断層

 年賀状にしてはやけに遅い、寒中見舞いだろうか。はがきサイズの投函物を家のポストに見つけ、開けて面食らった。差出人は十年前の自分である。

 自治体主催の二分の一成人式という企画で、十歳の自分から二十歳の自分へはがきを出そうというものがある。どうも十年前、それに参加して投函したらしいのだ。思い返せばそんな覚えも、あるようなないような。

 はがきの半分より上は、十年前の自分の幼い字が踊る。恐る恐る読んだが、内容は大したことはなかった。算数と作文をがんばっていますとか、大人のぼくもがんばってくださいとか。要項どおりの作文だ。

 はめを外すとあとあと恥ずかしいということを、この頃から分かっていたらしい。ふん、賢いじゃないか。安心して下に目をやり後悔する。やたらめったら難解な漢字が使われたポエムが大爆発していた。いやいや発症が早すぎるだろ俺。地に足つけろよ。

 まあ、人のことは言えないわけだが。

 地に足はつかない。今でも。

 結果から言えば、誰にも見せない夢見がちな文章をしたためる日課は、中学で始めたバスケよりも、高校でできた恋人よりも、長く続いた。

 自室の机は小学校入学時に買い与えられたものだ。彫刻刀で掘ったいびつな魚が天板の端に踊る。美術で作った写真立てと、何人かの名前が曖昧な集合写真。捨てる機会を逃したままの赤本。去年の春に買ったノートパソコンが電源に繋げられたまま、ランプを点灯させている。

 この短い歴史のインデックスによる地層。趣味もマイブームも都度変わっていった。それぞれに脈絡はない。一時期地元のインディーズバンドを熱心に追っていたが唐突に冷めた。あの音楽のなにが響いたのか今ではとんと分からないが、不思議なことに、その音楽に溺れていたころの自分の文章を読むと、あぁ俺らしいと思うのだった。

 机に向かって拾い上げるものを過去の断片的な記録とするなら、意図をもってそれらを繋ぐのが俺自身の文章だ。そんなことを最近思う。

 明日成人式に行って、記念品が配られて、持ち帰って机に放って、それもまた明日を記録する層となって堆積する。それを過去として見返すころに、俺はまだ文章を書いているだろうか。分からない。なにせ、今でさえフラフラしているのだ。

 好きだったバンドの好きだったところさえ嘘のように忘れてしまう。そのくせ、不確定の遠くない未来は少なからず俺の不安を呼び起こすらしい。

 十のころの俺も、二倍の歳の俺のことを考えろなんて言われたって、困っただろ。再びてもとのはがきを見た。粗雑で幼い字からは、未来への動揺は読み取れない。ただはがき下部のポエムがより鮮烈に刺さる。なんでこんなのをはがきに書いてるんだ。改めて頭を抱えた。

 階下から母の声がする。昼飯の時間だ。すぐ行くー、と返事。とりあえずこのはがきの存在がバレるのはまずかろう。十年前の投函時にバレてそうだが。

 しばし迷って、机の棚で手の伸ばしやすい場所、大学の履修案内の横にねじ込んでおく。地層の奥深くに眠らせるにはなぜかやや気が咎めた。

 それから棚を見渡して、断層っぽい、と思った。

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