舞踏会編

第20話 覚えたいことがたくさんある

「帝国が良く思われていない理由は、そうだねえ。はっきり言ってしまえば、彼らがいつ僕たちに襲いかかってくる敵かわからないから、だろうねえ」


 カップに注がれたお茶に一掬いの砂糖を混ぜ、カミル氏は言った。


「若い人たちはそれほど敵意も抱いてないようだけど、三十年近く前までは帝国との領土争いが多発していてね。あの頃はまだ我が王国も強かったし、勇猛な将も健在だった。戦が起こっても資源が豊富だったし、地理的にも有利だ。小国であろうと渡り合えていたんだよ」


 帝国はいまでこそ大国だが、元々はとある小国が五つの国を侵略、滅ぼした後に新たに創られた国だ。この大陸に残っているのは端から順に砂漠地帯の都市国家連合、中央に帝国、隣に小国ファルクラムを挟んで大国ラトリアという図式。海の向こう側には日本と中国を掛け合わせたような国があるが、こちらは貿易くらいしか交流がないので割愛する。


「五十年くらい前に中央地帯の国は統合されてしまったと教科書で読みましたが、なぜこの国は生き残っているのでしょう。だって三十年前の戦争はファルクラムを滅ぼすためのものだったのでしょう?」

「生き残っているというより、見逃してもらった。運が良かったと言うべきじゃないかな。我が国に恐れをなしたと誤解している者が多いけれどね。……当時は本当にぎりぎりのところまで踏み込まれたんだよ」

「というと?」

「帝国にとって我が国が手強かったのは事実だけれど、当時、僕たちの間では物量で来られたら負けるだろうとの見方が強かった。けれど帝国は歴史の浅い国だ、滅ぼした国家の民が内部反乱を起こしてくれたのが良かったのさ」


 さらには、とカミル氏は付け加える。


「国王陛下は徹底抗戦ではなく恭順という道を考えられる方だったのも幸いしたかもしれないね。いたずらに民を失うより、王室の矜持を捨ててでもこの国が残る道を選べた」

「…………でも帝国はこの国を滅ぼしたかったのですよね」

「そう、豊富な資源が欲しかった。けれど内紛は予想以上に激しさを増していたらしくてねぇ。おまけに山脈を越えた向こう側にある大国ラトリアも戦争の準備をしているという報が入った。それじゃあ強引に我が国を奪っても仕方がない」

「仕方がない? 何故でしょう」


 当時を思い返しているらしい。カミル氏は珍しくも若々しい笑みをたたえ、悪戯小僧のような顔をした。


「攻められるのであれば我が国は徹底抗戦すると宣言したのさ。当然滅ぼされる前提だがね、王が死んだからといって即座に国をまるごと統治できるわけがない」

「ああ……そうですね。貴族や市民の中にも反乱する人はいるでしょうしね」

「そう、カレン君はよく気がつくね」


 満足げに頷く氏は、教鞭を執る教師のようでもあった。実際私も歴史の授業を受けている心地なので、間違ってはいないのかもしれない。

 この異世界、戦争はゲームじゃないのだ、王を斃したからはいこの国は帝国の領土! となるわけじゃない。戦の事後処理は大変だと氏は語る。兵士は疲弊しているだろうし、反抗する民の鎮圧に兵士は駆り出されるだろう。物資の心配もしなければならない。


「砦としてもまともに機能しないだろう。ついでに帝国に滅ぼされるくらいなら、彼らが欲しがっている鉱山もすべて爆破すると……外交官が命がけで帝都グノーディアに乗り込み、声高に宣言した」

「鉱山の爆破は帝国にとって大損失だと? でも鉱夫達がいれば……」

「宣言の中には鉱山の関係者全員の命を奪ってでも帝国に情報は渡さないといった内容もあったらしいよ。僕は現地にいなかったから伝え聞いただけなのだけど、戻ってこれた補佐官がいまにも死にそうな顔をしてたのは覚えてる」


 ひぇ……。奪われるくらいなら壊すのか。入念な自殺予告をしなきゃいけない当時の外交官の度胸はいかばかりだろう。

 平和な時代に生まれたからよかったけど、この国も結構苛烈である。

 もちろん、この内容は秘密だけれどね、とカミル氏は笑う。


「僕たちがこれまで培ってきた技能や知識が喪失するんだ、彼らは苦労するだろうねぇ。それに当時のラトリア王は強欲だ、間違いなく双方が疲労している最中を狙って侵攻してくるのは目に見えていたよ」


 そこで国王陛下の柔軟な考えが活きた。ファルクラムという国を生かしてくれるのであれば、降伏に近い形で降る。資源を融通し、帝国に有利な形で商談も応じようと持ちかけたのだ。

 それからは色々揉めたらしいが、同盟という形は結べずともこの国は生き残った。それがいまでも続いているらしい。


「この国って、結構な綱渡りをしてたんですね。恥ずかしながら知らなかったです。……でも、これって結構凄い話ですよね。どうしてそれが教科書に載っていないのかしら」


 純粋な疑問だったのだが、これはカミル氏の笑いを誘った。

 

「元より降伏のための努力だったからさ。それに鉱山以外にも外交官殿の発言は中々苛烈だったし、事実をありのまま書いてしまえば王室の威厳を損なってしまうよ」

「でも、皆様とても頑張ってくれたのに……」

「ありがとう。若い子がそう言ってくれるのなら、僕たちも頑張った甲斐があったのだろうね。ともあれそういう理由だから、一般観光客ならともかく帝国軍人となると印象が悪いのさ」


 以上が帝国が良く思われていない理由であった。

 ……帝国とこの国の関係について教えてくださいって言っただけなのに、カミル氏には色々と見抜かれている。

 都から戻ってからこちら、あれこれ本を読んでいたのもばれていたんだろうなあ。


「さて、帝国の話はこれくらいでいいのかな」

「あ、伯って前線に出てたのですよね。じゃあ戦も体験されてるんでしょうか。良ければ、その頃の話も聞いてみたいのですけど」

「体験はしているけど、ただの使い走りだよ。面白い話はないと思うけれど」

「ええと、こっちは個人的な興味です。よかったら色々と教えてもらえませんか?」


 私のような娘が戦の話に興味を持つのは不思議だったのだろうか。氏はしばらく悩んだ様子だが、別日で良ければと約束してくれた。

 今日の所はこれまで、ということで部屋から退出。すれ違ったウェイトリーさんが声をかけてくれる。


「奥様、ご実家からお手紙が届いていましたので机に置いてあります」

「ありがとう」

「スウェン様とニコは領民の手伝いに行っております。よろしければ後ほど顔をお出しくださいませ」

「はーい」

 

 この時間、使用人さん達は洗濯や掃除に勤しんでいる頃だ。誰も居ない階段を上がって自室の寝台へ転がり込んだ。

 なんとなく両手を持ち上げて、すっかり綺麗になった手を見つめている。


「ほんとに綺麗に治るんだなあ」


 さて、あれからなにがあったかをざっくり述べてしまうと、まず都で襲われた事件から一月ほど経っている。ライナルトの別荘から屋敷に戻ってからはしばらく休んでいたが、シクストゥスの治療を受け終わると共にコンラート領へ引き返した。

 理由は数点あるが、重要な方から言ってしまうと姉さんやエルの件は簡単に片付きそうになかったこと。次に輿入れしたてで都に長居したとあっては余計な噂を招くといった理由からだ。

 それと何気にお茶会の誘いが多かった。コンラート伯夫人としてというより、キルステンの娘という狙いでの声かけだ。たった数日の間に寄せられた十件以上のお誘いは断るのも大変で、とっとと引き上げた方が良いとの判断になったのである。

 私たちが不在の間、カミル氏にエマ先生はお爺さまを上手く説得してくれたようだ。それに何を思ったのか、姉さんからもお爺さまに一言あったようで、つつがなく田舎暮らしを満喫させてもらっている。


「うあー……このまま寝たい……」


 コンラート家は基本的に早寝早起きの健康的な生活が信条だ。日が昇ってしばらくすると笑顔のニコが起こしに来るため、昼まで寝るなんて暴挙は許されない。素晴らしく健康的な生活、いいことなのかもしれないけど参っちゃうよね!

 夫人にだらしないと言われそうな動きで手紙を回収すると、差出人を確認した。キルステンの家名が入っていたが、中身は兄さんとアヒムからのものである。

 ……顔の広いアヒムに探してもらっているのだが、エルは相変わらず行方が知れない。引き続き探してみるという旨である。兄さんからは姉さんから殿下を離すことが成功したので安心するようにといった内容である。あとはローデンヴァルトと上手く連携をとっていることと、健康を心配してくれているくらいか。


「……ダンスト家がねえ」


 この手紙からわかるように、兄さんは本格的にローデンヴァルトの手を取ったようだ。こちらは向こうにいる間に夫人に頼んでいた件だが、調査をしてもらった結果、キルステンの本家であるダンスト家が多額の借金を抱えているのが判明した。

 どうも次期当主予定の長男が不慣れな貿易に手を出したらしく、私が都に滞在してた時点で相当お金に困っていたらしかった。兄さんはなにも言わなかったが、あれからキルステンにも借金の申し出があったらしいこと、そして驚くべきことに、その話を断ったらしいというのをカミル氏に教えてもらっていた。曰く、ダンスト家の没落も時間の問題らしい。


「我が家にも借金の申し出があったが、金額が桁違いすぎて断らざるを得なかったよ」


 これを聞いたときは吃驚してしまった。どう考えても私が嫁いでしまったから、その関係で話があったのだろう。申し訳なさに縮こまってしまったのだが、氏は気にするなと言ってくれたのがありがたかった。


 「投資した相手が帝国の貿易商でなければ、いくらかは融通してもよかったのだけれどね。おそらくだが、キルステンがお金を出せなかったのもそこに理由があるのではないかな」


 何気にダンスト家の詳細を調べ上げていたのは流石という所だろう。氏の見解では、いまのダンスト家は海に泥船を浮かべているようなものらしく、手を差し伸べれば最後、道連れに海に引き込まれるだけだという。

 冷たいようだが、もし連絡があっても手を出してはいけないと忠告されていた。

 本家は好きになれないが、従姉妹のマリーの行く末だけは多少気がかりである。

 しばらく天井を見つめていた、重苦しくなっていく思考に気付いて身を起こして部屋を出た。すれ違う使用人に挨拶をして向かうのはコンラート領の町である。

 都ほど派手さもないし喧噪もなかったけれど、コンラート領は自然に恵まれ活気に溢れている。領民は伯を慕っているし、衛兵の管理も行き届いているから領主の人気は上々だ。

 雑草の生えた古い石畳の端に布を敷いて野菜を売り、屋台では捌いたばかりの肉が並んでいる。町中はコンラートの屋敷にも通じる一本の水路が走っているのだが、その下方、洗濯場では主婦達がおしゃべりに興じながら手を動かしていた。

 家の前で藁を編んでいた老婆が顔を上げると、ちょうど目が合う。皺くちゃの頬をにっと持ち上げていた。


「奥方様、こんにちは。今日はお散歩ですか」

「こんにちは、スウェン達を探しているのですけど、どこにいるのか知りません?」

「それでしたら猟師のダニーの所ですよ。ニコ嬢ちゃんもいっしょにいるはずです」

「ありがとう、行ってみます」

「今日は日差しが強いですよ、気をつけてくださいねえ」


 二ヶ月も経つと、挨拶をしてくれる人も増えた。初めはおそるおそる、といった様子だったが、エマ先生やスウェンが積極的に私を連れ回してくれたおかげだろう。それにしたって、エマ先生を押しのけて正妻の座についた若造だ、受け入れられるのが早すぎると思われるかも知れないが、実はちょっとした裏がある。

 ずばり問題を解決してくれたのはニコだ。

 都で詰所に連れ去られた事件、彼女は当然家族に話さないわけにはいかなかったのだが、どうも私が身を張って助けに来てくれたのだと涙ながらに話したらしい。私は彼女の両親や曾祖父に至るまで、けっこうな人々に感謝され、田舎ネットワークゆえかそれが大勢に広まった。

 ……大変むず痒く、居たたまれない気持ちだったがこれもコンラート領に溶け込むためである。…………と、カミル氏にも言われ、どういうわけか私が誘拐犯を成敗したという尾ひれを訂正するわけにもいかず、今に至るというわけだ。

 あとはエマ先生とスウェンとも仲が良いし、関係は良好だと見せつけていたから段々と打ち解けたという次第である。ついでに国王陛下の側室の妹だっていうのも広まった。


「たしか鹿の解体だっけ、間に合うかなー。せっかくだからやらせてもらいたいなー」


 予定より先延ばしになってしまったが、スウェンはもうじき都の市井の学校に入学する。兄さんが休憩のための一軒家を購入したらしく、そこに住まわせてもらうのが決定したようだ。出発前、ということで思い出作りに励んでいる。

 ……ニコがなー。幼馴染みのスウェンとたくさん遊びたいだろうからお邪魔したくはないのだけど、エマ先生達も私が領民とふれ合うの推奨しているし、なにより鹿の解体に興味あるからなぁ。

 コンラート領の町は緩やかな山脈の上部にあり、周りを無骨な壁が取り囲んでいる。向かった出入り口はシンプルかつ無骨な鉄門だ。


「お帰りはスウェン様と戻られるでしょうからお通ししますが……。あまり遅くならないようにしてくださいとお伝えください」

「わかりましたー」


 衛兵に挨拶をして門を抜け、広大な草原を見渡しながらほう、と息を吐いた。以前、壁の外は賊が出るから治安が悪いと述べたが、コンラート領の周辺については問題ない。なぜなら反対側の広大な森はともかく、草原側は背の低い草しか生えていないからだ。賊が出たら一発でわかるし衛兵が駆けつける。

 とはいえ、向かったのは草原じゃなくて壁をぐるりと回った森の方面だ。

 視界いっぱいに広がる一面の木々。その向こう側に大国ラトリアがあり、この森林を監視するのもコンラート伯の役目である。

 一歩間違えば遭難必至の恐ろしい樹海だが、領民にとっては食料の宝庫。

 目的の場所ではすでに数頭の鹿や雉といった獲物が並べられ、見知った顔が興味津々で猟師の手元を観察している。

 はじめに私の侍女が、次にコンラート領の跡継ぎがこちらに気がつくと大手を振って「おーい」と叫ぶ。

 ざあっと一陣の風が通り抜け、激しく髪をたなびかせた。陽射しを受ける眩いばかりの二人の笑顔、平和を象徴するような光景で思わず笑みがこぼれてしまう。

 ……とりあえず、解体と皮なめしのやり方を教えてもらわなきゃね。

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