第35話 実は凄く疲れている
「それじゃ、手紙を送るときはクワイック宛でいいのね?」
「そ、それでちゃんと届くようになってるから」
「必ず送るから、返事を頂戴ね」
「わかってる」
帰り際、再確認を兼ねてエルと話をしていた。エルは移住にあたり名字を変えたらしく、クワイックとは彼女だけの新しい姓らしい。聞き慣れない響きだったのは、エルの前世にあたる姓名が由来だったためだ。
エルとはここでお別れ、帰りはライナルトが送ってくれるらしい。護衛にニーカさん、エレナさんとヘリングさんが付いてくれるようだ。ひっそりと静まりかえった薄暗い裏道から馬車に乗るのは滅多にできない体験だから胸が弾んでいる。いざ乗り込もうとしたところで、足音も鳴らさず近寄ったヘリングさんに驚かされた。
「コンラート伯夫人、よろしければサガノフやココシュカと一緒の馬車はどうでしょう」
「よろしいのですか? 是非、と申し上げたいところなのですが……」
「既に夜会は終わっております。人もおりませんので、形に拘る必要もないかと。……閣下、二人が夫人に礼を言いたがっていたのです、よろしいでしょうか」
「そうも決められてしまっては私に断ることなどできるはずなかろう」
「では、こちらの馬車は女性同士でお乗りください」
そういうわけで、帰りはニーカさんの手を借りて馬車に乗ることになった。ニーカさんから差し出された手はありがたく借りる。
「ありがとうございます。慣れないせいか、よく倒れそうになってしまって」
「お召し物が見た目より重いことは承知しています。どうぞご遠慮なく」
二人こそ私と一緒で良いのかと思っていたけれど、意外にも反対意見はないようだ。エルの見送りを受けて馬車が動き出すと、大きく息を吐いたエレナさんが姿勢を崩す。
「はあ、ヘリングがいると息が詰まっちゃいますね」
「エレナ、夫人の前でだらしのない格好をするな、背筋を伸ばせ」
「大丈夫ですよ、カレンちゃんなら許してくれますって。ねえ?」
「カレンちゃ……!」
ニーカさんは絶句。私は新鮮な気持ちである。
「はい、そう呼ばれるのはくすぐったいですけど、嫌ではないです。お好きにしてください。私は気にしません」
「ほらほら、彼女、絶対話がわかるって思ってたんですよ。大丈夫だったでしょ?」
「ば……!」
馬鹿、と怒鳴りかけたのだろうか。私の前で怒鳴るわけにもいかず、持ち上げかけていた拳を握りしめる。
「規律というものを少しは守れ。せめて背は伸ばせ、窓の外をしっかり見ていろ」
「はーい」
「……貴様」
「はい」
初めこそエレナさんはしっかり者だと思っていたのだけど、こうしてニーカさんと並ぶとまったく違う印象を受ける。
「あの、私は本当に気にしていませんから」
「寛大なお心に感謝します。ですが、これは武人として以前に人に仕える者としての心得が……」
「そ、それよりも、ですね。今日はずっとお仕事だったんですか。警護にあたっていたと簡単にお伺いしたのですが……」
「は。……はい、そうです。先ほど出発した門は裏口になりますが、およそそちら側方面をいくらか担当していた形になります」
「それじゃあ、ニーカさんもずっと会場付近にいたんですか?」
「閣下の警護の意味もありましたので……」
「すごいですね、お仕事熱心です」
「恐縮です」
……質問するばっかりで会話が弾まないパターンだこれ!
私だって友達少ない人間だからコミュ力が低いのだけど!!
「ヘリングさん、でしたか。あの方がお礼が……とかおっしゃっていたのですけど、なにかありましたか?」
「ああ、そう、そうなんですよ。先輩は口下手だから代わりに言っちゃいますね」
ぱあっと顔を輝かせたエレナさん。身を乗り出し笑顔で私の手を取った。
「たくさんの雑貨とお菓子をありがとうございました。お礼と送ってくれたあれ、先輩だけじゃなくて皆の分もあったでしょう。……本当に役立ったんですよ。お酒も先輩なんてベロベロに酔って、日頃の鬱憤を晴らせたようで……」
「エレナ」
「……消耗品がないわけじゃないですけど、気兼ねなく大量に使えるのは嬉しいですし、休日にちょっとお洒落したい子達もいます。それに、ええ、たくさんの小さなお菓子! あれは最高でした」
「ええ、と……。気に入ってもらえて、嬉しいで」
「ファルクラムのお菓子は甘すぎてこちらじゃ評判が悪いんです。歯が溶けそうなくらいに甘ったるくて、犬も食えないって!」
しゃべり出したら弾丸だ。勢いに任せて喋るエレナさんに、ニーカさんのこめかみに青筋が浮かんでいく。これはお別れしてから噴火しそうだ。
「かといって甘くないのは日持ちしませんからなかなか売ってないし、そもそもあったとしても高くてあまり買えません。たかが甘味と言っても大事な娯楽ですから。……先輩は甘いのよりお酒の人ですけど」
「……嗜んでいないわけではない。コ……いえ、カレン様。エレナはともかく、我らにまでお心遣いありがとうございました」
「お礼を言うのはこちらの方です。ライナルト様の命かもしれませんが、その剣を振るってくれたのはニーカさんと、それに優しくしてくださったエレナさんのおかげでした。あのとき、お二人がいてくださって本当に良かったと思ったんです」
特にニーカさんには手紙でしかお礼を言えなかった。またあえて本当に良かったと伝えると、なぜかお礼を言われた当人ではなく、隣のエレナさんが目に涙を浮かべている。ニーカさんはそんな彼女を嫌そうに眺めていた。
「エレナ、余計な……」
「先輩、よかったですね」
エレナさんはしみじみと頷いて、袖で涙を拭った。
「カレンちゃんもありがとうございます。先輩って本当は優しいのに、仕事柄怖がられたり、暴言吐かれてばっかりで……。市民に感謝されるなんて久しぶりじゃないですか。よかったですね先輩」
存外自由人なエレナさん。気にしなくていいと言ったからってここまで振る舞える人はそうそういないかもしれない。私としては大歓迎だけれど、ニーカさんの苦労もわかる気がする。それはさておき、彼女の言葉は聞き捨てならない。
「……なんて勿体ないのかしら。ニーカさん、とても格好良くていらっしゃるのに」
「ですよね! カレンちゃんが先輩を見る眼差しでなんとなく気付いてましたよ。そして親近感を抱いてましたよ、先輩は格好いいですよね」
「わかります。とてもお綺麗で、見とれてしまうくらいですよね」
呼び方は完全にカレンちゃんで固定されたようだ。まるで幼い少女のようにはしゃぐエレナさんだが、先ほどから気になっていたことがあって口を開いた。
「ところで、ニーカさんのことを先輩とおっしゃっていましたが……お二人は同じ部隊と思っていましたが、もしかして同じ学校の出身でしょうか?」
「あたりです。同じ学校の先輩後輩ですね。私が先輩に憧れて同じ剣の道を選んだんですよ」
にっこり笑って答えてくれるが、憧れの人を追いかけて職業まで合わせるとは、地味に難易度高いことをやってのけてはいないだろうか。
「普段は隊長とお呼びしてますけど、気が緩むとつい先輩って言っちゃうんですよね」
「ニーカさんをお慕いしてるんですね」
「もちろんです。大好きですよ」
人好きしそうな眩しい笑顔といい、エレナさんはコミュ力の塊に違いない。道中も色々と話をしてくれるおかげか、退屈とは縁遠い帰路である。コンラートの屋敷が見えてくると流石に口数も少なくなってきたのだが、そこで気付いた。
「ニーカさん、ごめんなさい。無視しているつもりはなかったのですけれど、お話が楽しくて、つい」
「え? あ、その」
「大丈夫ですよ。先輩、なんて言おうか迷ってただけで場の雰囲気をきっちり楽しんでましたから」
わかる。わかるぞ。エレナさんはフォローのつもりだが、ニーカさん的には余計なお世話だということを……! 私にできるのはそっと視線を逸らし、彼女の酷薄そうな笑みを見なかったことにするだけだ。ひっ、とエレナさんが喉を詰まらせたようだが、これもやはり何も聞こえなかったことにさせてもらおう。
コンラートの屋敷、玄関に迎えに来てくれたのは、ニコを始めとしたほとんどの人だ。スウェンにヴェンデルもいたし、ヘンリック夫人は心配そうな面持ちを隠さない。驚いたのは兄さんやアヒムまでもいたことだろうか。
「カレン、途中から姿を消したから何事かと思っていたが……!」
「まさか終わってからこちらに足を運んでくれたの? 他の方々とお付き合いがあったんじゃ……」
「ゲルダから任されたんだ。陛下のお相手があるから来れなかったが、酷く心配していたよ」
真っ先に駆け寄ってきたのは兄さんだった。夜会ではお互い挨拶巡りしていたからじっくり顔を合わせる時間がなかったが、こうしてみると、やや頼りない印象があるものの貴公子っぽい雰囲気がある。
ここで待機していたライナルトが一歩前へ進み出た。
「ご当主、その件についてですが、私がついていながら大変申し訳ないことをした」
「とんでもない。ライナルト殿は殿下の心ないお言葉から妹を守ってくださったと聞いております。サブロヴァ夫人も大変感謝していました」
「役目を果たしたとは言い難いのが事実です。……ところで、このような時間だがコンラート辺境伯とお会いすることは可能だろうか。事の顛末については、直接ご報告を差し上げたく参じたのですが」
伯とエマ先生がこの場にいなかった。疑問だったのだが、これにはウェイトリーさんが教えてくれた。
「失礼ながらただいま当主は足を痛めておりまして、現在上階にて待機していただいております。もしローデンヴァルト様がよろしければお上がりいただきたいとの言伝を預かっておりますが……」
「なるほど。ではお邪魔させていただこう」
ライナルトと伯、それに兄さんは話があるようで、ここで一旦お別れだ。私は着替えもあるから、もしかしたら見送りができないかもしれないし、お礼は言っておこう。
「色々なお気遣い、本当にありがとうございました。今日はライナルト様がお相手を務めてくださったことが一番の幸運だったかもしれません」
「私の方こそ面白い体験をさせてもらいました。まだ夜は冷えるようだ、見送りなど気にされなくてもよろしいので、貴方は風邪を引かれぬよう気をつけてください」
こんな豪奢なドレス姿は最初で最後かもしれない。この姿に相応しいお辞儀をすると、ライナルトも愉快そうに笑っていた。
「今宵の装いも似合っておいででしたよ。本当に、心からそう思います」
この人にここまで言ってもらえるなら最高の賛辞なのではなかろうか。お世辞とはいえ、今夜は額面通りに受け取らせてもらおう。
ライナルトは伯の待機する部屋に向かい、ニーカさん達とも別れ、見知った顔だけになったところで髪飾りを外し、ニコに渡した。
「………………奥様」
ヘンリック夫人の小言は耳に入らない。背伸び。とにかく背伸びである。肩肘張り続けたせいか、全身が凝り固まっている。
「おおよそは聞いていると思いますが、細かい話は明日にさせてください。……アヒム」
「はい」
アヒムは兄さんと行かなかったようだ。平然としているようだが、こちらを探るような瞳はやや気遣うような感情が含まれている。……兄さんも慌てていたし、二人ともダヴィット殿下から、となれば気が気ではなかったのかもしれない。
「……そんな顔しなくても大丈夫。別件で話があるから、できれば明日話をしたいのだけど」
「ゲルダ様にくれぐれもと言われていましたので、今夜は坊ちゃん共々お世話になる予定です」
「よかった。実は足が痛くて痛くて明日は動きたくなかったの……。スウェン、ヴェンデルもありがとうね」
「……思ったより平気そうだな……ぐっ」
ここでスウェンがヴェンデルに肘鉄を食らっている。兄よりも賢く利発な少年はこちらに歩み寄ってくると手を伸ばした。状況がわからず目を丸くしていると、ヴェンデルは不満そうに鼻を膨らまし、ぶっきらぼうに言ったのである。
「兄さんは気が利かないみたいだから、手を貸してあげるよ。歩きにくいんでしょ」
「わぁ、ありがとう」
小さな紳士の手を借りつつ、ようやく憩いの自室に向かって歩を進める。
さぁ、着替えを済ませたら諸々説明をしなければならない。それに加え、伯に聞かねばならない話もできてしまった。
……一眠りしてからじゃだめかなと思ったけど、いまの私では明日の朝まで起きないかもしれないなぁ。
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