第47話 義侠心

「あ、馬鹿」

 腕を組んで、ホールとの境目の壁に背を預け、会話に耳を傾けていた由春が思わずのように言った。

「まあ、ニナさんだから……」

 由春と向かい合いながら耳を澄ませていた真田幸尚は、口元に曖昧な笑みを浮かべる。


 ――難しく考えないでいいの。一度娘に会って、少し話してみて。考えも変わるかもしれないし。

 ――それとも、どなたかお付き合いしている方がいらっしゃるの?


 積極的に嘘を言わずとも、どうとでもとれる返事をして勘違いを誘発し、煙に巻くだとか、方法は如何様にもとれたはず。それこそ、相手から言われたタイミングが絶好の機会だったのに。


「お付き合いしている方はいません」


 きっぱりはっきり、明言してしまっていた。

 それなら、と食い下がられている。女性客二名。おそらく、ご本人と手紙にあった「従姉」。

 予約が二名であった時点で、伊久磨は「娘」の同席をある程度覚悟していたようだが、ひとまずそれは杞憂だったようだ。

 しかし、ランチタイムに伊久磨が完璧な接客をしている姿をずっと見ていた女性二人は、もはや絶対に逃がす気はないようである。

 堂々巡り。

 どれほど伊久磨が突っぱねても、まったく席を立つ気配もなく、「娘と会ってほしい」の一点張りだ。



「伊久磨、あの年代に優しいからな……。あれ以上強く言えないんだろうな」

 由春が腕を組んだまま、目を瞑って項垂うなだれる。ああ、と幸尚も溜息。

「優柔不断ってわけでもないのに、嘘は言えないとか、他人を邪険にできないとか。真面目なんすよね。明らかにそこに付け込まれてるっつーの」


 真面目とはいっても、仕事ぶりを見ていれば、決して頭が固いだけの人間ではない。

 若い女性連れの裕福な男性客や、ワイン等の知識が豊富で圧が強い、一見難しそうな客とも会話に詰まることがない。もちろん、サービスに苦情コンプレをつけられることもなく、相手の趣味嗜好をよく把握した上で、見えない部分でも細やかに臨機応変に対応している。

 それでいて、巧言令色といった浮ついた態度でもない。むしろ朴訥な印象が先に立つ。そして、結局それが彼の偽らざる本性であったりする。

 ゆえに。


「今まで、本人が気づいてないだけで、相当数のお客様落としているんですよね。男女問わず」

 幸尚が苦笑いを浮かべて呟くと、由春も面倒くさそうに頷いた。

「わかる。なんで気付かないのかわからないけど、あいつ目当ての客は最近かなり増えている。絶対この手の案件はくると思っていた」

 ひょこっと幸尚が由春の顔をのぞきこんだ。

「そうなんですか」

「ああ。俺もう軽いのは三件断っている。『良い人いないみたいなら、お見合いでもって聞いてもらえないかしら』って。『将来誓い合った相手いるみたいですよ』ってバックレてきた」

 まったく悪びれもせずに告白した由春を見て、幸尚は「へえ」と笑みをこぼした。


「それニナさんに言ってないんですか」

「言ってない。あいつに今店抜けられると困るんだ。声かけてきたのなんて、どこも会社経営みたいなお客様だぞ。若いうちに自分の会社に引き抜いて跡継ぎに、って見え見えなんだよ。ヘッドハンティングのくせに、俺を通したらそりゃ蹴るに決まっている」

 うーん、と幸尚は幸尚で呻いて天井を仰いでしまう。


「ニナさんは大卒だし、家族の事故で就活しそびれてここに就職したって聞いたんですよね。たぶん、本来は飲食とかそういう人じゃないんですよ。だから、今からそういう一般企業で会社員っていうのも、ありかもしれないな~、なんて」

 なるべく平淡な調子で言おうとしているようだが、声にはどうしても複雑な色合いが滲んでしまう。

 人生の早いうちにこれと決めてその道に入って、おそらくこれからも違う生き方を選べない「料理人」とは違い。

 もしかしたら、もっと全然別の道が開けているかもしれない伊久磨に対しての、思い。

 それは、本来の居場所ではないところに引き留めてしまっているような罪悪感。或いは羨望。


 本当に勝手に握りつぶして良かったんですか? と、幸尚は態度で問いかけたが、由春はきっぱりと言い切った。


「嘘じゃない。誰も彼女がいるなんて言ってない。俺にはあいつが必要なんだ」

「え。将来を誓い合った相手って……、ハルさんまさかそれ、自分のことですか?」

 ええええええ、それはちょっと無いでしょうっ!! と声を張り上げようとした幸尚の口を、由春はとっさにがばっと塞いだ。


「うるせえな。聞こえんだろうが」

 口留めを意識した低音でどやされても、黙る幸尚ではない。

「そんな風にニナさんの人生を捻じ曲げているなら、もっと責任とってくださいよ。ほら、さっさと行ってください。『こいつ俺の男なんで』って一言いえばなんかこう、全部終わりますよあれ」

 伊久磨はいまだに女性二人と押し問答をしている。長い。果てしない。終わりが見えない。


 ほら。さあ。行って。早く。


 幸尚に目で示されて、由春は舌打ちでもしそうな苦々しい顔で言った。

「べつに俺は言っても構わねーけど、伊久磨が嫌がるんじゃねーか」

「はあ。本人を前にすると、そういう理性的な判断はできるんだ。なるほど」

 本人のいないところでは独占欲剥き出しで見合いを蹴り続けてきたくせに、そこは気にするのかと。

 呆れを隠さない表情の幸尚と、ホールの話し合いの行く末を気にする由春。

 そこに、男性客の会計をすませた心愛が戻ってきた。


「北川さまってお客様、蜷川君と話したかったみたいねー。最後まで気にしてらしたわ。蜷川君もかなりこっち気にしていたけど、どうにもならなかったみたいね」

「ご来店時や食事中は話せていたみたいだから大丈夫だ。よく来るお客様だ」

 由春がそっけなく答える。

 そして、三人でホールの様子を窺う。


「埒あかないなぁ。わたし、『彼女でーす』って言ってきましょうか」

 ずっとホールで立ち働いている間、気になっていたのだろう。若干苛立った様子で心愛が言った。

 由春と幸尚が「おっ……」と言って止まる。

 その反応を訝し気に見ながら、心愛はさらに言い募った。

「なんですか。だってそれが一番早いでしょう。『彼女がいるわけではない』『娘さんに不満があるわけではない、そもそも会ったこともないから』って、あれで断れると思っているなら、蜷川君どうかしているわ。相手からしたら諦める理由何もないです。娘に会わせたら勝ちだと思ってますよ」

 由春は感心したように心愛を見つめ、大きく頷いた。


「佐々木、頼もしいな」

「馬鹿にしているんですか? キッチンの二人は野次馬しているだけだし、蜷川君は下手すれば休憩全部使い潰して夜の営業突入だし。そろそろ誰か止めるタイミングですよ。行っていいですか。とりあえず『お時間ですが』ってお声掛けする線で」

 彼女と偽るのではなく、あくまで業務の一環として。

 そう言う心愛の表情を見て、由春は何か引っかかったように眼鏡の奥で目を瞠る。

 一方の幸尚はホールの方に目を向けていて心愛を見ておらず、ただ面白そうに「姐さん、お願いします!」と言うのみだった。


「行きます」

 さっと心愛が背を向ける。

 佐々木、と由春が小声で呼びかけたが、気付かなかったようにスタスタと歩いて行く。

 その、足取りが、おかしい。

(ふらついてないか?)

 強烈な違和感。


 ですから、と言っていた伊久磨が気配に気づいたように目を向ける。

 由春も動いたが、伊久磨の方が早かった。

 弾かれたように身を翻して心愛に駆け寄る。崩れ落ちるように倒れかけた身体を抱き留める。


「佐々木さんっ」

 名を呼びながら、由春を見た。


「倒れた。救急車!」

 小柄な心愛の重さなどどうということもないように両腕で抱きかかえて、すくっと立ち上がる。

 心愛の細い指が、伊久磨のシャツの合わせ目を力なく掴んだ。

 だいじょうぶ、と声にならない声で言う。


「大丈夫じゃないですよ。顔色がひどい。気付かないで申し訳ありません。岩清水さん」

「佐々木、救急車呼ぶけど、症状に何か思い当たるか。理由」

 スマホを掴んで今にも電話をかけそうな由春に「わかってますから、大丈夫」と心愛が息も絶え絶えに言う。

 そこに、伊久磨が重ねて言った。

「自己判断はよくありません。常備している薬か何かありますか。収まらないなら救急車は呼びます」

 大丈夫……。

 心愛はひたすらそう繰り返すのみ。

 伊久磨と由春で判断つきかねて睨み合う中、ささっと客席に進んだ幸尚が女性客二人に声をかけた。


「すみません、スタッフのことでバタバタしちゃいまして。救急車呼んだり騒ぎになるかもしれませんので、お客様はこの辺で」


 有無を言わさぬ笑顔で、退店を促した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る