五体修羅 ‐2


「もうやめるんだ! やめてくれ! ボクはもう、もういいんだ!」

「んが? むごご。んがぁあああ!」

 包丁の柄を咥えながら応答した。

 彼女が何を言おうと、認めない。むしろ、彼女がそう叫ぶほど、徹底的に否定したくなる。

「この下郎がぁあああ!」

 珀斗の懐に潜り込み、猛烈な太刀の一振りを掻い潜った。

「なんだと!」

 珀斗を追い越しすれ違う。彼女が呆気にとられる瞬間、後方回し蹴り。見事に脇腹に命中し、珀斗のバランスを崩した。同時に頭を振って、咥えていた〈関ノ祓魔包丁〉を投げつけ、彼女に体勢を立て直す隙を与えない。

 走り抜け。右那の元へ。

「右那!」

 右那に駆け寄った。

「そんなにくたばりてえなら! 俺がやってやるってなぁ!」

 一瞬で距離を縮め、そして右那の立つそこまで迫ると、その襟首をもって引き寄せた。

「うわぁあっ」

 そして突き飛ばすように後ろに倒し、右那の体の上に地面に膝をついて跨がった。

「死ねぇぇえぇえええ!」

 振り上げる刃を一直線、少女の顔面に振り下ろす。

「くっ。う、っぅぅ」

 刺さる、その数センチ手前でピタリと止めた。ゆっくりと見開かれる彼女瞳は水分をたっぷり含んで視点がきらきらと揺れていた。

「ほら、ぜんぜん死にたくねえじゃん」

 ナイフを納め。ひん曲がった笑顔で彼女の泣き顔に向かい合った。

「うるさい! うるさいよ! ぼ、ボクは! ボクは!」


「貴様ぁあああああああ!」

 後ろから、鬼の如く気迫を纏う何者かの気配を感じた。頭髪を逆立てる珀斗。次の瞬間、猛烈な勢いで迫り来る珀斗は再び巨大犬へと姿を変え、大きな牙を剥き出した。

「やべぇ」

「珀斗やめろ、ボクは平気だよ」

 そのどの声も、ぴんと伸びた彼女の耳には届かなかった。

 しかし。故に、彼女はその時、重大な気配を見逃していたのだった。

 駆ける巨大犬の向こう側、邸宅の裏側より、珀斗の体よりもずっと大きな飛行物体が姿を現したのだ。 

 まるで闇そのものが動き出したかのような暗影。ステルス色で全身を固めた攻撃ヘリ。最新のエンジンは極力音を忍ばして移動し、この場にいた全員は、その強烈な暴風を体に受けて初めてその脅威を覚知し得たのだ。

「んだありゃ!」

「公安だ」

 ようやくその存在を感知した珀斗は、こちらへの攻撃を中断して振り返った。そして次の瞬間、攻撃ヘリは胴体に抱えた数十の誘導弾を解き放った。

 対地攻撃用の誘導弾は白煙を噴射して飛び出し、一度四方に散開すると、それぞれ真っ直ぐに珀斗へ向かい、あらゆる角度から彼女に迫った。

 犬から再び人化する珀斗。神刀を縦横斜め十字に大きく振り、周囲に無数の氷柱を立ち並ばせて迫り来る全ての誘導弾を撃ち払った。

「この、くたばり損ないのストーカーが! 墜ちろぉおお!」

 更にもう一振りを縦に下から大きく振り抜き、地面から樹木ほどの巨大な氷柱が突き上がった。氷の槍は一直線にヘリを襲うが、その瞬間に急速上昇し、間一髪で撃墜を免れた。


 偶然の邂逅によって生み出された大きな隙。この二者の争う好機を逃すなんて話はない。

「右那、一緒に来い」

 地面に倒れる少女に、残った片腕、右の手を差し出した。

「お前を必要としてる奴がいるんだっての!」

 その姿が、一体彼女にはどう映っていたのだろうか。期待と不安、そして僅かな笑みが意味するものは、果たして何だろう。

 この手を掴む彼女の思いは、まだほんの少し希望に魅せられていたのかもしれない。

 公安の戦闘部隊と一戦を交える珀斗を後に、彼女の手を引いて深い森の中へと二人で走った。

 この先どうなるかなど、わかるはずもない。今はただ全力で駆け抜ける。ただ一つわかることを言うのなら、自分には右那という存在が必要で諦めるなど到底できないという事だけだ。





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