第17話 デートの心構え

「ここが爽太の部屋なんだ」

「お、おう」


 高木の抑揚のない平坦な声に、爽太は冷静を装いながら返事をした。


 6畳程の部屋。正方形の間取りには、右手側にベッド、左手側に勉強机が配置されている。正面にある窓からは、陽射しが射しこみ、床に置きっぱなしの漫画や携帯ゲーム機、ゲームソフトなどが明るく照らされ、無数の小さな光を反射していた。

 

 高木は開けたドア付近で、部屋の様子を眺める。爽太は気持ちがそわそわして落ち着かない。なにせ女子に自分の部屋なんて見せた事なんて無いのだから。

すると高木の視線が床に止まる。いたるところに散らかった遊び道具。


「ちょ、ちょっと待ってて」


 爽太は少し遠慮気味に言うと、先に自分の部屋に入っていった。足元に散らばっている物を全部拾い集め、とりあえず勉強机に積む。すっきりとした歩きやすい環境が一応整った。

 

「爽太、机を持ってきたわよ」


 部屋のドア付近に、爽太の母である絹江がやって来た。右手には折り畳み式の丸机がある。もう片方の手には大きめのお盆を手にしていた。

 すると高木が、絹江に明るい表情で話かける。


「机ありがとうございます」

「あら高木さん、良いのよそんな、爽太に運ばせるから」

「いえ大丈夫ですよ。これくらい軽いですから」

「あら、そう? 悪いわねぇ」


 絹江が少し申し訳なく言うと、高木がニコッと、両頬に小さなえくぼを作りながら愛らしい笑みを見せる。その表情に、絹江の頬が緩るんだ。

爽太は思わず唖然とする。


 あいつ、あんな表情できんの?


 学校でしゃべる時はあんな顔一度も見た事が無い。いつもちょっと鼻につく、お高い奴なのに(男子の間では)。あと、力が強いゴリラみたいな女子。

机を軽々と部屋の中央まで運び、テキパキと組み立てる高木をじっと見つめていると、視線が合った。

 高木がすごく目を細めて笑う。


 爽太の背筋に悪寒が走る。なにやら心の声を見透かされているような感じがして緊張してしまう。


「爽太、あんたはこれ持っていきな」


 絹江の声にハッとする。顔をそちらにむけると、絹江がお盆を少し持ち上げた。


「あっ! お、おう」


 爽太は絹江の方へ駆け寄り、大きめのお盆を手にした。その上にはお菓子が入った大きめのカゴと、ジュースが入ったコップが2つ用意されている。


「それじゃあ、私はこのへんで」


 そう言って絹江は爽太に背を向ける際、ニヤッとした笑みを浮かべた。だが、爽太が睨み返すと、少しバツが悪そうに目配せして去っていく。

 

 爽太が高木を家に連れてきた際、絹江は何事かと色めき立っていた。だが「アリスのことでちょっと相談があんだよ」と言うと、絹江は爽太達から目をそらし「そ、そうかい」と小声で呟くだけだった。自分に間違った英語を教え込み、言わせた負い目があるからなのだろう。 

 母ちゃんには色々言いたい事があるけど、今はまあいい。


 爽太はお盆を手に、部屋の中央に設置された丸机に向かう。対面に座っている高木を視界にとらえつつ、机の上にお菓子とジュースを載せた。


「ありがと」

「おっ、おう」


 高木からあまり言われた事のないお礼にちょっと戸惑いつつ、爽太は座った。

丸机を間に挟み、高木の様子をうかがう。

「ふ~ん」と小声で頷きながら部屋の様子をじっくりと眺めている。

 俺の部屋、ふ、普通だよな。おかしな所があるとすれば、勉強机くらいか。

 爽太はチラッと自分の後ろに視線を向ける。

 机の上には山積みになっている漫画やゲームのソフト。ちょっとした備え付けの本棚には、ゲームの攻略本や、ポケモ〇のカード、フィギュアが飾ってある。勉強机の意味を全くなしていない、残念なレイアウトだった。


「男の子の部屋って感じだね」

「へっ!?」


 爽太が慌てて振り向くと、高木は少し興味深げな顔をしていた。


「爽太の部屋っぽい」

「お、おう。なんか、おかしいか?」

「ううん、別に」


 高木はそう言って、面白そうに口元を緩める。

 柔らかな笑みに、爽太の喉が鳴る。高木の女の子らしい様子に、改めて『自分の部屋に女子がいる』という状況を強く意識してしまう。もしクラスメイトの男友達が知ったら大騒ぎになる案件である。


「じゃあ、始めよっか」

「へっ!? 始める!? あっ――」


 高木の『始める』の意味が一瞬解らず、思わず聞き返してしまった。だが、爽太はすぐに気づく。そうだ、高木がここにいるのは、アリスとのデートについて話し合うためだった。


「どうしたの?」

「あっ、いや!? アリスとの、で、デートについて話さないとな!」


 爽太が力強く言うと、高木が「そうそう」と小声で頷きながら、自分のランドセルを開く。そこからノートと筆記用具を取り出した。丸机に置いて準備を始める。

 爽太は気持ちを落ちつかせるため、ジュースを手に取り一口飲んだ。ひんやりと冷たい、甘いオレンジ味の液体が喉を通り抜ける。ふわっと口に広がる甘酸っぱい柑橘の後味が心地よくて、気持ちがやわらいだ気がした。

 爽太が心の準備を整えると、高木も丁度準備をおえたらしい。何も書かれていない真っ白なノートのページを開き、右手にはシャーペンが握られていた。そのシャーペンには何やらきれいで華やかな絵柄がついていた。良く見てみると魚の絵。カラフルな熱帯魚や海水魚みたいだ。

 高木、そういうの好きなのか? ちょっと意外だな。


「どうしたの?」

「あっ、いやなんでもない。さっそくはじめよう」

「んん? まあ、いいけど。でもその前に確認なんだけど、このデートでやるべきことは分かっているわよね?」


 高木が手にしているシャーペンの柄を爽太にビシッと向ける。爽太は顔を強ばらせながらも口を開いた。


「そ、そのアリスに、もう一度、こ、告白する、だよな」


 高木は少し意地悪な笑みを浮かべながら頷いた。


「うん。それでさ、もしもよ? アリスちゃんがまたOKしてくれたなら、あんたは彼氏として胸を張って付き合えばいいと思う」

「かっ!? 彼氏……!」


 爽太の顔が赤くなる。口にするとより恥ずかしさが込み上げた。アリスの可愛らしい顔が、爽太の頭の中で可憐な花のように次々咲いていく。


「でもフラれると思うけど」

「ひっ!? って、おいっ!!」


 だが高木によって、一気に現実に引き戻された。爽太は顔を赤くして、思わず抗議じみた声をはると、高木がやれやれといった様子で口を開く。


「だってさ、考えてもみなよ」

「な、何をだよ?」


 爽太が不満げな顔をしていると、高木はニヤリと口をゆがめる。


「スカートめくりしてきた男子をさ、普通、彼氏にしたいと思う?」


 高木のその言葉に、爽太は心音が跳ね上がるのを感じた。額から嫌な汗が滲んでくる。た、確かに……、言われてみれば。

 高木はなおも、辛辣な言葉を告げてくる。

 

「もし私がアリスちゃんの立場だったらさ~、絶・対・に、彼氏にしたくないもん。パンツを無理やり覗く、変態なんてさ~」


「へ、変態!? ぐおっ……!?」


 鋭い爪で心を引っ掻かれたような痛みに悶えてしまう。だが爽太の脳裏にふと、アリスが顔を真っ赤にし頷いてくれたあの光景が浮かぶ。


「いや、でもアリスはさ、い、一応、俺の告白……、頷いてくれたわけで……」

「どんな風に頷いてたんだっけ?」

「えっ? そ、それは、顔を真っ赤にして必死になって頷くだけで……」

「スカートめくりしたこと許してあげたとたん、いきなり告白してくる爽太が恐かったんでしょうね~、とりあえず必死に頷いてその場を乗り切ろう、ってとこじゃない?」


「ぐはっ……!?」


 高木にそう言われると、思い当たる節が多々ある。俺が家の玄関前で告白したら、顔を赤くし慌てて逃げた事。おどおどした様子で、英語でなにやら訴えていた事。そして、何度も告白しまくる俺の口を慌てて止めた事……。

 爽太の口から生気が抜けていく。

 すると、高木が平坦な声で話しかけてきた。


「ちゃんと告白してフラれなさいよ」

「追い打ち!? 鬼かお前は!? うぅ、やっぱ俺フラれるのか~……」


 爽太はそう呟きハッとする。俺は何フラれる事を嫌がってんだよ。そもそも、間違って言ったこと何だから、フラれても傷つかなくていいわけで。いやでも、アリスの彼氏になれるのならなってみたい気持ちもあるわけで……。でもその可能性はほぼゼロに近いわけで……。

 爽太が頭を悩ませていると、高木が声をかけてきた。


「まあ、アリスちゃんにフラれてもさ、そこからまた新しく始めたらいいじゃない」

「へっ……? 何を?」


 爽太が少し力なく聞くと、高木は少し優しく笑いながら答えた。


「友達としての関係。始めはそのつもりだったんでしょ?」

「お、おう……。いやでもさ」

「なに?」

「そのフラれた後に『友達になって』、って言ってもさ、なんというか、友達になれたとしても、少しぎくしゃくするというか……」

「そこは仕方がないでしょ。爽太が間違って『彼女になって』って言ったんだから」

「うぅ……、そ、それは、そうだけど」


 爽太は頭の中でアリスとのデートを想像する。

 デートして、告白して、それでフラれて……、そこから改めて『友達になってほしい』って言って、それでもしOKをもらえたら……、友達としての関係を始める、か。

 ふと、そんな遠回りする必要があるのだろうかと、脳裏によぎる。

 アリスをどこかに呼び出して、『彼女になってください』って言ったのは間違いで、『友達になってください』と言おうとした、と素直に告白して、改めて友達になれば良いんじゃないだろうか。

 それなら無理にデートする必要なんてない。


「爽太」


 高木の威圧的な声に、爽太はハッとする。高木がじろりとねめつける。


「あんたさ、デートしないで告白すれば良い、とか思ってない?」

「へ!? い、いや、そ、そんなこと考えてないって」

「ふ~ん……、そう。それなら別に良いんだけど。でもね、もしそんなこと考えてるなら、やめてあげて、アリスちゃんが可哀想だよ」


 高木の言葉に爽太の胸が締め付けられる。『可哀想』というのがどうしても気になった。


「えっ、えっとさ、そのどうして可哀想なんだ? あの、あくまで参考に聞きたいというか」


 高木が、仕方がないわね、っといった様子で口を開く。


「爽太がさ、もしもよ。アリスちゃんから『彼氏になってください』って言われたとするじゃない?」

「へ!? ア、アリスから!?」

 

 爽太の気持ちが躍る。クラスで一番、いや学校内で一番と言ってもおかしくない、可愛いアリスからそんなこと言われたら嬉し過ぎる。

 爽太の口元がついにやけた。


「キモいんだけど」

「はっ!? い、いやこれは!? えっと、すみません……」


 高木は少し飽きれつつも話しを続ける。


「それでね、爽太がOKって返事したとする。でも数日後に、アリスちゃんからそれは間違いだった、ほんとは『友達になってください』って言おうと思ってたの、って言われたら、爽太はどう思う?」


 高木にじっと見つめられ、爽太を少したじろぐ。だが、ゆっくりと、今思った自分の気持ちをぽつぽつと語り出した。


「えっと……、そりゃあ、ものすごくショックだよ。なんで間違えて『彼氏になってください』って言ったんだろう、って考えるし……、そもそも間違わないだろうって疑うかも。それで……、俺のこと……、からかったのかって思う気がする。だから『友達になってください』って言われても、すごくもやもやするし、友達になりたいとは思わな――、あっ」


 そこまで言って、爽太が口ごもると、高木がその後を引き継いだ。


「うん、きっとアリスちゃんも爽太と似たようなこと考えると思うんだよね。急に呼び出されてさ、『彼女になってください』って言ったのは間違いで、ほんとは『友達になってください』、って言おうとした、だから友達になって、って言われても、アリスちゃんは困るだけだよ。素直にさ、友達になろうなんて思いもしないよ」

「お、おう……」

「そんな事するくらいなら、あんたは、アリスちゃんとデートして、楽しませてあげなさい。それでね、デートの終わりらへんで、もう一度アリスちゃんに告白するの。ちょっとそのときは言い方を変えて、『ぼくの彼女として、これからも付き合ってくれますか』ってな感じでさ」

「うん……」


 爽太は高木の話に小さく頷き、そのまま話に耳を傾ける。


「それでね、アリスちゃんにもう一度、落ち着いて答えられる機会を作ってあげて。だってさ、アリスちゃんは、あんたから急に『彼女になってください』って言われて、慌てて返事しちゃったんだから。もしアリスちゃんが、その場しのぎでOKって言ってしまっていたのなら、すごく罪悪感を感じているはずよ」

「そうだな……」

「それで、アリスちゃんにフラれたら、フラれたでいいの。アリスちゃんの罪悪感は救われるし、あんたの間違いも解決する。間違いから始まった関係をさ、終わりにして初めて、あんたはアリスちゃんに『友達になってください』って言える。そういう『順序』と『タイミング』が大切なのよ。体育館裏でも言ったでしょ? まったく」


 爽太は少し困ったように頬をかく。高木は、そんな爽太を見つめながら、少しゆっくりと、でも力強く言葉を告げた。


「だから、アリスちゃんと『デート』をしなさい。ちゃんと『告白しなさい』。それでね、もう一度、ちゃんと返事を受け取ってあげて」


 高木の言葉をしっかりと胸に受け止める。


「うん、分かった。その……、ありがとな、色々と」


 爽太はそう言って、高木に優しく笑いかけた。

 高木は少し気恥ずしげに鼻を鳴らす。


「ふん、わかったならいいのよ。さて、じゃあ始めるわよ、アリスちゃんとのデートプランについて」


 高木は意地悪く、でも楽しそうに笑って、シャーペンを爽太に突きつけた。

 爽太も、明るい表情で口を開く。


「おう、始めよう、アリスとのデートプラン!」


と、元気よく声を上げた。

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