アカピッピミシミシガメVSアヘガオザリガニ

武州人也

メイスン・タグチと有島時雨の外来生物駆除大作戦

 東京都・八王子市


 東京西部のとある緑地。その公園内の池を前にして、燕尾服を着た金髪碧眼の青年は佇んでいた。


「思ったよりも多いですね……アカピッピミシミシガメ……アヘガオザリガニ……」


 水面を埋め尽くさんばかりに、一面甲羅が広がっていた。その隙間からは、赤い外骨格の甲殻類の姿が覗いている。


 アカピッピミシミシガメが野外で確認されたのは二年前のこと。東京都小金井市のとある池で発見されたのが最初であった。目撃例は東京都西部地域を中心にその後も続き、今となってはこの地域で他の亀を見かけることはほぼなくなってしまった。

 このアカピッピミシミシガメという和名の命名には珍妙な経緯がある。命名者の牧野安二郎まきのやすじろう博士は、このカメが原産地アメリカでは「レッドレッグ・タートル」、つまり赤い脚の亀と呼ばれていることから、「ミシシッピアカアシガメ」と名付けようとした。ところが彼は連日の睡眠不足が祟って眠気に襲われ、「ミシシッピアカアシガメ」と記すところを、「アカピッピミシミシガメ」と誤記してしまい、その論文をそのまま発表してしまった。そのため、誤記である「アカピッピミシミシガメ」がそのまま使用されることになってしまったのである。

 一方のアヘガオザリガニ。この和名は成体の背中に快楽で我を失った人間の顔のような模様が浮かぶことから、牧野安二郎博士の甥である小沢豊助おざわとよすけ博士によってつけられたという。このザリガニも、同じく二年前から確認されていた。最初に確認されたのは埼玉県狭山市であったが、そこから徐々に南下し、今ではアカピッピミシミシガメの勢力圏にも入り込むようになった。

 双方とも北アメリカ大陸原産であり、現地では捕食者と被捕食者の関係にあるという。そのため、アヘガオザリガニの繁殖する池にアカピッピミシミシガメが入り込み、盛んに捕食を行っているという報告も上がってきた。

 勿論、アヘガオザリガニの方もただやられるばかりではない。自慢のハサミを振り上げ、噛みつこうとするアカピッピミシミシガメの鼻っ面を挟んで反撃するのだ。このカメは鼻を挟まれるのを大変嫌うらしく、この反撃によって撃退してしまうこともあるそうだ。


 華奢な体躯と中性的な風貌をした金髪碧眼の青年、メイスン・タグチは暫くその様子を眺めていた。清い風が吹き寄せ、腰まで伸びた彼の長髪を揺らしている。


「あんた……これどうするんだ……重機とか持ってきた方がいいんじゃないのか?」

 

 そう言ったのは、メイスンの横にいる中年の刑事、有島時雨ありしましぐれである。

 数か月前、突然変異したダイコンが人々に襲い掛かる、「お化けダイコン事件」によって日本中が大騒ぎとなっていた。それを解決したのが、日本政府の依頼を受けた私立探偵メイスン・タグチをリーダーとする特殊捜査チームであった。時雨はその時のメンバーの一員である。事件の後、時雨は何かとメイスンに連れ回され、彼と協力して「お化けナス事件」「セイヨウチンポポ事件」を立て続けに解決した。


 ――まさか、珍妙な怪生物と連戦することになるなんて……


 彼自身、捜査一課に配属された時には予想だにしなかったことである。


「うーん……報告にあった通り酷い有様ですねぇ……」


 メイスンは顎に手を当てて考え事をしているようであった。


「やっぱり、こうするしかないようですね!」


 そう言って、メイスンは背負ったリュックから何かを取り出した。時雨の胸に、嫌な予感がよぎった。


「爆破!」


 時雨の予感は的中した。メイスンは池に手榴弾を放り投げたのである。二人は池に背を向け、爆音を聞かないように耳を塞いだ。

 爆心地を見てみると、そこでは相変わらず、アカピッピミシミシガメとアヘガオザリガニがひしめき合っていた。腕や脚が千切れ飛んでいても、彼らはぴんぴんしている。暫く観察していると、カメの千切れた脚が少しずつ生えてきているのが確認できた。驚異的な自己再生能力である。


「何だこれ……これじゃあキリがないんじゃないか……?」

「そうですねぇ……一旦仕切り直しと行きましょうか……」


 そうして、二人は一時撤退を決めたのであった。


 この二種の拡散は、明らかに人為的なものであった。誰かが持ち込み、意図的に放っているのだ。生息地の殆どは他の水系との接続のない溜め池などであり、二年といった短期間に各地の溜め池で繁殖が確認されるのは、誰かがあちこちに放しているからとしか思えない。


 メイスンと時雨は、爬虫類を輸入するペット業者を中心に調査を開始した。その結果、とある問屋が、埼玉県のショップにアカピッピミシミシガメ2ペアとその餌となるアヘガオザリガニ50匹を売ったという旨の証言をした。

 時雨はすぐさまそのショップへと急行した。そのショップは、東京から来た客に注文されてカメとザリガニを仕入れ、その客に売ったということを教えてくれた。時雨は警察手帳を見せながら、ショップのオーナーの男に、


「生体販売確認書を確認させてくれませんか」


 と言った。爬虫類を売買する際には、生体販売確認書という書類に購入者が署名し、それを店側が保管する義務がある。その書類から、アカピッピミシミシガメの購入者を特定することができる。


「少しお待ちください」


 ショップオーナーは、如何にも面倒臭いといった雰囲気を出しながら、店の奥へと引っ込んでいった。

 暫くすると、ショップオーナーが戻ってきた。その手に薄い紙を持っている。


「捜査にご協力、ありがとうございます。このお客さんについて他にご存知のことがありましたら教えていただきたいのですが……」

「ああ……このお客さん、大学の研究者らしくてね……そういや最近見ないなぁ……」


 時雨は、オーナーの話に耳を傾けた。


***


 アカピッピミシミシガメによる被害は、相当なものであった。水草は食い荒らされ、その上レンコン畑に出没して食害をもたらす例も確認された。また、気性が荒く、人間に噛みついて指を食いちぎるといった被害も報告された。さらに、このカメは行列を作って移動し、田畑を踏み荒らし、道路にはロードキルされたカメの死骸が散乱し、それが腐敗して市街地は悪臭に包まれていた。

 早急に手を打たねば、どれほどの経済被害がもたらされるか……人々はカメを恐怖し、そして憎悪した。


 その頃、メイスンと時雨は、東京都小金井市にある大学の構内に踏み入っていた。敷地内は静まり返っている。それもそのはず、学生はオンライン授業で講義を受講しているからだ。

 時雨が冷たい金属の扉を開け、二人はそのまま研究棟に入った。


 爬虫類ショップでアカピッピミシミシガメとアヘガオザリガニを購入した研究者。その研究者の研究室は、この向こうの突き当たりに存在している。

 時雨は目的の研究室のドアノブに手をかけた。だが、回してもびくともしない。


「あの~すみません、牧野さんいますか?」


 牧野というのは、その研究者の名であった。時雨が声をかけるも、中からの反応はない。

 

「困ったな……連絡もつかないし」

「それなら、これの出番ですねぇ~?」


 その時時雨には、このニヤニヤと笑みを浮かべる金髪碧眼のしようとしていることが分かった。彼がリュックから取り出したのは、遠隔起爆型の爆弾であった。彼は意気揚々と、それを扉に貼りつけた。


「さぁさぁ、下がってください」

「やっぱり……こんなことだろうと思ったよ……」


 時雨の予感は的中した。彼はいつもそうだ。何かにぶち当たると、取り敢えず爆破を試みる。それがメイスンという男である。


「行きますよ~、はい、爆破!」


 メイスンはリモコンの起爆スイッチを押した。爆音とともに、灰色の煙がドアを包む。その煙が晴れると、粉微塵になったドアの向こう側が見えた。

 二人はそのまま研究室の中に立ち入った。聞こえてきたのは、コオロギの鳴き声であった。

 部屋は想像以上に広さがある。研究室の内部には、幾つもガラスケージが立ち並んでいた。その中で飼育されていたのは、カメ、トカゲ、ヤモリ、ヘビなどの爬虫類やカエル、イモリなどの両生類、そしてそれらが餌にするであろうコオロギや金魚などだ。

 ふと、メイスンは部屋の奥、ガラスケージの向こう側に何かの影を見つけた。


「おや、そちらの方は……?」

「怪しいモンかと思ったが……もしかしてトヨスケではないのか?」


 おずおずと立ち上がって顔を見せたのは、白衣を着た白髪の老齢男性だった。


「トヨスケ? とはどなたです? ワタシはメイスン・タグチと申しますが……」


 メイスンが、白衣の老爺に向かって名乗った。


「ワシは牧野安二郎という」

「私は有島時雨と言います。アカピッピミシミシガメの件でお話をお聞かせ願えますか」

「そうか、警察か……話せば長くなるのだが……」


***


 この白衣の老爺こそ、アカピッピミシミシガメの命名者、牧野安二郎博士であった。

 彼は甥の小沢豊助――アヘガオザリガニの命名者である――とともに、アカピッピミシミシガメの持つ再生能力についての研究を行っていた。


「イモリは脚や尾を失っても、自己再生によって元通りになる。それは二人も知っておろう」

「ええ」

「俺はそれ初めて聞いたぞ……」


 時雨はイモリの再生能力のことを知らなかった。牧野の話で初めて知ったのである。


「ミシシッピアカアシガメ……ああいや、今はもうアカピッピミシミシガメだったか……ヤツにはそれを遥かに上回る速度での再生機能が備わっているのだ」


 牧野博士は、尚も話を続けた。

 牧野博士と小沢博士はともに渡米経験があり、そこでこのカメのことを知った彼らは埼玉県狭山市に養殖場を作り、この場所でアカピッピミシミシガメとその餌であるアヘガオザリガニの養殖を行っていた。だが、研究の成果は一向に上がらない。莫大な研究費がかかる二人の研究は、風前の灯火であった。

 その折、外国の企業から誘いがかかった。資金難をどうにか乗り越えなければならないと考えた小沢は誘いに乗る気であったが、牧野は渋った。

 その二人の対立が、事件に繋がった。小沢はビール瓶を持って牧野をこの研究室内で殴打し、そのまま一人で例の養殖場の管理を始めた。

 その後、養殖場は台風の被害に遭い、カメ、ザリガニともに養殖個体の内の半分が逸出してしまった。さらに不況によって二人を誘った企業が倒産し、スカウトの話も立ち消えになってしまった。

 ここからは牧野の推測であるが、証拠隠滅を図った小沢はカメとザリガニをあちこちの池にこっそりと遺棄し、これが此度の騒動の発端になったと、牧野は断じている。

 牧野は、小沢に殴打されたものの、殴る力が弱く、傷が浅かったために生き延びた。彼は小沢の影に怯え、一日の殆どを研究室に鍵をかけて過ごしながら、こっそりと小沢のことを調べていたのだった。


「博士、ありがとうございます」

 

 メイスンは深々と礼をした。時雨もまた、メイスンに続いて頭を下げる。


「キミたち、アレと戦おうというのだろう」

「アカピッピミシミシガメとアヘガオザリガニのことですね?」

「それなら、ワシが力になれるかも知れん」


 牧野は、しわがれた声でカメとザリガニの対処法を語り始めた。


***


「よし、こっち設置完了」


 時雨は最後のの設置を終えた。その仕掛けは、池を囲むようにその岸辺に並べられている。以前にメイスンが爆破作戦に失敗して撤退したあの池である。


 仕掛け、というのは、アヘガオザリガニを誘引する餌であった。その餌にはアヘガオザリガニが好む小魚の団子に特殊な薬品を混ぜ込んだものである。やがて、その仕掛けに、ぞろぞろとアヘガオザリガニが集まってきた。彼らは餌に集ると、もりもりとそれを食べ始めた。

 やがて、アヘガオザリガニを追いかけるように、アカピッピミシミシガメも池から出てきた。そして、一心不乱に餌に食らいつくザリガニに背後から襲い掛かり、ばりばりと食べ始めた。

 暫くすると、一匹のアカピッピミシミシガメがもがき苦しみ始め、ひっくり返って動かなくなった。それを合図に、他のアカピッピミシミシガメたちも次々ひっくり返っていった。

 餌の中に混ぜ込まれていたのは、強力な毒薬であった。しかも、それはただの毒ではない。アカピッピミシミシガメの細胞に作用し自己再生を阻害する物質が含まれているのである。それをアヘガオザリガニに摂取させ、さらにそのザリガニをアカピッピミシミシガメが捕食することで毒殺しようというのが、この作戦の趣旨であった。


「さて、そろそろ池の中にいる連中も叩き起こしますかぁ……」


 メイスンの手には、いつの間にか手榴弾が握られていた。メイスンはピンを外すと、それを池の中心に投げ込んだ。


「はい、爆破!」


 爆音とともに、大きな水の柱が池に立った。そうして暫くすると、またアヘガオザリガニが池から這い出て餌に集まり出した。それをアカピッピミシミシガメが捕食し、そして毒死する。これの繰り返しであった。


「……今回も、上手く行きましたね。時雨サン」

「ああ……よかったよかった……」


 池から上がってくるアヘガオザリガニも、それを追ってくるアカピッピミシミシガメも、もういなかった。この池での任務は完了したのであった。


***


 その後、他の場所でも、同様の作戦を次々に行った。まだ根絶を断言することはできないが、アカピッピミシミシガメが畑のレンコンを食い荒らす様子も、街中で行列を作る様子も見られなくなった。駆除作戦は、確実に成果を上げたのだ。

 一方、事件の発端となった小沢博士であったが、こちらの尻尾は掴めなかった。博士はすでに海外へ逃亡済みだったのである。


 




 

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