輪廻邂逅
高層スラム ‐1
Ⅳ 輪廻邂逅
どこまでも二人で逃げようと誓った。例え世界の全てが敵であろうとも……、なんてロマンチックなものであるはずがない。結果として一方的に右那を連れ回し、彼女にどう思われているかなど知る由もない。
だが、一連の行動に後悔はなかった。いや、彼女が素直に付いてきてくれるということは、きっとこれで良かったのだろう。と、そう自分に言い聞かせるしかないのである。
あの夜から数日が経過した。
右那を連れて逃げ延びた先は偽りの再開発地区から距離をおいた、少し異質な住居区だ。
ここは一帯の平野をまるごと覆う壮大なメガスラム地帯である。小高い丘から見渡せば、くすんだ灰色の高層団地が地平線の向こうまで広がって見える。規則的に並んだ団地はまるで図書館の本棚のように見えるが、実際その間には太陽光がほとんど届かず、そんな立体スラムのような空間に人口の多くが集束されている。
この景色は、歯止めの効かない格差社会が生み出したひとつの形と言っていい。社会の裾野に広く分布する人口は今や全体の半分近くを占め、美しい再開発地区から貧しい彼らを追放しようものなら、荒廃した地方にこんな無機質な景観が出来上がるのは必然だ。
しかしながらデリーターの追撃を避け、公安省の捜査を撒くには都合の良い場所である。いくら発達した情報社会とて、碌にネット回線も引かれず、街頭カメラも破壊され、日々勝手に改装される超密集団地では、人を一人探し出すのも至難の業だろう。
これまでの再開発地区での暮らしはある意味偽りと表現できる。そこは大破壊時代前の一般住宅街や都会の風景を巧みに再現し、まるで完全に復興を遂げたように見せかけて人々に安息を与えているに過ぎない。
だが、現実の半分はこっちだ……。
「君、そのワカメみたいな長髪を振り回しながらこれからも戦う気かい?」
「別に良いだろ。慣れてる」
「やめなよ、軽くホラーだし。ほら後ろ向いて、ボクが結んであげようじゃないか、その片腕じゃ難しいだろう?」
地上二十階の共通廊下に二人立つ。
他愛もない話で足を止めていると、たちまち俗輩なものに絡まれた。
「げははははっ、よぉ兄ちゃん。今ここ通ったよなぁ? なぁ?」
褐色肌で金髪、シャツの前をはだけて胸毛を強調する男は、タバコを吹かしながら無遠慮なO脚で歩み寄ってきた。
「なんだ?」
そびえ立つ棟と棟の間隔は十五メートル弱。その上空二十階に渡された日曜大工の橋を振り返ってみた。建築資材で巧みに作ってあるが、やはり公共の橋ではなかったようだ。
「通行料7万円。げははははっ、便利な橋だったろう? こいつを渡れば監視カメラを避けれるんだ。別にぼったくりじゃねえよなぁ?」
「あんたが言う監視カメラは壊れてる、百円にまけろって」
「馬鹿言っちゃいけねえよ。まさか金がねえのか? いいぜ、だったらそっちの女の子を置いてけ。それなら兄ちゃんは無料にしてやってもいいんだぜぇ? げははははっ」
男の下卑た視線が右那の足先から頭まで舐め回すように往復した。
僅かに手を挙げて、右那に下がっているように合図した。男の体は身長180以上、見せびらかすようにズボンの腰から拳銃のグリップがはみ出ている。それで脅してるつもりなのだろう。
「金はないし。連れを置いてくって選択も普通にありえんっての」
「ああ? よく聞こえなかったなぁ、兄ちゃんよ」
と、男はそう言いながら腰から拳銃を抜き取った。大破壊時代前に比べれば銃火器も随分と一般に浸透したが、それでも銃規制を基盤とする社会秩序は未だ健在。たとえ拳銃一丁でも一般的には十分な凶器だ。
「もういっぺん聞くけど、どうすんだ? 兄ちゃん。げははは、ビビって声もでねえかぁ?」
銃口の軸線がピタリと脳天に重なった。
「だから無いってば。まぁでも、金だったらすぐに作れる」
「あぁん?」
「あんたの命って、おいくら?」
その問いに、男が言葉を発するのを待ちはしない。忍ばしていたナイフを抜き取り、男が銃を構える手首を一瞬にして切り落とした。
「な、なんだ?」
男はきっと理解できなかっただろう。いま目の前で起きた現象は、人間にはあまりに速すぎる。ただ腕の断面から飛び出る赤い噴水を見て、ぼんやりと眺めた。彼が自分の腕が切断されたとわかるには、もう数秒ほどかかるだろう。無論、それを待ちはしない。
続いてナイフを口にくわえ、切断した手首が地面に付く前にそれに握られた拳銃を掠め、グリップを右手に掴み取った。
躊躇いなくトリガーを引き、前をはだけた男の体に次々弾丸を打ち込む。風船みたいな腹を破り、弛んだ乳首を吹き飛ばし、不細工な顔面を真っ赤に染めた。
「あんたの命、やっぱ7万も価値ないかねぇ」
仰向けに動かない男へ拳銃を投げて返した。
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