第21話 こんなに贈られても

「解体って結構な体力使うのねー。もう腕がぱんっぱん」

「そりゃあそうですよ。おじさん達だっていっつも腰がー腰がーって言いながらお仕事してるんですからー」


 広く浅めの桶に汲まれたお湯の中でぐぐっと背伸びをする。血の汚れを落としたいならお風呂しかないが、当然水道施設は存在しない。お湯を沸かしてもらうしかないわけで、桶の中にお湯がなみなみと注がれている。

 傍にはもっと深くて広いバスタブもあるけれど、そこまではしなくていいと断ったのだ。


「血の臭いがするお貴族様がいますかー!」


 いつもならお風呂は一人で済ませるのだが、血臭が凄いから洗うとニコに叱られ、彼女はエマ先生から枯れた草花の束をもらってきた。お湯に浮かべるとふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐり、徐々に気分が安らいで行く。


「できればこれからも解体していきたいのだけど、お手伝いさせてもらえるかしら」

「え、ええぇ……失敗してお洋服に血を飛ばしちゃったのに……」

「次はもっとうまくできるような気がするの」


 ドン引きのニコ。

 狩るのは大好きだが解体を好むお貴族様は少ないだろう。


「そういうのは猟師に任せてくださいよう。そんなことしなくたって生活して行けるんですから……」

「世の中なにがあるかわからないものよ、覚えておくのに越したことはないわ」


 ニコには以前怪我を負った治療の際、世話を手伝ってもらったからか、髪を洗ってもらうのにもさほど抵抗はない。ばしゃりとお湯をかけられ、猫を洗うような手つきで髪をかき混ぜられた。


「……そーですねえ、スウェン様がいらっしゃるし、奥様がそういうならニコもお付き合いしますけどぉ」

「じゃあ決まりね。……大丈夫よ、あなたにはできるだけスウェンの方にいってもらうから」


 スウェンの出発までの間、彼らには甘酸っぱい青春を送ってもらおうじゃないか。


「でも奥様は大変じゃありませんか。ただでさえエマ先生のお手伝いに学校のお勉強があるんですよね。旦那様やウェイトリーさんにも何か教わると聞きましたよ。そのうえ猟師の真似事なんて……」

「驚いてちょうだい。さらに乗馬の練習も始めます」

「なんで!?」


 それはもちろん多種多様なスキルを身につけるためだ。メインは最初の二つだが、これらは伯やウェイトリーさん達と相談した結果、覚えていこうということになった。

 私の最終的な望みは独り立ちだ。エマ先生は私の性別を考慮した上で自分の手伝いをさせると言った。


「医者の真似事ができれば、女の子は安心よ。薬草を覚えていれば田舎でも貴重な存在だし、特に都会のような場所なら男の医師には相談できない案件でお声がかかるの」


 まるで見てきたかの言い様なのだが、それもそのはず。エマ先生、見習いの時は師に付いてあちこち旅していた頃があるらしい。さらに伯がこう付け加えた。


「卒業を控えていたのに学校を中退したのだったね。なんとかしてみるから、勉強を続けておきなさい。どこで働くかはわからないけれど、卒業したと辞めてしまった、では相手の反応が天と地ほどの差があるよ」


 後日になると本当に話をつけてくれたらしく、監視員付きの試験に合格すれば卒業を認めるとの手紙を頂いた。学長の署名付きなので間違いない。

 伯の顔の広さが気になるのだが、老人は涼しい顔で「古い家だからコネがあるんだよ」と言ってのけだ。

 で、残りはほとんど私から言い出したものだ。コンラートの家に世話になる以上、いつまでも客人の身分に甘んじるわけにはいかない。表の顔がコンラート伯夫人というのは変わりないし、有事に備えて帳簿の見方を覚えたいとお願いした。

 もちろん悪用はしないし監督付で構わないと一言添えた上でだ。

 カミル氏は大分悩んだようだが、最終的には折れてくれた。これは以前、氏が体調を崩した関係もあったのだろう。何かあった際、あくまでも内縁の妻であるエマ先生では親類縁者達に強く出れないためである。


「残念だが僕の親類は信用できないからね。ウェイトリーと二人で覚えていっておくれ」


 帳簿というだけに苦労は覚悟で臨んだのだが、意外にもこれはすんなり覚えられた。というのも日本人であった頃、この手の分野に関する知識と技量があったためである。ウェイトリーさんには覚えが早いと驚かれた。


「確か旦那様に戦の話をお聞きしているとか。ではいっそのこと治水工事や派兵にかかる金額、籠城に必要な物資に、それらにかかる代金を覚えてみましょう。……籠城は帳簿に関係ないのでは、と? いいえ奥様、コンラート領はいざとなれば籠城も行える砦です。備蓄は常に備えていますし、倉庫を管理するのは我々の仕事。それに金の流れを知るのは他国を行き来する商人達を知る良い機会ですよ。……リズにも手伝ってもらいましょうか」

 

 なぜ領地の管理といった会計だけでなく戦に関連する事項が含まれたのかはともかく、必要以上の知識をたたき込まれる事態となった。なおリズとはヘンリック夫人の名前である。

 乗馬は完全に私の趣味だった。

 生前はそもそも馬に縁がなかったし、乗馬できるって格好良さそうだなっていうのが動機なのだけれど、伯は何故か「馬に乗れるなら、いざというときの逃げ足の確保ができるね」と了承した。ウェイトリーさんの件でうっすら気づきはじめていたが、この人達、あらゆる観点に生き死にが関わっている人生ハードモードである。

 こういったスケジュールの調整がいくらか交わされ、都にいる時には機会すら得られなかったあらゆる経験をコンラート領の人々に教わることになったのである。

 そんなある日の出来事だ。

 エマ先生の仕事場で薬草の見分け方に四苦八苦していると、エマ先生のもう一人の息子であるヴェンデルが飛び込んできた。


「カレン、ヘンリック夫人が呼んでる。小包が届いていますだって」


 この子はスウェンに似た容姿をしていたので、当初は年の離れた兄弟と勘違いしたのだが、実はどちらの実子でもない。エマ先生の身内が不幸に見舞われたため、乳飲み子の頃に引き取ったそうである。ヴェンデルは私の手元をのぞきこむと、持っていた花を奪い取った。


「それ薬に混ぜたらだめだからね、あわを吹いてたおれちゃうよ」

「……ハイ」


 だめだ全然わからない。

 もうじき十一歳になるであろう少年がいまの私の先輩である。

 この頃にはスウェンはコンラートを出ていたから、ヴェンデルと話す機会も増えていた。この子も人懐っこい性格なのか、仲良くなるのに時間はかからなかった。

 夫人が呼んでいるとのことで屋敷に戻ると、何故か居間の方に通されようとしていた。ヘンリック夫人はいつも通りだが、ニコのみならず若い使用人はキラキラと目を輝かせている。


「都の方から奥様にと贈り物が届いたのです」

「贈り物??」


 そんなの贈ってくる人なんていたっけ? ……と、思っていたのだが、いた。

 上の兄姉二人である。

 扉を開いた瞬間「うっ」と声が漏れた。広めのテーブルの上に所狭しと並んだ色とりどりの生地の山にたじろいだのである。


「え、は……?」

「兄上様と姉上様からとのことです。本日、荷馬車と一緒に到着しました。装飾品の類は奥の小箱の方にございます。一覧はここに」


 渡されたのはリスト化された品目一覧だ。そこに添えられていたのはアルノー兄さんからの手紙で、要約すると輿入れしてキルステンから離れちゃったけど、私の個人資産が足りないような気がするから贈るね。足りないならまだ送るよ! という内容である。

 夫人は近くに置かれていた生地を手に取ると、しみじみと眺めながら説明した。


「普段使いの綿だけでも量がございます。他は……絹だけではありませんね。こちらの天鵞絨は間違いなく本物ですし、繻子織もいくらかあるようです。刺繍用の金糸と銀糸もたっぷりございますし、どのような仕立ても可能ですよ」


 装飾品は頭から足先まですべてカバーできるだけの種類と数が用意されている。姉さんの趣味であるごってごてのごつい宝石が嵌まった金細工があれば、控えめなデザインと意匠が施されたのは兄さんが選んだ品だろうか。

 なんにせよ一斉に並び立てられた品々、それはもう壮観である。眩しすぎて目がチカチカしそうになっていると、夫人がさらに付け加えた。


「別の方からも奥様宛に荷が届いておりますが、旦那様の指示でお部屋に直接置いてあります。そちらはご自身でご確認ください」


 別の方って誰よ。

 尋ねたが夫人は回答してくれず、それよりもこの大量の生地と装飾品をどうするかを逆に聞き返された。


「旦那様はすぐにしまってしまうのも、奥様のご兄姉のお心を損ねるからと……」

「……え? でもしまわないと、こんなの置いておけないのでは」

「ご希望でしたら隣の部屋に飾りますが……」

「それはいいです。そんなに見ないし、飾られても埃が積もるだけです」

「かしこまりました。ではこちらの方で管理させていただきますが。その前に奥様」

「はい?」


 夫人は真顔で私を見下ろし、言った。


「服をお脱ぎください」

「なんて?」


 素で聞き返した。え? いま本当になんて言ったの?

 いつの間にか背後にはニコが立っている。肩を掴む手の力は強く、決して逃さないという意思を感じさせる。ヘンリック夫人はニコを咎めようともせず、生真面目に頷きながら実は、と切り出した。


「贈られたのは生地や装飾品だけではございません。生地を贈っただけでは奥様は決して衣装を仕立てないだろうとの言伝と共に、服飾職人も共に来訪されました」

「は!?」

「わたくしどもは奥様の兄上様やサブロヴァ夫人に納得していただく義務がございます。そのためにも、しばらく人形になってくださいませ」


 夫人の目が据わっている。扉の向こうから登場したのはいかにも派手な格好をした女性の服飾職人にお針子達。この人達、私で遊ぶつもりかと身構える。営業スマイルの女性はそれはもう満面の笑みで宣言した。


「サブロヴァ夫人より、可愛い妹君のために最新の衣装を用意せよと仰せつかっております。他にも普段着を仕立てさせていただきますので、どうぞ私どもに身を任せてくださいませ」

「ひぃ」


 オーダーメイドにあまり興味がないのだ。本人の意志そっちのけであれこれ話をされるのは好きじゃない。なにより夫人が人形と言ったのが気になる。嫌な予感しかしない。しかし背後のニコは私を離そうとしない。


「奥様、ニコはもうちょっとこの綺麗な品々を見ていたいです」


 スウェンが発ってからこちら、元気がなさそうだと思っていたが……これは明らかに楽しんでいる!

 背後で扉が閉まる音がして、終わったなとすぐさま諦めた。

 できればゴチャゴチャした飾りはやめてくれ、できるだけシンプルにと伝えたが、ああでもないこうでもないと議論が交わされ、寸法を測り、生地を合わせていたら簡単に数時間は経過していた。ぐったりしながら部屋に戻ったのは夕方だ。

 夕餉まで寝転ぼうとしたのだが、机に置かれた小包の存在で夫人の言葉を思い出した。

 キルステン関係なら居間に置かないのは不思議だしと包みを開き、同封されていた手紙の封蝋に納得した。仰々しい動物の封蝋が許されているのは名家だけだ、鷲と植物が象られた蝋はローデンヴァルト家が使用するものである。

 中身は小箱。以前姉さんにもらったのと似たような小箱で、蓋を開くと、ライナルトに回収されてしまった腕飾りがちょこんと鎮座している。手紙は多くは綴られておらず、わかりやすい一文だ。


『時間が掛かってしまったが、修復が完了したのでお返しする』


 やや右肩上がりの流暢な文字であった。

 だが机に置かれていたのは小箱の包みだけではない。もう一つ、小箱よりも小さな箱が置かれており、そちらに添えられていた差出人の名に驚いた。


「ニーカさんだ」


 中身は万年筆とインクの入った容器だった。万年筆は無駄な装飾は省かれたシンプルな品だが、持ち手はなめらかで掴みやすくペン先には文様が彫られている。私も何度かペンを探した覚えがあるが、そうそう見かけないデザインの代物だ。

 ニーカさんの方は手紙が添えられており、制服を綺麗にしてくれたお礼にと書かれているのだが……。


「上着と助けてくれたお礼だから気にしなくてよかったのに」

 

 姉さんの館から帰る日に借りた上着を返した際、詰所で助けてくれたお礼も兼ねて品を添えたのだ。ライナルトの別荘を去る前、エレナさんに彼女の好みを聞いていたから外れはなかったと思う。

 ニーカさんには女性の部下が多いそうだ。エレナさん含めた皆さんで使えばいいとの判断で安めの消耗品の類と、彼女が好んで飲むという葡萄酒を贈っていた。

 これは逆に気を遣わせてしまったかもしれない。複雑な心境だが、新しい万年筆と、なによりあの凜々しく騎士然とした女傑から贈り物をもらえたという喜びの方が勝っていた。

 この万年筆は大事に使わせてもらおう。それにお礼の手紙だけでも出さなくてはならない。

 ペンの書き心地を試そうとインクの容器を掴んだのだが、そこでふと思い出した。

 ……帝国公庫の利用権はどうなったのだろう。

 どのような形で送られてくるかは不明だが、モーリッツさんやライナルトの言い様では必ず用意されるだろうと信じていたのである。

 しかし簡単に用意できるとも思えない。準備中なのだろうと納得しかけたところで、腕飾りが納められた小箱に視線が移った。

 なんとなくだが、腕飾りの下敷きになっている綿入りの天鵞絨が気になったのだ。姉さんからもらった箱と違い、布が外れるようになっていて、そっと持ち上げると底に敷かれた新しい封筒の存在に気がついた。

 慎重に中身を取り出すと、見知らぬ家紋の封蝋だ。紙自体に金箔が練り込まれており、いかにも重要文書が入っているのだと視覚で訴えている。

 入っていた文書は二枚。

 一枚は私の名が記されており、帝国名誉市民に相当する身分である保証と、私財管理を帝国が担う旨が記されている。

 一枚は私の所有する財産目録だ。

 現在帝国に預けている資産は金貨何枚になるのだろうか。モーリッツさんが用意した額はいかほどかと目を走らせるのだが、どうもおかしい。一度目を閉じ、もう一度中身を確認する。縦から読んでも横から読んでも数字に変化がないので、さてこれはどうしようかと証明書を閉じた。


「…………金貨五千枚かぁ」


 想定外すぎて呟くくらいしかできない。

 一日にして大金持ちになってしまった心境は、これはこれで面倒くさいという、相手にとって実に贈り甲斐のない感想だった。

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