第128話「スパイ レオニー=レオンハート①」

「リゼット、早く歩きなさい!」


 麗かな昼下がり、突然誰かを鋭く叱責する女性の声が、トゥリアーノン宮殿の廊下に響き渡った。


 思わずそちらを見れば、まるでスーパーモデルのような美貌を持った長身のメイドが、鬼の形相で立っていた。


 そして、その横では部下と思わしき眠そうな目をした胸の大きな美少女?メイドが、息を切らしていた。


「ちょぉとぉ!?レオニー様ぁ、歩くのがぁ、早過ぎなのですぅ!脚の長さもぉ、胸の重さもぉ、違うのですからぁ、少しは可愛い部下に配慮をぉ……」


 叱責された側の少女は、長さや重さ等の理由で、同じ速度で移動するのが大変だと涙目で抗議するが、


「黙れ、乳牛。どんな理由があろうとも、『あのお方』をお待たせするなど許される筈がないでしょう?(愛するあのお方に一秒でも早く会いたい)私の邪魔をするのなら、今すぐここで加工するぞ」


 それを聞いた瞬間、スーパーモデルメイドは怒りを更に強め、そう言って愚かなホルスタインをギロリと睨んだ。


 そして、無意識にスカートの中に隠されたダガーに手を掛けた。


「ひぃ!?ごめんなさいぃ……」


 一方、瞬時に命の危機を感じ取った乳牛メイドは、愚かにも上司に口答えしてしまったことを必死に詫びた。


「全く、貴方という牛は……仕方ありません。ですがリゼット、次はないですよ?」


「はいぃ!レオニー様ぁ!心得ておりますぅ!(……牛ぃ?)」


 そう言われた乳牛改め、リゼットは直立不動でそう叫んだ。


「全く、あのお方の呼び出しなのですから、一秒でも早く伺うのが当然でしょうに。それなのに、何故それが分からないのですか。おっと、これ以上こんなところで時間をロスする訳には……行きますよ!リゼット!」


 それを見たレオニーは怒りを鎮め、呆れ顔でそう言ったあと、当初の目的を思い出した。


 そして、再び長い脚でスタスタと歩き出した……競歩並みの速さで。


「はぃ!畏まりなのですぅ!ってぇ、早ぁっ!」


 そしてリゼットは、レオニーに置いて行かれそうになり、慌てて走り出したのだった。




 全く、このホルスタインめ!何と怠惰な!


 私は早くあのお方のご尊顔を拝したいのに!


 それを邪魔するとは……愚か者め。


 やはり精肉に加工してやろうか……ん?誰だ!?


 あ!これはこれは皆様でしたか、大変失礼を致しました。


 コホン。 


 改めまして、自己紹介を。


 私はランス王国の『暗部』に所属しております、レオニー=レオンハート(二十三歳、独身)と申します。


 今は皇太子マクシミリアン様に呼び出しを受け、そのお部屋へと急ぎ向かっているところです。


 本当ならば直ぐにでも、それこそその瞬間にでもお伺いしたかったのですが、運悪く広大な宮殿の敷地の中でも殿下のお部屋からかなり離れた位置にいた上、トロい乳牛を連れておりましたので、仕方なく徒歩で移動中なのです。


 先程少しトラブルもありましたが、現在は無事に解決し、順調に目的地へと近付いております。


 え?私の後ろに死にそうな顔のホルスタインが?


 ……おや?リゼットが遅れ始めていますね。


「リゼット、死にたいの?」


「はいぃ!申し訳ありませぇーん!マクシミリアン殿下万歳ぃ!」


「……まあ、いいでしょう」


 失礼致しました。


 それにしても……ああ、早く殿下にお会いしたいものです。


 何故なら今日……いえ、昨日から不運が続いておりまして、どうしても癒しが欲しいのです。


 え?不運とは具体的に何があったのか、ですか?


 はい、まず昨日、あの『人使いの荒い小悪魔』の所為で、マクシミリアン様を出迎えるどころか、遠目にそのお姿を拝見することすら叶わなかったのです!


 ここ最近、ひと月ほど毎日当たり前のように殿下の間近で仕事をしておりましたので、今では二十四時間以上お会い出来ないと禁断症状が出そうな気さえします。


 ああ、殿下……お慕いしております!


 ……コホン、これはまた失礼を。


 少し熱くなってしまいました。


 それで、その後も酷いものでした。


 小悪魔ファミリーから解放されたのが遅すぎて殿下に会えず絶望した後、私は遠征の残務処理を始めました。


 しかし、それが中々終らず、気が付けば真夜中になっておりました。


 流石に少し疲れてきたので、一息入れようかと思ったその瞬間でした。


 小悪魔付きの若いメイドに『マリー様が街から戻らないのです!』と泣きつかれ、それを無視することも出来ず、仕方なく泥酔した小悪魔達を迎えに行きました。


 しかし、迎えに行ったら行ったで、直ぐに酔っ払い共を連れ帰ることが出来ず、かなりの時間を浪費させられてしまったのです。


 その後、酔い潰れた小悪魔とビッチを連れ帰ってベッドへ放り込み、ホルスタインをしばき倒した頃には夜が明け掛けていました。


 私はもうこの時点で疲労困憊でした。


 尚悪いのが、結局その所為で残務処理を終えたのが朝になってしまい、仮眠を取ることも出来なかった上、トドメに小悪魔を起こしに行くハメになったことです。


 一言で言って、最悪の一日でした。


 しかし、そんな惨めな私を救って下さったのはやはり、あのお方だったのです!


 不運の連続で徹夜をしてしまった私が、疲労と睡眠不足で意識が朦朧とする中、事務室で今日の予定を確認していると……。


 なんと突然、マクシミリアン殿下から贈りものが届いたのです!


 私は嬉しさのあまり飛び上がりそうになりましたが、次の瞬間には首を捻っていました。


 何故ならそれが、『花』だったからです。


 実際は花の形をした『愛』だったのですが、無知な私は最初それが何か分からず困惑してしまいました。


 しかし、続いて親切な部下にその意味を教えられた瞬間、嬉し過ぎて意識を持って行かれてしまいました。


 驚くべきことに、高貴で聡明な殿下は無知で下賤な存在である私如きが、密かにお慕いしていることに気付いておられたのです。


 そして慈悲深いあのお方は……なんと私の気持ちに応えて下さったのです!


 つまり、あの贈りものは花という形を借りた愛!


 私はそれを理解した瞬間、人生で最高に幸せな気分のまま意識を飛ばしてしまいました。


 ああ!やはり、あのお方は素晴らしいです!


 私の持てる全てを捧げるのに相応しいお方です。


 ああ!マクシミリアン様……愛しております!


 それにしても、殿下はなんと慈悲深いのでしょうか。


 私のような出自も怪しい下賤な輩に、一片の愛を与えて下さるとは……。


 そして、私の想いを見抜き、わざわざ愛の一部を割き、与えて下さるとは……。


 しかし、私は空気が読める女。


 自分の立場をしっかりと弁えています。


 ですから堂々と人前で殿下に愛して頂くことはできないと、きちんと理解しています。


 勿論、殿下もそこはよく分かっておられ、だからこそ花という手段を用いてこっそりと愛を伝えて下さったのでしょう。


 それは決して、表沙汰には出来ない愛。


 ですが、私はそれで十分なのです。


 十分過ぎるのです。


 殿下に気に掛けて頂けるだけで、最高に幸せなのです。


 勿論、可能なら殿下に女にして頂きたいとは思いますが……。


 ただその場合、セシル様その他の女性陣に八つ裂きにされてしまうのは避けられないでしょう。


 勿論、本懐を遂げられるのなら、そうなっても悔いはありませんが。


 ですから、本当ならば愛を受け取った瞬間に殿下の元へ向かいたかったのです。


 ですが、繰り返しになりますが、私は空気が読める女。


 殿下の名誉の為、ちゃんと愛を隠し通してみせます。


 私の……いえ、私達の密かな愛を!


 ……コホン、度々失礼を。


 かなり脱線してしまいました。


 兎に角、そのように殿下は今日、私の心を救って下さったのです。


 いえ、違いますね……今日だけではありませんから。


 正確には、ひと月前のあの日からずっと、ですし。


 ああ、しかしそれを考えると不思議なものです。


 まさか私が、『愛』というものに目覚めるとは……。


 正直、自分でも驚きです。


 何故なら殿下に気に掛けて頂く前の私は、感情を持たないただの道具でしたから。


 

 

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