第56話 物騒でやたらとカッコいいオーラ
全身の血が、凍りついたかのようだった。
ギガ・アナコンダが喉元を膨らませ、何かを呑みこんだ。
次に口を開いた時、そこには何もなかった。
いるはずの、師匠の姿もなかった。
「嘘……だし……!」
あたしは構えを取ったままの格好で、指先ひとつ動かす事ができずにいた。
師匠が食べられてしまった。
あんなに強くて、いつも自信満々で、やられるところなんて想像のできない師匠が。
膝から崩れ落ちそうになる。
それでも立っていられるのは何故だろう。
この構えを解いてしまったら、師匠が本当にいなくなってしまうと、認めることになるからだろうか。
人がいなくなる時は、いつも突然であっさりとしたものだ。
まるでいなかった事が当たり前だったかのように、世界は周り続ける。
じいちゃんがいなくなった朝も、天気は良くて、風は暖かくて、鍋に火をかけるとコトコトとのどかな音がした。
ましてや師匠は冒険者。
一度冒険に出れば、無事に帰って来れる保証なんてどこにもないのだ。
バシャリ、と音がした。
目を向けると、フードマントの女の人が胸を押さえてその場に膝をついていた。
何やら苦しそうな様子だが、何が起こっているのかは分からない。
ドレスアーマーは吹き飛ばされたまま、まだ戻ってこない。
そもそもあの威力の攻撃だ。
無事にすんでいるとは思えなかった。
「ジャアァァ……」
ギガ・アナコンダがこちらをみた。
ガーネット・フロッグが全滅し、ドレスアーマーが吹き飛ばされ、師匠が丸呑みにされ。
今、この場で獲物となりそうなのはあたしとフードマントの女の人だけだ。
あのフードマントの人が戦えるかはわからない。
けど苦しそうに胸を押さえている様子をみるに、とても抵抗できるような状態ではないだろう。
構えをとっているあたしも、きっと何もできないだろう。
そもそも先ほどから、全身から血が抜け落ちてしまったかのように、身体に力が入らない。
巨大なヘビがゆっくりとこちらに這いずって来るのを見て、あたしは目をぎゅっと瞑った。
怖い、怖いし……!
胸を満たす感情は、恐怖だ。
ただただ恐ろしさを感じていた。
でも何に対して?
這いずって来るヘビの魔物に対してじゃない。
この恐怖はきっと、師匠との日々を失ってしまう事に対する恐怖だ。
あの幸せな毎日を失ってしまう事に対する恐怖だ。
ここであたしが負けたら、もう二度と戻ってこない――。
(お前の生まれ持った力を活かす時だ)
「――!」
暗闇に、黄金の滴が落ちた。
どこからか、師匠の声が頭の中に響きわたった。
これは……、あたしが近づいてくる木刀に対して、目を瞑ってしまった時に師匠がいった言葉だ。
目を閉じていると、あたしを形作る、師匠の数々の言葉が思い浮かんでくる。
(人生は不平等だ。けど努力は誰にでも平等だ)
そう、だ。
<敵対者>にとっても、努力は平等なんだ。
あたしが救わなければ他の<敵対者>が不幸になる?
そんなの傲慢だ。
あたしにやれたんだから、他の<敵対者>にだって出来るはずだし……!
黄金の光が、またひとつ増えた。
(必殺技で大事なのは心だ。自分を疑ってはいけない)
心。
あたしの心は、何を望むの?
(自分が英雄であると強く信じ、そしてこの一撃が世界を救うと確信して放つ)
英雄。
英雄とは何?
(ここで決める。出来ないはずがない。いま、ここ、この瞬間がお前の物語だ!)
あたしの物語。
あたしの心が望む、英雄が紡ぐ物語……!
(そうじゃ、目覚めろ――)
暗闇が黄金で満たされた。
あたしの心を占めていた、恐怖の感情はもはやない。
その全てを決意の炎にくべ、今あたしの心にあるのは燃え盛る想い。
この感情に名前があるとしたら、それはきっと――勇気だ。
あたしの心が望むことを、自分の力で成し遂げる決意。
そう。あたしの望みはただ一つ。
師匠との日々を、あたしの世界を、自分の力で取り戻す……!
英雄とは、自分の心の望みを決して聞き流さず、決して怯えることのない、師匠のような人の事だし――――!
あたしはカッと目を開いた。
そこには大きな口を空けて、今にもあたしを呑みこもうとしている巨大なヘビがいた。
しかしその動きは随分とゆっくりだ。
不思議な感覚だ。
ヘビの動きの一つ一つ、それどころか水しぶきの一滴一滴までその動きを把握できる。
まるで時間が止まってしまったかのような世界で、ヘビだけが少しずつあたしに迫って来る。
いや、少し離れたところにも動いているものがある。
おそらくドレスアーマーだろう。
その速度はヘビよりもずっと早いが、それでもあたしがヘビに呑まれる方が先だ。
あたしの実力じゃ、この攻撃を避けることはできない。
だけど、全身を纏う黄金の光がそれを否定する。
身体から溢れる圧倒的な力。
迫りくるヘビの魔物には、何の脅威も感じなかった。
そして遂にあたしの間合いへとギガ・アナコンダが入って来る。
あたしは、沼地を強く蹴りつけた。
心に浮かぶ、言葉を紡ぐ――!
「あたしの世界を返せ……! 英雄絶技! <
ギガ・アナコンダの鼻先へと、あたしの突きが刺さる。
そして黄金の光が螺旋を描き、ヘビの巨体に渦を巻くかのように伝っていった。
次の瞬間――。
「はえっ……!?」
――轟音と共に、ギガ・アナコンダが爆発四散した。
----
「うっわ、ドロドロに溶けてるよ……」
ルッルにとどめを刺そうとしていたドレスアーマーに用意していた新技を放ったあと、僕はギガ・アナコンダに丸呑みされてしまった。
あの新技、上から叩き落とす分にはいいんだが、離れたところに放つには<エア・ボム>3つを使って推進力を得る必要がある。
しかもそこそこの大きさと重さになっているものだから、ゴロゴロと大岩を転がすような扱いしかできない。
さらに今回はすぐ隣にルッルがいたものだから、巻き添えを喰らわないように集中していた。
結果として大きな隙が生まれて、この様だ。
僕の目の前には、ドロドロに溶けたガーネット・フロッグがいる。
さすがにまだ形は残っているが、表面とかもうほとんど溶けてしまっている。
咄嗟に<エア・スライム>で全身を覆えたから良かったようなものの、生身で呑みこまれていたらすぐにでも同じ末路を辿っていただろう。
「しかしなんだろうな、これ」
ヘビの体内に明かりなんかあるわけがない。
当然真っ暗なはずだが、僕にはガーネット・フロッグの姿が確認できた。
その理由は、僕の持っている世界樹の木刀だ。
なぜか知らないが、少し前から僅かながら発光している。
おかげで周囲の様子が少し分かるようになったのだが、だからといって何ができるというものでもない。
「うーん、このままずっといたら出られるかな? でもあんまりゆっくりしているとルッルも食べられちゃうかもしれないしな……」
幸いなことに<エア・スライム>が溶かされる様子はない。
まあ空気だし。溶けようがないんだけど。
物語なら腹の中で大技を放って、カッコよく脱出するところだが、生憎とそういった技はまだ持っていない。
あとは大量の水を呼び寄せて破裂させるとかだが――。
「僕にできるのは<エア・コントロール>だからなぁ……。ま、一応やってみるか」
こう空気を膨らませていくような感じで……。
今までとは正反対のアプローチだ。
<エア・スライム>や<エア・ボム>は空気を押し固めてきた。
空気を膨らませるには、逆に空気を拡散させていくようなイメージでやる必要がある。
ただ反対にやるだけのように思えるが、意外とこれは集中力がいるぞ……。
四苦八苦しながら空気の拡散を試していると、ほんの僅かだけどヘビのお腹がの中が膨らんできたように見えた。
「おっ、これならいけるか――のわぁぁぁ!!」
僕が手ごたえを感じたその瞬間。
周りの肉の壁が大爆発を起こして、木っ端みじんに吹き飛んだ。
その中にいた僕も当然ただではすまない。
<エア・スライム>で全身を覆っていたのが幸いして、骨や肉の飛礫からは身を守ることができた。
しかし衝撃は逃がせず、僕はもみくちゃにされて空高く放り出されてしまった。
周りに生えている木よりもずっと高い位置で、落下しながら自分がいたであろう場所を見下ろす。
普通ならこのまま地面に叩きつけられて死んでしまうだろうが、空を飛べる僕なら平気だ。
余裕をもって状況を確認していた。
「ルッルのやつ……、羨ましい……ッ!」
そこでは黄金色のオーラのようなものを纏ったルッルが、片手でドレスアーマーの蹴りを受け止めていた。
そのままルッルがパンチを放つが、ドレスアーマーの下をいくド素人パンチでは当たるはずがない。
だが振り抜かれた拳で起こった衝撃波が、ドレスアーマーを吹き飛ばした。
めちゃくちゃだな、おい。
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「<敵対者>だなんて誤情報だったみたいなのよ……!」
あたしに吹き飛ばされたドレスアーマーが苦々しい表情でそう言った。
師匠の技にやられた傷も大きいようで、全身がボロボロになっているように見える。
何やら勘違いしているようだが、あたしは<敵対者>で間違いない。
この力は前にも必殺技の訓練の時に一度発現したことがあるが、スキルではなかったと確認できている。
師匠はあたしの秘めたる力だと言ったが、それが正しいかはわからない。
けど、今この場では必要な力だ。
「さっさと帰るし……! もう用はないはずだし……!」
「言われなくても帰るのよ。せいぜいあと僅かな時間、力のない者を見下す世界を楽しむといいのよ……!」
ドレスアーマーはそう言い残し、苦しそうにしているフードマントの女を担ぎ上げてその場から離れて行った。
その直後、あたしの後ろで水しぶきが盛大にあがる。
振り返るとそこにいたのは――。
「師匠……! 生きてたし……!」
「当たり前だろ。巨大な魔物に食べられて内部から脱出イベントは一度やってみたかったんだよ」
さすがだし。
そんな理由で魔物に食べられる人なんて他に誰もいないし。
あたしが感動の再会のため、師匠を抱きしめようと駆け寄ると、師匠が同じだけ後ずさった。
「……なんで逃げるし? 死に別れた師弟の感動の再会だし?」
「死んでねえし、死に別れたら会えないし、あともの凄く嫌な予感がするから嫌だ」
「なんでだし。ここは物語でも抱き合う場面――あっ」
沼に足を取られて転んでしまったあたし。
ついつい手で地面を叩くような形になり、そして――。
ドゴォォォォン……!
あたしが手をついたその場所に、大きめのクレーターができた。
「…………」
「……師匠、感動の再会するし」
「やるわけねぇだろうが! 殺す気かッ!!」
おかしい。訓練の時はこの力はすぐになくなったはずだ。
なのに今はまだ、身体の周りが黄金色に輝いていた。
これじゃ感動の再会ができないし……!
「はやくその物騒でやたらとカッコいいオーラをしまえ!」
「この物騒でやたらとカッコいいオーラは、どうやったらいいか自分でも――」
(案ずるな、すぐに消えてなくなる)
「お、そうなのか?」
「え、そうなんだし?」
「「ん?」」
二人しかいないはずの場所で、第三者から回答が来て顔を見合わせるあたしと師匠。
キョロキョロと辺りを見渡すものの誰もいない。
(ここじゃここじゃ。この者の腰に差さっている木刀じゃ)
師匠が持つ木刀をみる。
すると柄の先に、光の粒が少しずつ集まり、何かを形作っていった。
そして一際強く光が輝いて収まったあと、そこには一匹の虫が止まっていた。
「……虫だし」
「虫ではないぞ。この姿は森の王者、ヘラクレスオオカブトじゃ」
いや、虫だし。
虫は器用に前足で腕を組むようにしてあたしに向かって偉そうに言った。
「仮の姿ではあるが、これでも我は精霊じゃ。世界を救う<守護者>の誕生を、心から歓迎するのじゃ」
「ふっ。世界を救う、ね――いいだろう。俺に任せろ」
「引っ込んでおれ、一般人。我が話しかけているのはそこの――っておい、何をす――ぐわぁぁぁ!」
一般人扱いされた師匠が、やたらと偉そうな虫をわしづかみにして全力で放り投げた。
虫は空高く飛んでいき、キラリと光って見えなくなる。
「ただのしゃべる虫だったようだな。帰るぞ」
「了解だし」
こうしてあたしの試験は幕を閉じた。
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