第四話 まぶたを閉じている時にしか入れない国

 そんな不安な気持ちを隠せない僕に、三月ウサギは

「それはリクガメ次第だな」

と、身もふたもないセリフを言った。

「リクガメが盗む時間次第で変わるから、なんとも言えねえんだよ。……まあ、ここにどれだけいようが同じってことだから、ゆっくりしていくといいさ」

 僕ががっかりするのを見て、なぐさめるようにそう言ってくれたけど、それでも結果の分からない時間というのは落ち着かないものだ。

「僕、行きます。ありがとうございました。紅茶もスコーンもおいしかったです」

 頭を下げて出ていこうして、扉の前ではたと気がついた。

「……すみません。出口って、水の中にしかないですか?」

「水の中?」

 三月ウサギと帽子屋が首をひねる。

「お前さんが水の中が好きならそうするがいいさ」

「他にも出られる所があるっていうことですか⁉︎」

 思わず帽子屋に飛びつきそうになってしまった。ここには水の中へもぐれるサムデイはいないし、いたとしても出来ればもうあんな目になどあいたくはない。

「どこからでも出られるし、どこからも出られないかもしれないねえ」

 なぞかけみたいなことを言われたが、それにもだんだんと慣れてきた。なんだか妖精の国の入口みたいな話だ。

「その条件て何ですか? 隙間とか?」

 僕の問いに合わせて、テーブルの上からカチャリと陶器の音が聞こえてきた。

「ここへはまぶたを閉じて入ってきたでしょ? まぶたの向こうにあるの、ここは。だからね、まぶたの向こう側に帰るのよ」

 ティーカップの中からヤマネが顔をのぞかせてそう言った。

「おっ。だてにいつも眠ってるわけじゃねえな」

 三月ウサギが茶化すように、ヤマネの頭からふたを取って笑った。頭の上がさびしくなったヤマネは、短い前足で頭をおおうようなしぐさをして、さらに教えてくれた。

「ここはね、まぶたを閉じている時でないと入れない国なのよ」

「えーと……。ということは、これは僕の、夢の中……?」

 現実と違うような感じではあったけど、具体的にどういう所なのかよく分かっていなかった。三月ウサギも帽子屋も、そしてこのヤマネも、僕の作り出した夢の中の登場人物なのか?

「ううん。違うの。違うのよ。夢とつながっているけど、夢の中じゃないの。夢を越えて入ることの出来る、夢の国なのよ」

「夢の国……」

「そうなの。心だけで入ってきたから、心だけで出ていけばいいのよ。夢を越えてね。――ほら、こんな風に」

 そう言うとヤマネはティーポットの中で再び丸くなり、また眠りへとついてしまった。

 すやすやと、気持ちよさそうに寝息を立てている。

「眠ったら、戻れるってことかな?」

 そう思って、眠ろうとまぶたをぎゅうっとつむってみたものの、そんなに簡単に眠れそうにはない。リクガメの里を歩いていたときはあんなに眠かったのに、少し眠ったらすっかり眠気がなくなってしまっていた。

「あの、僕ちょっと歩いてきます。本当に、いろいろありがとうございました」

 心だけの世界とはいえ、少し動いて疲れたら眠くなれるかもしれない。

「そうかい。またいつでもおいでね」

「気をつけてな……っと、そうだ。ボガートにはくれぐれも気をつけるんだぞ」

「ボガート、ですか?」

 初めて聞く言葉に僕は首をかしげた。

「ああ、そうだね。ここのボガートはひどく人間をうらんでるって話だからね」

 帽子屋の口ぶりからすると、どうやらボガートは何かの生き物のようだ。

「その、ボガートって、どんな姿をしているんですか?」

「人間に似ているよ。よく人間の国へ行って悪さをしているんだ。何でも、いたずらが過ぎて人間にお仕置きをされたらしいね。そのせいで人間にさかうらみをしているんだとさ」

「見つかったらどんな恐ろしい目にあわされるか知らねえぞ。うわさでは、妖精のくせに人間を食っちまうとか聞くぜ」

 妖精なのか。

 それなのに人間をうらんでいるって、なんだかさみしいな。オーベロン王とタイテーニア妃が、いろんな妖精に僕たちを助けるように言ってくれているみたいだけど、そのボガートっていう妖精は味方はしてくれないんだろうな。

「ボガートは、どこにいるんですか?」

「さあねえ。さびネコなら知っているだろうけど」

「むやみやたらに扉を開けねえ方がいいってことだ。それじゃあ、元気でな」

 ヤマネはティーポットの中で眠ったままだったけど、三月ウサギと帽子屋に見送られ、僕はお茶会の部屋を後にした。


 改めて部屋の外から見ると、まぎれもなくそこは、かつてサムデイと出会った場所だった。――「かつて」だなんて、今日の、ほんの数時間前のことのはずなのに、何だかすごく前の出来事みたいだ。

 特に行くあてのなかった僕は、サムデイが泳いでいたあの水場に行きたくなって、その部屋へ向かうことにした。


 やはり廊下と部屋の配置はゴブリンの洞窟と同じで、しばらく歩くと、あの大きな水場のある部屋に着くことが出来た。

 ドアノブには手が届かないけれど、立て付けが悪いとみえて、少し扉がかたむき隙間が空いている。今の小さな僕の力でも、体重をかけて押せば開けることも出来そうだ。

 そしてそのまま扉を開けようと扉に体を寄せたところで、僕は「むやみやたらに扉を開けない方がいい」という三月ウサギの言葉を思い出した。

 この部屋の中にボガートがいないとは限らないんだ。

 僕はゆっくりと扉を押して、ほんの少しだけ、細く細く扉を開いて中をのぞいた。

 何か赤いものが見える。

 赤い大きなもの。

 隙間からでは全体が見えない。

 よく見ようとして前のめりになり、うっかりと僕は、そのまま体重をかけすぎてしまった。

「うわあ!」

 扉が大きく開いて、支えをなくした頭と体は、倒れるように前へと転んでしまった。

いたたた」

 ここにあるのは心だけなんじゃなかったのか? 結構痛かったぞ。

 打ったおでこをさすりながら、部屋の中の赤いものの正体を見定めようと、おそるおそる顔を上げた。

 そこにいたのは、まるで真っ赤に燃えているかのような、大きな大きな竜だった。

 ここは水場だったはずなのに、水はどこにもない。

 広く深いくぼみには、水の代わりに、金や銀やキラキラとした宝石と思われる物がたくさんつまっている。竜はそこに身をしずめるようにして眠っていた。

 僕は初めて見る本物の竜の、恐竜のような迫力に感動して、つい見入ってしまった。

 本音を言うと、駆け寄ってさわってみたい。乗ってみたい。

 だけど、同時に恐いと思うのも本音だった。

 この竜が優しい竜で味方だったうれしいけど、ゴブリンやボガートみたいに僕を食べようと思っているかもしれない。

 僕は名残おしいとは思いつつも、音を立てないようにそっと後ずさりして、この部屋から離れようとした。

 しかし、それはもう遅かったようだ。

「誰だ?」

 地面の奥底からひびいてくるような低い声がして、僕の後ろの扉が、強い風に押されたみたいに、バタンと勢いよく閉まった。

 目の前では、赤い竜の金色の目玉が、しっかりと僕をとらえていた。

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