第24話 星空に落ちた日

 私はいつも、周りが真剣に物事を考えていないのが嫌で堪りませんでした。


 子供の頃もそうだし、冒険者となってパーティーを組んだ二人もそうでした。

 同じ目的を持って協力しなきゃいけないはずなのに、どうやって目的を達成するかをちゃんと考えてくれないのです。


 もちろん、周りが必ず私と同じようなスピードで結論に達するとは思っていません。私は他の人よりも考えるのが得意だと自負もしています。客観的にみても、私の案が優れている事は多いと思います。


 でもそれは結果であって、だからといって目的達成のための手段を考えなくてもいいという事にはならないじゃないですか。


「随分暗くなっちゃいましたね……」


 私は人混みの中をただ歩いていました。

 どこに向かうというわけでもなく、ただただ真っ直ぐに歩いていたら、いつの間にか山の中腹辺りまで登ってきていました。


 振り向くと麓の街が見下ろせます。

 ぽつりぽつりと光石の明かりが灯り始めていました。


「戻りづらいですね……」


 別に道がわからないとかではないですが、自分でも理由が分からず泣いてしまったので、ヒモ野郎と顔を合わせるのが億劫です。


 私は当てもなく横道に逸れてみました。

 通りを1本逸れただけで、人通りは急になくなります。


 この辺りは鉱夫の住宅街のようですね。

 開け放たれた石造りの家の窓から、光石の明かりと共に、家族の団欒のような声が漏れ聞こえてきました。


 しばらく歩いていると、広場にたどり着きました。土の山肌剥き出しの何もない広場ですが、ひとつだけベンチが置いてあります。


 そのベンチに腰を下ろすと、ほとんど沈んでしまった夕日の頭が、遠くの空に僅かに残っているのが見えました。

 眼下には街が見下ろせます。

 ベンチの少し先は崖になっているようでした。


「……何であんなに感情的になってしまったのでしょうか」


 この場所は風の通り道になっているようで、崖下から穏やかな風が吹き付けてきます。

 頬を撫でる少し冷たい風が、熱を持った私の頭を冷やしてくれました。

 なんであんな風に怒鳴ってしまったのか、泣いて走り去るなんて無様な姿を晒してしまったのか。

 分析して、次に活かさなくては。


「私が、何か間違えていたんでしょうか……」


「間違いとか、正解とか、そういう事じゃないんだがな」


「――っ!」


 弱気になった私の独り言に、唐突に応えたその声は、崖の下から飛び上がってきたヒモ野郎のものです。

 ヒモ野郎は私の頭の少し上、見上げる位置の何もない空間に立ちどまりました。

 

 どうして私が居る場所が分かったのでしょうか。

 ヒモ野郎はバツが悪そうに頭をかいています。


「あー、なんだ。下の方からここに座ってるのが見えてな。ちょっと飛んできた」


 ちょっと飛んできたなんて、言ってる事もやってる事も無茶苦茶です。

 今だって普通に空に浮いていますけど、そんな魔法は存在しないのです。これだって異常な光景なはずなんです。

 でもヒモ野郎がやるなら、普通なのかなって思えてしまうだけで。


 黙っている私が怒っているとでも思ったのか、ヒモ野郎はしなくてもいい言い訳を口にしました。


「いや、たまたま聞こえただけで別に聞く気はなかったんだがな。あー、まあ。悪い」


 いつも訳のわからない謎の自信に包まれているヒモ野郎が、ヤケに歯切れが悪いですね。

 なんだか私も居心地が悪くなってきたので、助け舟を出してやる事にします。


「別に、聞かれて困るような事じゃありません。ただ反省していただけですから。もう何でもありません」


 とん、とヒモ野郎が私の前に降り立ちました。

 そして断りもなく私の横に腰掛けます。


 デリカシーのない男ですね。

 まあ期待するだけ無駄なんでしょうが。


「なんだよ」


「なんでもありません。ヒモ野郎に女性の扱い方なんて高度な知識があるとは思っていませんから」


「はっ。悪かったな。年の近い女なんてアンリぐらいしか知らないからな。シスターは見た目10歳だけど」


 ――お姉様、か。

 こいつとお姉様は同じ孤児院の幼馴染のようですが、お互いの態度からはそれだけではない絆を感じます。

 一体どんな関係で――って、今は関係ありませんね。


「心配して来て頂いたんだと思いますので、お礼は言います。ありがとうございます。でももう大丈夫です。ちょっとイライラした事があって感情的になっていただけで、もう大丈夫ですか――」


「――いや、話がしたい」


 ……むう。

 私が折角この何だか居心地の悪い空間を早く終わらせようとしたのに、そんな気遣いを台無しにしてヒモ野郎が言葉を遮ります。


 先程の事はもう解決したのです。

 ヒモ野郎と話す事なんてありません。


「ご心配なら無用です。本当にもう大丈夫ですので」


 そう言って立ち上がろうとした私の手を、あろう事かヒモ野郎は掴んで止めました。


 乙女の手をぞんざいに扱うなんて万死に値します。

 説教してやろうと振り向くと、ヒモ野郎と目が合いました。


「アンリを本当に救い出したいなら、今ここで話すべきだ」


 ……お姉様をダシに使うなんて、卑怯な男です。

 でもその目はいつになく真剣な光を灯していたので、私は素直に座り直しました。

 ヒモ野郎がお姉様の救出について、考えを話すのは初めてです。それを聞いてやろうと思ったのです。他に理由なんかありません――。


「それで、どうやってお姉様を救出すると考えているんですか?」


 問いかけた私に、ヒモ野郎は首を振りました。


「いや、俺がしたいのはお前の話だ」


「はあ? お姉様救出の為に話をするんじゃなかったんですか?」


「そうだ。アンリの救出の為に、俺達はお前の話をするんだ、キルト」


 ヒモ野郎に目を見つめられ、名前を呼ばれ、私の胸がトクリと脈打ちました。

 なんだが、よく分かりません。よく分かりませんが、無性に苛立たしい気がします。


「わ、訳のわからない事を言わないでください! なんで私の話がお姉様の救出に関係があるんですか!」


「俺はな、お前が言わなくても分かるって言う事が、分からないんだ」


 っ! 

 なんで。

 その話はもう済んだのです。なんで蒸し返すんですか。


「ヒモ野郎の脳みそが足りない事はよく分かりました。今度からはちゃんと説明するようにしますから、大丈夫です」


「ああ、それは助かる。でもな、それだけじゃ駄目なんだよ。キルト、お前にも分かっていない事がある」


 私が分かっていない事?

 別に私が全部分かっているわけじゃないです。分からない事なんていくらでもあります。


「俺が何を考えているか、分かってないだろ」


 それは――!


「だって貴方は何も言わないじゃないですか……! お姉様の救出をどうするつもりなのか! 全然焦った様子もないし、心配してるようにも見えません!」


 言われなきゃヒモ野郎が何を考えているかなんて分かりません! だってこの人はやる事成す事全部が滅茶苦茶なんですから!

 英雄のように振る舞ったかと思えば、バカみたいに何も考えていない。そんな人の考えてなんて分かるわけがないです!


「そうだ。言わなきゃ分かるわけない。俺はずっとアンリとばかり一緒に居たから、その辺ちょっと適当になってた。悪かったよ」


「お姉様と分かり合えてる自慢ですか? どうせ私には分かりません。貴方が何を考えているかなんて!」


 お姉様はずっと一緒に居たからこの人の考えが分かるんです。同じ孤児院で育って、たくさんの時間を過ごして。

 当然の事です。だから羨ましくなんて思う必要は――。

 ――ってあれ? 何か違うような……?


「俺も、お前が何を考えているか言われなきゃ分からない」


「なんでですか? ただ物事を論理的に並べて考えるだけじゃないですか。誰でもちゃんと考えれば同じようになります。貴方みたい滅茶苦茶な考えじゃないんです」


 可能性が高かったり、効率的だったりする事を取捨選択していくだけです。

 もたろん人によって結論まで辿り着くスピードは違いますが、それでもちゃんと考えれば誰でも同じ答えに行き着くはずです。


 でもヒモ野郎は首を横に振りました。


「お前にとっては当たり前の道筋でも、他の人にとっては当たり前じゃない」


「それは単に貴方の頭が――」


「違う。いや、まあ、お前程賢くないのはそうなんだが。頭が良いとか悪いとかじゃないんだ。なあキルト、お前この景色をみて、何を思う?」


 ヒモ野郎が指差したのは正面。

 すっかり日が落ちて、光石の明かりが瞬く街が広がっています。

 この景色をみて何を思うか……。


「光石の明かりがたくさんありますね」


「それで?」


「これだけの明かりがあるという事は、夜でも活動する為のはずです。もちろん飲み屋に行く人もいるでしょうけど、その為にこれだけの量の光石は用意しないでしょう」


「なるほどな。で?」


「この街は鉱山街です。坑道の中はどのみち光が届きませんから、昼も夜も関係なく仕事が出来るでしょう。それに製鉄所も日夜構わずにずっと火が焚かれているそうです。であればあの光石は夜の仕事に行く人の為に設置されたと考えられます」


「お前普段そういう事考えてるんだな……」


 誰でも気付ける事です。

 ヒモ野郎が考えてなさ過ぎるだけです。


「じゃあ、この景色を見て俺は何を思ったと思う?」


 ヒモ野郎がどう思ったか。

 そんなの分かりません。

 ヒモ野郎がこの景色を見て何を思うのかなんて。


「別に特別な事じゃない。たぶん10人いたら9人くらいは同じ事を思う」


「……分かりません。何を考えたのですか?」


 日が沈み、先程よりも冷たい風が吹いています。

 少し、身体が冷えて来ましたね。


 私の問いかけに応えず、しばらく夜の街を眺めた後、ヒモ野郎が言いました。


「――綺麗だなって、そう思ったよ。お前はどう思う? この景色は綺麗か?」


 問われて、改めて街を眺めてみます。

 真っ直ぐに光が並んでいるあそこは、おそらくメインストリートである鉄器通りでしょう。その横は冒険者ギルドに通じる道、そして私達の宿がある通り。

 それ以外にも光が点在しているのは、家から漏れる明かりでしょうか。

 光石の明かりは、僅かにチカチカと瞬いていて、まるで地上にある星空のようにも見えます。

 そう、星空のようでとても――。


「綺麗……です」


「だよな。じゃあ俺の思った事も間違えていないだろ? もちろんお前がさっき考えた事も間違えていない。違う考えだけど、どっちも正しい。そうだろ?」


 そう、ですね。

 どちらも正しい。


「人によって考え方は違うんだ。だから、当たり前と思ってる事も違う。お前はきっと、俺がちゃんと考えていないからお前の考えている事が分からないと思っているんだろうけど、そうじゃないんだ。だから――」


 私は……、ショックでした。

 人と人とで考え方が違うなんて当たり前に分かっていると思ってました。

 けど、論理的に考えれば同じ結論に達するはずだと、私はずっと思っていたんです。

 それは、考え方が違うという事を、本当の意味で分かっていなかったんだと、ヒモ野郎なんかに気付かされたのがショックでした。


 お姉様も、ヒモ野郎も、こうやって不意に私が当たり前だと思っていた事が間違えていると突きつけてきます。

 それこそが、私のような凡人が、彼らの冒険譚に強く惹かれる理由なんだと思います。


 この時私は動揺していました。

 だから、そう。だからなんです。


「――俺が、お前の事を何も考えずに、仲間外れにしてるわけじゃないんだ。ちゃんと俺の事も話すから、お前が考えた事、感じた事、俺にも教えてくれ。俺達は――仲間なんだから」


 ――私が、涙を抑えきれなかったのは。


 涙が頬を伝います。

 手で抑えるけど、何の感情だか分からない気持ちが目から溢れて、指の隙間から零れてしまいます。

 喉をしゃくり上げる声を止められなくて、まるで子供の様です。


「お、おい。泣くなよ……!」


「泣いてっ……ないですっ……!」


 泣いてんだろ、なんて言うヒモ野郎はやはり女性の扱いがわかっていません。

 女が泣いていないと言ったら、それはもう泣いていないのです。


「な、なんだよ。ああもう、来い!」


「はっ? 何を、ちょっ――、きゃぁぁ!」


 ヒモ野郎は立ち上がり、私の手を引いて走り出しました。崖に向かって。

 私が止めるよりも早く、私達は崖の向こうに飛び出しました。

 一瞬の浮遊感。

 私は思わず声を上げてしまいました。

 しかし何もないところを踏んだはずの私の足は、柔らかい何かを踏みしめます。

 そしてヒモ野郎に引っ張られて、倒れ込むように空を駆けていきます。


 私は泣いていた事も忘れて、走りながら足下に広がる街並みに目を奪われました。

 空を――駆けています。


 幼い頃に読んで、そんな事はありえないとバカにしていた物語のように。

 あの日お姉様に手を届かせたヒモ野郎のように。


 私も空を駆けていました。


「よし、飛ぶぞ!」


 崖のあった山の中腹から、さらに随分高く空を登った後に、ヒモ野郎は一際大きく跳躍しました。


 そして足下にあった柔らかな足場が消え失せ、街へと落ちていきます。


「――――っ!」


 私は心臓が縮むような強烈な浮遊感に声すら上げられず、思わず目を閉じそうになります。

 

「手を広げてみろよ!」


 そう言ってヒモ野郎は、両手を広げました。

 私もヒモ野郎の声に従い、両手を広げます。


 すると下から吹き上げる強烈な風が全身を押し上げました。

 風に押された事で僅かに浮遊感が薄れ、真下にある街の灯りを見る余裕が生まれます。


 とても、美しい景色でした。


 綺麗で、感動的で、物語の中にいるようです。


 いつか思ったように、隣にいるこの人が英雄のように思えて、私は――。


「冒険に行こう、キルト!」


 屈託なく笑う英雄が、私を冒険に誘います。


 この日、冒険譚に焦がれていただけの私は、英雄の物語の中に紡がれる仲間となりました。


 そして、星空の中に落ちていったのです。



 最後まで、手を握りしめながら――。

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