9月の君との約束を

日和かや

第一章

第一話 はじまりの日

 それは、星のきれいな夜だった。

 僕の知らない大人たちと警察の人が「何があったのか」と僕たちに問いかける。

 僕はそれに「分からない」としか答えようがなかった。

 だって、本当に分からなかったのだ。

 彼らの口から出る言葉は、僕たちの知っている真実とは全く異なっていた。

 不安で胸が押しつぶされそうになる。

 僕たちは、つないでいる手でお互いの存在を確かめるように、強く、強くにぎりあった。











 バスに乗るとき、僕はいつも窓側の席に座ることにしている。通路側だと、横を通る人が気になって本に集中できないからだ。

 今日も窓側の席で、図書館で借りた本を読みながらバスにゆられていた。

 夏休みはとっくに終わったというのに、日差しは一向に弱まる様子はなく、窓ごしにじりじりと首筋を照りつけてくる。それでも、車内は冷房がよくきいていて心地よかった。


 土曜日は毎週お母さんの入院する病院へお見舞いに行っている。

 午前中に家のことを片付けてバスに乗れば、昼すぎには病院に着くことが出来た。そしてその道中は本を読むのには申し分がなく、僕には当たり前の日常だった。


「あれ? 椹木さわらぎ?」

 聞いたことのある声がして顔を上げると、目の前に同じクラスの檜葉ひば夏衣斗かいとが立っていた。

 それから彼は当然なことのように、空いている僕のとなりへと腰かけた。

「椹木もこれからひとりでどっか行くのか?」

 檜葉が僕に問いかけてくる。

 言っておくが、同じクラスといっても、僕と檜葉は仲がいいわけではない。それどころか、去年小学四年生だったときにも同じクラスだったはずだが、話などした記憶もないほどの関係だった。

「オレさ、ひとりでバスに乗ったことなかったから、ちょっと心細かったんだよなあ」

 なんてことを僕のとなりで口にしている檜葉は、まるで僕たちがこれまでもよく会話をしてきたかのように自然である。僕にとっては不自然に感じることも、檜葉夏衣斗にとってはそうでもないのだろう。

 檜葉は明るく元気で、いつだってクラスの中心となるような人物だ。インフルエンザで一週間休んだときなんて、クラスのほとんどの人まで病気になったのかと思うほど、教室の中は楽しいことをなくして静かになってしまったものだった。

 対して僕は、口下手で友達を作るのがあまり上手ではない。僕が休んだって、休んだことにさえも気づかれないだろう。

 いつも友達に囲まれている檜葉に僕がわざわざ話しかけるはずもなく、これまで檜葉が僕に話しかけてくる用事もなかった。

 だからこんなふうに二人並んで話をするのは不自然に思えたが、初対面の相手とも普通に話をする檜葉は何も気にしていないようだった。

「椹木はどこで降りるんだ? オレは終点なんだけど」

 僕がさっきからまともに返事をしていないというのに、檜葉は気にせず話しかけてくる。もしかして大きなひとりごとなのか、とも思えてきた。だったらこのまま何も返さず放っておいてもいいような気がしたけれど、せっかく窓側の席に座ったというのに、読書に集中ができないでいるのは時間がもったいない。

「……あの、檜葉くん」

「夏衣斗でいいよ。椹木は、えーと、なんだっけ……? あっ。悠太ゆうた! 確か椹木悠太だったよな」

 檜葉はそう言って、人なつっこい顔で笑った。

「……いや、あの、檜葉くん」

「あれ? 悠太じゃなかったか? 椹木悠太だよなあ」

 僕は人を下の名前で呼ぶのに慣れていないし、家族以外から呼ばれるのも一年生のとき以来かもしれない。悠太って自分の名前だったっけ? と思うくらいには奇妙に感じた。

「オレは妹に会いに行くところなんだ」

 ほら、やっぱり僕の返事なんか必要としていないひとりごとなんだ。名前の呼び方ごときで動揺してしまった僕は、一体なんだったんだ。

 話を続ける檜葉を静かにさせるのに、せめて他の乗客でもいれば「他の人に迷惑がかかるから」とか言って注意もしやすかっただろうけど、田舎へと向かうバスの中には僕らと運転手しかおらず、嫌なやつだと思われずに静かにしてもらう言葉を思いつけない僕は、結局読書をあきらめた。

 帰りのバスは一緒にならなければいいな、そんなことを考えながら。

「あ、うち両親離婚しててさ、オレは母さんに引き取られて、佳音かのん――妹は父さんに引き取られたから別々に暮らしてるんだけど」

 檜葉の両親、離婚していたのか。

 いつも明るくて、きっと悲しいことなんて今まで体験したことがないように見えていたから、意外だった。

「うち共働きで、オレが小学校に上がる前だったんだけどさ、赤ちゃんだった佳音の世話をずっと父方のばあちゃんがしてたから、ばあちゃんが佳音は置いていってくれって泣いちゃって」

 ひとりで勝手にベラベラとしゃべり続ける檜葉の話は、学校では聞いたことのない内容ばかりだった。

「……そのばあちゃんが冬に死んじゃってさあ。それまでは月に二回くらい佳音と会ってたのに全然会えなくなって、それからよく電話がかかってくるんだ。佳音から」

 そこで檜葉はらしくなく、ふるえるように一呼吸おいた。

「いつもは『会いたい』だったんだけど、今朝は『たすけて』って言ってたんだ。『バケモノにおそわれる』って」

 バケモノ?

「なんか変じゃないか? バケモノってさ。普通はおばけとか妖怪とかだろ。小学一年生らしくないっていうか、すごく恐い目にあってるんじゃないかって気がしてこないか?」

 小さい子が新しく知った言葉を使いたがるのはよくあることだし、お兄ちゃんの気を引きたくてそんな言い方をしたのかもしれない。

 僕はそう思ったが、それを口にする前にバスのアナウンスが終点を告げた。

「おっ。もう着いたのか。なんかあっという間だったな。なあ、悠太も終点でよかったのか? オレに付き合って乗り過ごしてない? 大丈夫か?」

「……うん」

 ここでそれを聞くのか。もし本当に乗り過ごしていたらどうするつもりだったんだ。

 そんな僕の心の声には全く気づかない様子で、檜葉はニッと笑いかけてきた。

「ほんと言うとさ、ちょっと恐かったんだよ、オレ。悠太に話聞いてもらえてなんか落ち着いたっていうか……。ずっと聞いててくれて、ありがとな」

 間もなくしてバスが終点の停留所に停まると、先に立ち上がった檜葉が、やっぱりまるで当たり前のようなしぐさで、「行こうぜ」とまだ座っていた僕の手首をつかんで立ち上がらせ、手を引いてドアへ向かって歩き出した。それから運転手に大きな声で「ありがとうございましたあ」なんて言いながら、二人一緒に出口のステップを降りたのだった。


 けれどその元気だった檜葉は、バスを降りると言葉を失った。

「……ん? あれ?」

「え……?」

 終点の停留所は、自然の多い田舎にあった。麦畑が広がり、近くには大きな川と小さな山がある。そんな所だった。

「バス停の名前……、間違ってないよなあ。って、え?」

 僕と檜葉は辺りを見回した。

 先ほどまであったはずの、バス停の標識が消えてなくなっているのだ。いつも利用しているバスを待つためのベンチもない。

 それよりもおかしいのは、目の前の風景だ。いつも見ていた麦畑も山も、まばらに建つ建物もない。

 僕たちの目の前に広がっているのは、花畑と地平線だった。

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