8)宴の夜

宴の夜(1)

 御前会も無事終わり、宵の口から宴が始まった。

 西側にある大広間には洞家や家元たちが所狭しと座り、一番端の席などは小さくて見えない。代わる代わる挨拶にやってくる鬼たちに藤花は愛想笑いをし続け、途中、あくびをしそうになって深芳にひじでつつかれた。

 今回、九尾は特別な客として鬼伯と席をともにしている。これが何を意味するか、周囲の鬼たちの反応を見ていて、藤花は理解した。


 この大妖狐の存在は、父親にとって大きな後ろ盾となっている。


 武に勝る二つ鬼に対し、強大な力を持つ九尾との親交を見せつけ、けん制する。効果は抜群だ。御前会で兵衛が圧倒的な強さで六洞りくどう重丸を打ち負かしたことも大きい。あれで弟子なら、師匠たる九尾の強さはいかほどのものか、誰もがそう思ったに違いない。


 挨拶にやって来る者の、媚びた顔のなんと白々しいことか。


 藤花は愛想笑いさえ馬鹿らしくなり、途中から九尾に話しかけるふりをして彼の後ろに隠れた。


「藤花姫、儂は壁ではないぞ」


 九尾が藤花の魂胆に気づいて苦笑する。


「いいえ、立派な壁にございます。どうかそのまま座っていてくださいませ」


 藤花はしれっと答えた。彼女にとって九尾はもう一人の父親のようなものだ。だから、何の遠慮も感じない。九尾にしても、こちらを娘ぐらいにしか思っていないだろう。

 すると、九尾がふと藤花に顔を寄せた。


「ふむ。甘い良い匂いがするようになったな。どこぞ、好いた男でもできたか?」

女子おなごの匂いを嗅ぐなど、失礼でしょう? しかも不躾ぶしつけ!」


 藤花が汚いものを見るかのように、あからさまに嫌な顔をする。

 九尾は悪びれる様子もなく、「儂は鼻が利くのよ」と言いながら首をひねった。


「しかし、どこかで嗅ぎ覚えのある……」

「それは、しょっちゅう会っておりますから。九尾様は、いつもそうやって女子おなごを口説かれるので?」


 藤花が睨むと、九尾が薄墨色の目を細め「ははは」と笑った。


「それはいい。今度、試してみよう」


 そこへ、里守さとのかみである六洞りくどう当主が、息子の重丸を連れてやって来た。


「鬼伯、九尾様、」


 重丸と同じごつっとした眉にぎょろりとした目の二つ鬼。彼は、ずいっと二人に詰め寄り頭を下げた。


「御前会では、愚息が醜態をさらしてしまい申し訳ございませんでした」


 影親と九尾は顔を見合わせ苦笑した。


里守さとのかみ、もう終わったことだ。顔を上げよ」

「いいえ。九尾様も、弟子殿には大変な失礼を」


 言って、後ろに控える重丸を促す。里守さとのかみは、初音の家の代わりに六洞を与えられた二つ鬼だが、実直な鬼で知られ、影親の覚えもめでたい。

 重丸が神妙な面持ちで九尾に対し頭を下げた。


「一介のあやかし風情とあなどり、かっとなってしまいました。申し訳ございませぬ」


 重丸が謝ると、九尾は軽く笑った。


「どうだ、兵衛は強かろう?」

「は、さすがは九尾様の弟子殿、足元にも及びませんでした。もし許されるのであれば、また手合わせを願いたい」


 素直に負けを認める誠実な物言いに九尾は「ほう」と機嫌良く頷く。血気盛んなところは少々あるが、父親譲りの愚直な気質らしい。


「あれは気難しいから首を縦に振るかどうかは分からんが、伝えておこう」

「はい。今宵、この宴には?」

「あやつは儂の従者として来ておるだけだ。今ごろは、どこかで時間を潰していることだろうよ」

「そうですか。直接会って謝りたかった」

「では、それも伝えておこう」

「ありがとうございます」


 満足げに頷いて、今度はちらりと藤花を見る。

 しかし、藤花はつんっとそっぽを向いた。反省しているとはいえ、兵衛に向かって鬼火を投げつけた奴だ。

 そんな藤花のつれない態度に重丸は苦笑した。


「私はすっかり嫌われてしまったようだ」


 影親かげちかが「すまぬ」と言って取り繕う。


「勝手気ままな性分の娘で申し訳ない。先ほどから挨拶も嫌になり、このとおり九尾の後ろに隠れてしまって」


 六洞りくどう当主が「はっはっ、」と笑った。


女子おなごは少し気ままなほうが可愛いらしいものです」

「藤花、挨拶をせよ」


 影親かげちかが、厳しい目で藤花を促す。それでも渋る藤花に、九尾がやんわりと耳打ちした。


「影親の面目を潰してはならん。数少ない信頼の置ける二つ鬼なのではないのか?」


 そう言われると、返す言葉もない。それに、六洞当主も息子の重丸も、あらためて話をすると悪い奴でもない。ここでわがままを通すのは、あまりにも分が悪い。


 藤花は居ずまいを正すと、六洞親子にあらためて笑いかけた。


此度こたびの六人抜き、素晴らしい活躍でした。伯のため、これからも励んでください」


 なんの捻りもない決まり文句。しかし、重丸はそれでも嬉しかったらしく、破顔して頭を下げる。そして六洞親子は、満足した様子で下がっていった。


 たったこれだけのやり取り。造作もない。


 しかし、藤花は複雑な気持ちになった。

 きっと六洞親子は、藤花の言葉通り、影親のためにこれからも力を尽くすだろう。だからこそ、形だけであったとしても、藤花の言葉には意味がある。


 例えばこれが、兵衛だったら? と思う。

 彼が仕えるのは九尾であり、影親ではない。どれだけ藤花が何かを与えようとも、彼が鬼伯のために動くことはない。だとすれば、彼にとって自分の言葉はいかほどの意味があるのだろう。

 そう考えると、いつか兵衛は自分の元を去っていくとしか思えなくなり、不安で胸が締め付けられた。


 藤花は、胸のつかえを吐き出すようにため息をつくと、すくっと立ち上がった。もう、うんざりした。

 父親の顔を立てて、立ち振る舞わなければならないことも、一族の利益で物事を考えている自分にも。


「藤花、どこへ行く?」

「疲れました。夜風に当たりながら、部屋へ戻ります」


 影親に不機嫌に言い放ち、藤花は足早に大広間を後にする。もともと頃合いを見て中座しようと思っていたのだ。兵衛のいない宴など、どれだけ座っていても楽しくない。


 会いたい。兵衛はきっと、あそこにいる。


 はやる気持ちを抑えつつ、廊下を進む。今夜は大広間の周辺こそ賑わっているが、それ以外はひっそりと静まり返っている。執院から奥院へ続く渡殿わたどのまで来ると、ようやく藤花は歩調を緩めた。


 庭先の低木の近く、片膝をついてじっと主を待つ男がいる。鳶色の瞳は地面をひたすら見つめ、微動だにしない。


「……兵衛、」


 藤花が声をかけると、兵衛がゆっくりと顔を上げた。


「宴の席はどうされました?」

「会いたくて、抜けてきた」


 言って彼女は庭へと通じる階段を降りる。そして、彼の膝の上に座った。


「ここで初めて会った時のことを思い出す。あの時も、こうして膝に座ったの」

鬱陶うっとうしい姫だと思いました」

「……今は?」


 藤花が尋ねると、兵衛は小さく笑った。そして、愛おしげに藤花の頬を撫でた。藤花は、彼の首に両腕を回した。


「おまえに会えぬ毎日は退屈で仕方がない。どれだけ待たせるのじゃ」

「御前会までは行けないと言ったではないですか」


 話している時間さえ惜しい。二人は、お互いの存在を確かめ合うように唇を重ね合わせた。

 重ねた唇から、互いの熱が伝わる。

 もっと──。指を絡め、舌を絡め、離れてもなお、視線を絡め合う。


「兵衛、今宵は長い。二人きりになりたい」

「仰せのままに」


 兵衛が大げさに頭を下げる。そして彼は、自分の髪を一本抜き取ると、ふうっと息を吹きかけた。いつぞやの空飛ぶエイが現れる。

 兵衛は藤花を抱き上げ、その背に飛び乗った。


「お連れしたい場所が、」

「どこじゃ?」

「内緒です」


 首をかしげる藤花に兵衛は含みのある笑いを返す。二人を乗せたエイが夜空高く舞い上がった。

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