第二話

 1時間ほど経っただろうか、辺りを歩き回ってみたが特に何もなかった。まるで何もないというわけでもないのだが、扉を開けるといたって普通の和室や客間があり、そこにある家具なんかにも何も入っていない。そんな部屋が延々と続いている。

 「訳が分からん…」

 ため息をつきながら今いる部屋の真ん中に音を立てて腰をついた。

 「私も長いことここに居るけど、本当に何もないのよね、ここ。」     

 「何なんだよ…」

 今になって、自分の中に恐怖と焦燥が渦巻いてきた。今までは、現実離れした光景に少しばかり興奮していたのだろう。隣にいる西連寺という女子の存在もあったかもしれない。それで少し浮かれていた。しかし、時間がたって冷静さを取り戻した今、もう楽観視はできなくなってしまっている。出口がないのかすらもわからないここにでは、とにかく先が見えない。

 視線を上げた先にいる彼女...西蓮寺はもう一週間はここに居るということらしいが、そんな時間をここで過ごしてどうして正気を保てているのかわからない。

 「なぁ、お前はどうして...」

 視線をそのままに、疑問をぶつけようとしたその時、

 ぐぅ

 と音が鳴った。

 当然それが何の音か、どこから発生したのかは明らかなのだが、心が折れかけていた時にこんな音を聞かされたのでは自分の中の時が止まってしまったような感覚に陥てしまう。...なんだっけな、こういう時にいうべきことがあったような...ああそうだ

 「腹減ったな。」

 「...ええそうね。」

 お、開き直ったか。しかしまあ、時間の経過はわからないが、歩き回っていたこともあって意識をしてみると自分もそこそこ空腹だ。ただ空腹となると、少し前の彼女発言が改めて疑問として降りかかる。

 「なあ、さっき言ってた飯は出てくるって、どういうことなんだ?」

 「そのままの意味よ。食事をとりたいと思った状態で扉を開けると、次の部屋に食事が用意されてるの。」

 「...へえ。」

 改めて聞くとにわかには信じがたい話だが、ともかく見てみないことにはわからない。腰をあげ、近くのふすまに手をかける。

 「これで開けたら飯があるのか?」

 「そのはずだけど。」

 「ふむ。」

 ふすまを開けるとそこには居間のような部屋があり、その中央にあるちゃぶ台の上にお盆二つとともに二人前の食事が置いてあった。

 「まじか...」

 今までにどの部屋を見ても何もなかったというのに、あまりにもあっさりこんなものが出てくるとは。冷めているような様子もなく、まるで出来立ての料理だ。 

 「さっきも言ったけど、安全性については問題ないはずよ、たぶん。」

 「まあそれはいいが...なんというか、それなりに豪勢だな。」

 一人前の盆に、ご飯に味噌汁、漬物と焼き魚、そしてこれは...見知ったものとは少し違うが...

 「大根ずしじゃない...なんだっけなこれ...」

 「かぶら寿司よ。」

 「そう、それ。」

 そうだった。どちらも見た目の似ているなれずしなのだが、大根とにしんを使う大根ずしに対して、かぶら寿司はかぶらとぶりを使う。後者のほうが高いこともあって最近は見ていなかった、などと思っているとそんな俺に彼女は聞いてきた。

 「こっちじゃかぶら寿司のほうが有名じゃない?...待って、そういえばあなた、どこに住んでるの?」

 そう、最近じゃ地域差もあまりないが、石川県と富山西部において広く作られるかぶら寿司に対して、大根ずしは石川県を中心に作られてきた。彼女が言ってるのはそういうこともあるだろう。ただそういえば、あのバケモノにさらわれた場所について共通点があるかどうかは気になるところだ。

 「いやまあ、富山の、南砺市の方だけど、ちょっと前まで金沢にいたもんだから。家でよく見たのは大根ずしだったなぁ。お前は?」 

 「そう、私は砺波の方だったけど。...まあいいわ、食べちゃいましょうか。」

 そういうなり彼女はちゃぶ台にむかって正座をして、いただきます、と手を合わせてからそそくさと食べ始めてしまった。同伴者を待ってくれる作法はないらしい。仕方ないのでこちらもおくれて腰を下ろし、手を軽く合わせて食べ始めた。...うまいな、魚はホッケかこれ?

 しばらく無言のまま食べていると、彼女のほうは先に食べ終わったらしく、箸を合わせて盆の上に置いた。食べるのが早いと思ったが、見ると魚は少し残している。

 「ねえ、あなたがさっき言おうとしてたことだけど、」

 「うん?」

 向こうが突然話かけてきたので、慌てて口に含んでいた米を飲み込み反応した。

 「さっきって、どのあたりの話だ?」

 「この部屋に入る前の話よ。」

 「ああ...」

 言われて思い出した。少しばかり和らいでいたが、自分の中の恐怖がなくなったわけじゃない。来たばかりの俺がこのざまだというのに、この女はどうして一週間もここに居て平然としていられるのだろうか。

 「お前は...、どうして大丈夫なんだ?一週間近くここに居るわけだろ、なんか...ないのか?」

 「まあそうね、私もここにきてすぐは大分取り乱したけど。今落ち着いてる理由の一つは、ひとまずこれね。」

 そう言って彼女は食べ終わった後の皿を指さした。 

 「食事や水もそうだけど、トイレだったり風呂場だったり、生活に最低限必要なものは望めばこんな風に出てくるのよ。とはいえ、一番大きかったのは食糧ね。とりあえず死の恐怖は払拭されたわけだし。それに私たちを攫ってきた怪物のようなものも見ないしね。」

 なるほど。まあ確かにそれだけ充実しているのなら、慣れで恐怖は緩和していくのかもしれないが、しかし...

 「まあ長くは続かなかったけどね。しばらくして外に出れない恐怖みたいなのが襲ってきて...これからどうするのか、どうなるのか。そういう感情に押しつぶされそうになってた時に、あなたを見つけたの。」

 「俺?」

 「ええ。その時点でもう、一人でこんなところにいるのは限界だったのよ。見ず知らずの男だったし、どうなるかとも思ったけど。結果的にはずいぶん救われたわ。別に恐怖みたいなのがなくなった訳じゃないけど、そういう理由で今はかなり楽ね。」

 「...なるほどね。」

 そう考えてみると、自分は彼女よりは随分気楽な立場だ。何もかもわからない空間での孤独というのを味わっていないのだから。初めから状況をある程度把握している西連寺がいてくれなければ、いったいどうなっていただろうか。

 「それじゃあまた変な気分にならないうちに、とっととここを出れるようにしちまおうぜ。」

 気分も晴れた。状況は何一つ改善されてないとはいえ、やはり行動しないことには何も始まらない。今、改めて最初の一歩を踏み出そうと立ち上がり――

 「食べている途中で話しかけた私が悪いけど、それは食べなくていいの?」

 「あ、悪い。少し待ってくれ。」

 まずは残っている漬物と味噌汁を片付けるところからだ。

 

   

 

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