悪魔の夢
この会社は作業効率を高めるために、社員一人一人に四畳半というそこそこ広い個室を設けている。働き方改革の最前線をいくこの体系。飛んで入るは新入社員。素晴らしいホワイト企業だとおもっていざ中に入ってみてみれば、なるほど外側が白だからといって内側の色も白だとは限らない。赤いリンゴもむけば白いように、白熊の肌が黒であるように。
真っ暗な部屋に案内されて電気をつけてみれば、あらわれたのはコンクリートうちっぱなしの窓のない部屋。聞いていた理想空間とだいぶ違う。あっけにとられているわたしを現実に引き戻したのはドアが閉まる音だった。
キイィィー――バタン。
室内に響く希望の断たれる音。説明を求めてドアをあけようとしたが、ドアノブがない。もうただの壁である。押しても引いてもびくともしない。
振り返っても、部屋には安そうな椅子と机、その上にデスクトップ型パソコン。あとは部屋の一角に洋式トイレ。
なるほど、排泄の自由の他には何もない四畳半の灰色空間が、蛍光灯に照らされていた。
パソコンで助けを呼ぼうと、連絡をとろうとしたが、インターネットにつながっていない。しかし内線ではつながっているのか、上司とおもわれる人から指示が届いていた。読む気など起きなかった。
わたしは深く絶望していたのだ。
なぜこんなことになったのだろう。一体どこで間違えたのか。ああ、神様仏様、いいやだれでもいいからだれかわたしを救ってくれ!
やけくそに祈ることしかできなかった。藁にもすがるおもいだった。
すると突然部屋が暗転。
すぐに復旧したが――なにかが、いた。
わたしの前に現れた、それは『影』だった。
扉のある壁と対となる壁のところにあぐらをかいて座っている。
『影』はじっとこちらを見ていた。影だから顔が、ましてや目がはっきりと見えるわけではないが、視線を感じるのでこちらを見ていることはわかった。
わたしも『影』を見つめていた。鉛筆を横にして雑に塗りつぶしたような黒だった。向こう側が透けて見える。なんとも消え入りそうな存在感だ。怖くない。
しばらく見続けていると『影』がおもむろに立ち上がり、こちらに近づいてきた。
「……みえているのか」
「見えています」
「……」
「初めまして」
わたしは『影』がしゃべったことに驚かなかった。むしろ『影』の方が驚いていた、気がする。
「わたしの助けに応じてくれたのですか?」
「……いや、おまえは私の夢なのだ」
話がかみ合わない。何を言っているのだ。
「あなたは何者なんですか?」
「……おれは、悪魔だ」
かみ合ったが、何を言っているのだ。悪魔。
「あの角とかしっぽとか翼とか生えてる、あれですか」
「……あれ、のはずだ」
シルエットはただの人間。特徴を一つも満たしていないが、まあ本人がこういっているしそういうことにしておこう。少なくとも霊的な何かではあるだろう。
悪魔か。キリスト教でないわたしでも知っている。しかしキリスト教でもないわたしの前になぜ悪魔が現れたのだろう。会社の悪魔的所業をみかねた悪魔がわたしたち社畜を開放するべく姿を現したのかもしれない。
そう希望を抱いたのも束の間。突然悪魔が泣き出した。シクシクメソメソと背景に擬音がみえそうだ。
どうもこの悪魔、さえない頼りない覇気がない、とないないないの三拍子。こんな悪魔では無理であろう。そもそも悪魔が救世主になるはずがなかった。わたしがどうかしていた。
しかし決めつけるのはよくないとおもって一応きいてみた。
「悪魔なら、わたしをここから出して下さいよ」
お願いします、と言うが早いか悪魔はうなずいた。鼻水か涙か、なんらかの飛沫が散る。
「……よかろう……ズビッ。その願い、かなえよう」
即答でかなえてもらえた。ほら、やっぱり救世主じゃないか! 人を外見で判断してはいけない。人でもないし影しかわからないが。
とにかく助けてくれるのならば助けてもらおう。悪魔はやっと泣き止んで、腕で顔からしたたる液体をぬぐいながら、またコクンとうなずいた。
「どうやって?」
涙をふきながら、悪魔は背後の壁を指さした。スルーしてきたけれど、なぜこいつは泣いているのだろう。
「……これは。私の、夢……なのだ。なにも、かも、おもい、どおり……だ」
悪魔が指さした壁に、いつのまにか穴が開いていた。
「……え?」
うなずく悪魔。いや、まさかこんなにあっさり? 試しに頭を突っ込んでみると、ビルの間の路地裏らしき場所に出た。どこかはわからないが、確かに外につながっている。
「……」
あまりにもあっけない。会社からの脱出ゲームは、始まって五分もたたず終わってしまった。脱出ゲームは苦手だし大助かりだが、簡単すぎる。これが悪魔の力か。感心していると、
『ビー! ビー!』
部屋に大音量でアラームが響いた。しまった、逃げようとしているのがばれたか!
「おい悪魔、はやく逃げよう!」
わたし一人で逃げ出しても、悪魔は悪魔なんだから何とかするだろうが、さえないふがいないたよりない覇気がない、あの悪魔はないないづくしで置いとけない。だから声をかけたのだが、すでに悪魔の影は消えていた。いつの間に――ええい後で考えよう。
わたしは穴に飛び込んだ。
「ぐふぇっ!」
激突! 痛い! 思いっきり額を打った!
くそ、悪魔が消えたからか? 穴は消えて、頑丈そうなコンクリートの壁にもどっていた。
『ビー! ペナルティ666を執行します』
「うるさいな! なんだよ、何する気だよ!」
『ペナルティ666を執行します』
「だからそれはなんなんだよ!」
『ペナルティ666を執行します――
この会社は作業効率を高めるために、社員一人一人に四畳半というそこそこ広い個室を設けている。働き方改革の最前線をいくこの体系。飛んで入るは新入社員。素晴らしいホワイト企業だとおもっていざ中に入ってみてみれば、なるほど外側が白だからといって内側の色も白だとは限らない。赤いリンゴもむけば白いように、白熊の肌が黒であるように。ホワイトな謳い文句でコーティングした会社で働いてみれば、その実純粋な黒だった。
この甘美な個室が与えられるという話。嘘ではないが嘘だったのだ! どういうことか説明しよう。入社する前に戻れたらあの頃のわたしに教えてやりたい。
この三畳の個室はずばり牢屋としてつくられたのだと!
おもいだすのは会社に入って一日目のこと。
真っ暗な部屋に案内されて電気をつけてみれば、あらわれたのはコンクリートうちっぱなしの窓のない部屋。あっけにとられているわたしを現実に引き戻したのは後ろのドアが閉まる音だった。
キイィィー――バタン。
室内に響く希望の断たれる音。説明を求めてドアをあけようとしたが、ドアノブがない。押しても引いてもびくともしない。その後いくら叫んでもドアを叩いても扉がひらくことはなかった。
部屋には安そうな椅子と机、その上にデスクトップ型パソコン。あとは部屋の一角に洋式トイレ。
なるほど、排泄の自由の他には何もない四畳半の灰色空間が、蛍光灯に照らされていた。
パソコンで助けを呼ぼうと、連絡をとろうとしたが、インターネットにつながっていない。しかし内線ではつながっているのか、上司とおもわれる人から指示が送られてくる。わたしには指示に従って働くことしかできなかった。
人間が生きるために必要な食事と睡眠についてだが、心配ない。夜九時頃に扉の中央がパカッとひらいて、一日分の食糧と寝袋が渡される。使い終わったそれらを翌日の朝九時までに返却するというシステムだ。
実に無駄のないスケジュールで完全に支配されたわたしは、このまま人生を消費していくのかと絶望していた。いや絶望したくなかったからとにかく働いた。こうやってがむしゃらに働かせることまで計算の内だとしたら、本当によくできている体系だと感心してしまう。感心している場合ではないが。
ああ、神も仏もあったもんじゃない。
いったい、どこで間違えたのだろう。
前もこんなことを考えていた気がする。疲れているときは既視感を覚えがちらしいが、この感覚はただの既視感ではない。
なんだかもっと確信のある――まあいいか。
わたしにはただここで働き続けることしかできない。
一か月。
二か月。
三か月――――――――六か月――――――――
――一年――――二年――――三年――六年――
――十年――ずっと――――ずっと――――――
――――ずっとずっと――――――死ぬまで――
――――――――――――――――――――――
――働き続けることしかできない。』
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