第33話 彼女に何があったのか

 目の前に飛び込んできたのは服を脱がされかけた女の子に覆い被さる男の背中だった。

 

「なにをしておいでですか!」


 怖い。

 怖いし相手が誰だかわかっているだけに逆らうのは怖かったから、できるだけ声は張り上げた。突然の乱入者に振り返る男の顔は、薄暗闇のなかでもしっかり判別できる。

 先手を取るならいましかない。男とは目を合わさぬように肩を掴んで思いっきり引っ張ると、不意打ちをくらったせいか体が離れる。そこに有無を言わさず割り込んで、女の子の肩を抱き込んだ。

 二つのおさげ髪を乱した女の子は確かにエルだった。呆然とこちらを見上げる瞳は涙に濡れている。


「カ……」


 話は後だった。引っ張られたせいで尻餅をついた男を睨み付ける。


「まさかとは思いますが、本当に殿下でいらっしゃいましたか」

「…………サブロヴァ夫人の妹か?」


 ダヴィット殿下はこのあたりでようやく事態を把握したらしい。名を確かめた後はゆっくりと、しかし確実に不快そうに眉を寄せて立ち上がった。


「なにをもって貴様如きが俺の身を汚して良いと判じたか」

「わたくしこそ殿下にお尋ねします。どういった理由でこの子に不埒な誘いをかけておいでですか」

「貴様には関係のない話だろうが、ただその娘と戯れていただけというのに……」

「戯れていたとおっしゃいますが、この子はわたくしの親しい友、とてもではありませんが殿下と釣り合うような身分の娘ではございません」

「その娘から誘いを……」

「では何故、彼女が助けを求める声が私に届いたのですか」


 エルを連れて行こうとする手から遠ざけるように、私が間に入り込む。大丈夫、エルと私ならまず間違いなくサブロヴァ夫人の妹の方が手出ししにくいはずだ。ダヴィット殿下は目元と頬をひくつかせながら、舌打ちを鳴らす。


「所詮は庶民の出か」


 大きく一歩を踏み出し、伸ばされた手に手首を掴まれた。握力が強いのか痛いくらいに力を込められる。思い出されるのはあの時の、背筋がぞわりと粟(あわ)立ったときだ。


「殿下」


 ダヴィット殿下の背後、私が飛び込んだ位置に立っていたのはライナルトとその随従らしい男性だった。ライナルトはうっすらと気味の悪い微笑を浮かべている。


「殿下、そこでなにをしておいでですか」

「……ライナルトか」

「お付きの者が探しておいででしたよ。このようなところで騒ぎを起こしては障りがあると存じますが……」


 二人のやりとりに集中していたためか、新たな人物の接近に気付くのが遅れた。肩をぽん、と叩かれ振り返ると、そこにいたのはエレナさんである。


「しかし、この娘には……」

「コンラート伯夫人の手を離して頂きたい。その方についてはローデンヴァルト候並びにコンラート伯のみならず、今宵は陛下にも大事ないよう仰せつかっております」


 国王の名を使ったのが効いたのだろうか。ようやく手首が解放され、二人してエレナさんの背に庇われるような形になる。ライナルトはすれ違いで去ろうとするダヴィット殿下に、軽く黙礼した。


「コンラート伯夫人、並びに私の配下に関する件は見なかったことにさせていただきます。ですので殿下、殿下もどうぞ今宵についてはお忘れください」

「ふん。薄汚い野良猫を庇うか、不義の象徴である貴様にはお似合いな玩具だな」

「……野良猫も可愛いものですよ」


 お互い振り返りもしなかった。殿下の姿が消えると、ようやく息ができたような心地がして深い息を吐く。そこにエレナさんの明るい笑顔が飛び込んだ。


「はいはーい。二人とも、もう大丈夫ですからね。……先輩も、もう出てきて大丈夫ですよ~」


 エレナさんが振り返った奥の茂みから姿を現したのはニーカさんである。腰の得物にかけていた手を離しながら近寄った彼女は、殿下の去った方角を冷たく一瞥した。


「ここでは隊長だ、馬鹿者」

「どっちでもいいじゃないですか」

「良くない。……気を抜きおって、この阿呆が」


 ここで彼女と目が合ったのだが、ごほんと咳払いをこぼすと、恭しく頭を垂れる。


「お見苦しいところをお見せしました。ご無事でなによりです」

「え。……あ、はい」

「カレン嬢、手首は大丈夫ですか」

「あ、ライナルト様もありがとうございます。手首は……はい、握られただけなので」


 エレナさんがエルを抱いた手を優しく剥がしていく。そのまま彼女はエルを連れていこうとしたのだが……。


「あ、え、ちょ、ちょっと待って!」


 エルの服をしっかり掴む。危ない、場に流されかけたけれど、このままだとまたエルの行方がわからなくなるではないか!

 連れて行かれるなんてたまったものじゃない。


「……カレン」

「いやカレンじゃないし! なんでエルがこんなところにいるの、どれだけ探していたと……」

「えっ、ちょ、カレン、あんたこんなところで騒……馬鹿、手を……」

「馬鹿? 馬鹿って言った!? なんで私よりも馬鹿をしてる馬鹿に馬鹿って言われなきゃならないの!」

「ちょ、落ち着け馬鹿、周りを考え……」

「落ち着いてるし! でも私の優先順位はこんなところよりあなたの方が高いの、行かせるわけないでしょ!」


 服は離さない。絶対に離してやるものか。貴重な愚痴吐き要員をここで逃すと思っているのか、エルがいなくなったら私は今度こそ本当になにもかも抱え込んだままだ。

 ……放逐されて失った交友関係、学校生活では憐れみと好奇心ばかりでろくに友人もできなかった。元々友達作りが得意ではなかっただけに、ようやくできた親友への執念は伊達じゃない。


「……わかった。わかったからやめて、泣くのは反則」

「泣いてないし」


 エルはため息を吐くと、申し訳なさそうにライナルトに頭を下げた。


「注意していたつもりなのですが、使いの途中で殿下に声をかけられてしまいました。……申し訳ありませんでした」

「殿下については仕方がない。元より女遊びの激しい方だからな、こちらから釘を刺しておけば問題ないだろう」

「はい」


 そしてライナルトの視線がこちらに移るが……。

 嫌だと抗議の意味を込めて首を振る。無理無理無理、ここでエルと離れるわけには行かない、子供だと言われても一向に構わない。挨拶回りはやるだけやったし、もう噂とかそういうのよりエルの方が大事である。

 そこでライナルトの傍に控えていた、男性が低く笑った。


「閣下、ここはダヴィット殿下に多少なりとも責任を取っていただきましょう。モーリッツからうまく国王に話が伝わるよう処理いたしますよ」

「それが無難か。頼む、ヘリング」

「畏まりました。……そういうわけだ、ココシュカは僕と来るように」

「えー」

「えー、ではないよ。君よりサガノフがここに残るのが最適だからね」


 エレナさんは唇を尖らせながらも、ヘリングと呼ばれた男性に従うようである。優男風の彼は形式的な礼の形を執(と)ると、エレナさんを連れて去ってしまった。

 ライナルトはしばらく何かを考え込んでいたようだが、立ち直るのも早かった。


「カレン嬢、帰りは別口からでも問題ないだろうか。無論、帰りは必ずお送りする」

「あ、はい。うちの家人には先に帰るよう伝えて頂ければ……」

「結構、ではひとまず場を移しましょうか」

「……夜会はどうしましょう、もう抜けても問題ないでしょうか」

「先ほどのヘリングとモーリッツがうまくやりますよ。元より抜けるつもりだったのですし、差し支えないのでは」

「はい、なら異論ありません。この子も連れて行って構いませんよね?」

「構いません。見たところ、その娘が探し人だったようだ。その様子では納得できる回答を得るまで離すつもりがないのでしょう」

「はい」


 状況はめちゃくちゃだが、結果的に見ればエルが見つかったしダヴィット殿下は追い払えたしで万々歳である。


「どこにも行かないから手を離しなさい」


 小声で呟くエルは気まずそうだったが、大人しくついてくるようではあった。遠くから響いてくる音楽と喧噪に見送られながら、通ったこともないような道に入る。表と違って装飾は少なく、松明もむき出しなのは内部の人間しか使わない通路だからなのだろう。


「っと」

「歩きにくいでしょう。どうぞ、掴まってください」

「ありがとうございます」


 見た目より重いドレスと履き慣れない靴のためか、この中で一番足が遅いのは私だった。ライナルトの手を借りるのは躊躇したが、彼は自分の腕をつかませるとこう言った。

 

「まだ夜会は続いている。カレン嬢を無事にお返しするまでが本日の私の役目だ」

 

 ……ああ、いま後ろを振り向きたくない。エルの視線が怖い。

 しばらく歩いた後、案内されたのは小部屋であった。低いテーブルに赤い布張りのソファと最低限の設備だけが整っている。ライナルトとニーカさんはしばらく席を外すようだった。


「積もる話があるでしょう、しばらくしてから参ります」


 パタンと扉が閉じられて、残されたのは私とエルである。

 エルは私に視線を合わせようとしない。色々言ってやりたいことはあるのだが、第一にすべきことは、全力で彼女に抱きつくことだった。


「おわっ」


 ハグなんて文化がない日本人だった私が抱きついたのだ。どのくらい心配したのか、しっかり思い知ってもらいたい。


「カレン、あんたそんなにしたらせっかくの髪が……」

「髪なんてどうでもいいし」


 エルはしばらく戸惑っていたようだが、やがて観念したのか、ため息を吐くとおそるおそる背中を抱き返す。

 

「知らなかった。わたし、意外とあんたに愛されてたのか。ジャパニーズはわかりにくい人が多いって本当なんだね。顔に出ないから見誤ってた」

「いまは日本人じゃないし関係ないけど? ……でも愛されていたって……当然でしょう。私の大事な愚痴吐き要員が……」

「ちょっと?」

「大事な友達がいなくなって、どれだけ心配したと思ってるの。そりゃあ、私だって突然遠くに行ったりして悪かったと思ってるけど、手紙にだってちゃんと会いに行くって書いてたのに、家を訪ねたら突然いなくなってて」

「それは読んでたけど……」


 困り顔のエルは私を引き剥がすと、上から下まで観察して言った。


「結婚って言うから、今生の別れかなと思って……」

「ねえ薄情すぎない?」

「会えてうれしいのは本当だから。あと、言いそびれていたけど、さっきは助けてくれてありがとう。正直、もう駄目だと思ってたから本当に助かった」

「……そう、そうだった。ごめん、聞くのが遅れた。怪我はなかった?」

「ちょっと小突かれただけだから平気。旦那の拳に比べたら全然マシだよ」


 旦那の拳、とはエルの転生前の話である。彼女はケロリとしているが、それでも無理矢理迫られる恐怖は知っているつもりだ。なんとも言えずに黙っていると、エルは苦笑を零した。


「足を痛めないように座っておきなよ。そんなことよりもカレン、わたしに聞くべき事があるんじゃないの」


 庭園での涙はどこへやら。ふてぶてしいくらいに笑ったエルはソファにどっかりと座り、胸を張るように鼻を鳴らした。

 確かにエルの言うとおり、ずっと気になっていることはあるのだが……。


「……それじゃあ尋ねるけど、エル、あなたどうして軍服を着ているの」


 本当は大分前から、それこそエルがエレナさんと同じような服装で、ライナルトが「私の配下」発言していたときから突っ込みたかった台詞だ。

 これに対しエルはふっと気取った笑みを浮かべた。ごめん、ちょっと腹立つ。


「聞いて驚け。わたしは直々の引き抜きを受けて、ライナルト様旗下の文官になった」


 …………薄々そんな予感はしてたのだけど、いえ、でもアヒムから聞いた話を総合すると。

 

「それって帝国所属って事?」

「……なんで帝国って知ってるの?」

 

 気取った態度が数秒も持たなかったエル。

 そのタイミングで扉がノックされたのだが、こちらの返事を待つ前に勝手に扉が開かれた。


「やあこんばんは、我が友の小さなお友達がいると聞いて……」


 シスだった。一体何をしに来たのか。問うより早く、エルが立ち上がり懐に手を差し込む。


「死ね」


 驚くくらいに低い声。なにより冷徹な瞳だった。表情から感情が一切抜け落ちている。

 彼女から放たれたペンは見事シスの顔面に命中したのであった。

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