第五話 五感で感じながら

 中央官庁を出ると、テンシはんーっ、と声を上げてその場で大きく伸びをする。

 そして、左手で小さく四角を描くと、その場に見慣れた時間表示が出現する。

 それを確認すると、健太の方へくるりと振り向く。


「さてさて、お昼になりましたので、ご飯を食べてお住まいにご案内しますね」


 健太はご飯と言われて、ここに来てから何も食べてないことに気づいた。急に空腹を意識すると、それを待っていたかのようにお腹から、ぐぎゅるるるる……、と大きな音が鳴り響く。


「わ、ごめん。何だか急にお腹すいてきて」

「ふふ、あるあるですよ。こちらに来てから慣れないことばかりでしたし、ここらで緊張をほぐす的な意味でも食べちゃいましょう!」


 二人は先程の中央広場と市場の間にある、大きな交差路まで歩いていく。

 道中、楽しげに話をしつつ歩く冒険者風の一行が横を通り過ぎ、広場のベンチで昼食を楽しそうに取る男子三人組や男女カップルを見かける。

 広場の端では、金髪の青年が開いている屋台からバターの焼ける美味しそうな匂いが辺りにただよい、それに引き寄せられた人々が談笑しながら並ぶ。

 初めて街の中に入った時と同じ、活気にあふれる平穏がそこにはあった。

 交差路まで来ると、そこから右手の通りへと歩みを進める。石畳の緩やかな坂道を歩いていくと、先程より少し道幅の狭い交差路に出る。

 テンシはその角にある店の前で止まると、


「ここにしましょう!」


 と、店内に入っていく。

 健太も慌てて店内に入ろうとする。が、その前に店名を確認しようと、店舗テントを見上げると、そこには赤の布地に白文字の太い古風な明朝体で、『ステキな洋食店~海辺のアイ~』と書かれていた。


                  *


「おや、テンシちゃんじゃないか!」


 店内入ると、窓際の席で客と雑談をしていた恰幅かっぷくの良いエプロン姿の中年女性がテンシを見つけ、少し驚いた顔をして声をかける。


「久しぶりだねえ」

「スズコさん、お久しぶりです」


 テンシは笑顔で手を振りながら、空いている壁際奥の二人席へ向かう。

 二人は席に着くとすぐに、スズコは薄切りされたレモンのような黄色い薄皮の果実と、水の入ったガラス製の水差しとグラス、おしぼり、メニュー表を手に席へやって来る。


「はい、どうぞ」


 二人は渡されたメニュー表をぺらぺらとめくり確認する。

 おいしそうな料理の画像と、値段だろうか、数字の横に『BTビーティー』という単位の載った画面が表示されているが、初めて来た店で勝手が分からず、健太はメニュー越しにテンシをちらりと見る。

 テンシは一通り軽くめくった後、ぱたん、と閉じると、ちょうど健太と目が合う。


「健太さんはどうですか。食べられないものとかありますか?」

「うーん、どうなんだろう」


 記憶が曖昧なため、何が食べられないのかも判然としない。

 多分大丈夫だと思うけど、と答えると、テンシはスズコへ振り向き注文を伝える。


「それじゃあ、いつもの二つでお願いしますね!」

「はいよー」


 スズコはオーダーを取ると、メニューを下げキッチンへ戻っていく。

 健太は一息つくと、各々のグラスに水を注ぎながら店内を眺める。

 白を基調とした店内は、所々に緑の観葉植物が置かれ、風景の映像が常時表示されている。天井には茶色のシーリングファンが設置され、室内に風を送るための羽が緩やかに回り、小洒落こじゃれた喫茶店のような雰囲気をかもし出していた。


「どうでしょうか。このお店、健太さんのお気に召しましたか?」

「うん、すごくいい」


 テンシの言葉に、健太は大きくうなずく。外で見た時の年季の入った明朝体からは想像すら出来なかった、まるでリゾートレストランのような爽やかさと華やかさがある店内に、自然と心がおどる。

 目の前でコクコクとお冷を少しずつ飲むテンシを見て、健太も同じように飲んでみる。

 この世界に来て初めての「水」は、柑橘かんきつ系の甘酸っぱさと、ハーブの香りが程よくブレンドされた味で、喉を抜ける冷たさが渇きを潤していく。


                  *


「――それで、基礎護符、いわゆるBTは、こちらでの暮らしや転生先における基礎スペックの向上にも使え、汎用はんよう性が高くお金としても流通しているんです。……と」

「説明中のところ悪いね、お待ちどおさま」


 料理が運ばれてくる間、護符の説明をしていたテンシは、食事が運ばれてきたのを見て、白色の護符が表示された画面を閉じる。

 目の前のトレイには、薄く焼いた白い生地の中に様々な具材を挟んだもの、緑黄色や赤紫に彩られたサラダ、そしてクルトンの乗った赤橙色のスープが所狭しと並べられている。


「サーモンマリネ、チーズ・トマトとレタス、生ハムと香草の、三種のパニーニランチセットだよ。テンシちゃんも懐かしいだろう?」

「うん、本当に。……ではでは、頂きます」


 少しだけ目を細め、嬉しそうに料理を見つめた後、テンシはその一切れを両手で持ち、はむ、とかぶりつく。

 絶妙な味のボリュームのランチで二人の腹も満たされたところで、食後のコーヒーを嗜みながら、テンシは説明を再開する。


「朝はこの世界がどういうものかと死に終わりと転生について、先程は基礎護符について簡単にお話しましたが、今度はこの世界の各地域についてご説明させて頂きますね」


 そう言うや否や、壁に少し大きめの四角を描くと、そこに画像や資料が次々と表示される。


「この世界は主に四つの地域に分かれており、それぞれが違う基軸世界、いわゆるあちらの世界と繋がっています」

「まずはこの街。シバは、西暦2020年頃から2050年の地球、その中でも日本を基軸世界としています」

「へえ、かなり限定的な感じなんだね」

「そうなんです。何らかの理由があるはずなんですが、記憶が持ち込めないためその理由が分からずで、あまり研究が進んでいないというのが実情です。一方で時期に関しては間違いないです。このゴーグルや、健康診断で死の時期が確認出来るのですが、その時期以外から流れ着いた例はゼロです」


 続きまして、とテンシは画面を操作し、水路と自然に囲まれた美しい街を映し出す。


「この街の名前はレクナート。素敵な街並みですよね。異世界『アナンタリア』が基軸となっている世界です」

「おおー、異世界とも繋がっているんだ」

「何と異世界文化交流も出来るのです! といっても、アナンタリアの皆様は感性や雰囲気が私達と近く、王道ファンタジー世界そのままという感じというと、イメージしやすいでしょうか」

「ということはエルフとか、ドワーフとかも居たりする?」

「ええ。人族がやはり多いですが、耳が長い子だったり、小柄な子だったり、動物の耳が生えていたりと、少し多彩な感じです」


 実は先程出会ってるんですけどね、と言われ、健太は広場で出店を開いていた店主が脳裏に浮かんだ。よくよく思い出してみれば耳が横に長く、神秘めいた雰囲気をまとっていた。


「ちなみにアナンタリアから流れ着く人は年代がまちまちなので、知識や常識、感性に少々ズレが有るみたいですね」


 では、次に行きましょうか、と画面を切り替える。

 雰囲気が一変し、金属や機械などの近現代的な人工物に溢れた街並みが表示される。


「ダータフォルグという名前の街です。ここは、機械と人形の世界『モアレ』が基軸世界となります」

「機械に、人形。人間はいるの?」

「聞くところによると人間がいない世界みたいです。機械と人形だけの世界なのですが、彼らとの意思疎通は全く問題なく出来ます」

「え、そうなの」


 健太は少々驚いた。人間の存在しない世界であれば、人間特有の思考回路や生理現象など、理解の及ばないものも多そうなものだが。


「というのも、元々は『人間』だったのですが、とある時期をきっかけに機械や人形へ精神だけがぴょーんと乗り移り、今に至ったので、人間のことも分かるのだそうです」

「うーん……」

「実際会ってみればわかると思います。彼らは勤勉で賢い一族ですし、素敵な方ばかりです」


 そこまで言ってコーヒーを一口飲むと、テンシは画面を変更する。

 が、映像は表示されず、黒字のシルエットに白抜きで「?」マークが表示される。


「次で最後です。ここは私も一度も行ったことがないので、実在するのか少し怪しいエリアなのですが。ビッグシェルフと呼ばれる街になります。話によると、基軸世界が現実に存在するものではなく、人が作り出した創作物で亡くなった方々が辿り着く場所と言われています」


 健太は思わず首をひねる。それは理解の範疇はんちゅうを遥かに超えるものだった。


「そうですね……、あくまで例えですが。とある伝承で生贄いけにえとなり不幸な死を遂げた方や、漫画で可哀想な死を迎えたキャラみたいな人々が流れ着くといううわさです」

「つまりは、そこに行けば空想上の人にも会えるかもしれない?」

「そう、その通りです! ですが、ビッグシェルフは他の街と違い所在も不明で、これ自体が創作なのでは、と言われるくらいです。ただ、実例としてその街から流れ着き、このシバで暮らす人もいるんですよね」

「なるほど……」


 最後に画面をシバに戻すと、テンシは健太に小さくお辞儀をする。


「以上になります。お付き合い頂きありがとうございました! ここら辺のお話は、明日受ける座学でもう一度説明があると思うので、楽しみにしていて下さいね」

「うん、こちらこそありがとう」


 この世界の在り方は、イメージしていたものより遥かに異質で複雑だ。だが、そのことに少なからず胸が高鳴るのを抑えられない健太である。


                   *


「ちなみに、ここまでの内容で何か質問などはありますか?」

「うーん、そうだなあ」


 テンシの問いに健太は考える。正直なところ、聞きたいことは山ほどあった。

 どれにしようか、と思案しながら、カップの取っ手の上端付近を親指の腹でさする。

 どんな質問が来るのか楽しみなテンシは、首を左へ右へと傾けリズムを取りながら、鼻歌でも歌い出しそうなほどご機嫌な様子だったが、健太が自然に行っていたその動作に気付くと、ぴたりと止まり目を大きく見開く。そして、


「あれ、テンシさんどうしたの?」

「えっ、あっ、あはは」


 優しくはにかみながら、とても自然に涙を溢れさせていた。

 慌てて顔を背け、目元をごしごしと服の袖で拭き、


「ちょっと席外しです、ごめんなさい!」


 勢いよく席を立つと、店の奥へ小走りに駆けていく。

 健太はその背中を心配そうに見つめていたが、そこにスズコがやってきて、コーヒーのおかわりをそれぞれのカップに注ぐ。


「あっ、ありがとうございます」

「どうだったかい、うちのパニーニ。美味しかったかい」

「ええ、それはもちろん」


 そうかい、それならよかった、と気さくに笑いながら、スズコもテンシが入った扉に目を向け、呟くように話す。


「あの子がここに来たの、実は半年振りなんだよ」

「……、そうなんですね」

「ああ、色々あって、ね。ここは思い出も深いだろうから、なおさら、ね」


 スズコは目を閉じ、懐かしむかのように優しく微笑んだ後、ゆっくりと開く。


「また、二人で食べにおいで」

「はい、必ず」


 健太の言葉にスズコは大きく頷くと、先程の威勢のいい表情に戻り、その場を離れる。

 入れ替わりで、個室から出てきたテンシが勢いよく戻ってくる。


「お待たせしました!」


 出会った時とまるで変わらない笑顔で元気のいい彼女の前髪と、もみあげの一部は、ほんの少し水気が抜けきらず、湿り気を帯びたままであった。

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