アナバスと神々の領域【2】

舞桜

アナバスの王子

「 ふ、ああぁぁぁ〜っ!」

大きく広いベッドの上で眠い目をこすり、やっと上半身を起こしたジェイは、両腕を高くあげて思い切りびをした。

    ベッドに備え付けの時計に浮かび上がっている数字は、あと10分程で昼になることをあらわしている。

「 うわっ、マジかよ …… こんな時間まで寝たのは久しぶりだな 」

    もぞもぞとベッドから出て立ち上がり、両手を頭上で組んでゆっくりと左右に動かした。その至極しごく簡単なストレッチをして、部屋から出る。

    ジェイの背後で、シュン、と小さな音がしてドアが閉まった。自動施錠設定も出来るが、不在の間に専属の侍女が部屋を整えるため、ジェイはいつも部屋に鍵を掛けない。


    夜着やぎではなく、とてもラフなシャツとスウェットパンツで就寝しているジェイにとっては、その姿のまま城内を彷徨うろつくことに全く抵抗がない。

    だが、そんなジェイの姿に慣れているはずのアナバス城内に仕える者たちですら、ギョッと驚き飛び上がる事が多い。

    何故なら気付けば王子が自分の隣りに立っていた、なんてことはざらにあるため、当然だろう。

    だが、特に秘書官などのアナバス王直属の側近たちや給仕の者などは、普段はあまりジェイと接する機会がない。

    それ故、まれにひらひらとラフな服装で歩いているジェイを見かけると、卒倒しそうになる者は少なくない。

    城内のどこにでも自由気ままに歩き回るジェイだが、城外に公式で赴く時の彼は、全星随一の容姿を誇る、そしてこのアナバス星を含む全星最高位の王位継承者なのだ。   



    ジェイが歩いて行く先は十字路の廊下になっており、ちょうどそこを数人の秘書官に囲まれ、玉座の間に歩いていくアナバス王の姿があった。

    このアナバス王こそが、九つの惑星全ての頂点に立ち一般庶民の生活基盤を支えている、良き王の象徴ともいえる人物である。

「 親父、久しぶり〜っ!」

ぱっと笑顔になって駆け寄るジェイに気付き、王と秘書官たちが目を向ける。

    途端、秘書官たちは慌てふためき、

「 ジ、ジェッド様!!! またそのような身なりで城内をお歩きになって!」

「 王を " 親父 " などと … 、父上や父王とお呼びなさいと何度申し上げたら ……!」

と、口々に注意を促す。

    しかし当の本人は両腕を後頭部で組んで、ふふふっと笑った。

「 お前らもホントりないよな。小さい頃から散々言われて来たけど、未だに直らねーんだから今更もう無理だって!」

    とんでもない理屈で秘書官たちを論破するジェイに、いた口がふさがらないとは正に今の自分たちの状況を言うのだろうと、彼らは思った。


「 ジェッド、久しいな 」

秘書官たちとは逆に、王は優しく表情をゆるませた。

「 だが、もう少し各地からの書類に目を通す仕事も手伝って貰いたいのが本音だぞ。それに、そろそろお前にも " エダ・ナス・ディア " に立ち会ってもらわなければと思っている 」

    えぇぇーっ!?

と、声にこそ出しはしなかったが、あからさまにその美しい顔を歪めたジェイは、次には父王の首に両腕を回し、その肩に顔をうずめていた。

「 そんな堅苦しそうな儀式になんて出たくねぇよぉ …… 。神様と水球鏡すいきゅうきょうのデッカイやつみたいなのしに話をするんだろ?」

    ふぅ、と肩で息をついた王は、ジェイの背中に軽く腕を回した。

「 そんなに甘えても駄目だ、一体何歳いくつになったんだジェッド 」

    なかあきれ顔だが、王はジェイを心からいとしいという眼差しを息子に落とす。

    城に仕える者たちの前で、こうもおおっぴらに愛情を示す王族は、恐らくあまり例を見ないだろう。


    とにかく王族は何につけてもプライドが高い。他星の王族を見渡してみても、愛情を他者にそそぐ者はほとんどいない。

    王族とは、自分の子よりも自分自身を一番大切にする。自身が一番誇り高く、気高けだかく、唯一無二ゆいいつむにの存在であらねばならない。

    そしてその親を見て育つ王子王女も同様の感情を自分に抱くため、仕える者たちは大変苦労をする。

    常に自分が仕える王子や王女の機嫌をうかがい、彼らのプライドを傷付けないよう細心の注意を払わなければならないからだ。


    その点に於いて、アナバス星の王族のほとんどは、血の繋がりを大切にしている。

    また、アナバス星のトップであるアナバス城に暮らす王族は、王とジェイの2人しかいない。

    アナバス各地の城に住む王の血族は、たまにアナバス城にやって来る。

    ジェイはその容姿や明るい気さくな性格上、とても可愛がられていることは誰の目から見ても明らかであり、彼らが来城するとほのぼのとした穏やかな時間が、常に辺りを包んでいる。


「 ヤダよ俺、礼装して神様に会うとかさ …… 親父と秘書官で充分だって 」

    その言葉を体現するかのように、王の胸元に頬をりつけ、何時いつになく甘えてくるジェイを、王は苦笑してしみじみと見つめた。


    いつの間にこんなに大きく育ったのだろう。

    とても人見知りで、幼児の頃はほぼ笑顔さえ見せなかった息子を、どれほど心配したことか。

    だが、少しずつではあるが、周りに愛嬌あいきょうを振りまくようになっていった。そしてその頃になると、各地の城をおさめる兄弟や姉たち親族が、入れ代わり立ち代わりアナバス城に滞在してはジェッドをあやしていた。

    ジェッドがまだ幼いうちに病で逝去した王妃の代わりを、皆が務めてくれた。

    それがまるで昨日のことのように思える。

    今は自分に甘えているが、我が息子ながら彼は本当に様々な面に於いてきん出ている。

    今までこの星をたばねる王としてこなしてきた数々の執務。自分は先代の父王からそれらを引き継ぎ、アナバスを統治しているが、ジェッドは全く違う。

    自分がたずさわれない分野にまで入り込み、指揮をることもあるからだ。

    それもあって、各地から上がってくる報告書類などに目を通しサインをする執務は、全部アナバス王が行っている。


    このように幼子おさなごのように甘えてくるジェッドは、自分にとってはいつでも幼い息子で、しかし一変して、あらゆる場面で城内に仕える者たちを取りまとめている時のジェッドは、まるで自分の息子ではない、どこかの別人の青年のように思ってしまう時がある。

    勿論、頭では分かっている。

    成長した自分の息子だと。

    しかしどうしても、いつまでも幼子のままのジェッドがどこか他にるような感覚が、未だに胸の内から消えないのだ。

    この愛らしい息子が成長して行く様を嬉しく思う反面、何も知らずにずっと父親に甘えている幼いままの息子でいて欲しいという、親としての複雑な思いがあるのだろうと、王は思った。


    王はジェイの両肩をてのひらで包み、目の前に立たせた。

「 だがジェッド、 " エダ・ナス・ディア " は避けられぬ。そろそろ太陽神にご挨拶をしなければな。次に神から " エダ・ナス・ディア " を行うとのお告げがあれば、同席すると良い 」

「 やだ。俺は出ない、絶対面倒臭めんどくさそう! じゃあな親父〜っ!」

少し引きった笑みを浮かべて、ジェイは逃げるようにバタバタと走り去って行った。

    その様子を一部始終見ていた秘書官たちは苦笑にがわらいを浮かべた。

「 王は王子に甘過ぎます 」

「 … 良い。アレは私のような王族より遥かに民衆に寄り添っている 」

    王はそう答え、再び歩を進めた。



     " エダ・ナス・ディア " とは、今の王の代になって間もなく始まった、神と直接対話が出来る特別な儀式のことである。


    この世界には悪魔の他に、多くの神々が存在すると言われており、その証拠に、全星各地で神々に仕える精霊せいれいの目撃情報が報告されることは少なくない。


   アナバス星で行われる " エダ・ナス・ディア " に出現する神は、太陽神であるらしい。

    王の夢に突如出現し、この全世界九惑星の頂点に立つと言われるアナバス星の王に、自然界で起きた異変などを報告するよう要求してきたのだ。

    本来ならば神は下界で起きる事柄に対して一切の関与をしないらしいが、王が報告する異変に必要性を感じた場合にのみ、なるべく対処してくれると言う、何故か異例の約束を設けたという。


    太陽神は女神にょしんであり、柔らかな口調で " エダ・ナス・ディア " のための準備を行うよう伝えてきた。

    その内容は大きく5つ。


    " エダ・ナス・ディア " を行うためだけの神殿を城内の最深部に造ること。

    " エダ・ナス・ディア " を行う日は、都度つど太陽神から王の夢にて告げること。

    そしてその神殿に入り太陽神と対面するのは、王と王に近しい秘書官1人のみとすること。

    そして、アナバスの王族が " エダ・ナス・ディア " という神との儀式を行っていることは、決して他星や民に伝えてはならない。

    だが、特例として、アナバス城内の秘書官と星団最高騎士であるニアルアース・ナイトには示教しきょうしても良いと告げられたのである。

    そして太陽神の方からは、直接相対あいたいしての会話は神界しんかい人界じんかいとが異次元であるため、映像のようなものを介して話が出来る環境を、神殿内に設置するということだった。


    その儀式に、そろそろ唯一の王位継承者であるジェイも同席させることを考えておくよう言われている。

    いてはいないが、と。

    それで王は、ジェイに " エダ・ナス・ディア " に立ち合うように話を切り出したのだった。



    アナバス城は三層造りになっており、しかも一定箇所に浮き留まっている巨大な空中城塞である。

    故に一層目は、来城する飛空艇を受け入れるゲートがその1/3を占めている。


    宙を飛ぶ乗り物は、貨物運搬船なども含め " 飛空艇 " と総称して呼ばれるが、実際には主に王族専用の船を指すことが多い。

    王族の飛空艇はさほどスピードは出ないが、星間移動に関してはワープゾーンを通り王族同士の親睦パーティにおもむく。

    また、王族には各星の兵士がかなり護衛にくため、一度に乗船する従者や兵士が30人前後は居る。それはつまり、王族が能力ちからを持つことはまず無く、自星で屈強な兵士を雇い、己たちをまもらせているからに他ならない。


    それに対し、民間人が利用するための空路を走るものは数種類あり、 " 浮遊バス " 、3〜4人が乗れる自家用車やタクシーなどの " ライトグル " 、 少人数や1人乗りの二輪車だと " グラッター " 、そして主に能力ちからを使える者が乗る、グラッターを改良したものを " スラッダー " と呼ぶ。

    兵士だけでなく民間人でも能力を使用できる者たちは、能力を持ち合わせていない者が乗るグラッターよりも速度の出る、スラッダーを好む。


    スラッダーは速度によって4種類あり、最高時速300㌔のものをスラッダー300、時速500㌔のものをスラッダー500、時速1000㌔のものをスラッダー1000、時速2000㌔のものをスラッダー2000と呼ぶ。

    己の能力によってそのスピードと風圧に耐えられるモデルを選ぶ仕組みだ。

    また、グラッターを所有している一般住人は全星でもよく見られるが、スラッダーに関してはレンタルが多い。

    当然、全星各地やアナバス各地の警備に常におもむく兵士を数千人抱えるアナバス城では、スラッダーをかなりの台数所有している。

    だが、民間人用にもレンタルスラッダーを営む店舗はかなり多く、レンタルした店ではなく、目的地周辺にある店や無人店舗のどこにでも返却可能で、かなり便利なものだ。


    アナバス城の一層の残り2/3には広間が設けられており、各星々からの使者との対面や、書簡などの受け渡しをする場所になっている。

    その他、他星の王族との謁見に使われる謁見の間や、パーティ用の大広間がある。

    そして壮観なのは、どの部屋からも見ることが出来る、城の中心に設けられた一層から三層までを貫く、特殊に加工された透明の筒状空中庭園だ。

    そこは夜以外は常に人工のとウォーターミストが降り注ぎ、木々や草花がとても豊かに、色とりどりにバランスよく植えられている。

    更に空中庭園の中央には、これまた三層まで続く大木が、大きな枝を伸ばし堂々とそびえ立っている。


    つまりアナバス星では、他星の王族を含め、どのような身分の者であっても、全て一層目で応対を済ませていることになる。


    二層には、アナバス城に仕える者たちの各部署が全て集約されている。食堂や、兵士たちの訓練場、ニアルアース・ナイトの執務室、王族の側近や給仕の者、侍従たちなどの関連施設がある。


    三層は、王とジェイの部屋とそれぞれの執務室、ニアルアース・ナイトの部屋、ニアルアース・ナイトを除く数名の護衛兵団長の部屋、王とジェイだけに仕える専属侍従長たちと秘書官たち数名の部屋、そして" エダ・ナス・ディア " の儀式神殿のみがある。

    この中でも個室を与えられているのは、王、ジェイ、ニアルアース・ナイトのみで、他の者たちは2人部屋が与えられている。

    つまり三層には、王、ジェイ、ニアルアース・ナイトの2人、護衛兵団長と秘書官、侍従長が各4人ずつの16人しからず、余程の事がない限り、他の者は三層に上がることは出来ない。




    ジェイは二層に降りて、城内に仕える一般兵や侍従たちなどが集まる食堂へ入った。

    ちょうど昼時ということもあり、ダンスパーティーなど大規模な催しをする大広間と同等か、それ以上の広さを持つ食堂には、多くの兵士たちを中心に、他部署に仕える者たちで賑わっていた。


( なに食べよっかな〜 …… )

    ジェイは胸元で腕組みをし、まるで受験生が難問にぶち当たった時のような、恐ろしく真剣な表情で考え始めた。

    本来なら三層の自室に侍従長が食事を運んで来るのだが、自由奔放なジェイに合わせることは非常に難しく、食事や飲み物すらも、ジェイの自己申告制という異例の対応を取っている。


    アナバスでは、宮廷料理人が王族から末端の者にまで食事を振る舞う。つまりアナバスに仕える者全てが宮廷料理人の料理を味わえるということだ。

    また、食堂にメニューは一切無く、午前中のうちに個々が身に付けているバングルから昼食のリクエストをオーダーする仕組みだ。

    食堂には、入ってすぐに備え付けられている長いカウンターがあり、そこに幾つも並ぶ小窓の上のバングルリーダーに個々のバングルをかざすと、リーダーの真下にある小窓からオーダーした料理の乗ったトレイが出てくる。

    また、バングルからオーダーし忘れた者用には対人カウンターがあり、そこに立つ料理人見習いが持つバングルリーダーにバングルをかざし、食べたいものを口頭注文することも可能だ。

    ただ、受け取るまでに少し時間がかかる。


    ジェイは厨房の前に突き出ている対人用カウンターに両腕をかけた。

「 王子!」

料理人見習いが満面の笑顔で声を上げると、食堂にいたカウンター寄りの席の者たちが、一斉にジェイの姿を捕らえた。

    ジェイは料理人見習いに向けてかなり悩みながら口を開く。

「 おはようジウ。えぇ〜っとな〜 …… とりあえず目覚めのコーヒーは確定で ……… ん〜 ……… 」

    明らかに食べたいものが定まらないジェイの態度に、ジウと呼ばれた料理人見習いはクスクスと笑った。

「 では王子、ベーグルに野菜やチーズなどをサンドしたものか、ベーグルの代わりにバゲットかマフィンを選んで頂いて、挟む具材はこちらに任せて頂いても?」

「 それいいな! じゃあマフィンで!!! んで、2種類作ってくれる?」

「 かしこまりました 」


    一連の流れが終わるのを待ってましたとばかりに、戦闘服を着た兵士たちの団体が立ち上がった。

「 王子!」

「 王子!」

「 もう昼ですよー? 王子 」

「 まさかついさっき起きたんです?」

「 バカ、ジウにおはようって言ってたぞ 」

「 そーそー、目覚めのコーヒーとも 」


    皆それぞれ一斉に喋って、ドっと笑いが起こる。

    ジェイはムッと眉間みけんしわを寄せた。

「 るっせぇなぁお前ら〜 」

    言いながら、空いている席を探す。

「 王子ー、こっち空いてますよ!」

カウンター側より若干離れたテーブルから、兵士の1人が手を上げている。

「 あ、サンキュー!」

ジェイは何の躊躇ためらいもなく、そちらへ向かった。


┄┄┄┄  すると。


    他のテーブルで食事をしていた兵士たちが、我先にと自分のトレイと浮遊椅子フロートチェアを持って、ジェイのテーブルに寄ってくる。

「 もっと詰めろ! お前らのテーブルで王子独占とか許さねー!」

「 これ以上無理だろ寄ってくんな!」

    わらわらとジェイのテーブルとその周囲のテーブルにも、多くの者が集まってくる。


    挙句には、

「 王子! もっと詰めて下さい!」

「 そうだそうだ! 王子、オレ隣りに入れて貰っていいっスか?」

「 いや待て待て、俺が王子の隣りにいるんだ、割り込んでくんな!」

ジェイ自身もその騒動に巻き込まれ、もはや苦笑するしかない。


「 ちょっと待てって、落ち着けって 」

ジェイがそう口にすると、押し合いし合いしていた兵士たちも、ハッと我に返ったようだった。皆、反省しているのか項垂うなだれている。

    かと思いきや、再び兵士たちは騒ぎ出した。

「 王子、申し訳ありません! 自分、嫌われてしまいましたか?」

「 王子、私もつい王子とお話がしたいあまり ……!」


    兵士の中にはもちろん女性も多い。アナバス星に仕える兵士たちの約3割強が女性だ。

「 いや、こんなんで嫌いになるとか無い無い 」

再度ジェイが苦笑してそう答えた時、ジウがジェイの食事を運んで来た。


    ジェイは心底嬉しそうな顔をして、ほかほかのマフィンサンドに目を輝かせた。

    食べやすいように二つに切られ、中の具材の断面図が食欲をそそる。

    マフィンは軽く焼かれてキツネ色に薄く色付き、1つは各地で採れた新鮮な野菜2種類とチーズ、鮮やかな赤の生ハムのサンド、もう1つは、肉厚の白身魚を味噌でソテーしたものと明るい緑の葉野菜のサンドだ。


    ジェイはパクりとひと口、チーズと生ハムにかぶりつく。

「 いかがでしょうか?」

    ジウが少し緊張気味にジェイの表情を窺う。

    あれだけ騒いでいた周りの兵士たちも今は静まり返り、心做こころなしかジェイの反応を見守っているようだ。

    ジェイはゆっくりと味を確かめ、横に立つジウを満面の笑みで見上げた。

「 うん! バッチリ、美味うまいっ!」

    途端、兵士たちからおぉ〜っと歓声にも似たどよめきが起き、

「 やったなジウ!!!」

嬉しそうな笑顔をこぼすジウの両肩を叩く者もいる。


    引き続き魚のサンドにかぶりついていたジェイは、突然、左足は浮遊椅子フロートチェアに、右足はテーブルにダァンと乗せて勢いよく立ち上がり、右手にした魚のサンドを高くかかげた。

「 なにこれ超うっめえぇぇぇぇーっ!!!」

    一瞬、食堂内はジェイの大声に吃驚きっきょうし再び静かになったが、次の瞬間にはドっと笑い声が食堂全体に溢れかえっていた。

「 ありがとうございます、ありがとうございます … っ!」

ジウが涙ぐみながら、ジェイや周りの兵士たちに頭を下げている。


    ジウが今やっと任されている料理がサンドウィッチであり、数ヶ月毎日練習していることを、食堂利用者のほとんどが知っていた。最近になって少しずつ完全に任されるようになってきていたのだが、流石にジェイに提供するのにはかなり勇気がいったはずだ。

    だがそれを後押ししてくれたのが先輩料理人たちで、自信を持てと全てを任せてくれた。

「 この、魚のやつって、ジウが考えたのか?」

ジェイが尋ねると、ジウは照れたような嬉しそうな微笑を浮かべ、はい、と頷いた。


┄┄┄┄ 途端。


    ジェイは片手にサンドウィッチを持ったまま、ガバッと全面的にジウにハグしていた。

「 俺、これ好き!マジ好き!めっちゃ美味い!」

次もまた作ってな、と言ってジェイがジウから離れると、

「 おいジウ、お前なに羨ましいことされてんだーっ!」

「 死刑だ、誰かこいつ死刑にしろ〜っ 」

一斉にぽかぽかと小突き回されるジウ。ジウはアハハと笑いながら兵士たちからされるがままになっていた。



    ジェイはニアルアース・ナイトと一緒にいることが多いため、兵士たちとはとりわけ仲が良い。記憶力も凄く、アナバス城内に仕える全員を把握しているほどだ。

    そしてまれに新しく入城してくる、特にアナバス兵の合格者たちがまず最初に驚くことは、全星最高位の王子が気さくに声を掛けてくることだ。

    アナバス兵の大半は他星からの強者つわものたちであり、いくらアナバス星が全星から羨望の眼差しで見られてはいても、所詮、王族はどこの星でも大差ないと考えている。

    しかし、その概念がジェイによって大きくくつがえされるのだ。


    男女問わず全星の住人から高嶺の花と称され、精霊かと見紛みまごうばかりの美しさとその華憐かれんたたずまいに、男性からは庇護欲ひごよくを、女性からは母性本能を引き出す、唯一無二のうるわしい王子。

    だがその性格を知れば知るほど、美しいというだけの噂とは全く異なる点がかなりある。

    ジェイは相対する者の身分を問わず、1人の " 人 " として接するからだ。

    これは、ほとんどの星の王族にはとても真似出来ない行動だ。

    王族とは庶民からすれば別格の生き物であり、また王族は王族以外を認めず、自星の住人を自分たちと同じ " 人 " だとは捉えていない。

    だからこそアナバスに来た者は必然的に、世界中で騒がれる容姿以外の、ジェイの " 人を惹きつける " 更なる魅力を発見することになるのだ。


    また、ジェイとは違い、滅多に会うことのないアナバス王も、かなり穏やかな優しい方だという。だからこそアナバスに仕える者は皆が互いを思い遣ることができ、笑顔の絶えない充実した日々を過ごせているのかもしれない。

    そして今日のようにたまにジェイが食堂に姿を現すと、その場は更に温かな空間となる。



    ジェイがもくもくとサンドウィッチを頬張っていると、向かいに座って食事を取る数人の兵士たちが少し声を潜めて口を開いた。

「 王子、なんか最近変なんですよ …… 」

ん?と、ジェイがその兵士に目を遣る。

「 いえね、同じ悪魔が場所を変えては次々と人を襲ってるんです 」

「 今もイエロー・ナイトさんが最新の被害があった場所へ行ってて 」

    ジェイはピタリと手を止め、その兵士たちの方へと体を向けた。

「 ふーん … 悪魔ランクは?」

「 上級悪魔だそうです 」

「 …… ここ最近って言ったよな?」

    更に尋ねながらコーヒーをすする。

「 はい、この2〜3日、正確には一昨日の夕方くらいから、毎日 」

「 毎日?」

    眉をしかめて、ジェイはコト、とコーヒーカップを静かに置いた。

「 食事ではない、無差別の殺戮さつりくか …… 」

「 そうなんです、パープル・ナイトさんもそう仰ってました。おかしい、と 」

( …… 上級悪魔がそんな行動に出るとは … 何か意図があるのか?)

    ジェイは心の中でそう呟き、席を立った。

「 じゃあ、パープルは城にいるんだよな?」

「 はい。各地から上がってくる被害報告をチェックされているようです 」

そこまで兵士たちから聞いて、ジェイはにっこりと笑った。

「 んじゃ、俺はパープルのとこに遊びに行ってくる!」

そして、

「 じゃーなー、みんな! 午後からの仕事も頑張ってなっ。ジウ、ありがとう、ほんと美味しかった!」

と食堂全体を見渡してひらひらと両手を振った。



    ジェイはそのままパープル・ナイトの取り仕切る部署へと向かった。

    パープル・ナイトは恐らく今、他の兵士たちと共に、全星各地から寄せられる救済メールの内容を確認しているのであろう。

「 パープル〜っ?」

ジェイは扉に細いバングルを翳し、解錠された扉から中へと足を踏み入れた。

    この部署には、部屋全体に受信専用の機器が何台も設備されており、基本的にはその機器が内容を解析し、緊急要請とそうでないものとに分けていく。そしてそれが、悪魔によるものなのか、王族を含む人的被害によるものなのかも仕分けられる。

    最終的には更にそこから、部署の兵士の手により細かく分けられ、なるべく多くの救済要請に応えられるよう努めている。


    兵士たちが出向くのは、やはり悪魔による被害がダントツで多いが、王族と住人のいざこざに関しては、上手く介入出来そうだと判断した場合にのみ、タイミングを見計らってその星へ出向く。

    こちらは主にニアルアース・ナイトで対処するのだが、悪魔被害とはまた違った細やかな神経を使う。下手に王族を刺激すれば、彼らが帰ったあと、住人は更なる不当な制裁を受けるかもしれないからだ。


    ジェイは部屋の奥で何枚かの救済メールに目を通しているパープル・ナイトの元に行き、浮遊椅子を動かし彼の正面に寄った。

「 おはよう、ジェイ 」

パープル・ナイトは救済メールから目を離すこと無く、そうジェイに声を掛けた。

「 え、なんで …… 」

俺が昼前に起きたことを? と続ける間もなく、

「 少し前に食堂から帰って来たみんなから聞いた。今は交代で残りの兵士たちが食堂に行ったよ 」

    パープル・ナイトが僅かに笑いながら答えると、その場にいた兵士たちも小さく苦笑した。

「 ったく、お前ら余計なことパープルに言いつけやがって …… 」

    ぶつぶつと不満を口にしながら、ジェイはパープル・ナイトの前に置かれた10枚ほどの救済メールから、1枚を手に取った。

    しかしその内容に目を通したジェイは、あからさまに表情を一変させた。

    普段の明るく柔らかな表情が全て消えている。

「 上級悪魔スナイパー …… 」

    呟くと、ジェイは目の前の救済メール全てを手に取った。


    本来なら救済メールや悪魔の情報は全てデータ化され、余程のことがない限りプリントアウトされることはない。

    必要な情報は全て左手に嵌(は)めたバングルから呼び出し、目の前に現すことが出来るからだ。

    だが、今回のケースは通常とは異なる対応が必要なことを、ジェイは理解していた。

    つまり今回は、1人の悪魔に対してここまで入念に調べなければならない状況下にあるということだ。

    イエロー・ナイトが現地に行っているのも、被害痕跡こんせきから僅かでも情報を得られないかを調査しているのだろう。


    上級悪魔スナイパー関連と思われる救済メールは、全てロメリオ星からのものだった。更に、被害住人からだけでなく、ロメリオ星の王族からも、ニアルアース・ナイトに向けた直接の救済通信が入っているということだった。

    また、息を引き取る間際まぎわの被害者から、上級悪魔スナイパーに襲われたと聞いた人々からの訴えも数枚ある。


「 それは今朝からこの時間までに届いた分。最初に届いた一昨日から合わせると、被害は50通近く。だけど、1度に殺される人たちは決まって3〜4人なんだ。… それにこれだけ多く殺されているのに、1人も喰べられていないんだよ 」

    パープル・ナイトは、ジェイが手にした救済メールに目をやってそう言った。

「 で、なんか新たな情報は掴めたのか?」

    そう問いかけるジェイに、パープル・ナイトは無言で首を横に振った。

    そっか … 、とジェイは呟き、

「 スナイパーに関しては、どんな悪魔なのか一切分かってないもんな …… 。顔も、だいたいの強さも 」

独り言のようにそう口にした。


    ジェイは日々の生活の多くをニアルアース・ナイトと共にすることが多いからか、王子であるにも関わらず、上級悪魔以上の悪魔たちの情報はほとんど記憶している。また、兵士たちと仲が良いのも、彼らと共にいることが1つの要因でもある。


    ジェイが身につけるバングルは、ニアルアース・ナイトやアナバスに仕える者たちの持つそれの1/10ほどの、非常に細いものだ。

    通信機能と個人識別コードのみしか搭載されていない。

    ジェイの記憶力の凄さもあってか、一般住人に配られている " 悪魔開示情報 " 機器と同じシステムすら搭載されていないのと、1番の理由は、ジェイ本人が装飾品のたぐいなどを身に付けることを多分に嫌う性格にも関係している。

    最小限にまで細くしたバングルでさえ、時折外しているのをイエロー・ナイトに発見され、その度に叱られているほどだ。

    これも、金銀宝石の類をたくさん身に付けたがる他の王族とは異なる、ジェイの一面である。


「 不思議なのは …… 、」

と、パープル・ナイトは独り言のように口を開いた。

「 今までほとんど人目につく行動を起こしたことのないスナイパーが、何故急にこれほど活発に、食事ではなく殺戮を始めたのかってことなんだよ …… 」


    上級悪魔スナイパーは、過去に1、2度だけその名が報告されたことがある。それは全星各地に散らばっている、イエロー・ナイト管轄部署に属する悪魔警備専任のアナバス兵たちからだった。

    数人が彼の食事として殺され、たまたまそれを目撃した兵士がその場に降り立つと、自らを上級悪魔だと名乗りを上げて逃げ去ったという。だが、その目は強い意志を持つ光を放っており、何故兵士相手に逃げたのかその理由も分からず、逆に得体の知れない悪魔として有名になった。

    そしてそれ以来、今に至るまでの数年間、スナイパーはその姿を現すことは一切無かった。


「 でも … 何か裏があるとしても、俺たちがもたもたしている間に、もうこんなに被害を出してしまったから。イエローと現地で合流して、一緒に討伐に出ようと思ってる。ロメリオ星は一番小さな星だし、すぐにスナイパーと遭遇すると思うんだ 」

    パープル・ナイトのつとめて穏やかな口調に、ジェイはギリ、と唇を噛み締めた。

「 不安だな …… 。いくらお前たち2人でやるって言っても … そいつ、明らかになんか目的があるだろ … 急に姿を現したかと思えば、こんなに目立つ行動を取ってることが一番の証拠だ 」

「 うん、それは分かってるけど。こんなに被害が急増してるからには、俺もイエローと合流しておかないと、何かあってからじゃ遅いと思うんだよ 」

    パープル・ナイトはそう言って、ジェイの頭に優しく手を置いた。その手を、ジェイは咄嗟に両手で掴み、ぎゅっと握り締めた。

「 絶対無茶すんなよ? 王子である俺をまもってくれる友達を失うのは、絶対絶対、ヤだからな!?」

    ジェイの言葉にパープル・ナイトは苦笑にがわらいを返したものの、分かってるよ、と穏やかに頷いた。



    ロメリオ星。この世界を構築する九惑星の中で、一番小さな星である。

    直径は約5000km 、人口は約20億人と言われている。星全体に密林地帯が多く、別名を「 悪魔のねぐら 」とも言われるほど、人が住める場所は限られている。

    だが実際は、悪魔にねぐらは必要ない。

    何故なら、悪魔は眠らない生物だからだ。この情報はもちろん悪魔開示情報により、全星の住民に知れ渡っている。

    つまりロメリオ星に付けられた別名は、単に「 人が足を踏み入れることが出来ない場所が非常に多い 」ことに対する比喩表現に過ぎない。


    その密林地帯の一角を、ジェイはたった1人で歩いていた。まるで何かを探しているかのように、とてもゆっくりとした歩みだ。

    さすがにアナバス城内を彷徨うろついていた時のルームウェアではなく、ゆったりとした五分袖Tシャツに、ソフトデニムパンツという出で立ちだ。

「 ん〜 …… 確かこの近くだったような … 」

独り言を言っては歩みを進める。

    だが、広大な密林地帯はどこも似たような景色ばかりで、いくら記憶力の良いジェイといえど、少しばかり自信がない。

    パープル・ナイトと城内で別れたあと、約10分後には単身でこの星に来ていた。それからこうして歩き始めてまだ5分も経っていない。

「 あ、」

とジェイは小さく声を上げた。

    遠目に見える前方に少し密林が開けたような場所があり、イエロー・ナイトの姿が見えた気がしたからだ。


┄┄┄┄ だが。


「 来ると思っていた 」

落ち着いた静かな声が背後から聞こえ、ジェイはハッと振り返った。

    そこには、太い木の幹に腕組みをして寄り掛かる、漆黒の悪魔がいた。


    途端、ジェイは心からホッとしたかのような笑顔を見せた。

「 あぁ … 、良かった、ルト、すぐ会えて 」

    いつもならジェイが城外へ出た時に、少し時間が経過してからルトアミスが目の前に現われることが多いのだが、今日は違った。

    今回は、彼と知り合ってから初めて、ジェイの方からルトアミスに会いに城外へ出たのだ。

    普段は他の目的や散歩がてら他星に出向くジェイだが、今回の目的はルトアミスに会うことだった。

    スナイパーによる被害が多発しているロメリオ星のこの場所に来れば、ほぼ100%の確率でルトアミスに会えるだろうと、ジェイは確信していたからだ。


    ルトアミスはフッと小さく微笑し、寄り掛かっていた木から身を起こした。

「 来い、ジェイ 」

うながされるままジェイは彼の後ろに続く。

    目の前の密林にルトアミスが片手をかざすと、手の中心から周りに向けて密林がひらけた景色が現れ、その中央には小さな丸太造りの家が建っていた。

    彼が全星に持つ小さな隠家アジトの1つである。

    正確には隠家というより、小休憩をとるために少し立ち寄るだけの場所と言っても過言ではない。

    あるじ隠家アジトに立ち寄った時には、彼の下僕しもべたちがいろいろと世話を焼くのだろうが、ジェイを連れている時は下僕たちは中に入って来ない。外で待機するよう、ルトアミスから命じられているのであろう。

    中は外見の想像以上に広く、この隠家の内部は、最低限の調理器具とテーブルと椅子、続きの別室には大きめのソファーベッド、そしてその横に小さなサイドテーブルが備え付けられている。調理器具と言っても、彼らの食事は生きた人間であり、喉を潤すためだけの飲み物を作る簡易キッチンがあるのみだ。


    ルトアミスはマントを外し乱暴に椅子に投げ掛けると、悪魔界の紅茶 " ティタール " をみずからの手でジェイのために入れた。

    淡い桜色をしたティタールをなみなみと注いだマグカップを差し出すと、ジェイは両手でそっと受け取り、ぐに口を付ける。

    ルトアミスは、ジェイがそのように警戒心を見せなくなってからは、熱湯を茶葉に注いだ後、ほど良い熱さにまで能力ちからを使って冷却していた。 


    ジェイがこの隠家アジトに来るのは今回で二度目だ。だからこそジェイは、ロメリオ星のこの場所を覚えており、ルトアミスの結界におおわれた" 見えない " 隠家を探していたのである。

    アナバスの情報網を持ってしても、些細な情報ですら全く掴めない上級悪魔はスナイパーが初めてであり、それ故に以前から警戒され続けてきた悪魔だ。

    その悪魔が急に活発な行動を開始したこと自体が謎で、不気味なのだ。

    だが、ルトアミスなら何かしらの情報を必ず持っているはずだと、ジェイは確信していた。

    どうしてもスナイパーという悪魔の情報を得なければならない。


    先程イエロー・ナイトの姿が見えたが、恐らくジェイには気付かなかったはずだ。

    最上悪魔と、しかもよりによって " 悪魔界の双璧そうへき " とまで呼ばれるルトアミスとこうして会っているとは、流石にジェイは2人の友人にすら話せていなかった。

    それに、ルトアミスの隠家アジトに入ってしまえば、隠家周辺は彼の結界が張られているため、外側からは絶対に見えない。

    もし仮にこの隠家が見える者がいるとすれば、それはルトアミス以上の能力ちからを持つ者だが、この世界で彼をしのぐ能力を持つ者はいない。



    こくこくと半分くらいまでティタールを飲んだところで、ジェイはルトアミスが自分の所作しょさをじっと見ていることに気が付いた。

    なんで見ているんだろう、と上目遣いに彼を見つめると、ルトアミスは柄にも無く小さく吹き出した。

「 こうしてお前を見ていると、まだ何の分別もつかない幼子おさなごみたいだな 」

「 はぁ!?」

ジェイは心外だとでも言いたげに、彼を軽く睨んだ。

    ルトアミスはそのジェイの瞳を真っ直ぐに見据えたまま、続けた。

「 悪魔から差し出された飲み物を、何の躊躇ためらいもなく飲むところとかな 」

「 それは!」

とジェイは勢いよく声を上げてから、若干戸惑ったように視線を横へとらす。

「 … 初めてお前と出会ったあとさ、お前、俺が外に出てる時はほとんど会いに来るだろ? 知り合ってまだ半年くらいしか経ってないのに、週5くらいのペースでずっと会ってたら、流石に俺だって …… 」

「 流石に … 、なんだ? 少しは俺に好意を持ってくれたのか? 」

冗談めかして微笑するルトアミスとは逆に、ジェイは真剣な眼差しを彼に向けた。

「 は? そんなこと、当たり前だろ? 」

そんな言葉が返ってくるとは予想だにしていなかったルトアミスは、驚いてわずかに目を見開いた。

「 なんで会いに来てくれるのかは分からないけどさ、お前きっと、全星に散らばってる下僕しもべたちに、どっかで俺の姿を見つけたら報告するように言い渡してんだろ? だからこんな頻繁に会うのかもって、ちょっと思ってたんだよな 」

    そう言って、ジェイは視線を手元のマグカップに移した。


    ジェイは初めてこのティタールを飲んだ時、人界には無いその美味うまさに喜び、いて飲もうとして舌を火傷したことがある。もし次があるなら、落ち着いてゆっくり飲もうと気合いを入れたほど、ティタールが大好物になった。

    だが、その必要は全くなかった。

翌々日に再びルトアミスと会い、隠家に行った時には、美味さを損なわない程度に、そして飲むには程良い熱さにしたティタールをルトアミスが出してくれたからだ。


    このような隠家アジトを持っているのは最上悪魔しかいない。と、ルトアミスが以前教えてくれたことがある。

    ジェイは初めてルトアミスと遭遇した時、最上悪魔について知り得ていたわずかな情報から、彼がルトアミスなのではないかと疑いを持った。そしてそれはすぐにジェイの予想通りだったことが、彼の下僕たちが口々に発する主の名前から判明した。


    いくら何も考えていないジェイでも、最初から最上悪魔の隠家に入った訳ではない。

    流石にそれは警戒していた。

    だが、ほぼ毎日のようにジェイの元に現われ、短時間ではあるが言葉を交わし、去り際には強引ではあるが、まるで壊れ物を扱うかのようにそっと、ジェイの唇に軽く口付けてくるルトアミスに、 ジェイはいつしか彼を全く警戒しなくなっていた。

    もちろん最初は驚いて、ルトアミスからの強引な口付けを拒否し続けていたが、なにぶん最上悪魔の手中からは到底逃れられない。体つきからしても華奢きゃしゃなジェイとは違い、程よく引き締まった肉体と身長を持つルトアミスには勝てなかった。

    それもあり、軽い口付けを拒否する気持ちは、ジェイの中からだいぶ薄らいで来ていたところだった。


    ルトアミスの食事被害は、他の最上悪魔に比べて約2倍ほどにも及ぶ。

    ルトアミスの好物は、人の肉よりもはらわただ。襲われた人は全て腸だけを引きり出され、肉は下僕たちがくらう。

    それ故に残虐極まりない冷徹な悪魔だと言われているが、ジェイと相対する時だけは割と物腰が柔らかく、少なくとも " アナバスの王子 " を利用しようという画策や身の危険など、ジェイは1度も感じたことは無かった。

    それでもルトアミスの隠家アジトに招かれ、それを受け入れるようになったのは、ここ1ヶ月ほど前からである。


「 そりゃ最初は警戒したし、完全にお前を信じてはいなかったけど …… 心から俺に優しくしてくれてるってのは、会うたびに分かっていってた。だから、俺がお前のことを好きになるのは当然だろ?」

    ティタールの入ったマグカップを持つ両手にぎゅっと力を込めて、ジェイは再びルトアミスを見上げてにっこりと微笑んだ。


    …… 駄目だ、とルトアミスは思った。

ジェイが見せる様々な表情や仕草を知る度に、身も心も必ず手に入れたいとの欲望が日に日に増していく。


┄┄┄┄ 否、まずは身体からで良い。


    性急にコトを進めて、たかぶる欲望のままに何度もその身を犯したい。全星一美しいこの王子のなめらかな肌を強引にこじ開け、何度も己を穿うが嬌声きょうせいを上げさせたい。

    何故か18という年齢とは程遠い、恋愛や性に関して全く無知な王子は、最初のうちは激しく抵抗を見せ、羞恥と痛みと出血で涙を流すだろう。

    自分に裏切られたと思うかもしれない。

    だが、そんなことは関係ない。一晩では足りない、幾晩いくばんかけてでも身体中に口付け、性の快楽を身体に刻み込んでしまえば、濃艷のうえんき声と乱れる吐息、そのしなやかな身体をみだらにり返らせて何度も吐精とせいし、びくびくと痙攣けいれんするようになるはずだ。

    ジェイの腹の中を自分の精で満たしあふれさせ、どちらのものとも分からなくなるくらいの体液で、ぐちゃぐちゃにしてやりたい。その身体を白濁はくだくした液体でどろどろにけがしてやりたい。

    やめろと懇願こんがんされようが、助けてと涙を流されようが、ジェイが自分の手中に完全にちてくるまでは、監禁でも何でもして、決してのがさない。


「 …… ルト? 」

いぶかしげに悪魔の名を呼び見上げてくるジェイに、ルトアミスはハッと我に返った。

    気付けば、ルトアミスはじっとりとした汗をかき、欲に塗れた目でずっとジェイの瞳を捕らえていたようだ。

    ジェイはまさかルトアミスが、自分を淫猥いんわいな欲の目で見ていることなど、微塵も勘付いていない様子だった。

「 急に黙るから、俺、なんか変なこと言ったんじゃないかって、不安になるだろ? 」

「 あ、あぁ、すまない 」


    もちろんルトアミスこそ、ジェイが 口にした" 好き " という言葉が、恋愛感情など全くともなわないたぐいのものだと充分に理解している。

    初めてジェイと出会った時、恐らくジェイは自分が最上悪魔のルトアミスかファズ、どちらかではないかとおおよそ勘付いていただろうと思っている。

    それでもジェイは、毒で動けなくなっていたルトアミスに応急処置をほどこしたのだ。

    毒によって動けなくなったあるじに近付けさせまいとする下僕しもべたちを懐柔かいじゅうし、恐れることなく手を差し伸べた。

    このことがきっかけで、ルトアミスの下僕たちはジェイに対してある程度の好意は持っているようだ。

    毒を緩和したジェイに、感謝を口にする者もいたほどだ。


    モニターや大スクリーンで映し出されるアナバスの式典ライブ映像などより、着飾らない姿のジェイは、ただただ美しかった。男だと分かっているのに、今まで抱いたどの女悪魔より魅惑的だと、ルトアミスは心から思った。


    ルトアミスはいろいろな意味で多くの女悪魔から関係を求められる。自分から惚れ込んだ女などまずいない。

    言い寄る女は単なる欲のけ口に過ぎず、行為が終われば必ず殺してきた。下手に子など宿すようなら厄介だからだ。

    女に全く困ることのないルトアミスは、えて特定の女に興味を持つことすら無意味だという考えを持っていた。

    もちろん、自分から惚れ込むほどの女に出会ったことが無いというのも、そのような考えに至った理由の一つではあるが。


    だが、ジェイはそんなルトアミスを一瞬にしてとりこにしてしまった。応急処置を終えたジェイを、いきなり強く抱き寄せてしまうほどに、ルトアミスは自分でも分からない初めての感覚におちいったのだ。

    そしてそれは、自分がジェイに対して恋心を抱いたのだと、すぐに理解した。



    ルトアミスは己を落ち着かせるよう、短く息を吐いた。ジェイの前では極力欲望をしまい込むよう努めていた。

    しかし、先程いだいたよこしまな感情はすぐに収まる訳でもなく、ルトアミスは自分でも気付かないうちに、再び欲望へと思いをせていった。


    性や恋愛に無知なのは、自分にとっては好都合だ。自分好みにしつけることが出来る。

    自分が欲するままに身体を反応させ、自分の前でだけよがり狂う。こんなにもけがれのない純真無垢なジェイが、おのれの前でだけ淫乱になる。

    悪魔の目の前で身体全てをさらけ出された時、こいつはどんな反応を見せるのだろう。直接肌に触れた時、どんな表情を見せるのか。

    秘所を集中的に攻めれば、どんな声でくのだろう。快楽におぼれるだろうか。

    縁談に全く興味がないと言っていたが …… こいつはアナバス星唯一の正当な後継者だ。いつかはどこぞの王女と婚礼を上げ、跡継ぎを作らねばならない。

    だが、それは決して許さない。

    自分だけの所有物にして、ジェイ自ら腰をくねらせ、犯して欲しいと強請ねだるような、淫靡いんびな身体に必ずしつけてやる。


    ニヤリと不敵な笑みを浮かべたルトアミスを、

「 良かった、怒ってなくて 」

どうとらえたのか、能天気なジェイは嬉しそうに笑った。



「 …… スナイパーのことが知りたくて来たんだろう 」

    と、ルトアミスはどうしてもき上がる己の邪念を消そうとするかのように、努めて落ち着いた声でジェイに問いかけた。

    その言葉に、ジェイの目つきは一変して鋭くなる。

    全部飲み干したティタールのマグカップをサイドテーブルに置き、

「 食事ならまだしも、流石にこの大量殺戮は、今日中に終わらせるって、パープルもイエローも躍起やっきになってる。でもこの悪魔は何かおかしい。だから、ルトのとこに来た 」

彼を真剣な眼差しで見上げる。

    すると、ルトアミスはふいと視線をジェイから外し、少し外に気を向けたようだったが、

「 よく俺がここに来ていると分かったな 」

と、再びジェイに目を戻した。

    ジェイは一瞬きょとんと目を丸くしたが、次にはアハハと小さく笑って答えた。

「 だって … 上級悪魔がこんな派手に動いてたら、ここに隠家アジトを持ってるルトなら絶対に来てると思って。…… それに、ルト、俺に最初に言ったじゃん。来ると思ってたって。それってさ、やっぱ悪魔界でもスナイパーはあまり知られてないってこと? だから尚更アナバスでは情報が無いだろうって、俺が何か聞きに来るのを見越してここに居てくれたんじゃねぇの?」

「 まぁ、半分は当たっている。今は撤収させたみたいだが、昨日まではイエロー・ナイトの他にもアナバス兵が多くこの星に来ていた。とすれば、何らかの形でお前が来るだろうことは分かっていた 」

「 げ、俺の行動バレバレ ……?」

ジェイが苦笑すると、ルトアミスも柔らかく微笑んだ。

「 …… 俺はずっとお前を見て来たからな 」

その言葉にジェイが何か反応する前に、ルトアミスは続けてこうも言った。


「 ニアルアース・ナイトに奴らのカラクリを伝えなければ、アイツらは死ぬ 」

「 …………… え?」

「 アナバス兵たちを撤収させたのは良い判断だった。その指令を出したのはパープル・ナイトか?」

「 えっ? イヤ、あの … ちょ、ちょっと待てよルトアミス!」

    ジェイは焦った様子で立ち上がり、目の前でずっと腕組みをして立っているルトアミスの、その片腕をぎゅっと握り締めた。

    ジェイの表情からは完全に笑顔は消えていた。

    そして、混乱しているのか一瞬うつむき、そして再びルトアミスを見上げた。

「 今、なんて? 奴らって? アイツらってのは、パープルとイエローのこと!?」

    ジェイは完全にパニックになっていた。すがるような瞳をルトアミスに向けている。

    だが、ルトアミスはそんなジェイの瞳を間近に見つめたまま、何も答えない。

「 ルトアミス!!!」

何も答えない彼の腕を大きく揺さぶると、ルトアミスはふっ、と小さく笑んだ。

「 さっき話しただろう。半分は当たっている、と 」

「 だからなにがっ? さっきからお前の言ってること、よく分かんねぇよ!ちゃんと理解出来るように教えろよ!」

まるで駄々をこねる子供のようなジェイの片手を、ルトアミスは乱暴に掴み上げた。


「 …… っ!」

そのまま上に引き上げられ、真後ろのソファーベッドに押し倒される。

    掴まれた左手は頭上で、そしてソファーベッドに押し倒された後に右手は耳元の横で、それぞれ強く押さえつけられた。

    驚きのあまり言葉を失って、ジェイは真上から自分を見下ろしているルトアミスの深紅しんくの目から、瞳を逸らすことが出来なかった。


    半ば放心状態になったジェイは、改めて彼の容姿を瞳におさめた。


    アナバスの情報網では、悪魔界の頂点に立つとも言われる " 双璧の悪魔 " 、ルトアミスとファズは、容姿が優れていると女たちの間では評判だ。

    静止画としての容姿が収められている最上悪魔は1人を除いて他に居ないが、残り6人の最上悪魔の一瞬を捉えた動画は、それぞれ2〜3枚はある。

    女兵士たちの間では秘かに、見目みめの良いルトアミスとファズになら食べられても良いなどと、兵士にあるまじき発言をして盛り上がっていることは、ジェイの耳にも届いていた。


    ルトアミスの髪は、ジェイよりも少しだけ長く、両横の一部の髪が肩に掛かってる。何もかもを飲み込むような漆黒の髪色で、常に真っ黒な上下の服にマントを羽織り、瞳だけがとても深い赤色が特徴の最上悪魔である。

    周りがどれだけ騒ごうが、ルトアミスの容姿を全て把握しているのは、人界に於いてはジェイしかいないのだ。


( こうして見ると、やっぱ凄い迫力だな …… 。赤い目、綺麗だな。ずっと見てたら、吸い込まれてしまいそうな ………… )


    ジェイがぼんやりと彼の目を見つめていると、その思考をさえぎるかのようにルトアミスが口を開いた。

「 半分当たっていると言ったのは、人界では奴らの情報など拾えていないだろうということと、だからこそお前が俺を訪ねてくるだろうと見越みこしていたことについてだ 」

    ルトアミスの静かな口調に、ジェイは彼のその言葉を受けてからも更に数秒の間、彼を見つめ続けていた。

「 … どうした?」

  声を掛けられて、ジェイはハッと気付いた。

    こんな時に自分は何を呑気なことを考えていたのだろうと、ジェイは急に恥ずかしくなり、ルトアミスから視線を逸らした。

    ルトアミスはジェイの反応を不思議に思ったが、返事を待たず更に続けた。

「 だが悪魔界では、というより上級悪魔以上の能力ちからを持つ悪魔たちの間では、奴らのことは有名だ。だからお前が推測した半分は外れていたということだ 」

「 えっ、じゃあ …… 」

と、ジェイはルトアミスに視線を戻した。

「スナイパーは何か特異な能力でも持ってるのか? それに、さっきから " 奴ら " って …… 」

    ジェイはルトアミスに完全に押し倒されていることに何の違和感も嫌悪感もないのか、抵抗もせず力を抜いたまま、なされるがままになっている。

    それほどルトアミスという悪魔を信用しているのだろう。


┄┄┄┄ だが。


    そこでまたルトアミスは何も答えようとはしなくなった。

    それを察してか、ジェイは困惑したかのように、そして若干切なそうに小さく呟いた。

「 なんで …… 今日は意地悪するんだよ 」

    その呟きにルトアミスは小さく溜め息をついた。

「 お前は本当に何も分かってないな 」

「 え?」

「 その問いに答えて、俺に何のメリットがある 」

    確かにその通りだ、とジェイは思った。

    スナイパーの情報を聞き出すことしか頭に無かった。それを分かっていても尚、ルトアミスはこの隠家アジトに居てくれたのに。

    いつの間にか自分でも気付かないうちに、かなりルトアミスの優しさに甘えてしまっていたようだ。

    最上悪魔をとても親しい友人のように一方的に思っていた自分が急に情けなく思え、ジェイの眉はいつしか八の字になっていた。

「 おい、ジェイ、」

「 ごめん、ルト。気付かないうちに俺、お前のこと利用するようになってたのかも …… 」

    ジェイは泣いてこそはいなかったものの、かなり落ち込んでいる様子が容易に見て取れた。

    「 ジェイ、違う、」

    慌ててルトアミスが口を開くが、またすぐにジェイにさえぎられた。

「 ルト、手を離して貰っていい? とにかく、スナイパーって悪魔は1人じゃないってことなんだよな? それだけ教えて貰っただけでも、全然違うからさ。早くアイツらに伝えないと 」


    だが、ルトアミスが一向にジェイを押さえつける力を弱めないため、ジェイの焦りはどんどん増すばかりだ。

    敵の情報を少しでも早く伝えなければ、万が一の場合は手遅れになるからだ。

「 ルト、離してくれって … 」

「 頼むからルトアミス、行かせてくれよ!」

    ジェイが何度か懇願こんがんしても、ルトアミスは眉間に皺を寄せたまま目を閉じていたのだが、次には鋭い目をジェイに向けた。

「 そういうことじゃない 」

それは多少の怒りがこもった口調だった。

    もちろん、ジェイを拘束する手を緩める気は更々無かった。

「 …… そんなに知りたいか。ニアルアース・ナイトのために 」

「 知りたいというより、知らなきゃならない。でないとアイツら、死ぬかもしれないんだろ?」

    それだけは、絶対に嫌だ。

最後に強くそう言ったジェイに、ルトアミスはしばらく沈黙した。


    ジェイがニアルアース・ナイトを失って悲しむ様を見たくはなかったし、なにしろルトアミスが情報を与えなかったことで彼らが命を落とすなら、ジェイは二度とルトアミスと会わなくなるだろう。

    それは容易に想像出来た。

    ここまでジェイの信頼を勝ち得たルトアミスにとっては、今の関係は絶対に手放したくはなかったのだ。


「 いいかジェイ、はっきり言う。俺はニアルアース・ナイトがどうなろうと関係ない。だが、お前がどうしても奴らのことを知りたいのなら、奴らがどういう悪魔なのか全て教えてやってもいい 」

「 ほんと!?」

途端にジェイの表情は明るくなり、

「 ありがとう!」

と満面の笑顔になった。

    が、ルトアミスの表情は一向に柔らかくなる気配がない。

    眼下のジェイの瞳をしっかりと見据えて、告げた。

「 お前がこの情報を買え。俺は無料(ただ)で教えてやる気は更々ない 」

「 分かった、いくら? 後でいい? 早くアイツらに … 」

ジェイが言い終わらないうちに、ルトアミスは言葉を重ねて遮った。

「 今だ。金など要らん。お前がまだ慣れていない口付けをするだけで許してやる 」

「 え … 、それってまさか …… 俺の口に舌を入れる、やつ?」

ジェイは驚いて少し目を見開いた。

「 ああ。まだ1度しかしていない。この間は上手く逃げられたからな 」

    ここ1週間ほど前、ルトアミスは辺境の村でディープキスを強要しようとして、2回目のそれを上手くかわされてしまっていた。

    しかし、

「 ルトがそれだけでいいって言うのなら、俺は全然大丈夫!」

ルトアミスの予想に反して、ジェイはあっさりと快諾した。


    悪魔の中では恐らく日常の挨拶なのだろうと誤った捉え方をしているジェイは、舌を入れて絡め合う口付けに自分が慣れていないだけだと思い込んでいる。

    その行為が、本来は愛し合った者同士が行うものだとは、現時点ではジェイは全く知らなかったからだ。

    ルトアミスがそのようなコミュニケーションを望むなら、これから先も強要され続けることは分かっている。だったらこの機会に逃げずに慣れておけば、ルトアミスの " 挨拶 " を受け入れることが出来るようになる、とジェイは判断した。


    逆にルトアミスの方は驚いて、何故か不安そうな表情でジェイを見つめている。

「 お前、舌を絡めるのは嫌なんじゃないのか 」

「 え? 嫌とかじゃなくてさ、単に俺が悪魔流の挨拶に慣れてないだけだろ? 親しい悪魔とは、そーゆー挨拶をするってことだろ? なら、俺もルトといろんな挨拶がしたいし 」

    あっけらかんと言い切ったジェイに、ルトアミスは苦々しい笑みを浮かべた。

    何も分かっていないだけに、この王子は男をあおる言葉を平気で口にする。


「 なら、絶対に逃げたり抵抗したりするな。力を抜いて、俺のしたいようにさせろ 」

「 分かった。… それに抵抗って言うけど、お前に今、ガッチリ押さえ込まれてるし 」

    確かに、ソファーベッドに押し倒してから一度も、ジェイは嫌がりもせず抵抗もせず、大人しく組み伏せられているのだ。

    くすくすと屈託の無い笑顔を見せるジェイを、ルトアミスは心からいとおしいと思った。

( やはり、大切にしなければならない )


    ルトアミスは、そっと軽くジェイの唇に触れた。

    ジェイを見ると、軽く瞳を閉じて嫌がる素振りは微塵みじんもない。

( これは最初のうちにかなり慣らしたからな )

    ルトアミスはしかし、ふと気付いた。

    ジェイに口付ける時はいつも別れ際で、かなり強引に、一方的に押し付けてきた。つまり当然、ゆっくりとジェイを堪能たんのう出来たことは無い。ジェイも動揺して逃げるように去って行く。


    だが今は、全く状況が違う。ルトアミスが口付けることにジェイ自身が同意し、大人しく組み敷かれている。

    ルトアミスはチラッと外に目を遣り、薄笑いを浮かべた。

( もっと時間を稼げよ、ニアルアース・ナイト。イエロー・ナイトはだいぶやられたようだが、パープル・ナイトが途中から来たことでまだ余力はありそうだ )


    結界の中からはルトアミスにしか外の状況が分からない。ジェイがこの隠家アジトに来て少し経った頃、イエロー・ナイトの前にスナイパーが姿を現したのだ。

    そこから、イエロー・ナイトとスナイパーとの戦いが始まり、徐々にイエロー・ナイトの体は刻まれていった。

    そしてつい先程、イエロー・ナイトがまだ立ち上がれる段階で、パープル・ナイトが到着した。

( 何も情報が無いまま、なんとか奴らとやり合っている所を見ると、ニアルアース・ナイトの名も馬鹿には出来んな )


「 ルトアミス 」

    自分を呼ぶ声にジェイに目を戻すと、するなら早くしろとでも言いたげなジェイの瞳に苦笑する。

    余程よほど早く情報が欲しいのだろう。

    だが、まだだ。まだ、ニアルアース・ナイトは死なない。

「 大丈夫だ、焦るな。それより折角の機会だ。お前に気持ちの良い口付けを教えてやる 」

ルトアミスの言葉に、ジェイはきょとんと瞳を丸めた。

「 悪魔流挨拶だろ? 気持ちいいとかそんな、」

ジェイが言いかけたところで、ルトアミスは再度ジェイの唇に軽くキスを落とした。

「 黙って大人しくしていろ 」

「 …… 分かったって 」

    完全にルトアミスの言いなりになっているジェイは、今まで以上になく可愛く彼の目には映る。

    ルトアミスはジェイの唇を軽くついばんだあと、ひたいと、目尻にも口付けていく。耳朶みみたぶを唇でんで、首筋にそっと口付けた時。

「 ちょ、こそばいって 」

くすくすと笑うも、やはり抵抗はしないジェイに、ルトアミスは優しい視線を落とした。

    ゆったりとしたトップスは少しずらせば肩があらわになり、腕とのつけ根の上部や鎖骨にも唇で触れる。

    のど、反対側の首筋、耳朶、目尻、そして先程より少し強めのキスを唇に落とした。

    ジェイの肌を時間をかけてもう一巡りしたあと、ルトアミスは欲を抑えるかのように、小さく吐息した。


    想像以上にジェイの肌は柔らかかった。

    透明感があり、なめらかで、しかし口付けるとしっとりと唇に吸いつく。これでは少し強めのキスを落としただけで、すぐに跡がつき残ってしまうだろう。

    ルトアミスとしては、首筋や肩など、現時点で口付けられる箇所全てに跡を残したかったが、この場所では余りにも他人の目に触れて、ジェイが困るだろうと踏みとどまった。


    ギシ、と音を立て、ルトアミスはジェイの両腿りょうももの間に膝を入れ、ソファーベッドの上に身を乗り出した。

    そっとジェイの表情をうかがいながら、膝でジェイの脚を少し押し広げる。出来る限り不自然に思われないように。

    ルトアミスの読み通り、ジェイに違和感を覚えさせず脚を僅かに広げさせることに成功した。そして、あたかも体重を前に掛けるためにもう片方の膝を進めたような仕草で、ジェイの中心部に軽くり当てた。

    ぴくん、とジェイが僅かに身体をよじった瞬間を見計らい、ルトアミスは熱い口付けを交わした。まだ、深くはない。舌を入れるのは順を追ってからだ。


    一方、ジェイは混乱しつつあった。

 " 舌を入れる挨拶 " をして終わりだと思っていたのだが、予想とは全く違うことをルトアミスはしてくる。

    確かにこの " 挨拶 " 行為は、今まで去り際に強引にされていたものだ。わざわざこんな時間を設けたことは、当然だが今までに於いては皆無だった。

    ルトアミスは全く舌を入れてこない。もうとっくに慣れた軽いキスばかりを落としてくる。

    それも、唇以外の場所に丁寧に口付けてくる。

    最初はくすぐったいという気持ちがまさっていたのだが、ルトアミスが首筋や肩や喉に顔をうずめている時は特に、ドキ、と胸が高鳴った。

    彼の漆黒の柔らかな髪が、ずっと肌に触れている。今の今まで、額や目尻などに唇をくっつける行為など、考えたことも無かった。

( なんだかとても、恥ずかしくてたまらない )

    そう思っていた矢先のことだった。

    ルトアミスが身を乗り出して来たことを気配で感じた瞬間、その仕草故に、彼の膝がジェイの股間に押し付けられたのは。

    ソフトデニムのパンツだから、擦れた感覚が意外と強く伝わり、声が出そうになったところをルトアミスの唇に封じられた。

    先程までの軽いキスではなく、ルトアミスはジェイの唇に何度も吸いつく。

( 気付いてないだけだよな? 気付いてたら、普通どけるよな? 偶然当たってるだけ …… )

    少し頬が赤く染まっていることに、ジェイ自身が気付くことは無かった。


    ルトアミスには、そんなジェイの反応が手に取るように分かっていた。

    先程までは身体中の力を抜いてルトアミスを受け入れていたのだが、中心部を膝で擦った瞬間、身体中に力が入ったからだ。

    だが、このままジェイの全てを堪能したいと思う気持ちは抑えなければならない。心を許してくれている今、調子に乗って下手に手出しをすれば、きっとジェイの場合はこの先ずっと、ルトアミスを敬遠するだろう。

( それに、少しずつニアルアース・ナイトの形勢が不利になって来た )

    それでもルトアミスは、再びジェイの首筋に顔を埋めた。

    跡にならないよう気を付けながらも、口付けた部分に舌を這わす。

    ハッとジェイが息を飲むのが分かり、ルトアミスは顔を上げた。2人の視線が絡み合い、しかしすぐにジェイの方が目を逸らした。

「 ルト、あのさ、もう ……… 」

    ここまでか、とルトアミスは溜め息をついた。

「 時間をかけ過ぎたな、すまない 」

「 や、それは別にいいんだけどさ …… 」

    とにかくジェイは恥ずかしくて仕方がなかった。

( 早く、どいて欲しい。ずっと当たってて …… なんだかよく分からない、変な気持ちになりそう )

    しかし、その希望はすぐには叶わなかった。

    再びルトアミスが前のめりに体重をかけ、彼の膝がそっとジェイの中心部にまた小さく擦れたからだ。

「 … ん …… っ 」

    先程とは違い、ジェイの口から小さな声と吐息が漏れる。

    ハッと頬を染めてルトアミスを見上げたが、彼はそれに気付かなかったのだろう。

    ルトアミスはジェイの唇に深く口付け、吐息を漏らした時に僅かに開いた口の中に、彼の舌が容赦なくジェイの中に入り込んでいた。

    それが全てルトアミスの計画通りの所作しょさだとは、ジェイは全く気付くことが出来なかった。


    まだ強引に1度しかされたことの無いこの行為を、ジェイはスナイパーの情報と交換のために軽く引き受けた。

    口の中に他人の舌を入れることなど、ジェイの想像を大きく超える行為であり、悪魔同士の挨拶だからこそ出来るものだと理解している。

    だが意外なことに、こうしてゆっくりとルトアミスを受け入れてみると、何故か嫌悪感は全く無かった。


    ルトアミスの舌はゆっくりとジェイの上歯うわばの裏側を舐め、次にはその下にある粘膜状の口蓋こうがいひだと口腔の上部である硬口蓋かたこうがい軟口蓋なんこうがいの順に丁寧に舐めたあと、ジェイの舌を絡め取った。

    ジェイはぎゅっと目を閉じてはいたが、やはり嫌がる素振りは無く、ただただ初めての経験でいっぱいいっぱいのようだった。

    舌を絡ませては舌のつけ根にあるびらびらとしたひだ舌小帯ぜつしょうたいをくすぐる。

    そのうちジェイからも、戸惑いながらルトアミスの舌に触れて来ては、ルトアミスにまた舌を絡ませられる行為が数回続いた。

    ( 愛おしい …… )

ルトアミスは再度、心からそう思った。

    ルトアミスに必死に応えようとするジェイが、ただ可愛くて仕方がなかった。

    そして、こんなにも甘く深い口付けを心から堪能するのは、ルトアミスも今回が初めてだった。


    ルトアミスに言い寄りセックスを求めてくる女悪魔が、ディープキスを求めることは少なくはない。そのような女と何度も交わしたこの行為は、ルトアミスにとってはなんの気持ちもない、性交するための事前儀式のようなものでしかなかった。

    まさかジェイがここまで誠実に応えてくれるとは、ルトアミスにとってはかなり予想外だった。

    舌を入れた途端、顔を背けられることを想定していた。そしてそれを、スナイパーの情報を盾に取り、何回もほぐして無理矢理慣れさせる予定でいたのだ。

    だがジェイは、見事にその予想を裏切った。そして嫌悪感を一切あらわにせず、この行為があたかもごく自然の流れで行われたことに、ルトアミスは今までに感じたことのない、心が温かく満たされていくような気持ちを覚えた。


    くちゅくちゅと漏れる互いの唾液の音と、たまにジェイがそれを飲み込む小さな動作と、飲み込めずジェイの口元や顎を伝う唾液に、ルトアミスは心酔した。

    純真なジェイの中に、一点の色艶いろつやを与えたような満足感が、ルトアミスの心内こころうちに広がった。

    自分から仕掛けておいて、自らがまたジェイのとりこになってしまっていた。


    ゆっくりと唇を離し、ルトアミスは呼吸を整えながらジェイを見た。

    ジェイは少し恥ずかしそうな瞳をルトアミスに向けていたが、ふふっと笑った。

「 恥ずかしかったけど …… 舌入れる挨拶、俺にも出来た!」

その言葉に、ルトアミスはがっくりと大きく項垂れた。


「 悪かった …… 」

    ルトアミスは、ジェイの両手首にくっきりと残ってしまった自分の手形を見て、自責の念を口にした。

    ソファーベッドに押し倒してからずっと、強く押さえ込んでいた。ジェイを決して逃がすまいとしていたよこしまな心の現れだった。

    ジェイは最初から最後まで、逃げようとする素振りなど一切見せなかったのに。

    しかしジェイの方は全く気にしていない様子で、濃い赤紫色になっている手首をさすりながら、

「 いいって。こんなになってんのに、気付かなかったのが不思議だよな。痛くなかったし 」

と言って、あっけらかんと笑った。


「 それになんかコレ、お前の印を刻まれたみたいだよなっ 」

    続けて、何故か嬉しそうにそう言ったジェイに、ルトアミスは新しく入れたティタールのマグカップを手渡しながら、ハァ … 、と大きく溜め息をついた。

「 そういうことを軽々しく言うな。男を煽るだけだ 」

「 あおる?」

首を傾げるジェイに、ルトアミスはどう説明するべきか一瞬頭を悩ませたが、無自覚のジェイに教えるのは困難だと判断した。

「 いや、忘れろ。なんでもない 」

( 頭は切れるのに、恋愛や性に関してだけ全く無知なのは、本当にどういうことなんだ ……… )

    何度も湧き上がるその疑問を他所よそに、ルトアミスはジェイの正面の壁に寄りかかった。


「 お前の知りたいスナイパーはな、」

とルトアミスが話し出すと、ジェイは慌ててぐびぐびとティタールを飲み干し、彼に真剣な眼差しを向けた。

    ルトアミスは一瞬呆気あっけに取られたが、もはや何も言わず話を続けた。

「 奴らは双子の悪魔だ 」

「 って、じゃあやっぱスナイパーは1人じゃないってこと …… 」

ルトアミスは、そう言いながら立ち上がりかけたジェイをなだめ、

「 とにかく全部話してやるから、聞け 」

と、再びソファーベッドに座らせた。

「 奴らの実力は、2人合わせると " 最上悪魔に最も近い上級悪魔 " だと言われている 」

「 えっ!?」

    いちいち反応して腰を上げるジェイを、ルトアミスは溜め息をつきながら片手を挙げて制した。


    この調子が続けば、ニアルアース・ナイトは死ぬかもしれないと、ルトアミスは思った。結界の外からは既に立っているのがやっとの状態にまで追い込まれたニアルアース・ナイトがいる。血の匂いも凄い。

    だが、奴らの望みが今も変わっていないのであれば、恐らくどちらかは生かされるだろうと、ルトアミスは考えていた。


「 だが、それは奴らのカラクリを知る上級悪魔や、最上悪魔オレからすれば、単なる馬鹿げた話に過ぎん。1人1人だと、上級悪魔の下位に属する程度の能力ちからだ 」

「 カラクリって?」

「 それが一番重要な点だ。何も知らんお前たちにとってはな 」

    ルトアミスはそこで一旦言葉を区切った。

    ジェイは真剣な眼差しでルトアミスの説明を待った。

「 スナイパーは人や我らをあざむくため、常に弟が単独で行動し、兄は常に姿を消している。双子だから " 気 " はほぼ同じで、大抵の者は姿を消している兄に気付くことは無い。それと、兄は自身の気を消す能力にけていてな。更に弟も兄の気を消すために、追加で能力をかけている 」

「 じゃあ、スナイパーって悪魔は1人だと思わせてるけど、実際は常に双子で連れ立って行動してるってことか …… 」

「 そうだ。だから戦闘になれば、それを知らず戦えば不利になる。一応1人でも能力は上級悪魔だ。目の前の弟と対峙していると思っていても、姿を消した兄との連携攻撃を仕掛けてくる 」

    そこまで聞いて、ジェイは立ち上がった。

「 ありがとう!それだけ分かってれば、パープルとイエローに伝えたら余裕で勝てる 」

    パタパタとドアまで走ってから、ふとジェイは疑問を持ち、ルトアミスを振り返った。

「 でもさ、じゃあなんでわざわざ、今までずっと存在を隠して来たのに、急に活発になったんだ? きっと食事だって、アナバス《オレたち》の情報網に引っ掛からないようなとこで喰ってたんだろうし …… 」

    するとルトアミスはニヤリと微笑を浮かべた。

「 …… 奴らはずっと修行をしていた。ようやく奴らなりの自信がついたんじゃないか? 奴らの目的は、最上悪魔になり悪魔界の頂点に君臨することだからな 」

    ふーん、と興味がなさそうな返事をしたジェイだが、

「 じゃあ直接、お前かファズって奴に挑んだら良いのに、なんで?」

その素朴な疑問には、ルトアミスからの返答は無かった。

「 もう行け、ジェイ。そろそろニアルアース・ナイトがヤバいぞ 」

「 えっ、うん!」

    ジェイが外に出て行った瞬間、数人の下僕しもべたちが入れ代わりに姿を現し、ルトアミスの前にひざまづく。

    ルトアミスはバサッと大きな黒のマントを身にまとった。

「 お前たちも来い 」

言うや否や、ルトアミスは数人の下僕たちを連れて、スナイパーとニアルアース・ナイトが戦っている場所へテレポートした。



    ジェイは、ルトアミスの隠家アジトに入る前にイエロー・ナイトの姿が見えた方角へと走った。

    遠目に見えた通り、そこは密林が開けた場所で、短い雑草が所々に生えているだけの土壌になっている。

    ジェイが最初に目にしたものは、血塗ちまみれになって倒れているイエロー・ナイトと、彼をかばうように、しかし肩で大きく息をしているパープル・ナイトの姿だった。

    パープル・ナイトもまた、体中から血が滴り落ちている。

「 パ、パープル! イエロー!!!」

ジェイは真っ青な表情で2人に駆け寄り、倒れているイエロー・ナイトの元にうずくまった。

「 ジェイ!?」

パープル・ナイトがハッと目を見開く。


    ジェイはずイエロー・ナイトの様子を確かめた。

    まだ息はある。だが、出血量が多く、気を失っている。早く止血しなければ、危険な状態だ。

    顔を曇らせたジェイはそんな彼の背中に、そっといたわるように手を置いた。そして、かろうじて目の前に立っているパープル・ナイトに目を上げた。

「 ごめん、もっと早く来てれば、こんなことには …… 」

   パープル・ナイトは、 両手でそっと自分の手を握るジェイに目を落とし、そして一瞬息を飲んだ。

    ジェイの両手首にある、濃い痣。手形のようにも見えた。

    そしてそれに気付いたのか、ジェイはサッと手を後ろに隠し、立ち上がった。

    ジェイの目線の先には、ギラギラと鈍く光る獣のような気配を放つ悪魔が居た。両手に持つ短剣からは、ニアルアース・ナイトのものであろう鮮血が滴り落ちている。

    ドサ、と目の前でパープル・ナイトが倒れた。

「 ごめ … ん、ジェイ …… 」


┄┄┄┄ 途端。


「 キャ━━━━━━━━ッハハハァァ!!!」

耳をつんざくような笑い声を上げたスナイパーが、一瞬にしてジェイの眼前に移動して来た。


    離れた大木の太い枝から、その様子を見ていた下僕が飛び出そうとするのを、

「 待て 」

と、ルトアミスは静かに制した。

「 まだ、 " られない " 」

その表情には、冷ややかな笑みが浮かべられている。


    スナイパーは、今にも顔が付きそうなくらい間近でジェイを見て、ククッとせせら笑った。

「 怯えて声も出ないか?」

その言葉に、ジェイはムッとスナイパーを睨みつけた。

「 でぇ〜? 貴様はニアルアース・ナイトの何なのさ? もうすぐ最上悪魔になるオレがいるのに、なりふり構わずニアルアース・ナイトに駆け寄って来るなんてなぁ。涙ぐましいじゃないか?」

ジェイはうつむき、ぎゅっと両手にこぶしを握りしめた。

    ふるふると小刻みに肩が揺れる。

「 俺はっ、コイツらの一番の友達だ!」

答えると、スナイパーはジロジロと角度を変えながらジェイを観察し、

「 へぇぇー、ふ〜ん? お友達なんだぁ。ごめんねぇ、お友達、殺しちゃった 」

と、楽しそうに笑った。

「 …… ふざけんなよ!死んでねぇし!」

キッと顔を上げ、スナイパーへの怒りをあらわにする。

「 あぁ、残念だね …… 、これだから能力が弱い奴は嫌いなんだよねぇ。状況の把握がまるで出来てない 」

「 …… 大体、なんで食事でもないのにたくさん人を殺したんだ!」

スナイパーの言葉を無視し、ジェイは少し口調を強めた。

    するとスナイパーはピタリと一瞬動きを止め、ジェイに背を向けて歩き出す。そして、首だけをねじり、にたりと目を細めた。

「 君に話すいわれはないけど、伝言役になって貰おうと思うから〜、俺と兄ィの目的と理由、特別に教えちゃおう 」


「 思っていたより馬鹿な奴だ 」

    ルトアミスは、まるでジェイとスナイパーのやり取りを楽しむかのように眺めたまま、未だ動く気配は無い。

    それどころか、心底楽しそうな表情を浮かべている。

    下僕たちは互いに顔を見合わせたが、無言のまま、主と同様に成り行きを見守った。


「 お前の目的なら知ってる。最上悪魔になるんだろ? さっき自分で言ってた 」

冷静なジェイの言葉に、スナイパーは更にニタニタと笑った。

「 あぁ〜、言っちゃてたァ? まぁつまりね、その目的を達成するために、繁殖しまくってるエサをたくさん狩ってただけなんだよ 」

「 はぁ?」

「 分っかんないかなー、分かんないだろうねぇ、君は人だからねぇ。上手くニアルアース・ナイトのおびき寄せには成功したのに、肝心の奴が出て来ないのさ。奴は君みたいに友達思いじゃないんだなぁ。自分より目下めしたの奴が殺されても気にも止めないなんて、やっぱり王族は嫌だね?」

「 …… え?」

スナイパーの最後の言葉に、ジェイはまさか、と表情を強張こわばらせた。


「 これだとジェイにわざわざスナイパーが双子だと教えてやる必要は無かったな …… 」

少し複雑な表情で呟いたルトアミスに、

「 しかし、そのお陰でジェッド・ホルクスとは少し進展があった、のでは … ?」

「 黙れクリスティナ 」

言い終わらないうちにぴしゃりと遮られ、しかしクリスティナと呼ばれた女下僕はクスクスと笑った。

    あれを進展と言えるのか、ルトアミスには分からなかった。

    確かにジェイの肌に口付けたり、ジェイにとっては恐らく初めてであろう感覚を少し呼び起こしてはみた。

    だが、結局ジェイにとってのルトアミスの行動は、何故か単なる悪魔流の挨拶だと認識されている。愛情表現だとは、ジェイには微塵も受け止められてはいないのだ。

( 俺がジェイの身体を堪能していたから、ニアルアース・ナイトに情報を与える時間が無くなったのは否めないがな …… )

    フッと小さな笑いを零したルトアミスは、

「 ルトアミス様 」

クリスティナに声を掛けられて、ハッと我に返った。

    どうやらジェイは、スナイパーの目的過程を理解したところらしい。


    ジェイの肩はやはり小さく震えていた。

    再び俯いており、声も震えている。

「 つまりお前は … 、アナバスの王子を呼び出して殺すために、大量に人を殺して目立って見せ、パープルやイエローをおびき出して傷付けたんだな ………!」

「 そーゆーことさ。ニアルアース・ナイトを殺した時点で奴が来ると思ったのにねぇ …… おびえて姿を現さないんだよ。だから君に、アナバスの王子を連れて来て欲しいんだよねぇ 」

そう言ってスナイパーは、ジェイの手首のバングルを指差した。

「 アナバス兵とは違ってかなり細いけど、それってアナバス城に仕える奴らが嵌めてるバングルじゃない? 今から君を死なない程度に痛めつけてやるからさぁ、この星からなんとかアナバスに帰ってさぁ、王子様に伝えておくれよ。スナイパーが待ってるって。死体になっちゃったニアルアース・ナイトも預かってるよ〜ってね 」

    両手の短剣に付着した2人の血を舐め取りながら、スナイパーは楽しそうに目を細める。

「 あぁ … でも、息絶え絶えになった君が、そのバングルの通信でアナバスに伝えてくれた方が早いよねぇ?」


    ジェイを今にも甚振いたぶろうとしているスナイパーの仕草に気付かないのか、ジェイは更に疑問を投げかけた。

「 …… なんでアナバスの王子なんだ。最上悪魔になるための一番の近道は、最上悪魔の誰かを殺せば良いことだろう。こんなに人を殺した理由が、まさか王子を呼び寄せるためだけだったなんて …… 」

「 ん〜、分かってないなぁ。最上悪魔って強いんだよねぇ。だけどその最上悪魔も手を出そうとしないのがアナバスの王子なわけ。悪魔の間ではさぁ、アナバスの王子は有名なんだよ? …… てゆーかぁ、君、話が長いね〜。そろそろ、」

スナイパーは言いかけて、ふと気付いた。

    ジェイが小さく笑っていることに。

    ジェイはあざけるかのような微笑をたずさえ、顔を上げた。

「 なるほど …… 。つまりお前は最上悪魔には勝てないけど、 " 最上悪魔ですら手が出せないほど強い " っていう、根も葉もない噂だけが一人歩きしているアナバスの王子を殺れば、必然的に最上悪魔として認められるって思った訳だ 」

 「 な、なんだぁ? お前ぇぇぇ 」

ジェイが自分を全く恐れていないことに、スナイパーはこの時やっと気付いた。


    ジェイは人差し指を立てた右手を、ゆっくりと自分の口元に持っていき、ふーっと小さく短い息を吹き掛けた。

    刹那、パッとてのひらを真横へ開き、見えない何かを放つ。ほんの少し、辺りの空気が揺らいだような気がした。

「 な、何をした!?」

キョロキョロとスナイパーは辺りを見回したが、別段何が起きる訳でもなく、辺りはただ静まり返っているだけだ。


「 ジェイめ …… 、少し遊ぶつもりか 」

そう呟いたルトアミスに、下僕たちが目を向ける。

「 分からなかったか? あいつは結界を張った 」

( 双子のスナイパーどちらも逃がさないために )

    すると、下僕の1人がルトアミスのすぐそばの枝に降り立ち、片膝を着いた。

「 結界から出られません 」

    ジェイが結界を張ったことに逸早いちはやく気付いた下僕からの報告だった。

    ギョッと他の下僕たちは表情を変え、再び主に目を遣った。

「 ふ、だろうな。お前たちでは無理かもしれん 」

「 では、我らが能力ちからを合わせたとしても、ジェッド・ホルクスの結界からは抜けられないかもしれないと?」

「 …… 忘れたか? あいつは、俺の隠家アジトからいつも普通に出て行くだろう 」

それに、とルトアミスは付け加えた。

「 悪魔の侵入を決して許さないアナバス星の結界。あの強力な結界を幾重いくえにも張り巡らせているのは、ジェイだ 」

「 ま、さか …!」

下僕たちはその衝撃の事実におののいた。

    そして更に、そう言われれば、と下僕たちは今更ながらに気付く。

    隠家アジトの周りにはルトアミスの結界が張られている。ジェイを隠家に連れて行く時、ルトアミスは中に入る時だけは結界を解いているが、ジェイが帰って行く時には何もしていない。

    それはつまり、ジェイがルトアミスより強い能力を持っているか、同等の能力を持っているかのあかしでもある。

    基本的に結界から出るためには、結界を張った相手を殺すか、相手より強い能力を持っていなければならないからだ。


「 …… 随分と舐められたもんだな。 " これだから能力の弱い奴らは嫌いなんだ。状況の把握がまるで出来ていない " 」

    ジェイは先程のスナイパーの言葉をそのまま返し、意地の悪い笑みを浮かべた。


「 な、なんだとぉ!? だいたいお前、最上悪魔のオレ様が怖くないのかーっ!?」

    突然のジェイの豹変ぶりにスナイパーはかなり動揺を隠せないのか、1歩、2歩と後退あとずさった。

「 スナイパーお前、まさかその程度の能力で最上悪魔になれると、本気で思ってたのか? 兄の能力と合わせても、俺にすら勝てないのに?」

    ジェイの嘲笑ちょうしょうを含んだ物言いに、スナイパーはハッと身を硬直させた。


    何故、気付かなかったんだ。紺碧こんぺきの髪、深海のような勝色の瞳、中性的な美しい容姿。

「 ま、まさかっ! お、お前がジェッド・ホルクス ……!」

    途端に足が戦慄わななき、腰を抜かしたのか尻もちをついたスナイパーは、手にしていた短刀を落としたことにも気付かず、ジェイから目が離せなかった。その目には、恐怖の色がにじんでいる。

    その状態を見たジェイは、がっかりしたような溜め息を漏らした。

「 さっきまでの勢いはどーした。目的である俺がずっと目の前にいるのに、今頃気付くとかマジ有り得ないんだけど。俺の姿なんて、全星各地で放送されてるのに 」

    

┄┄┄┄ 刹那。


    ジェイの背後から紅蓮ぐれんの炎が現れ、またたく間にジェイの全身を包み込んだ。姿と気配を消しているスナイパー兄が放ったものだった。

「 や、やったぜ!」

    猛火に包まれたジェイを見て、スナイパーはなんとか立ち上がった。

    しかし。

    スナイパーの表情はまたすぐに恐怖に凍りつく。

    ジェイを包み込んだ炎は綺麗な螺旋状を描き、ジェイが空へと上げた右手を伝い、まるでジェイ自身が発した炎のように彼のてのひらでくるくると円を描いている。

「 炎って、こんなもんだっけ?」

口端に微笑を浮かべたジェイは、それをスナイパーに放つと同時に、ふわりと宙に浮いた。

    一瞬姿を消したジェイがすぐにその姿を現した時、ジェイの体勢はスナイパー兄の|みぞおちに深くひじを埋め込んだ状態だった。

「 ぐ … 、はぁっ!!!」

    勢いよく地面に叩きつけられた兄は、一瞬息が出来なかったのだろう。衝撃により固まったあと、痛みにのたうち回った。

    完全に姿も気配も消している兄にとって、まさか攻撃が来るなど全くの想定外だった。

「 く、クソ! 兄の炎は俺の炎と同じだ、通用するとでも思ったかぁ!」

    スナイパーの言葉に、

「 いいや? 全く思ってないけど 」

平然と答えて、ジェイは更に続けた。

「 がっかりだな … 。最上悪魔に一番近いって言われてるんだろ? そんなお前らが、俺がアナバスの王子だと知った瞬間から、俺に対する怯えた感情しか伝わって来ない。急に俺の正体を知ったからって、動揺して兄との連携も取れない。兄弟揃って俺に太刀打ち出来ないなんて … ほんと残念だよな 」


    ジェイの言葉に、スナイパーはふと、あることに気付いた。

    そして、高らかに笑い出す。


「 でも残念だったよなぁぁ、お前が来るのが遅いからよぅ、ニアルアース・ナイトが死んだ! アハハハァ、それだけでも俺の名は悪魔界にとどろくぜ!」

    すぅっとジェイは目を細めてスナイパーを見下ろした。

「 …… だから状況の把握が出来ていないと言ったんだ。イエローの血はもう止まってるし、パープルは治癒ちゆのために眠らせた。俺がコイツらに駆け寄って2人に触れた時点で、コイツらは俺の治癒能力に包み込まれたんだよ 」

    ジェイは冷ややかな目でスナイパーを見、再度口を開いた。

「 … まさか、パープルがお前らにやられて倒れたとでも思ってた? 俺の睡眠を伴わせた治療能力で眠りについたから、倒れたように見えただけなんだけど 」

「 な …… っ、えぇっ!? あの一瞬で、まさか!」

    スナイパーがガタガタと体を震わせ始めたのを見て、ジェイはあからさまに落胆の溜め息をこぼした。

「 少しは楽しめるかと思ったのに …… だいたいお前ら、俺の気さえ読み取れないだろ? そんなことにも気付かなかったのか? 」


    ジェイは静かに両掌をそれぞれのスナイパーに向けてかざした。瞬間、ゴオッと大きなうなりを上げ、鮮やかな猩々緋しょうじょうひと茜色の大炎が双子の悪魔を包み込んでいた。

「 ギ、ギィヤアァァァァッ ____________!」

のたうち回る2人の悪魔は、しかし、ジェイの炎から逃れることは出来なかった。次第に悪魔の体は黒く炭化して行き、終いにはボロボロと崩れ去っていった。


    ルトアミスの下僕たちは思わず息を飲んだ。

実際にジェイが悪魔を倒す場面に立ち合ったのは初めてだった。

    それはルトアミスも同じではあったが、こうなることは予想がついていた。

    スナイパーのカラクリを知らなければ倒せないと言ったのはニアルアース・ナイトに対してであり、ジェイが直接スナイパーと交戦するとなれば、そんな情報など全く必要がない。


    ルトアミスですらジェイの気を感じ取ることは出来ない。そしてまた、ジェイもルトアミスの気を感じ取れない。

    それは互いの能力が拮抗きっこうしている事に他ならない。

「 実際にあいつが能力を使うのを見たのは俺も初めてだが、…… やはり想像以上だな 」

「 ジェッド・ホルクスの持つ能力は噂だけは広まっていますが、実際に対峙したことがあるのは、最上悪魔ガルダだけと言われています … 」

「 ああ、そうだ。いつ、どういった状況でガルダがジェイと対峙したかは不明だが、ジェイと交戦して生きているのは、ガルダだけだからな 」


    ジェイはスナイパーが塵と化したことを確認してから、くるっと後ろを振り返り、姿を消して見物していたルトアミスの方向へと、あどけない笑顔を見せた。スナイパーを相手にしていた時からは全く想像の出来ない、柔らかな表情だ。

    走り寄ってくるジェイが見つけやすいように、ルトアミスは姿を現し、それにならうように下僕たちも姿を現した。

    木の枝に片膝を立て、幹に背中をもたれさせているルトアミスの元に、ジェイはふわりと飛び上がった。

    ルトアミスは辺りをチラ、と見渡し、

「 結界は解いたんだな 」

と口にした。

    ジェイはふふっと笑ってから、

「 アイツら弱過ぎ。何が " 最上悪魔に最も近い " だよ? 全然遊べないじゃん。連携攻撃を期待してたのに …… それに、途中で逃げられたら困るとも思って張ったのにさ 」

と、軽い不満をルトアミスにぶつける。

「 …… 姿を消していたのに、何故俺がここにいると分かった 」

「 お前の下僕が1人、結界を抜けようとしただろ? その気の方角からして、この大木が1番座り心地が良さそうだったから 」

    そう言ってジェイは一息着くと、思い出したかのように彼の前に両手首を差し出して見せた。

    くっきりと残っていたルトアミスの手形は綺麗に消えていた。

「 パープルに見られたから、慌てて消しちゃった …… 」

「 俺に束縛されていた証が、そんなに気に入ったのか?」

意地悪な口調で笑うルトアミスに、

「 な …… っ、」

ぶわっと一気に顔を紅く染めたジェイは、

「 んな訳ないだろ! た、ただちょっと … 惜しいかなって …… 」

と、最後の言葉が小声になる。

    この辺りから、2人の周りからは下僕たちの姿が消えて行った。恐らく少し離れた場所で控えてはいるのだろうが。


「 だが、流石だな 」

「 なにが? 」

ルトアミスは小さくフッと微笑して、ジェイの右頬みぎほほを包み込んだ。

「 … もし俺とお前が戦うことがあれば、俺はきっとお前に殺られるだろう 」

    するとジェイはルトアミスを見つめたまま少し時間を置いたあと、困ったような笑顔を見せた。

    自分の頬を包むルトアミスの手にジェイも手を重ね、そのままゆっくりとルトアミスの手を下ろす。

「 もしそんなことになったら …… 、俺はお前を殺せないよ。こんなに親しくしてるのに、人である俺には感情が入ってしまうし、とても無理だ。…… でも、お前は悪魔だから。どこまで行っても、俺は悪魔おまえにとっての餌にしか過ぎない。その事実はこれからもずっと変わらない 」


    ルトアミスはそう答えるジェイからそっと目を逸らし、話題を変えた。

「 利き手は右だったな 」

「 ? うん 」

ルトアミスはジェイの右手を取り、その掌に軽く口付けを落とした。

「 ル、ルトアミス … !?」

驚いたジェイの声が響き渡るが、今までのジェイなら、すぐにその手を引っ込めていたはずだ。

    しかし今のジェイは硬直したまま、ただただルトアミスから目が離せなかった。そしてジェイ自身、自分のその変化には気付いてはいなかった。

    次にルトアミスは、ジェイの左手を取った。そして手首の内側をゆっくりと数回舐めたあと、口付けて皮膚を吸い、ジェイに見せた。

「 え、赤く、なってる …… 」

呟いたジェイに、ルトアミスは優しい眼差しを遣った。

「 お前なら数日も経たずに消えるだろう。…… 本当は首に付けたかった。だが、この跡には意味があるからな、お前以外の奴が見たらお前に迷惑がかかる。だから、見える所には付けられない。腰や内腿に口付けたかったが …… お前から許可は貰えないだろう? 」

    そう苦笑したルトアミスの言葉の意味を、ジェイは少しの間考えていたが、ハッと一部は理解したのか、腰を下ろしていた木の枝を後ろ手にぎゅっと掴んだ。

「 あ、当たり前だろっ!? 首はともかく、腰とか、うち、内腿って …… !」

( それって、脱がなきゃなんねーだろっ!?)


    ジェイはくらくらと目眩めまいがするような感覚に陥っていた。なんだか今日は一日、ルトアミスのペースに乗せられていたような気がする。

    思考がふわふわとして、いまいち自分の脳内がどうなっているのか分からない。

「 … 俺、か、帰るよ、ルト。イエローとパープル、もうだいぶ楽になってるとは思うけど、ベッドで休ませてやらないと 」

「 そうだな 」

    しかし、帰ると言ったものの、ジェイは今度は木の枝に正座してぎゅっと拳を握り締めている。

「 どうした 」

ルトアミスに声を掛けられて、ジェイは緊張した面持ちで顔を上げた。

    真っ直ぐにルトアミスの目を見る。

「 き、今日のさよならの挨拶、俺がやってやるよ 」

    その言葉に少し驚いたのか、一瞬目を見開いたルトアミスは、小さく吹き出し肩を揺らした。

「 なっ、何が可笑しいんだよ!」

「 いや、すまない。してくれるのか 」

笑いながらもジェイに目を遣ると、ジェイは恐る恐るルトアミスに近付いてきた。

    彼の元で、膝で立ち上がりそっと両肩に手を置く。緊張しているのだろう、ジェイの手は少し震えていた。

「 舌を入れるヤツは、その … ちょっと、まだ俺からは無理だから、」

と、しどろもどろに言うジェイに、

「 なんでも構わない。お前からしてくれるなど、初めてだからな 」

ルトアミスはジェイをあやす様に背中をさすった。

    ジェイは軽くルトアミスに口付けて瞳を閉じ、そして、ゆっくりと彼から離れた。

「 で、出来た!どうだった? 合格?」

「 ああ、よく出来たな 」

ルトアミスの言葉に満足したのか、とても嬉しそうな笑顔を向けたジェイは、そのまま木から飛び降りてニアルアース・ナイトの元に駆け寄り、片膝をつき2人の体それぞれに手を置いた。

    そしてルトアミスの方を振り返ることなく、そのまま姿を消した。

    ニアルアース・ナイトを連れて、アナバスへテレポートしたのである。



    ニアルアース・ナイトが目を覚ましたと報告を受けたのは、翌日の昼過ぎだった。

    ジェイが既に治癒能力を使っていたため、アナバスの治療部署では何もすることは無かったが、ちょうど空きベッドがかなりあったため、ジェイは2人を診療室で寝かせて貰っていた。


    この部署はアナバスの大都市にある病院と同じ程の敷地面積と最新設備が整っており、負傷した兵士や病に掛かった者、具合が悪くなった者、出産を控えた者、そして戦闘に於いてメンタルを病んでしまった者などのための、あらゆる部門が揃っている。

    城内に仕える多くの者が見舞いに来れるよう、談話室はかなり広い。

    また、長期に渡って治療部署にいなければならない者が治療に専念出来るよう、病室は個室か2人部屋しか設けられていない。そして談話室に出歩けない状態の者への見舞いも考慮し、病床面積もかなり広々としている。

    数としては、個室は2千床、2人部屋が1500ある為、3千床、合計5千人の受け入れが可能だ。

    今は約200人ほどが入署しているという。城内での入署は、城外の入院と同じ意味である。


    ジェイが治療部署に入ると、談話室に居た全ての者が立ち上がった。

「 あ、馬鹿馬鹿、患者は座ってろって。てゆーか、みんな座ってていいし! 」

    ジェイが苦笑して両手で座るよう促す動作をすると、数十人が躊躇ためらいがちに腰を下ろした。

「 王子、今日はニアルアース・ナイトさんのお見舞いですか?」

「 うん、目を覚ましたって 」

「 良かった!」

「 パープル・ナイトさんが、兵士によるスナイパーの調査を一斉に打ち切ったことで、被害はありませんでしたしね!」

「 亡くなられたロメリオ星の方々には申し訳ないですけど …… 」

    その場にいる多くの者が口々にそう言った。

    ジェイは少しばかり落胆して、

「 うん …… 、今回の件については、俺に非がある部分も多くて 」

    ハァ … 、と小さく溜め息をつく。

「 俺がちゃんとしてたら、こんなに被害は出なかったんだよな ……… 」


    すると、入署している同僚の見舞いに来ていた1人が、

「 あ、イエロー・ナイトさん、パープル・ナイトさん!」

と声を上げた。

    と同時に、ジェイはビクッと肩を震わせた。


    背後から、

「 へー、少しは自覚してんのかよジェイ!」

イエロー・ナイトの若干冷めたような口調の言葉が、ジェイに突き刺さる。

「 まぁまぁイエロー、そのくらいで …… 」

宥(なだ)めるパープル・ナイトを振り切って、イエロー・ナイトはジェイの肩に手を置いた。

    引きった笑顔で振り返るジェイの頬に、イエロー・ナイトの人差し指がぷにっと突き刺さる。

「 しょーしょーに(早々に)ふぇんき(元気)になって良ひゃったにゃ〜 」

ひくつく笑顔でそう言ったジェイを、

「 ……… まァ、ちょっとそこに座れよジェイ 」

と、イエロー・ナイトは談話室の空きソファーにうながした。

    ジェイはあからさまにしょんぼりとして、言われるがままにソファーに腰掛けた。

「 お前が " か弱い王子 " を演じてるから、俺らはスナイパーの被害をお前に報告してなかった。…… ま、これは本来俺たちの仕事だから当然っちゃあ当然なんだけどよ 」

ジェイは静かに聞いている。

「 けどな、ふらふら暇を持て余してんなら、ちょっとくらい手伝えよ! 俺たちはな、お前が嫌がる縁談から何からほとんど面倒見てやってんだからよ! これに関しては、俺たちの仕事じゃねぇからな!?」

「 …… 確かに常日頃から、各星の王女からの縁談話やパーティの誘いを上手く遠ざけて守っているのは俺たちだしね …… 」

追い討ちをかけるようなパープル・ナイトの言葉に、

「 パープルまでそんなこと言う〜 」

ジェイは両手を目尻に持って行き、泣き真似をして見せる。


    パープル・ナイトはハッとジェイの手首に目を遣った。

( 痣が消えてる … 。手形みたいな、1日やそこらでは消えないような痣が …… )

    あれはなんだったんだろう、とパープル・ナイトは思った。自分たちを助けに来る前に、どこかへ行っていたことは間違いない。

    イエロー・ナイトからスナイパーと対峙したと連絡が入ったあと、自分も早急にロメリオ星へ行く旨をジェイに伝えようとしたのだ。

    だが、兵士たちからはどこかへ出掛けたようだと聞かされ、バングルを使うと通信エラーと表示されたのだ。

    だが、それを問いただしたとしても、ジェイはまた誤魔化すのだろうと予想はついていた。

    恐らくジェイは、自分が手首の痣に気付いたことを察してあのあとすぐに消したのだろう …… 。

    

    パープル・ナイトがジェイについていた痣の事を考えていると、 

バァンッ!

と派手な音を立ててジェイが立ち上がったところだった。その派手な音は、ジェイが両手でテーブルを叩きつけた音のようだ。

    その場に居合わせた大勢が、大きな音にビクッと肩を震わせた。


「 俺だって、王子なんだからなっ!? ちょっとくらい、他星の王族みたいに守られてみたいって思って、何が悪いんだよっ!」

「 イヤイヤお前に護衛なんて要らねーだろ? それにしょっちゅう1人で城の外に出てるくせに、何言ってんだ!」

「 それとこれとは関係ないだろ!それに救済メール見て悪魔倒しに行ったり、調査に行ったりしてんだから!」

「 それは分かってるけどよ、だからこそ悪魔倒しに行くお前を何で守らなきゃなんねーんだ!? それにこっちは別の仕事が増えんだよ! 王がお前を探してても俺たちじゃお前の気を探れねぇし、バングルで呼び出したって、たまにしか出ないだろうがっ。呼んだらちゃんと応答しろよな! 」

「 だから俺はバングルなんて嫌いなんだよ! たまには役に立つのかもしれねーけど、大抵はお前らからの呼び出しじゃねぇかっ。それに俺が装飾品を身に付けるのが大嫌いなのは、お前だって知ってるだろーがよ! 戦闘の邪魔になるし、身体に服以外の異物感があるのは耐えられないんだって!」

「 …… 俺らの着けるバングルは装飾品じゃねぇだろ!? しかもそれ、お前が嫌だとごねるがら、最っ低限にまで細く作って貰った特別仕様なのによ〜 … 」


    2人の口喧嘩に、談話室にいた者たちが苦笑を浮かべて見守っている。

    ジェイとニアルアース・ナイトのこの関係は城内の全員が把握していることであり、ジェイがニアルアース・ナイトのどちらかからよく怒られている光景は、結構な確率で見ることが出来る。


    イエロー・ナイトは、何度も交わしたバングルの言い合いについて疲れたのか、いには口を閉ざしてしまった。


    ジェイが能力を持っており、ニアルアース・ナイトよりも強いことは、アナバス星では知れ渡っている。

    だからこそジェイの周りには兵士たちが常に寄って来て、稀にニアルアース・ナイトと共に訓練指導にあたるため、兵士たちとジェイは他の部署の者たちより仲が良く交流があるのだ。


    そして、それは悪魔たちの間でも広く知れ渡っている事実だ。

    アナバスの王子ジェッド・ホルクスを殺すか、深いダメージを与えるか、または上手く知恵を巡らせその美しい身体を手に入れるか。

    これらのどれかを成し遂げられることが出来たなら、その悪魔の地位は、少なくとも悪魔界の中で一気に上昇することは間違いない。

    そのさいたる例が、今回のスナイパーだった。

    ニアルアース・ナイトが負傷したのは、スナイパーが2人居ることを知らなかったことと、スナイパー自身が絶好調だった、の一言に尽きる。

    そしてジェイがいとも容易にスナイパーを倒せたのは、自分たちが倒そうとしていたジェイが、近距離で既に目の前に居たことによる衝撃と、それによる大きな動揺により、互いの連携攻撃が出来なくなってしまったことだ。

    圧倒的にジェイの雰囲気に飲まれてしまったことが、あっさりと倒されてしまった敗因だった。


「 パープル〜 」

    すがるような瞳でパープル・ナイトに助けを求めるが、それがまたイエロー・ナイトを刺激する。

「 だいったい、なぁにが 『 か弱い王子になってみたい 』だっ! 『 今日から俺は能力を持ってない弱い王子だから、ちゃんと守ってな 』だぁ!? こっちはお前の一言一句、ちゃあんと覚えてんだぜ!ったくよぉ!!!」

    スタスタと足早に治療部署から出て行くイエロー・ナイトに、パープル・ナイトも苦笑して続いた。

「 まぁ …… 、ジェイがそう言い出して2週間ちょっと、結構大変だったかな 」

    えっ!? とジェイが固まる。

「 守って欲しさで、悪魔からの救済メールが来るたびに俺やイエローに付いてきたからね 」

「 そ、それは謝るけど …… 」

    再びしょんぼりと俯くジェイを後ろ目に、

「 でも、今回は本当にありがとう。ニアルアース・ナイトとしての今回の為体ていたらくには、俺たちもかなり反省してるんだよ … 」

    修行が足りない、そう言い残して去って行く2人に、

「 待ってくれよーっ! " か弱い王子 " は今日で終わりにするからさ〜!」

    そう言いながらパタパタと彼らを追いかけるジェイを見て、いつの間にか出来ていた周囲の人だかりからは、小さな笑い声が響いた。



                             ┄┄┄┄ 完 ┄┄┄┄



    最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。予定していたより、ジェイとルトアミスの絡みが多くなってしまいました ^^;

    次巻【3】は、今のところ前編と後編になる予定で、ジェイが悪魔界に行く話になります。なので、ずっとルトアミスが出てきます。


現在執筆中です。

次巻も是非よろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アナバスと神々の領域【2】 舞桜 @MA-I

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ