5 そこに吹く風

第27話 夢の形は

「写真いいかな」

 スーツ姿の若い男に声をかけられ、蜷川伊久磨にながわいくまは失礼にならない程度に相手をさっと観察した。

「外観ですか?」

「そうだね。全体的に、外も中も。昼と夜と。どのくらい雰囲気変わるのか、どっちも見ておきたいな」

 レストラン「海の星」の全容を見ようとするように、二、三歩後退しながら建物を見上げる。

 風が吹いて、さらさらと男の、若白髪が数本混じった黒髪を揺らした。

 ぼんやり見つめる伊久磨に気付くと、男はにこりと微笑みかけてくる。

 嫌味のない、育ちが良さそうで人好きのする笑みだ。引き込まれる。


「ホール係? 背、高いね」

 男も、低いわけではない。190センチに迫る伊久磨が長身の部類なのだ。

「写真、どういったご利用目的か、お伺いしてもよろしいですか」

「ん?」

 わざわざ断ってくれたことに好感は抱いているのだが、外も中もと言っていた。ランチと夜の営業の間、アイドルタイムは通常店を閉めている。食事利用以外で中に通すとすれば、目的を聞く必要があった。

 男は面白そうに目を見開いたまま、ふふふっと品のある笑みをこぼした。それから、独り言のように素早く呟く。


「ハルのやつ、言ってないな」

 ハル。

 オーナーシェフ岩清水由春いわしみずよしはるのこと、というのはすぐに知れた。

 男の年齢は、由春より少し上くらいだろう。スーツの着こなしが様になっていて、固そうな職業を思わせる。あまり、同業者っぽくはない。そこはただの勘だが。

「岩清水に、何か」

「うん。ちょっと来いって。あいつ、相変わらず偉そうだね。まあ……」

 唇に笑みを浮かべたまま、男は今一度「海の星」を見上げる。


「良い建物だ。ここだけ異世界みたい……。ここがハルの夢なんだろうか」

 風に、庭の草木や花が揺れてしなり、瑞々しく薫る。

 彼の視線を追うように伊久磨も肩越しに「海の星」を振り仰いだ。


(異世界。岩清水さんの夢)


 確かにそこにある現実なのに、落ち着かない気分になる。脆くて儚い表現だと思った。

(夢ならいつか終わる。……例えばあのひとがまたどこかに修行に行きたいと思ってしまったら、この店は終わるんだ。もっと遠くの夢を追い始めたら)

 一所ひとところに留まるようなひとだろうか。薄々感じていた。求めるものがここで得られなくなってしまったら、その時は。


 視線の先で、ドアが開き、涼やかなドアベルが鳴り響いた。

 コックコートのボタンを一つはずして、軽く首元を晒した由春がのっそりと姿を見せる。

 眼鏡の奥から男を見て、数秒。

 太陽みたいな明るさで、破顔した。

夏月かづき、遅ぇぞ」

「遅くない。ランチが終わった頃に行くって言ってあった……」

 同じく、弾けるような笑みを浮かべて反論する男に、由春は足早に、駆け寄って抱き着く。

「ハル」

 勢いが良すぎて、男は足で踏みしめるようにその場で堪えて、受け止める。


「俺が遅ぇって言ったら遅ぇんだよ!! 昼飯食ったかって聞いてんだ」

「聞いてないよ、はるすけ。今初めて聞かれた」

「わかれよそのくらい」

 なだめるように、男の腕が軽く由春の背に添えられた。

「何か作ってくれるつもりなんだ」

「金取るけどな」

「あっはっは、しっかりしてるよ」

 軽口をたたき合って、どちらからともなく身体を離す。


「さっさと来い」

「待てよ。今のうちに外観撮る。パスタでも茹でておいて」

 気さくな口調で言ってから、男はビジネスバッグからコンパクトなデジカメを取り出した。


「綺麗な建物だ。庭の手入れもしているみたいだね」

「季節の変わり目には造園業者入れるけど、普段は伊久磨が。裏でハーブも育てている」

 店内に引き返しかけていた由春だか、伊久磨の横で足を止めた。

 伊久磨の肩に手をかけ、男を振り返る。


「蜷川伊久磨。うちのスタッフだ。何かあったらこいつに聞いてくれ。全部把握してる」

 ぽんぽん話を進められている気がして、伊久磨はちらりと由春に視線を流した。

(把握してない。誰なんですか)

 目で尋ねるが、すでに由春は歩き出していた。

 把握していないのに、場を任されてしまったことだけはひとまず理解して、伊久磨は男に向き直る。

 何か言うより先に、苦笑を浮かべた男から声をかけられた。


風早かざはや夏月です。今日はこのレストランのWebサイトの件でハルから連絡もらって。SEしているけど、普段はシステム構築がメインだから、Webデザインには明るくないんだけど……。そこまで高度なものは求めてないって押し切られたよ。写真はその為に。適当に撮らせてもらうから、仕事してて」

「そうでしたか。助かります。もしお困りのことがありましたら、ご遠慮なく」

 伊久磨は丁寧に答えて、夏月が見やすいように軽く身を引いた。


 店のサイトに関しては以前から由春との間で何度か話題にしていた。オープンしたときに、由春がどこかに依頼して簡単に作ってもらった程度のもので、普段は細かく更新していない。予約サイトと提携したときに、見栄えの良いページも作ってもらえたし、連絡すればコース料理の価格変更なども細かく対応してもらっていたので、店のサイトからそちらにリンクで誘導する形にしていた。ただ、もう少し本体に手を入れたいとは確かに考えていた。


 夏月は、にこにこと笑いながら、伊久磨に向けてカメラを向けた。

 撮られる、と慌ててフレームから逃げようとしたが、間に合わなかったかもしれない。

「外観だけで。人物はご勘弁を」

「そう? カッコイイなと思って。蜷川君、すごく背が高いし、姿勢が良いね。映えるよ」

(映える……)

 何にだろうな、と単純な疑問がさらりと浮かんで通り過ぎて行く。

 その伊久磨に対し、夏月は邪気のない朗らかさで言った。


「由春の夢の形。綺麗な建物と、よく気がつくギャルソンと。きっと中に根性あるパティシエもいるんだ。でしょ?」

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