第31話 入城

 流石のライナルトもこの告白は予想外だったらしい。迫り来る下車の時間、思いもよらぬ方面から意表を突かれた男性は組んだ足を戻して考え込んだ。


「それは、どの程度踊れないということでしょうか」

「まるっきりです」


 この期に及んで嘘など言うつもりはない。

 

「いえ、初めの出だしくらいは知っていますが、三十数える程度がせいぜい。あとはさっぱり踊れないとお思いください」

「冗談を言っているわけではありませんね?」

「ふふふ。冗談だったらどれだけよかったでしょうね」

「……なるほど」


 これに関してはいくらか言い訳をさせてもらいたい。

 私が踊れない理由だが、当然ながら原因は練習をしてこなかったという理由が挙げられる。では何故練習できなかったといえば、それは当然十四の頃のお家騒動だ。他家ではどうか知らないが、キルステンでは社交界での正式なお披露目は大体十五から十六歳の間。異性の相手と共に踊る練習は十四くらいからとなっている。ところが例の騒動で私は余所へ放逐、まず踊りを覚える必要も、教えてくれる相手もいなくなった。

 次はおわかりの通りコンラート領へ嫁いだのだが、こちらではパーティが開かれるわけでもなく、誰かしらのお祝いとなっても皆で集まってわいわい騒ぐくらい。もちろんドレスで着飾って踊るなんてこともなかった。そもそもコンラート領で私が教わっていたのは様々な知識や技術がメインだから、社交界に出る前提で過ごしていない。

 夜会の話が出た際誰も聞いてこなかったのは、兄さんや姉さんはコンラート領でそのくらい習っているだろうと考えたか、それとも失念していたかのどちらか。

 コンラート領の人々は私が踊れないとは知らなかった故に、あえて聞いてこなかった等の理由が挙げられる。もう一度述べるが練習の時期は家々によってタイミングが変わる。十を過ぎれば習う子もいるし、お披露目の時期もそれぞれだから知らなかった可能性が高かった。

 故に、本当は私が自己申告するべきだった、というのが一番なのだが……。

 

「それは私が貴方を極力手助けしたとしても厳しいだろうか」


 ライナルトの体幹の強さは相当なものだ。だから彼が支えてくれるというのであれば、ある程度の基礎さえ備わっていれば、ドレスで足下も隠れるわけだしできないこともないと思うが……。それでも男性側の支えだけで踊れるようになるなんて、女性側もよほど音楽センスや運動神経が優れないと厳しいだろう。体力には多少の自信があっても、運動はほぼからっきしの人間には夢物語であることを知ってもらいたい。

 姿勢、足運び、リズム感。これらすべてを一年程かけて体に覚え込ませる練習。たった数週間程度で覚えられるなら、はなから勝負を捨てたりしないのだ。大体「たった」数週間だって、移動日数を含んでいるからさらに少ない。


「……そのお言葉はとても力強いのですが。私、音楽に乗って踊るという感覚がさっぱりわかりません」


 もっと言ってしまうとクラシック音楽がさっぱりわからない。

 正直、まだヒップホップを流してくれた方がリズムが取れる。邦楽と少々の洋楽に慣れきった身には、この国の上流階級の人々が好む音楽はあまりに上品すぎた。

 

「もしかしたら……もしかしたらライナルト様の力添えがあれば、ライナルト様に痛い思いをさせながらでも踊れるくらいにはなるかもしれません。ええ、けれど、わかる人には丸わかりでしょうし、相当見苦しい踊りを披露することになるでしょう」


 ライナルトの足をガツガツ踏みながら踊るのも良心が痛む。


「……三十数える程度なら踊れるというのは?」

「姉の練習を見ていた時期がありました。ですから少しなら出だしを覚えていますけど、記憶もおぼろげです」

「それ以上は厳しい、と」

「厳しいどころかただしい姿勢を取れるかも怪しいでしょうね」


 話をしているうちに、とうとう私たちが馬車を降りねばならない時がやってきた。長く留まるわけにはいかない。扉が開かれると、ライナルトは立ち上がり手を差し伸べる。


「ひとまず移動しながら考えましょう」


 馬車を降りると、まず目に飛び込んだのは絢爛豪華さだ。まだ入り口だというのに、両脇に備わった像がこれから入城する人々に奇妙な威圧感を与えている。

 一人二人では開けられないような扉の向こうは炎とは違う明るさで、初めて見る人ならきっと驚きで声を失ったかもしれない。妙な懐かしさを感じたのは、壁にかけられた明かりの光が蛍光灯に似ていたからだった。あれが魔法というものなのだろう。


「……贅沢な使い方をしているんですね」


 呟きはライナルトにだけ聞こえたようで、小さく笑みを漏らしてくれたのは共感だったのだろうか。


「これほどに灯りを用いるのは夜会くらいですが、それでも使いすぎではあるでしょうね」


 馬車一つ降りるのも男性の手を借り、しずしずと行儀良く降りるのが夜会のマナーだ。手間ではあるが履き慣れない靴なので、彼の助けはありがたい。

 この入口は招待客のみが通れる道だ。使用人の乗った馬車は見当たらないことから、大分前に別口から城に入ったのだろう。

 ……予測はしていたけれど、ライナルトが隣にいる時点でいくらかの視線を感じている。隣の人物はまるで気にした様子がないので、私もそちらを確認しなかった。

 会場まではいくらか距離がある。他にも招待を受けた人々と、長い廊下に飾られた肖像画や芸術品を眺めながら歩くのだった。幸いにも周囲は歴代国王陛下や王室の肖像画を称え、美術品の意匠に驚きながら進んでいるし、適度に距離を空けている私とライナルトの会話が注目されることはない。


「先ほどの仔細は適当にお察しください。ともあれそういう理由ですので、回避できる方法を一緒に考えていただけると嬉しいです」

「カレン嬢、私はいま珍しく焦っていますよ。これは本当に予想外の事態でした」

「そうなのです? 余裕に溢れたご様子でしたから、とっくに解決策でも見出されたかと」

「ご冗談を。貴方の初夜会をなんとしても成功させねばならない大任に緊張し続けています」


 一応、聞かれても問題ない会話にはなっていると思う。ゆとりのある態度だが、この言い様だと彼なりに考えてくれている最中なのだろう。


「ただ、私もご協力していただくばかりでは気が引けてしまうので……」


 ……本番前にこれも突っ込んでおくべきだよねぇ。


「ライナルト様、そちらの御髪の織物と、首元の飾り。私の瞳の色に合わせられたのですよね」

「そうなりますね、いつ指摘されるかと思っていましたよ」

「姉が見繕ってくれた色と一緒でしたから、こうしてお揃いになってしまうと目に飛び込んでしまいます」


 ライナルトは髪を一つにまとめており、首の周りに巻いた装飾用のスカーフは浅葱色に似た宝石で留められている。それだけならなんら問題ないのだが、肝心なのは彼にエスコートされている私の衣装の色とほぼ同じという点だ。今回の衣装、姉さんは私の瞳の色に合わせ生地を選んで職人にドレスを作らせたのである。

 つまり、二人して同じ色を身につけているのだ。


「ライナルト様のことですから、公の場でこうした姿を見せてしまえば噂の補強にでもなると思われたのでしょうか」

「衣装の色が揃ってしまったのは偶然ですよ」

「そのお言葉を信じます。いまさら外してくださいなどと野暮も申しません」


 だってなぁ……お迎えの姿を見た瞬間に「あ、この人、夜会を利用する気だ」ってわかっちゃったし。なので、私もこの状況は利用させてもらおうと思うのだ。だってライナルトのようなちゃんとしたパートナー連れで踊れないのは本当に拙い。一人であれば公がいないからとか、体調が悪いぐらい言って適当に席を外す算段がついていたが……。

 

「こうなったらご婦人方の風よけになってさしあげますから、私とこの場を乗り切ってください」

 

 ちらりと横を見ると、愉快そうに瞳が揺れていた。


「よろしいのですか、あらぬ誤解を受けますよ」

「初めから撤回するとはおっしゃってくださらなかったじゃないですか。そんな飾りまで付けられて、いまさらどうしろと言うのです」

「短い付き合いながら、貴方なら大丈夫だと信じたのですよ」

「信じられてあげます。ですので……」

「力を尽くしましょう。そういうことでしたら私も面白くなってきた」


 やはり人間、目的を持っていた方が強くなるというものだ。色々と駄目な方に転んでいるような気がするのだが、夜会で覆らないミスをしでかすよりは何倍もましである。


「問題の時間は陛下のお言葉や参列者との挨拶といった時間が終わってからになります。それなりに時間がありますから、それまでに案が浮かばなければ二人で適当に隠れるとしましょう」

「……隠れられるでしょうか」

「ご安心を、本日の警護の一角は私の管轄内となる。隠れるくらいなら問題なくやり過ごせるでしょう」

「それが一番安全なような気がするのですが……」

「貴方にとって、もっともよろしくない噂が立つ手段ですよ」

 

 ……私も何かいい案を考えないとなあ。夜会というか舞踏会は参加したことがないから、聞いた話ぐらいでしか全容が掴めない。そのため急病とか隠れるといった手段しか浮かばなかったのだが……。

 そろそろ大広間へ到達する。こういった場は不慣れなためか、それとも幼い頃に童話で読み聞かせられた世界が目前に迫っているためか、多少なりとも胸の高鳴りは抑えきれない。このときばかりは動きにくいドレスの重みも不思議と感じなかった。

 入り口を潜ると、そこに待っていたのは夢物語の世界だ。高い天井に敷き詰められるように描かれた絵画、柱一本一本に刻まれた統一性のとれた幾何学模様、外に通じる楕円形の窓硝子は人の何倍もの大きさで、そのどれもが透明度の高い硝子が嵌められている。天井から下がるシャンデリアには数十本もの蝋燭が立てられているが、よくよく観察すれば炎とは違った光源が灯っていた。

 映画や観光地でしか見たことのない世界が広がっていた。場の雰囲気に飲まれかけたとき、すっと手を引っ張ったのはライナルトである。


「行きましょう」


 場慣れしている人がいてくれて助かった、と心底思った瞬間だ。きっと自分一人だったらしばらく立ち止まって広間を観察していたなりしただろう。手元にスマホがあれば撮影していたに違いない。


「差し支えなければ歩いて見て回りましょう。すべては無理でしょうが、全体像を把握しておけばなにかと便利ですよ」

「是非お願いします」

「折を見て前方へ行きましょう。本日の貴方は間違いなく陛下から声がかかる、それが終わってからは……状況に応じた行動を取りましょうか」


 コンラート伯の代理みたいなものだし、そのあたりは覚悟している。状況に応じた行動というのは身内やローデンヴァルト候といった人々との挨拶だろう。


「ところでカレン嬢、私も貴方の髪飾りについてお聞かせいただきたいのだが、それはサブロヴァ夫人が選ばれた品なのだろうか。夫人の趣味とは多少違うようだとお見受けしたのだが」

「わかりますか? いくらか用意してくれたのは姉ですが、身につけるものを選んだのは私です。姉に任せると趣味が少々……いえ、正反対ですから……」

「なるほど、だからお似合いなのでしょうね。貴方にはこちらのご婦人方が好む飾りよりも、向こうの職人が仕立てる細工品の方が似合う」


 向こう、の意味を少し考えた。ライナルトははっきりと言葉にしなかったが、こちらと向こう、となれば帝国のことなのだろう。いま身につけているのは五枚花弁の花を模した髪飾りと、銀細工に細かな宝石が点々と繋がった首飾りと揃いの耳飾りだ。周囲の女性は太めの腕輪に大きな宝石が嵌まった品とか……彫り細工に宝石を嵌めた装飾品を身につけているご婦人の方が多い。


「……向こうはこういった意匠の装飾品が多いのですか?」

「国柄の違い、流行りというのですかね。ファルクラム様式の細工品は人気ですが、貴方が身につけているような品を好む人が多い。……私もその一人ですが」

「だとしたら、装飾品店はさぞ見応えがあるのでしょうね。羨ましい限りです」


 お国柄なんて考えたことなかったけれど、装飾品でこうも差があるのなら服飾にも違いがあるのだろうか。派手さ、豪華さが女性の格の見せ所といった視点が入るファルクラムの夜会はシンプルが最も遠い言葉である。

 ゆっくり歩いているとちらほらとライナルトを見つめる女性の熱い視線が視界に飛び込むけれど、彼女らに近寄ってくる勇気はなさそうだ。

 

「私は教科書や皆から教えてもらった話でしか彼の国を知りませんが、個人の自主性や才覚が認められやすい国だと聞きました」

「自主性と才覚、ですか」

「ええ、素晴らしい話ではありません? 行動力と実力で好機を得られるのは一種の才能です。夢のある話だと私は感じたのですけれど」

「仰るとおり夢はあるでしょう。だが、実際は弱者が蹴落とされるとも言い換えられますよ」

「甘いことを言っているのはわかります。けれど誰かにとって夢を見る可能性を持てるか、持てないか。その違いだけでも大きくはないでしょうか」


 もちろんファルクラムも良い国だ。女性が働きやすいといった点もポイントが高い。けれど伯から話を聞くうちに、帝国の良さも教えてもらった。彼の国の欠点は内紛や戦争が多い点だが、同時に苛烈な上位争いも発生しており、ファルクラムのように必ずしも有力貴族が市場を握っているというわけでもないらしい。

 日本風に述べてしまえば男女問わず個人でも会社が設立しやすくて、チャンスさえあればいくらでものし上がれると書けばわかりやすいだろうか。

 貴族社会にはない可能性を持つのが彼の国だと伯は語っていた。

 これらは実際に見たわけではないし、なんらかの相違点はあるだろう。どの国とて問題を抱えているだろうから一長一短だろうが、就職活動を潰されたことがある身としては羨ましい話だ。


「カレン嬢にとって彼の国は悪ではないと?」

「どうなのでしょう」


 悪と来たか。確かに戦時中、この国にとって帝国は悪そのものだったのだろう。私が知らないだけで、年を重ねている者たちの中ではそう信じている人も多いのかもしれない。けれど私にその国について語った人はこう言ったのだ。


「受け売りなのですが、善し悪しで語るのであれば、本当に悪い国というものはあるのだろうかと。あるとしたら、それは指導……いえ、あの、ごめんなさい。黙ります」


 いくらなんでも変なことを喋りすぎである。ライナルトの誘導もあったし、声はかなり抑えていたから会話の内容まで聞かれたとは思わないが、自身の不覚を悟って口を噤む。

 気分を悪くしただろうか。顔を見れば、ライナルトがとても優しい表情をしているのがわかった。特別な事を言ったつもりはなかったから、こちらが驚いてしまったくらいだ。


「あの……」

「なんでもありません。そろそろ奥へ向かいましょう」


 機嫌がいいならそれ以上はなにも言うまいが、無理に微笑を作られるよりは自然に笑ってくれた方が嬉しいのは確かである。 

 ……しかし、遠巻きに彼を見つめる熱視線がなければ心情的には穏やかでいられただろうに。


「それと今宵の貴方は姉君同様に注目を集めるようだ。私から離れないよう注意してください」


 あなたの方がよほど注目を集めていますよ、とは言いそびれてしまった一言だった。

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