蛇んボール

コピー本

木になる




「幸せって何だろうか」

 気が付くと知らない空間にいた。

 どこだここは。目につくのはオイルで汚染されたような汚い虹色の空と、草木一本も生えていない砂漠。

 いや、生えているモノは居た。ただし植物ではない、はずだ。

 それは人のシルエットだろうし、木のシルエットかもしれない。曖昧な言い方なのは、言い切ることができないからだ。正確なことがわからない。

 それはどう見ても人間ではなかった。万歳のポーズをとったまま、砂に両足を埋めて立っている人に見える。しかしその腕には葉が生えていたり、枝の様なものが伸びていたりしていた。

 服を着ていないから――植物ならば当然だが――不可抗力で地肌が見える。色黒の、有体に言ってしまえば木肌のようだった。

 なんだこれ? 人が木になっているのか、木が人になっているのか。

 どちらにせよ、なんだそれ。

「幸せって何だろうね」

 喋った。喋れるのか。

「ねえ、どう思う?」

「わたしに訊いてる?」

「幸せって何だと思う?」

 何だと思う、と訊かれても。幸せなものは幸せだろう。

「辞書にはこうあるよ」

 そう言って木は辞書を落とした。どこから出したのだろう。的確に目の前に落としやがって。「しあわせ」のあるページには栞みたく小枝が挟んであった。なになに?

 一、幸福なこと。幸運なこと。

 二、満ち足りていること。不満がないこと。

 三、生きていること。自分らしいこと。

 四、ヒトでなくなること。他人の不幸や絶望を鑑賞すること。

 五、死ぬこと。逃げること。もと居た場所に還ること。

 六、救われること。もしくは他人を救うこと。

 七、――ってちょっとまてなんだこれ。

 ページをめくる。三十六、三十七、三十八、一体いつまで続くんだ? ページを次々めくっても、八十九、九十――百。あ、終わった。

「めっちゃあるじゃん」

「ねえ、幸せって何だろう」

「えー……」

 この辞書の中から選ぶとしても、まず読むだけで時間がかかりそうだ。

「ちょっと待って」

「待てないよ。考えないで、すぐに答えて」

 なんなんだ。わたしにどうしろというのだ。

 幸せなんて、そんなもの。

「ねえ、早く、早く」

「うるさい!」

 おもいッきり腹だとおもわれる幹のど真ん中をキックしてやった。オットセイを蹴ったような感触。蹴ったことはないが、なんとなくそんな感じ。木はうぅ、とうめきながら顔を歪ませた。うん、これからはもう木と呼ぶことにする。――ちょっと勢いよく蹴りすぎたか? 木は青ざめて、吐きそうなツラしてる。

「おえっ……」

 ガタゴトがらがらチャリーン!

 吐きやがった。汚いとおもった。しかしおかしいな、こいつ今なに吐いた?

 見ないようにそっぽ向いていたからわからなかったが、液体の音ではなかった。でもなんか振り向きたくないな。よし。

 秒で決断。振り返らずに進むことにしよう。

 ここがどこなのかわからないが帰らなければ。出口を探そう。

 ――幸せって何だろうか。

「そんなの、知るかよ……」

「知らないんだ」

 背筋が震える。さっきの木の声だ。

「お前いい加減にしろよ! 幸せって――」

 振り返ると木は埋もれていた。色んなものに埋もれていた。ガラクタに埋もれていた。プラスチックのスコップ、えんぴつ、安全ピン、サッカーボール、三輪車、携帯電話、分厚い漫画雑誌、木工用ボンド、砂時計、自由帳、盆栽、カッターナイフ、ハサミ、包丁、まち針、ネクタイ、本、茶色い空き瓶、硝子(がらす)のコップ、蓄音機、割れた壺、額縁、エトセトラエトセトラ。どれもこれもいろあせて、さびついて、もう捨てるしかないゴミばかり。こいつが吐き出したのか? だとしたらこいつのどこにこんなに物が入っていたのか。

 そもそもこいつはなんなんだ? わからないことが多すぎる。質問してばかりのこいつに質問してみればとおもったが、奴はすでにゴミ捨て場と化した。枝がちょっとだけてっぺんから覗くくらいで、もうこちらの声も届かないだろう。

 自分で蹴って吐かせておきながら言うのも悪いとはおもうが、気味が悪いのでとっとと立ち去ろう。

 目を瞑ってぐるぐるまわる。目がまわらない程度にまわって、こっちだ! と指さした方向に進もう、という作戦だったが、わたしの右手人差し指はゴミ山を示していた。これは想定外の結果だな。作戦変更。指さした方向の反対方向に進もう。

 くるりと華麗に百八十度まわって歩き出す。どこかに出口があればいいのだが。早く帰りたい。



 歩き出して五分経っただろうか。砂漠の丘を一つ越えたあたりだ。もう靴の中まで砂だらけだ。太陽光線は強くはないが、光の反射で目が焼ける。さらに風が吹くたびに砂が眼球に飛び込んでくるものだから、わたしの両目は常に涙で保護されていた。うるんだ瞳でオアシスでも見えるかな、と目を凝らしていると、都市が見えた。

 都市。

 まぎれもなく都市だ。都会だ。だってビルとかタワーとか見えるし。砂漠の向こうにコンクリートジャングルか。外国とか映画の中ならば在り得る光景だが、わたしはいったいどこにいるのだ。

「どこここ~」

「ゴミ砂漠です」

「いやどこだよ……」

 ――だれだ今の声。

「うわっ! 誰だお前!」

「通りすがりの預言者です」

 フタコブラクダにまたがったて上から話しかけてくる大男が、いつのまにか右にいた。どんぐりまなこで、立派なあごひげが目立つ。青いローブとフードで覆われた巨体から声が響く。

「この砂漠は世界で二十七番目に小さいような気がする。と神はおっしゃっています」

「半端な神だな」

「神を侮辱しないでくだskいmだrt!」

 落ち着いた低い声の紳士は、その瞬間狂人のような目つきで叫び始めた。どんぐりまなこではなく、獲物を狩る猫の目だ。額にしわを寄せて瞼を限界まで開いている。純粋に怖い。

 どうやら怒らせてしまったらしい。

 どうしたものかと硬直していると、男は口から泡をぶくぶく吹いてラクダから落馬した。

「ん? ラクダって馬だよね?」

「私は私ですけど」

 フタコブラクダはそう言い残して大男をくわえて引きずりながら都市の方へ歩いて行った。

「ちょっと待て! なんでラクダがしゃべれるんだよ!」

 いそいでラクダと白目をむいて気絶しているとみられる男を追いかけた。くそ、また謎が増えた。あいつらは何者なんだ?

 さっさと追いついて質問したかったが、ラクダは思ったよりも足が速かった。もう百メートルは離された。あんなスピードで引きずられる男は大丈夫なのだろうか。少し心配になってきた。

 むぎゅ。

 うわ、なんか踏んだ。足元を見ると、さっきの大男がいた。

 ふむ。引きずられているうちに上着が脱げてしまったのか。ラクダがくわえているのはあの青いローブだけなわけだ。どうりであんなに素早いわけだ。

 かわいそうな男だな。この扱い、もしかしてラクダが男を従えていたのだろうか。いや、主従関係ですらないのかもしれない。ただの意気投合した預言者とフタコブラクダなのかもしれない。

 質問するためにもラクダを追いかけよう。あの都市に出口があるかもしれない。

 とりあえず男が不憫におもえたから合掌してナムナムと唱える――と男は飛び上がって、何か叫びだした! こいつやばいやつだ。変なクスリでもキメているのか? 気圧されて尻餅をついたわたしを、男はなぜか俗に言うお姫様抱っこして走り出した。

 速い! けどこの速度で振り落とされると危ないというのと、男の素性が不明すぎるという、二つの恐怖がわたしを襲う。

「くぁwせdrftgyふじこlp!」

 男は支離滅裂に何かを叫んでいた。ラクダに追いつき、ラクダを追い越し、都市をめがけて一直線に駆け抜けていく。

「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁ」

 あっという間に、都市の入り口に着いた。そこには巨大な、スフィンクスくらいの高さはある砂の門があった。もちろんスフィンクスが何メートルなのかは知らない。受ける印象が似ていたからそうおもっただけだ。

 男はそこで力尽きたらしく、バタンキューと謎の音を立てて倒れた。また合掌すると、男は再び発狂して、門に向かって走り出した。うーむ、合掌はダメなのか? 首をひねっている間に男は門に激突。再度謎の擬音とともに倒れるか、とおもいきや、門を貫通して走り去っていった。門が脆いのか、男が頑丈なのか、そのどちらも正解か。ビルがあるなら門も砂じゃなくてコンクリートで作れるだろうとはおもうけれど。

「不幸だ」

「ふこうだあ」

 門の両脇には例の木のような人のようなあれがいた。槍が近くに刺さっているところを見ると門番なのだろう。動けないし槍も持てないようだけれど。ただ突っ立ったまま不幸だ不幸だと垂れ流している。

「こんなに楽な仕事なのに、不幸なのか」

「不幸だよ」

「ふこうだよお」

 左側にいる木はやる気のない声をしているな。聞いているこっちまで気怠くなる。

「ほら、シャキッとしろシャキッと!」

 背中――たぶん背中――あたりをバシッと叩いて気合を注入してやった。

「おろおろろ……」

 そこまで強く叩いたつもりはないのに、門番の木(左)は初めの木と同じく嘔吐した。しかしこいつはネジとか金属の部品を少し吐き出しただけだった。最初の奴は自分が埋もれるくらい吐いたのに。この差は何だ?

「謎を増やすんじゃねえ!」

 無性に木の態度が気に食わない。八つ当たりだと自覚しているが、門番の木(右)にドロップキック!

「うぷっ……」

 プロレスラーではないのでわたしも腰にダメージを受けたが、これで良し。こいつは何を吐き出すだろう、と期待している自分がいる。何が出るかなーと木の顔を見つめていたが、こいつ、耐えやがった。何も吐かない。当たり所が悪かったか? もういっちょ、えい!

「えれえれれ……」

 何も吐かなかった。耐えていなかったのではなくてそもそも吐くものがないのか?

「おい、お前はなぜ何も吐き出さない?」

 げっそりとやつれた顔で木はこたえた。

「なにも持ってません……ゆるして……」

「お前らは攻撃すれば何か吐き出す。そうなんだろう? どうして吐くんだ? 何を吐くんだ? お前らは何者だ?」

「ゆるして……ください……」

 弱気な木だな。まるでわたしがカツアゲしているヤンキーみたいじゃないか。

「わかった。ゆるすから。これでいい? 質問にこたえてくれよ」

「ゆるして……」

「だからさあ――」

 ゆるすって言ってるじゃん! と言おうとした。しかし言葉は続かなかった。突然砂の門が崩壊したのだ。大音量で崩れて落下していく。砂の質量によるすさまじい風圧。それによって砂ぼこりが一面に立ち込める。

 風と砂の猛攻をわたしは土下座のような体勢を取ってしのいだ。風と砂が体にぶつかる音。顔に細かい砂がひっついて気持ち悪い。

 しばらくして風は止み、視界も少しずつ晴れていく。見えるのは相も変わらず汚い空と砂ばかり。耳の穴に侵入してきた砂をかき出しながら立ち上がる。

 わたしはそばにいた木に何が起こったのか説明を求めようとした。しかしそれはかなわなかった。木は忽然と消えていたのだ。それだけではない、目の前にそびえていたはずのビル群までもが消えていた。

 わたしは困惑した。ここからどうすれば良いのか。もう何もわからなくなった。わたしは帰らなくては。帰る――どこへ?

 もとの世界とはどんな場所だっただろうか。何の記憶もないのにどうして帰るとか、出口を探すとか考えていたのか。ひょっとしてあちらが夢の世界だったのかもしれないと、わたしは遅ればせながらおもった。ここが現実なのか。

「そう、神は偉大なのです」

 いつのまに戻ってきたのか、自称預言者の大男が励ますようにわたしの肩を叩く。また青いローブを身にまとっていた。拾ってきたのだろうか。

「さあ、神を信じるのです。さすれば救われるのです。人も、人じゃなくても、いつでも、どこでも。神はあなたを愛しています」

 私は気まぐれに訊いてみた。

「幸せって何だろうか」

「幸せとは神をあがめることだ、と神はおっしゃっています」

「神さまはなんでも知っているの?」

「もちろん」

 自慢げに男は言う。

「この世界が何なのかとか私のいた世界のこととか木のこととかフタコブラクダのこととか消えた都市と砂の門だとかあなたとか、全部?」

「もちろん!」

「じゃあ、わたしはこれからどうなるの?」

「それこそあれです。神のみぞ知る、です」

「ほんとは知らないんじゃないの?」

「神を侮辱しないでいtTddddkKk……」

 また男はバグって倒れた。

 もう、なんなのだ。

 神の全知全能であるかさえもわからない。

 ひどい世界だ。

 なぜこんなひどい世界にわたしはいるのか。

 おもいだせそうだが、おもいだせない。

 とにかくわたしは帰らなくては。

 帰ってあいつに――うん? 今なにか思い出しそうだった。

 脳裏によぎったわずかな手掛かりに全力で手を伸ばし指をひっかけようとした、がしかし届かなかった。残念。

 まあいつかおもいだすか。

 わたしは考えるのが面倒くさくなって、とりあえず砂漠を進むことにした。

 謎ばかりだしわからないことしかないけれど、まあいつかなんとかなるだろう。もう何も考えたくない。

「さてと……」

 わたしは男に合掌した。

 狙い通り男は跳ね起きる。そこにわたしは飛び乗った。乗ったというか背中にしがみついた。男の走るに任せて進むことにしたのだ。

 こいつ速いし、わたし楽だし。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか――。

「ハイヨー! シルバー!」

「ラクダはウマじゃなくてラクダ科ですよ」

「お前いきなり出てくんなよ! いまさらだよ!」

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