに、身内には急いで報せたかったんじゃないかな」


 なるほど。確かにこれは、伯から、というより兄さんの手紙から教えたがったはずだ。


「姉さんが懐妊ですか……」 

 

 呟きながら、とうとうこの日が来た、と感じていた。姉さんが側室になってからこれまで、陛下から側室への寵愛はますます深まり、その威光も増すばかりだと噂に聞いている。夜会以降、王都に行ったときがあったのだけれど、辟易するほどの招待状とお世辞をもらって早々に退散したのだ。


「手紙によれば、サブロヴァ夫人はいささか疲れ気味らしい。信頼できる人を傍に置きたいとのことで、できれば君の手を借りたいそうだよ」

「……姉さんの助けになりたい気持ちはあります。けれど、それってどのくらいなのでしょうか。ずっと向こうにいるわけにはいかないですし」

「そこまでは載ってないねぇ。ともあれ一度、顔を合わせてみる必要があるんじゃないかな」

「伯はどうされますか。もちろん、長期的に向こうにいて欲しいわけじゃありません。懐妊となればお祝いが必要になりますけれど……」


 ここで伯がウェイトリーさんに確認したが、賢明な家令は無言で首を横に振っていた。


「……ですね。微熱が続いていたようですし、代わりにスウェンを連れていきます。もっと大きな社交界に出ても良い年齢ですし、兄さんに相談して、どこかに出してもらいましょう」

「ううむ、苦労をかけるけれど、お願いしてもいいかな?」

「スウェンを気に入っているようですから、大丈夫だと思いますよ。むしろ私達より心配していそうです。……絶対に張り切ります、断言してもいいかと」

「……本当は僕がお膳立てした方がいいのだと思うのだけど、都ではキルステンにお任せした方がスウェンのためかな」

「兄さんなら悪いようにはしません」


 それに、私が嫁いだことによってコンラートとキルステンの結びつきは以前より強くなったようだ。……まあ、端から見たら婚姻関係が続いているからね。


「……と、なればヴェンデルやニコも連れて行きたいのですが、よろしいでしょうか」

「ああ……無理して背伸びをしているが、スウェンには会いたがっていたからねえ」

「大人びていますけど、お兄ちゃん子ですよね」


 しかしヴェンデルを連れていくとなると、エマ先生のお手伝いが減ってしまう。少し前にも述べたが領内では風邪が流行りだしているし、できれば冬支度はいくらか整えてから出立したい。その旨を伝えると、伯やウェイトリーさんも同じ考えだったようで同意された。


「それをお願いしようと思っていたんだ。カレン君がいなくとも我が領は回るようにできてはいるが……もう一つの件は、君がいてくれた方が助かる」

「もう一つ?」


 どうやら姉さんの懐妊以外にも話があったようだ。

 キルステンからの手紙に埋もれていたが、もう一通の封筒を取り出すと、こちらに見えるよう掲げてくれる。


「ローデンヴァルトだよ。差出人はライナルト殿だ」

「ローデンヴァルト候ではなくライナルト様。……お手紙をもらったのは初めてではないですか?」

「そうだね、候からは幾度か商売の話を持ちかけられたけれど……」


 ライナルトの名を呼ぶ際、伯はどことなく落ち着かない様子だった。その内容は、一度コンラート伯に挨拶に伺いたいといったものである。手紙を見せてもらったのだが、その内容はこれまで聞いたことのない用件だった。


「大規模な演習を行うにあたり、コンラートの一部領土にも軍が入り込む恐れがあるから先に挨拶しておきたいと……。念入りですね、国王陛下からも許可は得ているようですし、証書も見せてくださるとあります。問題ないのではありませんか?」


 演習ということは軍をいくらか動かすのだろう。しかし何故わざわざ王都から離れた地で行う必要があるのだろうか。顔を上げた先では、伯がなんとも言えない表情で口を噤んでいたのだった。


「伯、どうかされました?」

「あ、ああ。……その、だね」


 歯切れの悪い物言い。老人は言葉を選ぶようにゆっくりとしゃべりだす。


「すまない。彼と二人で会うのは避けたいんだ」

「そう、なのです? 以前は普通に接していたじゃありませんか」

「あれはだね、ほとんど虚勢だよ。大勢いたから、彼も下手を打てないだろうと……」

「虚勢って……。そんな、伯ほどのお方が?」


 なんだか要領を得ない回答だ。なぜ彼ほどの人がライナルトの来訪程度で狼狽える必要があるのか、不思議でならない。

 疑いが顔に出ていたのだろう、やがて伯は観念したように大きく息を吐く。


「カレン君は、ライナルト殿のお父上についてどこまで知っているのかな」


 なんだかとんでもない爆弾を投げられてしまった。






*************************


Twitter:https://twitter.com/airs0083sdm/status/1268135596578312193

表紙類をご依頼しているしろ46さんが各キャラの年齢を把握するために描いてたものをご厚意で頂戴した図。

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