そうだ、王子辞めよう!〜婚約破棄(する側!?)から始まる転職活動 (自称)無能な王子は廃嫡を望む〜

にゃんパンダ

第1話 プロローグ「始まりの断罪」

「何故だ、何故……今このタイミングなんだ……」


 その時、私は追い詰められていた。


 空虚な廊下の真ん中で、虚な目のまま誰に向かって言うでもなく、一人そんなセリフを吐いてしまうぐらいに。


 ああ、つい先程までは、この世界の全てが輝いて見えたというのになぁ……。


 はぁ、本当に一体、何故こんなことに……。


 あ!これは失礼、お見苦しいところをお見せ致しました。


 皆様、初めまして。


 私はマクシミリアン=ルボンと申します。


 現在ピチピチの十八歳で、大国『ランス王国』の第一王子にして、皇太子です。


 つまり未来の国王な訳で、将来は安泰。


 加えて、美しく聡明な公爵令嬢の『セシル』という婚約者もいました。


 そう、いました。


 え?何故過去形なのかって?


 それは……婚約破棄をしたから。


 つい、さっき。


 しかも、それに伴うあらゆるリスクも一切考えず、自分から強引に……そして一方的に。


 端的にいって、最悪の選択です。


 え?では何故そんな馬鹿な事をしたのかですって?


 答えは簡単。


『愛』


 そう、真実の愛を見つけたから。


 いや、正確には『見つけたと思っていた』から。


 ついさっきまでは。


 そして何故、過去形なのか?と、思われたことでしょう。


 それは最早、まやかしの『愛』など存在しないと、強制的に気付かされたから。


 突然、『失った記憶』を取り戻したことによって……。


 その瞬間からパニック寸前になった私は、取り敢えず冷静になる為に自室に戻ろうと考えて、今に至るのです。


 はぁ、本当、なんて馬鹿なことをしてくれたんだ、さっきまでの自分……。


 そして私は再び、自室に向かってフラフラと歩き出したのでした。




 時は少しだけ遡り、場面はランス王国のトゥリアーノン宮殿で開かれた舞踏会。


 そして、その会場でマクシミリアンが婚約破棄を行うところから。


「我、皇太子マクシミリアン=ルボンはここに、スービーズ公爵令嬢セシル=スービーズとの婚約破棄を宣言する!」


 よく通る彼の声が会場に響き渡り、その瞬間からまるで、時が止まったかのように、その場が静まり返った。


 突然の皇太子の奇行に、父親で国王のシャルル以下、弟の第二王子フィリップ、義妹の第一王女マリー=テレーズ、加えて宰相であり、婚約者セシルの父でもあるスービーズ公爵エクトルなどの招待客達は皆、唖然としている。


 そして、その中で一番ショックを受けているのは婚約者であるセシル本人だ。


 彼女は予想外の事態に顔面蒼白になり、呆然と立ち尽くしていた。


 だが、そんな状態にありながらも、聡明な彼女は『未来の王妃』としての責任感から必死で動揺を抑えつけ、なんとか言葉を紡いだ。


「……何故なのですか、マクシミリアン殿下。理由をお聞かせ願えますか?」


 セシルはそのセリフと共に、彼の前へ進み出ようとしたが、そこで王子の取り巻き達が乱暴にそれを阻んだ。


「な、何をするのですかっ!?」


「無礼者め!最早、婚約者でもない者が不用意に皇太子殿下に近づくなど、不敬である!下がれ!」


 驚くセシルに取り巻きの一人が大声で告げた。


 そして別の取り巻き、近衛騎士団副団長の息子であるエミールが彼女を躊躇なく、乱暴に突き飛ばした。


「キャッ!」


 儚く華奢な、まるで白百合を思わせるような令嬢であるセシルは、その暴挙に抗う術はない。


 そのまま彼女は床に倒れ込んでしまうが、誰も手を貸そうとはしない。


 いや、出来ない。


 あまりに唐突で、貴族の常識では考えられないような事態に、誰も動けないのだ。


 足を痛め、苦痛と涙でその宝石のような美しい顔を歪ませながら、それでも彼女は元婚約者に再び問うた。


「重ねて…お願い申し上げます、殿下…どうか訳を、理由をお教え願えませんか?一体何故なのですか?」


「理由だと?よくもぬけぬけと!我が友人、メルシエ男爵令嬢アネットに対する悪事の数々を、私が知らないとでも思ったか?愚か者め!」


 そんな必死のセシルの問いに対し、皇太子マクシミリアンは激昂した。


「殿下!私が何時そのようなことをしたというのですか!?」


 それでもセシルは食い下がる。


「しらばくれるつもりか!」


 が、マクシミリアンは怒りのままに叫んだ。


 そして、取り巻きの一人で有力貴族の息子であるユベールが、嫌悪感も露わに言葉を続けた。


「往生際が悪いですよセシル嬢。貴女が事あるごとに我が友人、アネット嬢に貴族の在り方を教育すると言って呼び出して叱責する姿や、取り巻きの令嬢達を使い数多くの陰湿な嫌がらせをしたことは多くの者が見ているのです!」


「は?そ、そんなこと……」


「あまつさえ無頼の者を雇い、彼女の命まで奪おうとさえした。この通り証拠も揃っているのです。観念する事ですね!」


 そして、ユベールはドヤ顔でキメた。


「誓ってそんな事実はございません!すべて誤解、冤罪で、お調べ頂ければ直ぐにわかります!私は善意で彼女に貴族として、必要な最低限の礼儀を教えようとしたまでで……」


 と、セシルは必死に誤解を解こうと弁解をするが……。


 しかし、マクシミリアンにぴったりとくっついた男爵令嬢アネットがそれを遮り、


「殿下、セシル様酷いんです!いつも私を目の敵にして、理由を付けては呼び出すんです!そこで酷いことを言われたり、身体を傷つけられたり、後で身の回りのものが無くなったり壊されたりするんです!」


 と、目を潤ませながら、あざとく訴えた。


「何ということだ!気づいてやれず、そして守ってやれず、本当にすまなかったな、アネット……。だが、それも今日で終わりだ」


 彼女のその露骨なアピールに、彼は大袈裟に反応し、そして優しくアネットを慰めた。


「うぅ……殿下ぁ」


 更にアネットは大袈裟に泣きながら、マクシミリアンに抱きついた。


 だが、それでもセシルは諦めない。


「殿下!まだ間に合います!お考え直し下さいませ!公正な調査を入れればすべて冤罪であると必ず証明できます」


「……」


「そして、これは私達だけの問題ではないことがお分かりになりませんか?こんな愚かなことをして、陛下を含めどれだけ多くの人間に迷惑が掛かることか……殿下、どうか、お考え下さいませ」


 彼女はマクシミリアンの目を真っ直ぐに見て、彼に翻意を促した。


「……」


 そう、彼女は決して自分の為だけに食い下がっている訳ではないのだ。


 更にいうのなら、彼女は婚約者として、そして未来の王妃として期待された役割を果たそうとしているのだ。


 その役割とはつまり、国母としてこのランス王国に安寧をもたらすこと。


 セシルは決して家柄だけではなく、未来の王妃に相応しい素養があるからこそ選ばれたのだ。


 無能な皇太子マクシミリアンを支えられる、有能な女性と見込まれて。


 そして、誰よりもセシル自身がそれを理解していたからこそ、彼女は厳しい教育に耐え、未来の王妃足るべく血の滲むような努力を積み重ねてきたのだ。


 だからこそ、放蕩三昧のマクシミリアンを諫めたり、貴族の令嬢として礼儀作法や常識をまるで知らないアネットに義務感と善意から度々声を掛けていたのだ。


 ただ、一人の女としては、愛する婚約者に近づく彼女に対して嫉妬はかなりあったが……。


 しかし、決して悪意ある陰湿な虐めなど無かった。


 誰よりも聡明なセシル自身が、そんな事に何の意味も無いことを理解しているから。


 だが、現実は残酷だ。


 結果はこれ。


「黙れ!見損なったぞセシル!腐っても公爵令嬢にして私の元婚約者、最後ぐらいは潔く認め、反省するかと思えばこの様な醜態を晒すとは…恥を知れ!」


 目の前にいるのはそんな彼女のことが分からず、また分かろうともせず、ただみっともなく喚き散らすだけの無能な男。


「殿下!」


 それに対して、もう何度目か分からないセシルの悲痛な叫びが聞こえた。


 だが、それでも彼にその想いが届くことはなく、マクシミリアンは無情にも言い放った。


「最後に理由を教えてやる。お前には理解出来ないだろうがな。私は真実の愛を知ったのだ。純粋で思いやりがあって、澄んだ美しい心を持つアネットは、お前のように王妃という地位に目が眩んだ、それを手に入れる為ならどんな悪事も厭わない人間とは違うのだ!分かったか?愚か者め!」


「あ、あぁ……」


 流石のセシルもこれには最早、言葉もない。


 そして、溢れ出す涙が止まらない。


 これは決して、悲しみだけの涙ではない。


 悔しい……それに尽きる。


 自分が出来る限りの、考えうる限りのことをして、結果がこのザマなのだ。


 ただの男爵令嬢で、しかも最近まで市井で暮らしていたという怪しげな輩に、愛する婚約者を奪われてしまったのだ。


 加えて自分は無実の罪で断罪されようとしている。


 はっきり言って、最悪の結果だ。


 政略結婚という形ではあるが、彼女は彼を心から愛していた。


 そして、信じていた。


 いつか必ず目を覚ましてくれると。


 必ず自分の想いが届くと。


 だからこそ彼女は、婚約者として、未来の王妃として、過酷な環境でも何とか頑張ってこられたのだ。


 それがあろうことか、突如現れたアネットという女に愛する婚約者を横から掻っ攫われてしまった。


 桃色の美しい髪と小動物を思わせる愛らしい容姿を持った男爵令嬢アネット。


 彼女の素朴で飾らない性格に、貴族社会しか知らない皇太子マクシミリアンは、その新鮮さ故に夢中になってしまった。


 例えるならば、フレンチのフルコースや高級会席料理ばかりを食べていたところに、肉じゃがやカレーのような家庭料理が出てきた感じだろうか。


 セシルは初め、これは彼の一時の気の迷いで、そのうち立場や環境を思い出して元に戻ってくれると信じていたのだが……その考えが甘かった。


 だから彼女は自分の甘さの所為で、彼を正気に戻せなかったことが非常に悔しいのだ。


 閑話休題。


「マクシミリアン、貴様、一体どういうつもりだ?」


 と、そこで国王からマクシミリアンに対して問い掛けがあった。


 それに彼は、堂々と胸を張ってこう答えた。


「どうもこうもありません!私は真実の愛と正義の為、敢えてこのような場で、はっきりとそれを示したのです!」


 その愚かな回答に、国王は頭を抱えた。


「愚息よ、血迷ったか……もういい、下がれ。今は舞踏会の最中だ、会が終わり次第、私の元へ速やかに来るように」


 そして、諦めたように国王は言った。


「畏まりました、陛下」


 反対にマクシミリアンは、自信満々の顔でそれに答えた。


「では皆んな、行こうか!」


 それから皇太子一行は彼を先頭に堂々と会場から退出して行き、後に残されたのは唖然とする招待客達、そして……床の上で泣き崩れている元婚約者のセシルの姿だった。




「カッコ良かったです殿下!」


 会場を後にした直後、アネットが甘えたようにマクシミリアンに抱きついた。


「いや何、当然のことをしたまでだよ」


 彼は笑顔でこれに応え、彼女を抱きしめながら言葉を返した。


「ですが……陛下が余り良いお顔をされていないようでしたが、大丈夫でしょうか?」


 今度は不安そうに、アネットは上目遣いで彼に尋ねた。


「そんなことか、心配することはないよ。このあと陛下の部屋で話をする。そこで君との婚約の話を絶対に通してくるから安心してくれ!」


 それに対してマクシミリアンは胸を張って、自信ありげに微笑んだ。


「ありがとうございます殿下!」


 アネットは再びマクシミリアンに抱き付きながら、あざとく礼を言った。


「任せて欲しい。真実の愛の為、何が何でも父上を説き伏せてみせるさ!」


「まあ!私の為に頑張って下さるのね……嬉しいです!」


 そして、彼がそれに意気込んで答えると、彼女は感極まったように両手で顔を覆った。


 のだが、一瞬チラリと見えた口元は、ニヤリと歪んでいた。


(チョロいもんね、所詮はボンボン。せいぜい私の為に頑張りなさいな、王子様♪)


「さあ、アネット。私は今から…うぐっ」


 と、突然そこで強烈な頭痛がマクシミリアンを襲った。


 続いて視界が歪み、膝をつく。


 脳に急激に何かが流れ込んでくる感じがして、彼は思わず頭を手で押さえた。


「「「殿下!!」」」


 アネットや取り巻き達が心配して声を掛けるが、彼はそれに応えることはできない。


 そして、彼の視界はそのまま暗転。


 マクシミリアンは暫くそのままの体勢でいた後、びっしりと脂汗を浮かべながら、荒い呼吸と共にゆっくりと目を開け、フラフラと立ち上がった。


「殿下!大丈夫ですか!」


「どうなさいました!?」


 アネット達が慌てながら声を掛けるが、彼はそれを手で制しながら辛そうに答えた。


「だ、大丈夫だ。少し、立ちくらみがしただけだ……」


「お顔が真っ青ですよ?」


 心配そうにアネットが声を掛けるが、


「ああ、問題ない。この後のことを考えたら少し緊張してしまっただけさ。皆んな、済まないが、少し考えを纏めたいから一人にして欲しい」


 彼はそう言い残すと、返事も待たずにフラフラと自室に向かって歩き出したのだった。


「殿下……」


 アネットはそんな彼を心配そうな顔で見送った。


 だが、不謹慎にもエミールその他の取り巻き達は、そんな健気な彼女の横顔に見とれていた。


 もっとも、彼女が一番心配していたのはマクシミリアンの体調ではなく、彼がちゃんと国王を説得出来るか、ということなのだが。


(あのボンボン、ちゃんと国王と話ができるかなぁ)


 最後に彼女は、遠ざかる彼の背中を眺めつつ、心の中でそう呟いたのだった。

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