御前会(2)
若鬼たちは、兵衛が聞き耳を立てているとは知らず、藤花について話し始めた。
「儂も先ほどちらりと見た。まだまだ子供だと思っていたが、なかなかどうして」
「そうよ。深芳様とはまた違う華やかさがあり、初々しいのに妙に艶めいておって。どうしたことか、まこと色づいたものよ」
若鬼たちの下世話な会話に、兵衛は怒りで吐きそうになる。
何を馬鹿ことを言っている。
どうもこうも、儂が色を付けたのだ。あの無垢な存在に、汚れを知らない白い肌に。
内心そう毒づきながら、一方で、藤花が若い鬼衆にむやみに色を振りまいているのではと、いらぬ心配もしてしまう。
「どうにかお近づきになれんかのう」
「隙のない姉姫よりは、いくぶん気安い」
「そうじゃ。この御前会で目立つ働きをすれば、姫の目に留まるやもしれんぞ」
(くだらん)
あまりのくだらなさに今この場で全員を打ちのめしたくなるほど気分が悪くなる。
が、しかし、自分はあくまでも九尾の従者だ。兵衛はひたすら感情を抑えて無表情を貫いた。
折しも影霊殿を囲む両脇の回廊から
「おお、藤花様がこちらを見ていらっしゃるぞ」
勘違い
つられて兵衛もちらりと顔を上げると、影霊殿の回廊に立つ藤花がこちらを見つめていた。
ゆったりと束ねた黒髪が時おり吹く風に揺れる。頭に一本の角を
周囲の喧騒は耳に入らなくなり、静かに密かに藤花と視線を絡ませる。兵衛が応えたのを受け、藤花は満足げな笑みを浮かべると、ふいっと顔をそむけて自席についた。
なんと遠い存在か。
あそこにいるのは、確かに藤花のはずなのに、今は遥か遠くに感じる。そして、これが現実なのだと突きつけられる。
いくら彼女をこの手で抱き締め、口づけを交わそうとも、決して手に入らないものであると。
だとすれば、この逢瀬になんの意味があるのだろう?
ただ、いたずらに彼女を傷つけているだけではないのか。
「兵衛、我らも席に着こう」
全員が開会に合わせて自席へと戻る中、じっと動こうとしない兵衛に対し九尾が声をかけた。言われて兵衛は、九尾に従って歩き出す。九尾の席は、
そして、兵衛は
ここが自分の位置であり、居場所である。あの頭上高い
「みな、よく集まってくれた」
御前会とは、鬼伯の御前で各々の技術や技量、知識などを披露する会だ。最初は、菓子や装飾品など、
次に刀剣、今年は西の刀鍛冶が呼ばれているらしく、見事な
「なんだ、太刀ではないのか」
こそりと前列の席から囁く声がする。未だ鬼たちの間では太刀が主流で、後から出てきた
宝刀・月影──、月の光から作られたという伝説の大太刀である。
主の九尾でさえお目にかかったことがない代物で、一族の秘術により、とある場所に隠されているという噂もある。
そして次に出てきたのは、二つ鬼の「博学子」と呼ばれる学者だ。しかし彼は、娘と思われる姫を伴って現れた。
「これに控えるは娘の千紫にございます。本日は娘と二人でまとめ上げた『月夜の歴史と人の国の影響』について報告いたします」
黒髪を高く結い上げた姫は、
簡潔かつ要点を押さえた説明は、誰が聞いても分かりやすく、九尾も感心した様子で頷いている。しかし、他の席からは「女だてらに」と
「もう
という
(以前、姫が話していた『姉のように慕っている』姫君というのは、彼女のことか)
なるほど、どこぞの宵臥のままで終わるには惜しい聡明な姫君だ。その意思の強そうな横顔も、それでいて控え目な所作も好感が持てる。清影の目に留まるのも不思議ではない。
ただ、彼女の不幸は、本人にその気はなかったとはいえ、出過ぎたことだ。
ちらりと
遠くてその表情の細部までは分からないが、じっと彼女を見ていることが分かる。しかし、千紫はひたすら鬼伯のみを見て、落ち着いた口調で淡々と語っている。彼女にとっては、もう終わったことなのだろうかと、兵衛は他人事ながらに思った。
こうして様々な分野の者の、様々な披露が終わり、とうとう歌競いとなった。
藤花から下らない見世物だとは聞いていたが、なかなかどうして、出てくる娘たちは誰もが
家の命運を背負わされ、あばよくば影親や清影の目に留まらんとする魂胆が全身から溢れていた。
出てくる娘はどれも一つ鬼、月詞は一つ鬼しか歌えないというのはあながち嘘ではないらしい。しかし、実際に歌競いが始まると、兵衛は「一つ鬼しか歌えない」という言葉自体にも疑問がわいた。
これは、鬼伯の一族以外、歌えないのでは……?
題目は「風の
懸命に声を張り上げる者、声色を変える者、頑張り方はそれぞれだ。しかし、風のことなど全く無視し、気にしているのは目の前の鬼伯と伯子の評価のみ。当然、月詞は不協和音を起こし、聞くに堪えないものになった。
まともな月詞を一度でも聞いたことがあれば、どれだけ
主催した
ようやく全ての者が歌い終わり、影親がほっとした様子で立ち上がった。
「では、最後に我が娘の歌を披露したい」
深芳が困った顔で目を伏せる。義父の手前、歌わない訳にもいかず、かと言って歌えるわけでもない。
藤花から深芳のことを聞いていた兵衛は、どうするのだろうと影霊殿の様子を見守った。
すると、
「では、」
と藤花がすっと立ち上がった。そして姉を庇うように前に出る。影親が渋い顔をした。
「藤花──、下がっておれ」
「姉様は
姉を庇い、諌め口調で父親に言い返し、藤花はゆっくりと空を見上げる。
すると、まるで彼女に答えるかのように、柔らかな風が吹き始めた。
藤花がその風に合わせ言葉を紡ぐ。独特の抑揚のある声が風に乗る。のびやかに南庭を吹き抜け、藤花の言葉は風と混じり合い空に消えていく。
誰もが藤花の歌声に聞き惚れ、その余韻に酔いしれる。
彼女が歌い終わる頃、瑞々しい空気が南庭全体を包んだ。
刹那、
「見事!!」
静寂を九尾の拍手が打ち破った。
「これぞ月詞よ。さすがは姫、初々しいかつ瑞々しい」
満足げに九尾が言う。そして彼は皮肉げに歌競いに出た娘たちに目を向けた。
「藤花姫は、何に耳を傾け、何が大切であるか分かっておられる」
その言葉に、彼女たちは一様に気まずい顔で俯いた。
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