第38話 静かな始まり

 深い、深いため息。ウェイトリーさんはおそらく、本来私に話すべきではないことまで話をした。少なくともヘンリック夫人の話は不要だったはずだ。コンラートの人々だけでなく領民までもが夫人の娘の存在を秘匿し、沈黙を貫き通していたと言うのはそういうことだ。


「どうしてそこまで教えてくれたのですか」

「わかりません。ただ、旦那様やリズは貴女様を家族と受け止めはじめている。わたくしは現場から離れて遠い身ですが、こういうときの勘は当たるのです」

「勘?」

「貴女には話しておくべきだと。……リズに知られてしまえば平手打ちでは済まないでしょう。彼女は自らの責務と私情を混同するのを嫌いますから」

「……コンラート家からすれば、私はただの客人です。なにもできませんよ?」

「いまは、でしょう。それで構いません。ただ、どうか我が領に纏わる因縁を知っておいていただきたかった。本来表に立つべきであるエマ様が裏方に徹するこの状況、心苦しくありますが、当主になにかあった時、矢面に立たねばならないのは貴女様です」


 やはり、といおうか。ウェイトリーさんも伯になにかあった時の場合は考えていたのだろう。


「エマ先生には無理なのですね?」

「本人が望まないこともありますが、そもそも彼女は向いておりません。家庭では良き母、薬師としては優れていますが、領地を統治し、人を率いる才は別物なのです」

「お世話になっている以上、なにかあれば力になるのは当然です。ですから尽力しますが、そのようにおっしゃるからには、伯の体調は思わしくないのですか」

「良い、とは言えません。ここのところは特に、体調を崩される頻度が増えました。ご本人は隠しておりますが、エマ様から無理をさせてはならないと……」


 どうやら心労だけではなかったらしい。最近は油断ならないからとエマ先生がつきっきりで様子を見ているようだ。スウェンもずっと屋敷に滞在していると思ったが、どうやら学校を一時的に休んでいるらしかった。


「とりとめのない話をしてしまいました。ともあれ、当家と王家の関係は複雑でございます。都であれば昔の事を覚えている者は多いでしょう、どうかご留意くださいませ」

「わかりました。ただ……スウェンやヴェンデルはこのことを知っていますか?」

「兄君の存在は知っていらっしゃいますが、リズの娘については知らないはずです」

「では私もそのように振る舞います。夫人についても、いつも通りに」


 私は親を置いて逝ってしまった側だ。子を亡くした親の気持ちはわからないけれど、二人の心がいつか報われてくれればとは願う。

 さて、そろそろ夫人の見舞いに行こう。席を立ったところで、もう一つ気になったことを思い出した。


「ウェイトリーさん、現場から離れたとおっしゃいましたけれど、コンラート領の秘書官はそんなに大変なお仕事だったのですか?」


 不思議な言い方だったから妙に頭に残っていたのだ。この質問に、コンラート領の家令は見たこともないような微笑を浮かべた。


「家令、秘書官となる以前は外交官の補佐として勤めておりました」

「外交官補佐!?」


 思わず叫んでいた。外交官補佐なんてエリート街道まっしぐらの職業だ。


「はい。無茶な人物と共にいた縁でしょうか、いらぬ所にばかり目が届くようになってしまい、恥ずかしいばかりです」

「……え、待ってください。それほどの方がどうして家令なんかに……あ、いえ、駄目というわけではないのですが、だってそれなら家名をもらっていたっておかしく……」

「都会暮らしは性に合わなかったのです」

「合わなかった、って……」

「本当は他の外交官達と話していると蕁麻疹が……」

「ええ!?」

「冗談にございます」


 この人、意外とお茶目さんである。


「大した理由ではございませんよ。外交官含め、わたくしどもいささか無茶をし過ぎたためか、盛大なお叱りを受けてしまいまして」


 んんんん? お叱り? 他の人はともかく、ウェイトリーさんが?


「降格という名の左遷。よくある話でございましょう。わたくしも無一文になってしまいましたので、かねてから交流のあった旦那様に正式に拾って頂いたのです」


 左遷はともかく無一文? お金が残らなかったってなに? 

 ウェイトリーさんの経歴がわからなくなってきた。クリスティアンの件といい、見知ってきたかのように話をするのだけれど、この人はいったい何者なんだろう。

 けれどこれ以上を語ってくれることはないらしい。


「わたくしも仕事に戻るとしましょう。リズの抜けた穴を埋めねばなりません」


 そう言って立ち上がると、お盆に茶器を乗っけて去ってしまったのである。


「…………あれ? 外交官…………補佐?」


 ちょっと前に、なんかそんな話を聞いたような気が……。

 いや、まさかね?

 ……さ! 夫人の好きそうなお花でも持って行きましょ!


♦    ♦    ♦    ♦


 別に話を聞いてしまったからではないが、伯の仕事をいくらか奪ったのは事実である。

 コンラート領に帰るまで、やることは多かった。

 夫人の見舞いを済ませ、先日の夜会で挨拶を交わした親類縁者等にお礼状を作成。伯にアポイントメントを取っていた客人と顔を合わせ、コンラート辺境伯としての役目も果たす。

 陛下から本当に贈られてきてしまった大量の果物、生地、金品の類。選別後に財産になりそうなほとんどの品を返却。贈与品の返却は為政者の機嫌を損ねることにはなりはしないか心配になったが、伯が受け取れないと言ってしまったため、本人の意を汲むことにした。

 コンラート領に戻る日どりを決めるとスウェンの背中を蹴って学業を再開させ、ヴェンデルにせがまれた勉強を教えつつ、ひとまず日常というものを取り戻した。

 それとエルの件だが、アヒムには素直に事情を説明した。帝国、という名に彼は盛大に顔をしかめたが、結局なにも言わず終いである。最終的に「馬鹿」と言われたのだけが不本意だった。

 都を発つ前日、最後の客人となったのは私服姿のエレナさんとエルである。

 エルはフードを目深に被り、周りの目から隠れるような様子だったが、血色は良く健康そうだった。ライナルトの名代として訪れた彼女は伯への挨拶を済ませた後、茶の席に着いた。念のためニコや夫人には下がってもらっているから、なにを話しても自由だ。


「本当は先輩やヘリングあたりが来るべきだったんでしょうが、いま手が離せない状態でして。……えー、改めまして、シスの無礼をお詫び致します」

「いえいえ、何事もなかったですから……」

「……って言うけどさ、何かあってからじゃ遅いんだよ。こっちとしては助かったけど、寝室に入られて穏便に済ませてくれるとは思ってなかった」


 エルはいまだに信じられないといった様子で焼き菓子を摘まむ。言いたいことはわかるのだが……。

 

「だってエレナさんが頭を下げる必要はないし……」

「あぁ……ほんと、あんたは甘すぎる。優しいんじゃないの、甘いと言ってるのは理解できてる?」

「……一応。なので代わりに殴っておいてください。私じゃ平手打ちがせいぜいだから」

「それはやっておくけど……」


 シスだが、いまだ行方不明のままだそうだ。彼に任せていた仕事があるそうだが、きっちり報告書だけ上がってきたらしい。エレナさんは目を見張るペースでクッキーを口に放り込んでいる。ほとんど噛まずに呑み込む姿はもはや別次元、これは追加が必要かもしれない。


「見つかってないって報告をしなきゃいけないのは心苦しいですが、お知らせはしなきゃいけないですからね。私服なのも許してもらえてよかったです」

「二人なりに配慮してくださったんでしょう、感謝しています」

「……カレンちゃんみたいな素直さがうちの男共にでもあったらよかったのに。エルもそう思いません?」

「気持ち悪いだけだと思います」

「やっぱり?」


 エレナさんとエルは仲も良いらしい。名前が似ているからだろうか。似てると言っても頭文字だけだけど。

 

「お茶に誘っておいてなんですが、二人ともお忙しくはないのですか」

「わたしは入ったばかりの下っ端だし」

「先輩に邪魔と追い出されてしまいましたので、ぶらぶらしてたらヘリングに見つかっちゃいました。エルもこちらに連れてきたかったし、丁度いいかなと」


 エレナさんが追い出された理由がいまいち不明である。しかしエルを連れてきたかったとはどういう意味だろう。疑問が顔に出ていたのか、エルが「実は」と切り出す。


「半年以内に帝国に異動になると思う。カレンはコンラートに引っ込むだろうし、もしかしたら長い間会えなくなるかもしれないから」

「……いつ辞令が来たの?」

「話自体は結構前からあったけど、屑……シスから指令書だけが届いたのはこの間。多分、次の移動に合わせてだと思うけど」

「配置換えでもあるの?」

「ああ、ええと」


 困ったエルがエレナさんに目配せすると、代わりに彼女が説明してくれる。


「私たち、時々帝国に戻ってるんですよ。ライナルト様旗下の部隊はどこぞとも知れぬ場所で訓練を行ってる……って話はご存知じゃありません?」

「そういった話は疎くて……」

「なるほどなるほど、じゃあ知らなくて当然ですね」


 数年に一度くらい、不自然な外泊だか空白期間があるとは聞いたことがあるが……。


「カレンちゃんだからお話ししますが、色々ありまして、ちょっと向こうに顔を出さなきゃいけなくなったんです。で、エルを遊ばせておくのは勿体ないので今回で異動してもらおうかと」

「……こう聞いてしまってはなんですが、エルのご両親と一緒に連れて行かなかったのですね」

「あ、それはわたしが希望したの。一回くらい城に上がってみたかったから」


 興味本位だったらしい。

 ……友人が気がかりだったなんて返事を期待した私が馬鹿だった。エルのお茶のおかわりはうんと渋くしてやろう。

 

「複雑なご事情がおありなのですね。……口外はしません、ご安心ください」

「はい、私もお友達をなくすのは遠慮したいですからね。お願いします」

「お茶とお菓子のお代わりはいかがです。まだ用意できますけれど……」

「わ、是非お願いします。このくらいの甘さなら大歓迎ですよ!」


 見てて気持ちのいい食べっぷりは、こちらの胸がすくくらいだ。人を呼んでお代わりをお願いすると、さて、待っている間はなにをお話ししよう?


「……あ、エレナさん。よかったら帝国の町並みや流行について教えていただけませんか」

「帝国の、ですか?」

「はい、以前から興味があったのですけど、お話を聞ける人は限られてて。実際にお住まいだった方からお伺いできたらいいなあって」

「うーん。私もこちらにきて長いですから、流行には疎いのですが……。でも知ってることでしたらお話しできますよ。帝都の芸術を代表する劇場、地下温泉を使った大衆浴場、闘牛も有名ですね」

「……浴場?」

「お、食いつきましたね。そう、帝都には市民であれば誰でも利用できる大衆浴場があります。それ以外にも小さな湯治場があちこちにありますよ。毎日、夕刻になればお風呂に入りに来る人で賑わいます」

「……お風呂が楽そうですね」

「そうそう! ……だからこちらではお風呂が大変なんですよね……。こっちにきた同僚の九割、最初の文句は「風呂がないんだが!!」ですから」


 帝国人、かなり綺麗好きらしい。

 エレナさんは他にも興味深い話をいくつもしてくれた。コンラート領へ発つ前日は、実に有意義な一日だったといえるだろう。

 二人を見送る際は、エルともう一度抱擁を交わし合った。こころなしか表情は固く、背中に込められた力は強かった。


「また会おう?」

「ん。……また、ね」

 

 寂しいと思ってくれるのかな。

 もちろん私だって寂しいが、今生の別れではないのだ。エレナさんを経由すれば手紙だって届けてもらえるようだし、私まで不安がってはエルを心配させる。


「エルならどこに行っても大丈夫。あなたの幸せを心から願ってるから」


 未来においても彼女と友人であろうとする努力は怠りたくない。そのためにできるのは、信じることと、できる限りの笑顔の見送りだった。 

 


♦    ♦    ♦    ♦    ♦    ♦



 帰り道、エレナは少女に問うていた。


「満足しました?」

「一応は」


 そっけなくなったのはわざとだ。エルネスタはエレナ・ココシュカを嫌ってはいないが警戒している。彼女の友人は馬鹿みたいに自分たちの来訪を喜んでいたけれど、エレナの目的に自分の監視が含まれていることも理解していた。


「エレナさん」

「なんでしょう?」

「カレンと会わせてくれたこと、感謝します」

「いえいえ、お友達は大事ですよ。カレンちゃんの様子を見るに、きっとお互い大事だったんだろうなあってわかっちゃいました。それに……」

「それに?」

「他人に冷たいあなたが彼女にだけは優しかったですし」


 馬車は使わない。

 顔を見られてはいけないと厳命されていたが、危険を犯すような真似をエレナが容認する理由は、同情からだろうか?

 鼻歌を歌いだしたエレナは楽しそうに、無邪気に、リズムを刻むように一歩を踏みしめている。

 なんにせよ、ありがたかったのは本当だ。彼女は生まれてからずっと住み続けた国を記憶に留めておきたかった。


「友達ごっこ、楽しいですか」


小声には、わずかではあるが不審と不安の響きがこもっている。呟きはエレナに気づかれるほどはっきりしたものではなかったが、どうやら届いていたらしい。ちらりと少女を見る横顔はなにを考えているかわからない、不思議な微笑を浮かべていた。

 

「楽しいですよ。だって私もカレンちゃんもお互いが好きですもの。違う国同士の人間だからって、仲良くしちゃいけないなんて法は定められてません」

「……騙してるみたいじゃないですか」

「あなたはそう思うかもしれないけど、私はそうじゃないからなぁ」


 わかっている。そもそもエルネスタとエレナは立場が違う。それでもつい口をついてしまったのは、彼女の馬鹿な友がエレナに好意を持っているからだ。知らず、拳を固く握りしめていた。


「恨まれるかもしれませんよ」

「そうかもしれません。けど、そうなったらそれはそれ、嫌われるのが怖いからって友達を作らないなんて寂しすぎます」


 はあ、とエルネスタはため息を吐く。

 怖がっているのは自分の方。こんな暢気な考え方ができる人が羨ましいだけで、八つ当たりしていることをこの武官は見抜いている。

 二つの影が整備された道に影を落とす。エレナは聞き慣れない音を紡ぐのに夢中で、どちらも言葉はない。ところどころメロディを外した鼻歌ですらもの悲しく聞こえてしまうのは、この景色が見納めだと考えてしまうからだろうか。


「……できれば、カレンには優しくしてあげてください」

「安請け合いはしたくない主義ですけど、ええ、努力はします」

「あとシスは足の間のブツを二度と使えないように潰してください」

「任されました。……といっても手足くらいじゃ顔色一つ変えないからなぁ。やになりますよ、ほんと」

「お察しします」

 

 それっきり表情を曇らせる年若い少女を、エレナは半ばおかしそうに、半ば気づかわしそうに見守っていた。

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