第6話 5通目の手紙
サミュエルは目を開けた。久しぶりに自室の天井を見ている気がする。
夏の朝は早く、まだ五時前なのに部屋の全貌が見える。
カタン。とポストに何かが入る音がした。新聞配達にしては早すぎる。そういえば、新聞を定期購読するようになったのは半年ほど前だったはずだ。新聞の街頭販売員のいざこざが増え、新聞を売っているよりも販売員同士で喧嘩しているほうが増え、更には子供がそれに巻き込まれて亡くなったからだったはずだ。それ以来毎朝七時前には届く。
あの音は、新聞にはかなり早い。
サミュエルがポストの音を聞いて数秒でベッドを飛び出し、裸足のまま外のポストへと向かった。
外は明るくなってきているとはいえ、夏の霧で白く、人通りもまばらだった。スイート・フィグの女の姿はなかった。
ポストを開けて手紙を取り出す。
ジェームズが起きてきて、ガウンの紐を縛りながら、
「あの手紙ですか?」と聞いた。
サミュエルは頷き、書斎に入ろうとして立ち止まり、
「ロバートは、元気だろうか?」
と奇妙な質問をした。ジェームズは少し考え、
「サミュエル様に危害はないようにございます」
と言った。
簡素な会話だがサミュエルは口の端を上げて書斎に入る。
数分後、身なりを正しくしたジェームズがサミュエルの部屋履きと着替えを持って、その後でお茶を入れたワゴンを持ってやってきた。
―有能な執事だ―
サミュエルは手紙を両手の人差し指で対角線で挟むと、くるくると回した。かすかにスイート・フィグの匂いが漂う。
ロバートが起きてきてから中を開けたほうがよさそうだとは思ったが、好奇心には勝てず、手紙を開封した。
【今は まだ 長くは 居られない】
今日はいつも以上に文字が乱れている。もし、これを最初に受け取っていたならば、ロバートではないがいたずらだと思うだろう。
便せんいっぱいを使って、乱雑に、行など無視して書かれている。ある文字などは引っ張られたのか、やたらと長く伸びているものもあるし、書き出しが強すぎて穴が開いていたりする。
紙自体も、一度はくしゃくしゃにしたものを広げて、やっと封筒に入れたような、今回はかなり争った
サミュエルは五つの手紙を並べる。
「オリバー・ジャクソンは他殺なのだろう。
我々から守るのか? それとも、誰かを守るために我々が行動するのだろうか?
今はまだ、ということは、いずれは長く居られるのだろうが、それは誰が? どこに長く居られるというのか? 長居できないのは、一所に留まれないから。
留まれない理由……そこが安らぎではないから。安らぎでない理由。仮住まいか、……いや、違うな。……安住できない、座って手紙すら書けない場所……逃げているのか? 誰から? どうして? 殺人犯か? オリバーを殺した犯人なら、手紙に書いている他殺だということも解る。
だが、犯行を自供して戦う相手が、間違っている。警察や新聞社ならいざ知らず。ましてや、僕がオリバーの知り合いというわけでもない以上、僕に手紙を届ける理由にはならない。
なぜ僕に手紙を届けるのか? 手紙の主はいったい誰なのか? どうして今は長居出来ないのか? なぜオリバーが他殺だと知っているのか? 本当にオリバーは他殺なのか?」
サミュエルは頭を押さえた。
ロバートが起きてきたので、手紙を見せた。ロバートも眉間にしわを寄せてしまった。
昼前、ホッパー警部がやってきた。昼休みをマルガリタの食事でもありつけれたら。と思ってやってきたのは明らかだったが、一応、
「いやぁ、悪いですなぁ。ですが、マリガリタの食事は界隈のどの店よりも絶品ですよ」と褒めた。
「ライトが来て、何でもオリバー・ジャクソンの一件が知りたいとかで?」
そう言って部屋に入ってきて二人に挨拶をしたホッパー警部が、ロバートを見て少し考え弾かれたようにサミュエルのほうを向いた。
「なんだって、あの若い俳優の死因なんかが知りたいんですかね? 未解決の事件ならいくつもありますよ。そりゃね、ガルシア卿には協力していただいたし、変わった、奇妙な事件をね。だから、こうやってやってきましたけどね、今抱えている未解決事件に比べたら、オリバー・ジャクソンの自殺は明白ですよ。
例えば、「資産家の男の殺人事件」なんてのはどうです? 田舎に引っ込んだ資産家の男がベッドルームの床の上で死んでいたんです。館には若い妻と、寝室は別ですがね。あと使用人が三人がいましたが、奥さんが11時に旦那の部屋を出るまでは生きていたと、確かに、使用人たちもその時間旦那の声を聴いていますが、その後はみな眠ってしまって旦那が死んだことにも気づかなかった。
だが、旦那は胸を掻き毟って苦しんで死んでいた。手には紙を握りしめて。その紙には、「復讐は完ぺきだ」という文字が記されていた。
どうです? こういう事件は?」
「たぶん、いや、きっと心臓発作だろうね。握っていたのは、新しく出たホグッツァーの書いた「あの夜」の広告の見出しだろうね。面白くないよ」
サミュエルはさらりと吐き捨てた。
「では、【貞淑な妻が失踪した事件】は?」
「貞淑というものがどれほどのものかだよ。自由にできる金が手に入るまで演技をするなんてことは、狡猾な女ならできる技だと思うがね」
ホッパー警部は少し唸り、
「では、とある侯爵家の猫が失踪しましてね。ええ、猫ですよ。ですが、【高価な首輪をつけた猫の失踪事件】は、難航してましてね」
「高価な首輪?」とロバート
「ええ、大粒のルビーをぶら下げた猫でね、猫を探しているのかルビーを探しているのかっていう状態ですよ」
ホッパー警部が情けなさそうにため息をつくので、サミュエルは鼻で笑い、
「納屋を捜索してごらんなさいな、いくら飼い猫とはいえ、発情期を過ぎれば子猫を生むでしょうよ。赤いルビーなんぞをぶら下げているのだから、雌なのだろう。納屋でひっそりと産んでいるかもしれませんよ」
ホッパー警部は、電話を借ります。と言って電話をかけ、納屋を捜索するよう指示した。数分後、現場の警官から納屋で猫三匹を産んだところを発見したと報告が入った。
ホッパーは感謝し、
「ルビーも、ちゃんとついていたそうですよ。これに懲りて、猫に宝石は身に付けさせないそうですよ」
と笑いながら椅子に座った。
ホッパー警部は、仕方なさげに手帳をポケットから取り出し、
「一応、自殺と断定したんですよ」
「でも、あなただって納得いっていないんでしょう?」
とサミュエルに言われ、
「正直なところはね」と首をすくめた。
「オリバー・ジャクソンについてライトからあらかた聞いていると思うので、重複しますが、」
と前置きをしてから、
「若い俳優はマッキャロン婦人というパトロンが用意したマンションに住んでいました。マッキャロン婦人は木曜日にいつも部屋を訪ね逢瀬を楽しんでいたそうです。他の曜日は、他の若い男の所へ行くのだそうですよ。
もし、オリバーが若い女を好きになったら? と聞いたら、その時は捨てて追い出すだけだと言ってました。だが、マッキャロン婦人いわく、オリバーは演技はへたくそだが、芝居をすることが好きで、女への興味は少なかった。と言ってました。一応、そういう行為はするけれど、他の若い男とは違い、女ならば誰でもというガッツいたところはなかったということのようですなぁ。
公演中だった「なぜ死なせてくれないの?」という芝居の台本に【美しく死にたい】というセリフがあり、それを何重にも囲み、【美しく死にたいという欲求が強くある】と書き込まれていました」
「それが遺書?」
「まぁ、一応」
「くだらない理由だ」
サミュエルの言葉にホッパーは嫌そうに顔をゆがめる。
「窓はすべて施錠していました。いや、開いていたとしても六階ですから、外から入り込むのは不可能ですよ。玄関ももちろんカギはかかってました」
「鍵は3本という話だったよね?」
「ええ、」
「通いの掃除婦なんかは雇っていなかったのだろうか?」
「雇っていましたが、マンションの管理会社からの依頼で、そこがオリバーの部屋だとは知らされずに、毎週金曜日掃除に来ていたそうです。鍵は、管理会社の社員が開け、掃除が済むまでその部屋で待機し、二人で出て行く。という徹底ぶりだったそうです。まぁ、そういう事をするのでセレブの愛人たちが多く住んでいるんですがね」
「事件が発覚したのは、水漏れが原因だったんだよね?」
「そうです。下の部屋に水漏れしたんで、管理会社と、彼のマネージャーとで鍵を開けて入ったそうです」
「マネージャー?」
「ええ、この男が何とも胡散臭い。ああいうものですかね? 役者のマネージャーというのは。全く信用に値しないようなそんな軽薄さを感じますがね、だが、彼だって、オリバーが生きているのと死んでしまったのでは入る金が違うことはすぐわかる。いくら芝居が下手だとしても、オリバーはこのところ順調にファンを獲得してきていたし、それが励みになってきていたのか、少しはましな演技というものをするようになったのだと、舞台監督は言っていましたね。
そういうわけで、マネージャーだって死んじまうよりは生かしていたほうがまだ金が入ると解ってますよ。ただ、死んでほしい理由があれば別ですが、これと言って見当たらずで。
共演者や、役者仲間も、多少馬が合わないモノが居るくらいで、殺してしまおうと考える奴はいない。
もっとも、彼の部屋に入れたのはマッキャロン婦人一人ですから、彼らにアリバイはないわけですよ」
「室内の詳しい状況が知りたいですね」
「それは……それは手帳に記載していないですなぁ……、すでに自殺であろうと思われて、私は別の事件に派遣されたのでね」
「知りたいです」
サミュエルの強い口調にホッパー警部は眉をひそめながらも、
「明日以降に来ますよ。あなたがさっき推理してくれた事件を片付けてから、それでいいでしょう?」
と、マルガリタが用意してくれたランチボックスを片手に出ていた。
「本当に、気になるんだね」
ロバートの言葉にサミュエルは少し考え、
「堂々巡りなんだ……だがいつも同じところで不愉快になる」
「不愉快? 堂々巡りをして、同じことを考えるのではなく?」
「ああ、不愉快なんだ。何故、僕なのか? 僕はうぬぼれているのだろうか? 僕でなければいけないからだ。ということに胸を張っていいのかどうか……。たまたま選んだにしては、僕というものと関わりたい人などいないように感じる。いや……権力を得たいと思う連中は、以前いやというほどやってきたことがあったが……。そういうのではない。では、警察や新聞社の橋渡しのためなのか? と思えば、自分がみじめになる。では、なぜ、僕なのだろう? これが不愉快のもとさ。これさえすっきりすれば後はどうでもいいんだ」
「なるほど……何故、君なのか……。君が魅力的だから。じゃないかな?」
ロバートの言葉にサミュエルが少し呆気にとられた顔を向けた。
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